令和の「平成芭蕉」

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平成芭蕉の日本遺産

平成芭蕉の日本遺産 大山信仰と地蔵信仰が育んだ日本最大の大山牛馬市

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日本遺産の地を旅する~鳥取県「大山信仰」から発展した日本最大の牛馬市

南あわじ市の滝川記念美術館「玉青館」で日本現代南画の第一人者、直原玉青画伯の代表作である『禅の牧牛 うしかひ草』を鑑賞し、改めて牛の重要さを痛感したので、この機会に鳥取県の日本遺産「地蔵信仰が育んだ日本最大の大山牛馬市」についてご紹介します。

牛馬の往来で賑わった大山道

牛馬の往来で賑わった大山道

かつて、牛はとても大切で、牛を飼う人間にとっても、耕牛(こうぎゅう)として使うお百姓さんにとっても牛は家族の一員のような存在だったのです

今日では牛と言ったらステーキの牛肉で、馬と言えば競馬のサラブレッドを連想し、「牛馬市」と言ってもイメージがわかず、牛馬の大切さは理解し難いかもしれません。

しかし昔においては牛は食用ではなく、耕作のために必要な農業機械であり、馬は貨物運搬に欠かせない存在であったため、「牛馬市」は農業と流通を支える重要な取引の場だったのです。

牛馬信仰が生まれた大山

牛馬信仰が生まれた大山

大山で牛馬市が盛んになったのは、平安時代に大山寺の高僧、基好上人が牛馬安全を祈願する守り札を配るとともに、牛馬の放牧を奨励し、「牛馬信仰」が広まったことがきっかけです。

牛馬の育成にはエサとなる草が良く生えて、水も豊かな地でなければならず、ブナ林の大山山麓は交通の便も良くて好適地でした。大山裾野で育った体格の良い放牧牛は、参詣者の注意をひき、また参詣者が曳き連れてきた牛馬もあって、大山寺では「牛くらべ」「馬くらべ」が開かれるようになったのです。

大山博労座での牛馬市

大山博労座での牛馬市

これが発端となり、鎌倉時代以降は次第に牛馬の交換や売買が盛んに行われ、江戸時代になると大山寺が牛馬市の経営に乗り出し、大山博労座(「博労」とは牛馬の仲介業者)で日本有数の牛馬市が開かれるようになりました。
この大山寺の庇護のもとに行われた市であったことが、信仰が育んだ全国唯一の「大山牛馬市」とされる理由です。

「大山牛馬市」は鉄道の発達などの影響で昭和12年の春にその幕を閉じますが、牛馬市で商われた県産牛を中心として、大正9年に全国に先駆けて始まった牛の登録事業は、その後、和牛(肉牛)の品種改良に大いに活用され、今、世界が注目する「和牛」誕生の礎になったと言われています。

大山寺境内には「宝牛の像」があり、一つの願いを心に念じて撫でると願いが叶うという「撫で牛」となっており、牛馬市はなくなっても「牛馬信仰」は今も残っています。

牛馬信仰の残る撫で牛「宝牛の像」

牛馬信仰の残る撫で牛「宝牛の像」

博労が牛馬とともに歩いた地蔵石像が並ぶ「大山道」

そしてこの大山へ詣でるための道として整備されたのが「大山道」で、尾高道・川床道・坊領道・溝口道・横手道の五道ありました。

私は大山の山腹(標高800m前後)を横断して大山寺へと続く「横手道」を通って参拝しましたが、この「横手道」へは桝水高原より天空リフトに乗って辿ることができます。

桝水高原の「桝水地蔵尊」

桝水高原の「桝水地蔵尊」

天空リフトの上からは眼下に広がる日本海と雄大な大山を一望できますが、リフトの下には桝水地蔵尊、リフト上には横手道に並ぶ一町地蔵さんが出迎えてくれます。

街道の守り神は通常「馬頭観音」ですが、大山道では大山の神と一体化していた地蔵菩薩信仰が深く、参詣の道はお地蔵さんによって守られているのです。

横手道の一町地蔵

横手道の一町地蔵

「横手道」は、今は小さな古道ですが、かつては大山寺と京都を結ぶ山陽方面からの主要道として多くの人々が往来し、途中で参詣が困難となった人が大山を遙拝した鳥居や、女人禁制の時節に女性が拝礼する場所だった「文殊堂」も残っています。

横手道の文殊堂

横手道の文殊堂

また、「坊領道」沿いの集落では、各家で仔牛出産をした家屋の配置や、牛つなぎ石なども残っており、とりわけ、所子(ところご)の集落では門脇住宅などの素封家(豪農)に、牛が母屋と同じ屋敷地の中に建てられた厩で飼われ、大山の山頂で汲まれた霊水(利生水)や摘まれた薬草を仔牛に含ませるなど、牛馬市に出す牛を大切に育てていた当時の様子がうかがえます。

所子の豪農「門脇家本家」

所子の豪農「門脇家本家」

この所子集落伝統的建造物群保存地区になっており、江戸時代にタイムスリップした感覚が味わえます。今や死語となった本家分家という感覚も所子では門脇住宅の建物から具体的にイメージでき、分家は本家に対して一歩引いた門構えとなっているのです。

所子集落の伝統的建造物群

所子集落の伝統的建造物群

大智明権現を祀った大山の地蔵信仰に由来する「大山信仰」と「牛馬信仰」

2018年に開山1300年を迎えた大山は、『出雲国風土記』の国引き神話に登場する文献上、日本最古の神山ですが、神仏習合の過程で、大山の神は仏としては地蔵菩薩とされたのです。

