平成芭蕉の日本遺産 日本磁器のふるさと肥前~百花繚乱のやきもの散歩 | 【黒田尚嗣】平成芭蕉の旅物語

令和の「平成芭蕉」

令和の「平成芭蕉」

平成芭蕉の日本遺産

平成芭蕉の日本遺産 日本磁器のふるさと肥前~百花繚乱のやきもの散歩

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世界最古の縄文土器とやきものが生まれた地

映画『縄文にハマる人々』を鑑賞し、世界最古の縄文土器「豆粒文土器」が見たくなり、佐世保の三川内にある「佐世保市うつわ歴史館」に行ってきました。三川内と言えば、採算を度外視した繊細優美な超絶技巧を極めた三川内焼(みかわちやき)で有名ですが、三川内焼は平戸焼とも呼ばれ、平戸藩の御用窯で手厚く保護されていました。

最古級の縄文土器「豆粒紋土器」

朝鮮の役が終結した際、平戸藩藩主である松浦鎮信は多くの陶工を連れ帰りましたが、1598年、巨関(こせき)という陶工は、帰化して今村姓を名乗った後、平戸島中野村の中野窯で藩主の命により最初の窯入れをし、この中野焼が三川内焼の始まりと言われています。

三川内山

また、同じく朝鮮から来た陶工の高麗媼(こうらいばば)は、中里茂左衛門のもとに嫁いだ後、1622年に三川内へ移住し、息子の今村三之丞と共に三川内で窯を開きました。三川内の陶祖神社には平戸藩御用窯二代目の今村弥治兵衛が、釜山神社には高麗媼(こうらいばば)が祀られています。

釜山神社

その後、中野村の陶工が、平戸藩により三川内に移され、三川内皿山、木原皿山、江永皿山の「三川内三皿山」が設置されて発展、針尾島の網代陶石肥後天草陶石を用い、今に伝わる純白で堅牢な三川内白磁が完成したのです。

そして、この「肥前」三川内のやきものストーリーは、同じ長崎県の平戸市、波佐見町と佐賀県の唐津市、伊万里市、武雄市、嬉野市、有田町とともにやきものが生まれた地として日本遺産に登録されました。

日本遺産「日本磁器のふるさと肥前」

肥前とは、佐賀県と長崎県を含む九州北西部の旧国名で、この地は長い窯業の歴史のなかで培われた伝統や技術、景観や文化などの魅力を体感できる日本随一の地域として「日本磁器のふるさと肥前~百花繚乱のやきもの散歩~」というストーリーが日本遺産に認定されたのです。

私は嬉野温泉に滞在し、大正期から昭和50年代まで操業していた旧志田陶磁器株式会社工場(志田焼の里博物館)を見学した後、陶磁器400年のストーリーを訪ねて、肥前のやきもの圏を巡ってきました。

志田焼の里博物館

やきものの始まりは唐津

やきものを総称して「陶磁器」と呼びますが、大きく二分類すると「陶器」「磁器」に分けることができます。

「陶器」とは、「陶土」とよばれる粘土を形成し、800℃~1300℃で焼いたもので、器の生地が厚く、触った感触がザラザラしており「土もの」とも呼ばれ、他に釉薬をかけず、地面の焚き火で700℃~900℃の低温で焼き上げた縄文土器を代表とする「土器」と「焼き締め」や「半磁器」とも呼ばれる窯の中で1100℃~1250℃の高温で焼成した須恵器などの「炻器(せっき)」があります。

肥前波佐見陶磁器窯跡「畑ノ原窯跡」

「磁器」とは、陶石を粉砕した「石粉」を形成し、1300℃~1400℃で焼いたもので、高温で焼き締められガラス化しているため、陶器に比べて一般的に生地が硬く薄いという特徴をもち、「石もの」と呼ばれています。吸水性はほとんどなく、熱伝導率が高く、熱しやすく冷めやすいのが特徴です。

この陶器の歴史は、佐賀県唐津市北波多を治めていた戦国大名の波多氏が、1580年頃に朝鮮から陶工を招いて岸岳に窯を開いたのが始まりで、これは日本磁器誕生へ系譜を伝える最初の窯跡でもありました。現在は「古窯の森公園」として整備されていますが、この公園内に唐津焼発祥の岸岳古窯跡群があり、この場所こそが「やきものの聖地」なのです。

