南あわじ市の日本遺産・重要文化財から学ぶ
3月15日、16日は「南あわじ市の日本遺産・重要文化財を活用した旅行商品造成のためのモニターツアー」に同行し、南あわじ市の国分寺、栄福寺、濱田ファーム、大鳴門橋記念館、滝川記念美術館玉青館そして慶野松原と巡り、さらに沼島にも渡りました。
沼島へ渡る沼島汽船
淡路島は『古事記』に日本で最初に誕生した「国生みの島」と記されていますが、この島には巧みな航海術で大陸と交易し、食材や鉄器などを島外に運んでいた「海人(あま)」という民が住んでいました。文献によると海人(あま)は日本人の原点とされ、塩を作るだけでなく、火を操って炭を作り、そこから鉄を作る高度な技術をもった民族でした。
国生み神話に登場する淡路のオノコロ島
そのため、鉄器作りが行われていた弥生時代の「五斗長垣内遺跡(ごっさかいといせき)」が残り、また平成27年には青銅器の珍しい銅鐸も松帆地区(松帆銅鐸)で発見されています。
史跡 淡路国分寺
今回、最初に参拝した国分寺は淡路島の三原平野北東部の好位置にあり、創建当時の遺構としては、七重塔の礎石が残っています。御本尊の釈迦如来座像は日本で唯一の天平仏と言われ、奈良時代を彷彿させてくれますが、私は両手を失っている飛天座像のおだやかな姿にひかれました。
御本尊に釈迦如来座像を祀る
また、この国分寺では毎年5月8日に釈迦の誕生日を祝う伝統行事「花祭り」が行われています(釈迦の誕生日は旧暦の4月8日)。当日は本堂に小さな「誕生仏」が置かれ、参拝者は境内で栽培されている甘茶をその仏にかけるそうですが、これは釈迦が生まれたとき、祝福を意味する「甘露の雨」が降ったという言い伝えに由来します。
国分寺で収穫される甘茶
今回のモニターツアーでは久保住職よりその甘茶をいただきましたが、口の中にほんのりとした甘みが広がる感じで、口の中に「甘露の雨」が注がれた気がしました。
昼食には安富白土瓦「かわらや」で、ここでしか味わうことのできない名物「かわらやき」を食べましたが、これは瓦の上で肉野菜を焼きながら食べるので、ゆっくり流れる淡路島の「島じかん」も体験できます。しかし、本来は土と戯れ土を楽しむ空間で、瓦粘土を使った彫刻体験がおすすめです。
伝統行事「花祭り」の甘茶
地名は無形の文化財と呼ばれていますが、淡路島十三佛霊場札所「岡山(こうざん)栄福寺(ようふくじ)」のある榎列掃守(えなみかもり)の地名などは、まさしく長い歴史の積み重ねです。淡路島は古代地名の宝庫で、「掃守」は宮中儀式の設営、清掃を担当した「掃守(かもり)部」が由来と考えられており、またこの地は頼山陽の一番弟子であった『日本外史補』を著した岡田鴨里(おうり)ゆかりの場所でもあります。
「岡山(こうざん)栄福寺(ようふくじ)」
南あわじ市の有形文化財に指定されている「木造釈迦如来坐像」については、岡崎住職より詳しい説明を受けましたが、平安時代の作とされるも江戸時代に修復された箇所もあり、単 に文化財としてではなく、地名同様、歴史を重ねた信仰の証しとして貴重です。
淡路島濱田ファーム
今回のモニターツアーで私の楽しみの一つは玉葱収穫体験でしたが、淡路島濱田ファームの濱田哲司さんより、有機特別栽培などのこだわりについても説明を受けたので、なぜ淡路島のたまねぎが甘いのかが理解できました。
たまねぎデザインのピアノ
初日最後に訪れた「うずの丘 大鳴門橋記念館」では、目玉のうずしお科学館は休業中でしたが、巨大オブジェ「おっ玉葱」や玉ねぎをデザインしたピアノなど、玉ねぎをテーマにした企画がところどころにあって、お土産品も充実しており、夕食前でなければ、話題のバーガーも食べてみたいと思いました。
「ホテル&リゾーツ南淡路」
宿泊は「ホテル&リゾーツ南淡路」でしたが、夕食には「淡路島うずしお温泉 うめ丸」で淡路3年とらふぐをいただき、食後、炭酸水素イオンが豊富な「美人の湯」にも浸かりました。まさしく、お湯の素晴らしさと四季折々の食材を楽しむことができる温泉旅館でした。