大神山神社奥宮への参道

大神山神社奥宮への参道

そしてその大山中腹の大山寺に祀られる地蔵菩薩は、山頂の池から現れたとされ、水を恵み、万物を救う仏さまで、人々は延命をもたらす「利生水」と地蔵菩薩のご加護を求めて参詣し、五穀豊穣も祈願したのです。

大山寺入り口の横に建てられた石鳥居から約700mにわたって続く日本一長い石畳を上り、神門(もとは大山寺本坊西楽院の表門で1875年にそのままの向きで移転されたため、かんぬきが外側にあり、「後ろ向き門」とも呼ばれる)」をくぐると階段の上に見えてくるのが大神山神社奥宮です。

大神山神社奥宮の神門「後ろ向き門」

大神山神社奥宮の神門「後ろ向き門」

大神山神社奥宮は神仏習合であった大山寺において、地蔵菩薩の化身である大智明権現(だいちみょうごんげん)を祀った本社ですが、現存建物は文化2(1805)年に再建された権現造の社殿です。

牛馬市が盛んな頃に整備された大智明権現社と本坊の西楽院へ向かう参道として残されたこの石畳道は、大山信仰が盛んだった頃の様子をよく伝えています。

日本は雨が多く、参道がぬかるみになると牛や馬が通るのも大変ということで石畳になったと推察されますが、大山牛馬市のもたらす富がそれだけ大きかったのだと思います。

大神山神社奥宮への石畳道

大神山神社奥宮への石畳道

参道脇を流れる川のせせらぎとお地蔵さんが立ち並ぶ石畳の道には心から癒されます。

また、大山のブナ林は春の新緑や秋の紅葉など、四季によって様々な姿を見せ、人間の二酸化炭素を吸収し、新鮮な酸素を供給してくれるだけでなく、水の恵みも与えてくれます。

大山のブナ林と清流

大山のブナ林と清流

この水の恵みに延命を求める地蔵信仰に由来する「大山信仰」「牛馬信仰」が、牛馬市の隆盛をもたらし、この地に繁栄をもたらしたのです。

私は大山道や大山のブナ林を散策し、この信仰心は牛馬市がなくなっても、地元民の昔から口にしていた決めゼリフ「大山さんのおかげ」という感謝の気持ちとして受け継がれているように感じました。

地蔵信仰が育んだ日本最大の大山牛馬市

所在自治体〔鳥取県:大山町・伯耆町・江府町・米子市〕

大山の山頂に現れた万物を救う地蔵菩薩への信仰は、平安時代末以降、牛馬のご加護を願う人々を大山寺に集めた。江戸時代には、大山寺に庇護され信仰に裏打ちされた全国唯一の「大山牛馬市」が隆盛を極め、明治時代には日本最大の牛馬市へと発展した。

 西国諸国からの参詣者や牛馬の往来で賑わった大山道沿いには、今も往時を偲ぶ石畳道や宿場の町並み、所子に代表される農村景観、「大山おこわ」などの独特の食文化、大山の水にまつわる「もひとり神事」などの行事、風習が残されている。ここには、人々が日々「大山さんのおかげ」と感謝の念を捧げながら大山を仰ぎ見る暮らしが息づいている。

大山の水にまつわる「もひとり神事」

大山の水にまつわる「もひとり神事」

一般社団法人日本遺産普及協会と日本遺産検定

私は2023年、「日本遺産ストーリー」を通じて地域の魅力を国内外に発信する目的で、有志とともに一般社団法人日本遺産普及協会を立ち上げました。そして、協会では日本遺産ブランドの普及と日本各地の文化や伝統の普及・活用に資する目的で日本遺産検定を実施しています。
本検定は3級・2級・1級に分かれ、まずは3級(ベーシック)が開始されていますので、「日本遺産」をはじめ「日本文化」「日本史」「地域振興」に関心のある方は、下記の『日本遺産検定3級公式テキスト』(黒田尚嗣編著・一般社団法人日本遺産普及協会監修)を参考に受験していただければ幸です。お問合せ先・お申し込み先:一般社団法人日本遺産普及協会

平成芭蕉メッセージ ~「旅の質」が人生を変える

「小説が書かれ読まれるのは人生がただ一度であることへの抗議」という言葉がありますが、私にとって旅することは、一度限りの人生を最大限に楽しむための創造活動なのです。そして私は、人生を楽しむために必要な「心のときめき」は、「知恵を伴う旅」を通じて得られると考えています。

そこでこの度、私はその知恵を伴う日本遺産や世界遺産の旅を紹介しつつ、平成芭蕉独自の旅の楽しみ方とテーマ旅行に関する企画アイデアノート、さらに著者が松尾芭蕉の旅から学んだ旅行術について紹介した『平成芭蕉の旅指南 人生が変わるオススメの旅 旅の質が人生を決める』と題した本を出版しました。このブログと合わせてご一読いただければ幸です。

私は平成芭蕉、自分の足で自分の五感を使って日本遺産を旅しています。

平成芭蕉の日本遺産

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この「平成芭蕉の日本遺産」は、単なる日本遺産登録地の紹介や旅情報の提供ではなく、「平成芭蕉」を自称する私が、実際に現地を訪れて、地元の人と交流し、私が感じたことや認定されたストーリー対する私自身の所見を述べた記録です。

「令和の旅」へ挑む平成芭蕉

*「平成芭蕉の旅物語」サイトマップ参照

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