浅間山噴火と防災意識
縄文文化をテーマとした旅行企画の視察で信州を旅行してきましたが、浅間山噴火のニュースを聞いて改めて観光旅行中における防災意識の重要性を認識しました。
50名以上の登山客の命を奪った2014年の御嶽山の噴火も、スキー場のゲレンデで訓練中の自衛隊員が噴石の直撃を受けて亡くなった2018年の本白根山の噴火も、今回と同じ噴火警戒レベル1での突然の噴火だったと記憶しています。
日本は風光明媚で美しい自然に恵まれた豊かな国ですが、それ故に突然の火山噴火や洪水、高潮、地震や津波、がけ崩れや土石流など、自然現象による自然災害が多く発生します。
私は2018年11月10日(土)に嬬恋会館ホールにて、「吾妻川上流域の防災・減災と活力のある地域づくりを考える会」実行委員会が主催する講演会で「地域の防災と活性化」について特別講演をさせていただきました。
シンポジウムの目的は住民や観光事業に携わる関係者が、防災意識の向上を図り、災害に備えた安全な暮らしと人と自然が共生できる活力ある魅力的な町づくりでした。
私はこの吾妻川流域に限らず、日本の風光明媚な地方都市の魅力を活力につなげるためには、やはり多くの人に防災に対して関心を持っていただくことが必要だと考えます。
ダイヤモンド浅間撮影ツアー
そして、この防災意識を学ぶ旅行企画のために、土砂災害防止広報センターの方と共に吾妻川流域を調査してきました。
特に私にとっての関心事は、浅間山の噴火に関する調査と「ダイヤモンド浅間撮影ツアー」の下見でした。
ダイヤモンド富士と言えば富士山の頂上に昇る太陽のことですが、ダイヤモンド浅間は日本有数の活火山である浅間山の頂上に沈む夕陽のたとえです。
しかし、この夕陽を撮影できる場所は、浅間六里ケ原の国土交通省管理下にある片蓋川(かたふたがわ)第二砂防堰堤の上しかなく、本企画はその国土交通省利根川水系砂防事務所のご理解があっての企画です。
そもそもこの「ダイヤモンド浅間」のことは、国土交通省利根川水系砂防事務所の職員の方に添付の写真を見せていただいたことがきっかけです。
溶岩の芸術「鬼押出し園」と天明3年の浅間山噴火
この砂防堰堤の近くには、溶岩の芸術と呼ばれる「鬼押出し園」がありますが、これは浅間山噴火の歴史の中でも名高い、天明3(1783)年8月5日(旧暦では7月8日)に起きた天明の大噴火の際、最後に流出した溶岩流が固まったものです。
キャベツ畑の「愛妻の丘」で有名な嬬恋村の鎌原(かんばら)にある嬬恋郷土資料館には、当時の浅間山噴火に起因する「土石なだれ」によって埋没した鎌原村からの発掘品や噴火当時の絵図が展示されています。
嬬恋村は群馬県吾妻郡の西端に位置する村で、夏の冷涼な気候を活かした高原キャベツの産地として知られています。
ダイヤモンド浅間撮影場所となる砂防堰堤は、この嬬恋村に近く、「土石なだれ」や火砕流から住民の生活を守るために建設されています。
同じ群馬県の長野原町八ッ場ダムのような建造物は話題になっても、このような砂防堰堤は知る人ぞ知る防災設備なのかもしれません。
浅間山の想定外の噴火で不幸な歴史を繰り返さないためにも、防災意識を持つとともに嬬恋郷土資料館を訪ね、奇跡的な復興をとげた鎌原地域についても多くの人に知っていただきたいと思います。
「日本のポンペイ」鎌原村復興の歴史
鎌原村復興の歴史は、天明の大噴火の際、鎌原観音堂に逃れて生き残った93人の自然災害からの復興をかけた努力の痕跡物語です。
今日、大災害から人々の命を救った観音堂は、厄除け観音として多くの参拝者が訪れますが、噴火当時の江戸幕府の復興対策責任者が残した記録『耳袋』にある次の話はあまり知られていません。
『被災前の村においては、住民は家筋とか素性にこだわり、相手に応じて挨拶の仕方などにも差別がありました。そこで生き残った93人には互いに血のつながった一族であると親族の誓いをさせて、家筋や素性の差を取り払って村の再建を図ったのです。
具体的には夫を亡くした妻と妻を亡くした夫を再婚させ、また子を亡くした老人に親を亡くした子を養子として養わせ、93人全員を実際に一族としてまとめ直して奇跡的な復興がなされたのです』
鎌原村と同様、火山噴火で埋没したポンペイにも生き残った住民はいましたが、イタリアのポンペイについては復興はなりませんでした。
しかし、嬬恋の鎌原村は、江戸幕府(行政)と3人の地域リーダー(長左衛門、小兵衛、安左衛門)と村(生き残った93人)の3者が役割を分担しつつ、協力しあって村を復興させたのです。
この非常時の3者の対応は、今日の自然災害からの復興にも大いに参考にすべきではないでしょうか。
私はこの「日本のポンペイ」鎌原村の歴史こそ世界に誇るべき遺産だと思います。
日本の縄文文化「北海道と北東北の縄文遺跡群」が世界文化遺産!