うめ丸での「淡路3年とらふぐ」料理
航海術に長けた沼島衆と上立神岩(天の御柱)の沼島
2日目は土生(はぶ)港から沼島汽船で沼島に渡り、沼島の神宮寺前の土産店「吉甚 バッタリカフェ」に立ち寄った後、源頼朝の重臣であった梶原氏の菩提寺神宮寺へ参拝、中川住職より沼島の歴史や貴重な寺宝について説明を受けました。
沼島の名所「吉甚(よしじん)」
まず、沼島の歴史で特筆すべきは、境内に建つ司馬遼太郎の小説『菜の花の沖』の碑から、その主人公となった淡路島出身の高田屋嘉兵衛と沼島の船乗りの物語でした。高田屋嘉兵衛は、北方交易や択捉島(えとろふとう)開発などで活躍した豪商ですが、彼が千島列島ウルップ島を調査した際に同行したのが、航海術に長けた沼島衆だったのです。
神宮寺の中川住職と司馬遼太郎の碑
神宮寺の主要な寺宝としては「尊勝法華曼荼羅」と「金泥経 紺紙金銀字入大乗論 2巻」です。「尊勝法華曼荼羅」は鎌倉時代の作とされ、力強い筆致と調和のとれた色彩で画面を2等分し、上に尊勝曼荼羅、下に法華曼荼羅が描かれていました。
神宮寺の「尊勝法華曼荼羅」
「金泥経 紺紙金銀字入大乗論」は、奥州藤原氏初代の清衡の発願により書写された一切経のうちの2巻と考えられています。
「金泥経 紺紙金銀字入大乗論」
また、庭園も隣接する八幡神社から連なる裏山の急斜面の丘陵を利用した築山式枯山水庭園で、独特の高い芸術性を感じます。奈良の茶臼山古墳の天井にはこの庭園と同じ石が使われています。
神宮寺築山式枯山水庭園
神宮寺参拝後は、向かいの川勝さん経営「吉甚 バッタリ・カフェ」前で沼島の説明を受けた後、沼島ガイドの小野山さんの案内で上立神岩(かみたてがみいわ)を訪ねました。
「吉甚」の川勝さんと神宮寺の中川住職
沼島の海岸には奇岩や岩礁が多く見られますが、この岩は、イザナギとイザナミがオノコロ島に降り立ち、巨大な柱の周囲をまわって結ばれた「天の御柱(あめのみはしら)」とも言われています。
上立神岩(かみたてがみいわ)
島内ウォーキングの後は、木村屋旅館で新鮮な海の幸の昼食を取り、淡路島の土生港へ戻りました。
沼島の木村旅館
慶野松原で海人も携わった「松帆銅鐸」
土生港からは滝川記念美術館玉青館を訪ねましたが、1階に展示されている直原玉青の代表作についてはすでに私の下記旅語録でご紹介してますので、今回は当館2階に新たに展示された松帆銅鐸についてお話しします。
平成芭蕉の旅語録:日本現代南画の第一人者、直原玉青の代表作『禅の牧牛 うしかひ草』
これは2015年4月、南あわじ市松帆地区で発見されたため、「松帆銅鐸」と命名されましたが、すべての銅鐸に舌(ぜつ)を伴うという非常に珍しい埋納例です。
滝川記念美術館玉青館
発見された銅鐸は7点ですが、2組4点は入れ子状態で出土し、菱環鈕(りょうかんちゅう)式1点をはじめ、他6点も紀元前製作の古式の銅鐸で、海岸地帯での埋納から「海人(あま)」が携わったと考えられます。
松帆銅鐸と舌(ぜつ)の展示
そして、今回のツアーの締めくくりは、その銅鐸が発見された丘陵地「中の御堂」に近く、万葉歌人の柿本人麻呂が「飼飯(けい)の海の庭良くあらし……」と詠んだ由緒ある名勝「慶野松原」を散策しました。
慶野松原の柿本人麻呂の歌碑
この地は古代、笥飯野(けひの)と書き、中世以降は慶野と呼ばれ、樹齢数百年の黒松の大木が白砂に展開する広大な松原です。自然が織りなす造形美を鑑賞できるだけでなく、「根上がり松」などは、厳しい環境に耐えて根を伸ばしている様子が伺えて、私たちの心に強く響きました。
慶野松原の「根上がり松」
そして私にとって今回の「南あわじの旅」は、司馬遼太郎の小説『菜の花の沖』の中に記された通り、海に囲まれた厳しい環境の中で、「潮と風と波という地球の機嫌のなかでもっともやっかいなものについては、卓越した知識をもっていた」海の民の文化を知る良い機会となりました。
日本の縄文文化「北海道と北東北の縄文遺跡群」が世界文化遺産!