北波多の岸岳古窯跡

唐津焼は、分派の武雄古唐津焼と共に、日本の伝統的工芸品に指定されています。日常雑器から茶器までさまざまな器種があり、作風・技法も多岐にわたりますが、茶道では古くから「一井戸、二楽、三唐津」の茶碗格付けがあり、茶の湯の名品として知られています。私は土ものの温かい風合いと自然のものを絵付けした素朴で野趣溢れる表情が気に入っています。

有田などで磁器の生産が始まると唐津焼は一時衰退しますが、昭和初期に御用窯だった十二代・中里太郎衛門(人間国宝)により古唐津の技法が復活すると、「土もの」として唐津焼の魅力は再認識され、今日に至っています。

中里太郎右衛門陶房

一方、1592~1598年の文禄・慶長の役で、朝鮮へ出兵した肥前の諸将は、帰国の際に朝鮮から多くの陶工たちを連れて帰り、競うように窯を開きました。

陶祖「李参平」の白磁像

そして肥前のやきものは各地に産声を上げますが、17世紀のはじめになって佐賀藩祖の鍋島直茂の重臣に仕えた陶工の一人、李参平は有田の泉山で磁器の原料となる磁石(陶石)を発見し、近くの上白川に天狗谷窯を開き日本初の白磁を焼いたとされ、有田焼の祖と言われています。

李参平が発見した泉山磁石場

泉山磁石場では、今では採掘はほとんど行われていませんが、削り取られた山肌が当時の繁栄を偲ばせてくれます。また、李参平は日本名を「金ヶ江三兵衛(かながえさんべえ)」と称し、有田町では李参平を「陶祖」として陶山神社(すえやまじんじゃ)に祀っています。

李参平を祀った陶山神社

有田で焼かれた磁器は伊万里港から積み出されていたため、「伊万里焼」と呼ばれていましたが、1637年に鍋島藩は、伊万里・有田地区の窯場の統合整理を敢行し、窯場を有田の13箇所に限定して有田皿山が形成されまた。

トンバイ塀が続く有田の風景

この頃までの有田焼をしばしば「初期伊万里」と称し、鉄分の粒子が表面に黒茶のシミ様となって現れていること、素焼きを行わないまま釉薬掛けをして焼成するため柔らかな釉調であること、形態的には6寸から7寸程度の大皿が多く、皿径と高台径の比が3対1の、いわゆる三分の一高台が多いことが特徴です。

第14代柿右衛門の色絵

磁器製作が始まってから約30年後、中国から伝わった技法をもとに初代柿右衛門が日本で初めて赤絵の焼き付けに成功します。この柿右衛門様式の磁器は、濁手(にごしで)と呼ばれる乳白色の生地に、上品な赤を主調とし、余白を生かした絵画的な文様を描いたものです。

有田の柿右衛門窯

佐賀藩の支配下にあった肥前国有田・伊万里(佐賀県有田町、同県伊万里市)は日本における磁器の代表的な産地として知られていますが、その中で大川内山(おおかわちやま)にあった藩直営の窯では藩主の所用品や将軍家・諸大名への献上品などの高級品をもっぱら焼造していました。

鍋島焼の大川内山

関ケ原の戦いで敗れた鍋島藩主の鍋島勝茂が、藩を潰さずに徳川の世を乗り切るべく、将軍家への献上品として特別な磁器を作らせようとしたのです。

藩営の大川内鍋島窯跡

そこで高度の技術を持つ陶工達を集め、関所を置いてその技術が他に漏れないようにするため、立地的に三方を険しい山で囲われた大川内山がその場所として選ばれました。現在、関所裏の陶工橋を渡ると「めおとしの塔」にある磁器の鈴が澄んだメロディーを奏でてくれます。また、近くでは水の力を利用した大型の臼が3基、実際に稼働しています。

陶工橋と「めおとしの塔」

ここで焼かれた器はすべて「鍋島」もしくは「鍋島焼」と呼ばれ、その精巧で見事な色絵付は江戸時代最高峰と賞されました。置かれた地で、朝廷・将軍家・諸大名などへ献上する高品位な焼物が焼かれていました。これが今に伝わる「鍋島焼き」です。