「北海道と北東北の縄文遺跡群」が世界文化遺産に登録されることを記念して、私はこのたび『縄文人からのメッセージ』というタイトルで令和の旅を語り、Amazonの電子本として出版しました。人生100歳時代を楽しく旅するために縄文人の精神世界に触れていただければ幸いです。日本人の心に灯をつける『日本遺産の教科書』、長生きして人生を楽しむための指南書『人生は旅行が9割』とともにご一読下さい。
★平成芭蕉ブックス
①『日本遺産の教科書 令和の旅指南』: 日本人の心に灯をつける 日本遺産ストーリーの旅
②『人生は旅行が9割 令和の旅指南Ⅰ』: 長生きして人生を楽しむために 旅行の質が人生を決める
③『縄文人からのメッセージ 令和の旅指南Ⅱ』: 縄文人の精神世界に触れる 日本遺産と世界遺産の旅
平成芭蕉ブックス『令和の旅指南』
★関連記事:平成芭蕉の旅のアドバイス「旅して幸せになる~令和の旅」
私は平成芭蕉、自分の足で自分の五感を使って日本遺産を旅しています。
平成芭蕉の旅語録
平成芭蕉は「検索すればわかる情報」より「五感を揺さぶる情報」を提供します。旅とは日常から離れ、いつもと違う風、光、臭いなど五感を通じて自分を見つめ直す機会です。そしていつもと違う人に会い、いつもと違う食事をとることで、考え方や感じ方が変わります。すなわち、いい旅をすると人も変わり、生き方も変わり、人生も変わるのです。
「令和の旅」へ挑む平成芭蕉
*「平成芭蕉の旅物語」サイトマップ参照
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平成芭蕉の旅語録~浅間山噴火と群馬県嬬恋村鎌原(かんばら)の歴史
更新日:
浅間山噴火と「日本のポンペイ、嬬恋村鎌原(かんばら)」の復興物語
浅間山噴火と防災意識
縄文文化をテーマとした旅行企画の視察で信州を旅行してきましたが、浅間山噴火のニュースを聞いて改めて観光旅行中における防災意識の重要性を認識しました。
50名以上の登山客の命を奪った2014年の御嶽山の噴火も、スキー場のゲレンデで訓練中の自衛隊員が噴石の直撃を受けて亡くなった2018年の本白根山の噴火も、今回と同じ噴火警戒レベル1での突然の噴火だったと記憶しています。
日本は風光明媚で美しい自然に恵まれた豊かな国ですが、それ故に突然の火山噴火や洪水、高潮、地震や津波、がけ崩れや土石流など、自然現象による自然災害が多く発生します。
私は2018年11月10日(土)に嬬恋会館ホールにて、「吾妻川上流域の防災・減災と活力のある地域づくりを考える会」実行委員会が主催する講演会で「地域の防災と活性化」について特別講演をさせていただきました。
シンポジウムの目的は住民や観光事業に携わる関係者が、防災意識の向上を図り、災害に備えた安全な暮らしと人と自然が共生できる活力ある魅力的な町づくりでした。
私はこの吾妻川流域に限らず、日本の風光明媚な地方都市の魅力を活力につなげるためには、やはり多くの人に防災に対して関心を持っていただくことが必要だと考えます。
ダイヤモンド浅間撮影ツアー
そして、この防災意識を学ぶ旅行企画のために、土砂災害防止広報センターの方と共に吾妻川流域を調査してきました。
特に私にとっての関心事は、浅間山の噴火に関する調査と「ダイヤモンド浅間撮影ツアー」の下見でした。
ダイヤモンド富士と言えば富士山の頂上に昇る太陽のことですが、ダイヤモンド浅間は日本有数の活火山である浅間山の頂上に沈む夕陽のたとえです。
しかし、この夕陽を撮影できる場所は、浅間六里ケ原の国土交通省管理下にある片蓋川(かたふたがわ)第二砂防堰堤の上しかなく、本企画はその国土交通省利根川水系砂防事務所のご理解があっての企画です。
そもそもこの「ダイヤモンド浅間」のことは、国土交通省利根川水系砂防事務所の職員の方に添付の写真を見せていただいたことがきっかけです。
溶岩の芸術「鬼押出し園」と天明3年の浅間山噴火
この砂防堰堤の近くには、溶岩の芸術と呼ばれる「鬼押出し園」がありますが、これは浅間山噴火の歴史の中でも名高い、天明3(1783)年8月5日(旧暦では7月8日)に起きた天明の大噴火の際、最後に流出した溶岩流が固まったものです。