「北海道と北東北の縄文遺跡群」が世界文化遺産に登録されることを記念して、私はこのたび『縄文人からのメッセージ』というタイトルで令和の旅を語り、Amazonの電子本として出版しました。人生100歳時代を楽しく旅するために縄文人の精神世界に触れていただければ幸いです。日本人の心に灯をつける『日本遺産の教科書』、長生きして人生を楽しむための指南書『人生は旅行が9割』とともにご一読下さい。
★平成芭蕉ブックス
①『日本遺産の教科書 令和の旅指南』: 日本人の心に灯をつける 日本遺産ストーリーの旅
②『人生は旅行が9割 令和の旅指南Ⅰ』: 長生きして人生を楽しむために 旅行の質が人生を決める
③『縄文人からのメッセージ 令和の旅指南Ⅱ』: 縄文人の精神世界に触れる 日本遺産と世界遺産の旅
平成芭蕉ブックス『令和の旅指南』
私は平成芭蕉、自分の足で自分の五感を使って日本遺産を旅しています。
平成芭蕉の旅語録
平成芭蕉は「検索すればわかる情報」より「五感を揺さぶる情報」を提供します。旅とは日常から離れ、いつもと違う風、光、臭いなど五感を通じて自分を見つめ直す機会です。そしていつもと違う人に会い、いつもと違う食事をとることで、考え方や感じ方が変わります。すなわち、いい旅をすると人も変わり、生き方も変わり、人生も変わるのです。
「令和の旅」へ挑む平成芭蕉
★関連記事:平成芭蕉の旅のアドバイス「旅して幸せになる~令和の旅」
*「平成芭蕉の旅物語」サイトマップ参照
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平成芭蕉の旅語録〜南あわじ市のモニターツアーに参加
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南あわじ市の日本遺産・重要文化財から学ぶ
3月15日、16日は「南あわじ市の日本遺産・重要文化財を活用した旅行商品造成のためのモニターツアー」に同行し、南あわじ市の国分寺、栄福寺、濱田ファーム、大鳴門橋記念館、滝川記念美術館玉青館そして慶野松原と巡り、さらに沼島にも渡りました。
沼島へ渡る沼島汽船
淡路島は『古事記』に日本で最初に誕生した「国生みの島」と記されていますが、この島には巧みな航海術で大陸と交易し、食材や鉄器などを島外に運んでいた「海人(あま)」という民が住んでいました。文献によると海人(あま)は日本人の原点とされ、塩を作るだけでなく、火を操って炭を作り、そこから鉄を作る高度な技術をもった民族でした。
国生み神話に登場する淡路のオノコロ島
そのため、鉄器作りが行われていた弥生時代の「五斗長垣内遺跡(ごっさかいといせき)」が残り、また平成27年には青銅器の珍しい銅鐸も松帆地区(松帆銅鐸)で発見されています。
史跡 淡路国分寺
今回、最初に参拝した国分寺は淡路島の三原平野北東部の好位置にあり、創建当時の遺構としては、七重塔の礎石が残っています。御本尊の釈迦如来座像は日本で唯一の天平仏と言われ、奈良時代を彷彿させてくれますが、私は両手を失っている飛天座像のおだやかな姿にひかれました。
御本尊に釈迦如来座像を祀る
また、この国分寺では毎年5月8日に釈迦の誕生日を祝う伝統行事「花祭り」が行われています(釈迦の誕生日は旧暦の4月8日)。当日は本堂に小さな「誕生仏」が置かれ、参拝者は境内で栽培されている甘茶をその仏にかけるそうですが、これは釈迦が生まれたとき、祝福を意味する「甘露の雨」が降ったという言い伝えに由来します。
国分寺で収穫される甘茶
今回のモニターツアーでは久保住職よりその甘茶をいただきましたが、口の中にほんのりとした甘みが広がる感じで、口の中に「甘露の雨」が注がれた気がしました。