鍋島焼の皿

波佐見焼とは、長崎県の中央北部に位置する波佐見町付近でつくられる陶磁器のことで、大村藩主が朝鮮から伴った李祐慶兄弟らによって連房式階段状登窯が築かれたのが始まりです。400年以上の歴史を持ち、現在でも日用食器のおよそ16%のシェアを誇るも、長らく「有田焼」として売られてきました。華やかで高級品だった陶磁器のイメージを払拭する薄さと軽さを備え、庶民の器として重宝されています。

波佐見の陶郷・中尾山

波佐見焼の名が広く知れ渡ったのは、江戸時代のくらわんか碗コンプラ瓶の隆盛でした。特に唐草模様を筆で簡単に描いた「くらわんか碗」は丈夫で壊れにくく、波佐見焼の代表作となりました。

波佐見のコンプラ瓶

また、波佐見では分業制によってものづくりが行われており、陶磁器の石膏型を作る「型屋」、その型から生地を作る「生地屋」、生地屋に土を収める「陶土屋」、その生地を焼いて商品に仕上げる「窯元」、陶磁器に貼る絵柄のシールを作る「上絵屋」、注文をまとめ、配送などを手配する「産地問屋」などを経てひとつの製品が世に出されています。その波佐見焼の産地である陶郷・中尾山では、世界最大級の登り窯や、レンガ造りの煙突などが残っています。

波佐見の陶郷「中尾山」

肥前のやきものは、各藩の思惑と朝鮮からの陶工によって創成されましたが、今日ではその伝統を継承しながら、新たな発想と工夫を重ねて日々チャレンジを続けています。

日本磁器のふるさと 肥前~百花繚乱のやきもの散歩~

日本遺産ストーリー〔長崎県:佐世保市、平戸市、波佐見町 佐賀県:唐津市、伊万里市、武雄市、嬉野市、有田町〕

伊万里湊の相生橋

陶石、燃料(山)、水(川)など窯業を営む条件が揃う自然豊かな九州北西部の地「肥前」で、陶器生産の技を活かし誕生した日本磁器。肥前の各産地では、互いに切磋琢磨しながら、個性際立つ独自の花を開かせていった。その製品は全国に流通し、我が国の暮らしの中に磁器を浸透させるとともに、海外からも称賛された。今でも、その技術を受け継ぎ特色あるやきものが生み出される「肥前」。青空に向かってそびえる窯元の煙突やトンバイ塀は脈々と続く窯業の営みを物語る。
この地は、歴史と伝統が培った技と美、景観を五感で感じることのできる磁器のふるさとである。

日本の縄文文化「北海道と北東北の縄文遺跡群」が世界文化遺産!

「北海道と北東北の縄文遺跡群」が世界文化遺産に登録されることを記念して、私はみちのくを旅した芭蕉の研究本『松尾芭蕉の旅に学ぶ』と共に『縄文人からのメッセージ』というタイトルで縄文文化を語り、平成芭蕉の『令和の旅指南』シリーズ(Kindle電子本)として出版しました。人生100歳時代を楽しく旅するために縄文人の精神世界に触れていただければ幸いです。日本人の心に灯をつける『日本遺産の教科書』、長生きして人生を楽しむための指南書『人生は旅行が9割』とともにご一読下さい。

★平成芭蕉ブックス
 ①『日本遺産の教科書 令和の旅指南』: 日本人の心に灯をつける 日本遺産ストーリーの旅
 ②『人生は旅行が9割 令和の旅指南Ⅰ』: 長生きして人生を楽しむために 旅行の質が人生を決める
 『縄文人からのメッセージ 令和の旅指南Ⅱ』: 縄文人の精神世界に触れる 日本遺産と世界遺産の旅 
 ④『松尾芭蕉の旅に学ぶ 令和の旅指南Ⅲ』:芭蕉に学ぶテーマ旅 「奥の深い細道」の旅 

平成芭蕉「令和の旅指南」シリーズ

私は平成芭蕉、自分の足で自分の五感を使って日本遺産を旅しています。

平成芭蕉の日本遺産

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この「平成芭蕉の日本遺産」は、単なる日本遺産登録地の紹介や旅情報の提供ではなく、「平成芭蕉」を自称する私が、実際に現地を訪れて、地元の人と交流し、私が感じたことや認定されたストーリー対する私自身の所見を述べた記録です。

「令和の旅」へ挑む平成芭蕉

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*「平成芭蕉の旅物語」サイトマップ参照

 

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