キャベツ畑の「愛妻の丘」で有名な嬬恋村の鎌原(かんばら)にある嬬恋郷土資料館には、当時の浅間山噴火に起因する「土石なだれ」によって埋没した鎌原村からの発掘品や噴火当時の絵図が展示されています。
嬬恋村は群馬県吾妻郡の西端に位置する村で、夏の冷涼な気候を活かした高原キャベツの産地として知られています。
ダイヤモンド浅間撮影場所となる砂防堰堤は、この嬬恋村に近く、「土石なだれ」や火砕流から住民の生活を守るために建設されています。
同じ群馬県の長野原町八ッ場ダムのような建造物は話題になっても、このような砂防堰堤は知る人ぞ知る防災設備なのかもしれません。
浅間山の想定外の噴火で不幸な歴史を繰り返さないためにも、防災意識を持つとともに嬬恋郷土資料館を訪ね、奇跡的な復興をとげた鎌原地域についても多くの人に知っていただきたいと思います。
「日本のポンペイ」鎌原村復興の歴史
鎌原村復興の歴史は、天明の大噴火の際、鎌原観音堂に逃れて生き残った93人の自然災害からの復興をかけた努力の痕跡物語です。
今日、大災害から人々の命を救った観音堂は、厄除け観音として多くの参拝者が訪れますが、噴火当時の江戸幕府の復興対策責任者が残した記録『耳袋』にある次の話はあまり知られていません。
『被災前の村においては、住民は家筋とか素性にこだわり、相手に応じて挨拶の仕方などにも差別がありました。そこで生き残った93人には互いに血のつながった一族であると親族の誓いをさせて、家筋や素性の差を取り払って村の再建を図ったのです。
具体的には夫を亡くした妻と妻を亡くした夫を再婚させ、また子を亡くした老人に親を亡くした子を養子として養わせ、93人全員を実際に一族としてまとめ直して奇跡的な復興がなされたのです』
鎌原村と同様、火山噴火で埋没したポンペイにも生き残った住民はいましたが、イタリアのポンペイについては復興はなりませんでした。
しかし、嬬恋の鎌原村は、江戸幕府(行政)と3人の地域リーダー(長左衛門、小兵衛、安左衛門)と村(生き残った93人)の3者が役割を分担しつつ、協力しあって村を復興させたのです。
この非常時の3者の対応は、今日の自然災害からの復興にも大いに参考にすべきではないでしょうか。
私はこの「日本のポンペイ」鎌原村の歴史こそ世界に誇るべき遺産だと思います。
日本の縄文文化「北海道と北東北の縄文遺跡群」が世界文化遺産!
「北海道と北東北の縄文遺跡群」が世界文化遺産に登録されることを記念して、私はこのたび『縄文人からのメッセージ』というタイトルで令和の旅を語り、Amazonの電子本として出版しました。人生100歳時代を楽しく旅するために縄文人の精神世界に触れていただければ幸いです。日本人の心に灯をつける『日本遺産の教科書』、長生きして人生を楽しむための指南書『人生は旅行が9割』とともにご一読下さい。
★平成芭蕉ブックス
①『日本遺産の教科書 令和の旅指南』: 日本人の心に灯をつける 日本遺産ストーリーの旅
②『人生は旅行が9割 令和の旅指南Ⅰ』: 長生きして人生を楽しむために 旅行の質が人生を決める
③『縄文人からのメッセージ 令和の旅指南Ⅱ』: 縄文人の精神世界に触れる 日本遺産と世界遺産の旅
平成芭蕉ブックス『令和の旅指南』
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私は平成芭蕉、自分の足で自分の五感を使って日本遺産を旅しています。
平成芭蕉の旅語録
平成芭蕉は「検索すればわかる情報」より「五感を揺さぶる情報」を提供します。旅とは日常から離れ、いつもと違う風、光、臭いなど五感を通じて自分を見つめ直す機会です。そしていつもと違う人に会い、いつもと違う食事をとることで、考え方や感じ方が変わります。すなわち、いい旅をすると人も変わり、生き方も変わり、人生も変わるのです。
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*「平成芭蕉の旅物語」サイトマップ参照
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