昼食には安富白土瓦「かわらや」で、ここでしか味わうことのできない名物「かわらやき」を食べましたが、これは瓦の上で肉野菜を焼きながら食べるので、ゆっくり流れる淡路島の「島じかん」も体験できます。しかし、本来は土と戯れ土を楽しむ空間で、瓦粘土を使った彫刻体験がおすすめです。
伝統行事「花祭り」の甘茶
地名は無形の文化財と呼ばれていますが、淡路島十三佛霊場札所「岡山(こうざん)栄福寺(ようふくじ)」のある榎列掃守(えなみかもり)の地名などは、まさしく長い歴史の積み重ねです。淡路島は古代地名の宝庫で、「掃守」は宮中儀式の設営、清掃を担当した「掃守(かもり)部」が由来と考えられており、またこの地は頼山陽の一番弟子であった『日本外史補』を著した岡田鴨里(おうり)ゆかりの場所でもあります。
「岡山(こうざん)栄福寺(ようふくじ)」
南あわじ市の有形文化財に指定されている「木造釈迦如来坐像」については、岡崎住職より詳しい説明を受けましたが、平安時代の作とされるも江戸時代に修復された箇所もあり、単 に文化財としてではなく、地名同様、歴史を重ねた信仰の証しとして貴重です。
淡路島濱田ファーム
今回のモニターツアーで私の楽しみの一つは玉葱収穫体験でしたが、淡路島濱田ファームの濱田哲司さんより、有機特別栽培などのこだわりについても説明を受けたので、なぜ淡路島のたまねぎが甘いのかが理解できました。
たまねぎデザインのピアノ
初日最後に訪れた「うずの丘 大鳴門橋記念館」では、目玉のうずしお科学館は休業中でしたが、巨大オブジェ「おっ玉葱」や玉ねぎをデザインしたピアノなど、玉ねぎをテーマにした企画がところどころにあって、お土産品も充実しており、夕食前でなければ、話題のバーガーも食べてみたいと思いました。
「ホテル&リゾーツ南淡路」
宿泊は「ホテル&リゾーツ南淡路」でしたが、夕食には「淡路島うずしお温泉 うめ丸」で淡路3年とらふぐをいただき、食後、炭酸水素イオンが豊富な「美人の湯」にも浸かりました。まさしく、お湯の素晴らしさと四季折々の食材を楽しむことができる温泉旅館でした。
うめ丸での「淡路3年とらふぐ」料理
航海術に長けた沼島衆と上立神岩(天の御柱)の沼島
2日目は土生(はぶ)港から沼島汽船で沼島に渡り、沼島の神宮寺前の土産店「吉甚 バッタリカフェ」に立ち寄った後、源頼朝の重臣であった梶原氏の菩提寺神宮寺へ参拝、中川住職より沼島の歴史や貴重な寺宝について説明を受けました。
沼島の名所「吉甚(よしじん)」
まず、沼島の歴史で特筆すべきは、境内に建つ司馬遼太郎の小説『菜の花の沖』の碑から、その主人公となった淡路島出身の高田屋嘉兵衛と沼島の船乗りの物語でした。高田屋嘉兵衛は、北方交易や択捉島(えとろふとう)開発などで活躍した豪商ですが、彼が千島列島ウルップ島を調査した際に同行したのが、航海術に長けた沼島衆だったのです。
神宮寺の中川住職と司馬遼太郎の碑
神宮寺の主要な寺宝としては「尊勝法華曼荼羅」と「金泥経 紺紙金銀字入大乗論 2巻」です。「尊勝法華曼荼羅」は鎌倉時代の作とされ、力強い筆致と調和のとれた色彩で画面を2等分し、上に尊勝曼荼羅、下に法華曼荼羅が描かれていました。
神宮寺の「尊勝法華曼荼羅」
「金泥経 紺紙金銀字入大乗論」は、奥州藤原氏初代の清衡の発願により書写された一切経のうちの2巻と考えられています。
「金泥経 紺紙金銀字入大乗論」
また、庭園も隣接する八幡神社から連なる裏山の急斜面の丘陵を利用した築山式枯山水庭園で、独特の高い芸術性を感じます。奈良の茶臼山古墳の天井にはこの庭園と同じ石が使われています。
神宮寺築山式枯山水庭園
神宮寺参拝後は、向かいの川勝さん経営「吉甚 バッタリ・カフェ」前で沼島の説明を受けた後、沼島ガイドの小野山さんの案内で上立神岩(かみたてがみいわ)を訪ねました。
「吉甚」の川勝さんと神宮寺の中川住職
沼島の海岸には奇岩や岩礁が多く見られますが、この岩は、イザナギとイザナミがオノコロ島に降り立ち、巨大な柱の周囲をまわって結ばれた「天の御柱(あめのみはしら)」とも言われています。
上立神岩(かみたてがみいわ)
島内ウォーキングの後は、木村屋旅館で新鮮な海の幸の昼食を取り、淡路島の土生港へ戻りました。
沼島の木村旅館
慶野松原で海人も携わった「松帆銅鐸」
土生港からは滝川記念美術館玉青館を訪ねましたが、1階に展示されている直原玉青の代表作についてはすでに私の下記旅語録でご紹介してますので、今回は当館2階に新たに展示された松帆銅鐸についてお話しします。
平成芭蕉の旅語録:日本現代南画の第一人者、直原玉青の代表作『禅の牧牛 うしかひ草』
これは2015年4月、南あわじ市松帆地区で発見されたため、「松帆銅鐸」と命名されましたが、すべての銅鐸に舌(ぜつ)を伴うという非常に珍しい埋納例です。
滝川記念美術館玉青館
発見された銅鐸は7点ですが、2組4点は入れ子状態で出土し、菱環鈕(りょうかんちゅう)式1点をはじめ、他6点も紀元前製作の古式の銅鐸で、海岸地帯での埋納から「海人(あま)」が携わったと考えられます。
松帆銅鐸と舌(ぜつ)の展示
そして、今回のツアーの締めくくりは、その銅鐸が発見された丘陵地「中の御堂」に近く、万葉歌人の柿本人麻呂が「飼飯(けい)の海の庭良くあらし……」と詠んだ由緒ある名勝「慶野松原」を散策しました。
慶野松原の柿本人麻呂の歌碑
この地は古代、笥飯野(けひの)と書き、中世以降は慶野と呼ばれ、樹齢数百年の黒松の大木が白砂に展開する広大な松原です。自然が織りなす造形美を鑑賞できるだけでなく、「根上がり松」などは、厳しい環境に耐えて根を伸ばしている様子が伺えて、私たちの心に強く響きました。
慶野松原の「根上がり松」
そして私にとって今回の「南あわじの旅」は、司馬遼太郎の小説『菜の花の沖』の中に記された通り、海に囲まれた厳しい環境の中で、「潮と風と波という地球の機嫌のなかでもっともやっかいなものについては、卓越した知識をもっていた」海の民の文化を知る良い機会となりました。
日本の縄文文化「北海道と北東北の縄文遺跡群」が世界文化遺産!
「北海道と北東北の縄文遺跡群」が世界文化遺産に登録されることを記念して、私はこのたび『縄文人からのメッセージ』というタイトルで令和の旅を語り、Amazonの電子本として出版しました。人生100歳時代を楽しく旅するために縄文人の精神世界に触れていただければ幸いです。日本人の心に灯をつける『日本遺産の教科書』、長生きして人生を楽しむための指南書『人生は旅行が9割』とともにご一読下さい。
★平成芭蕉ブックス
①『日本遺産の教科書 令和の旅指南』: 日本人の心に灯をつける 日本遺産ストーリーの旅
②『人生は旅行が9割 令和の旅指南Ⅰ』: 長生きして人生を楽しむために 旅行の質が人生を決める
③『縄文人からのメッセージ 令和の旅指南Ⅱ』: 縄文人の精神世界に触れる 日本遺産と世界遺産の旅
平成芭蕉ブックス『令和の旅指南』
私は平成芭蕉、自分の足で自分の五感を使って日本遺産を旅しています。
平成芭蕉の旅語録
平成芭蕉は「検索すればわかる情報」より「五感を揺さぶる情報」を提供します。旅とは日常から離れ、いつもと違う風、光、臭いなど五感を通じて自分を見つめ直す機会です。そしていつもと違う人に会い、いつもと違う食事をとることで、考え方や感じ方が変わります。すなわち、いい旅をすると人も変わり、生き方も変わり、人生も変わるのです。
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