日本遺産 会津の三十三観音めぐりでコロナ退散! | 【黒田尚嗣】平成芭蕉の旅物語

令和の「平成芭蕉」

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平成芭蕉の日本遺産

日本遺産 会津の三十三観音めぐりでコロナ退散!

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私は平成芭蕉、自分の足で自分の五感を使って日本遺産を旅しています。

平成芭蕉の日本遺産

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この「平成芭蕉の日本遺産」は、単なる日本遺産登録地の紹介や旅情報の提供ではなく、「平成芭蕉」を自称する私が、実際に現地を訪れて、地元の人と交流し、私が感じたことや認定されたストーリーに対する私自身の所見を述べた記録です。

*「平成芭蕉の旅物語」サイトマップ参照

会津三十三観音めぐりと仏都会津の慧日寺

平成30年2月7日、会津若松市生涯学習総合センター「会津稽古堂」で開催された日本遺産「会津三十三観音めぐり」シンポジウムにおいて、私はこの会津三十三観音めぐりの魅力を「五感が満たされる大らかな信仰の旅」と所見を述べました。

会津三十三観音巡礼は、会津藩祖の名君保科正之が西国巡礼を模して、藩内で楽に巡礼ができるように定めたものですが、古来のおおらかな信仰の姿が今に残り、霊場に佇む石仏が私の五感を刺激して癒してくれるのです。

会津三十三観音霊場の石仏

会津と言えば磐梯山ですが、その磐梯山は大同元年(806)に大噴火を起し、会津地方に甚大な被害をもたらしました。これを契機に奈良で法相宗を学んだ学僧「徳一」は、噴火の翌年(大同2年)、磐梯山の麓に慧日寺(えにちじ)を、他にも常勝寺(湯川村)、円蔵寺(柳津町)など会津に多くの寺院を建立して人々を救済しました。

霊山として信仰される磐梯山

そして、この事により、寺院を維持するための職人や僧が会津に集まって仏教文化が花開き、今日の「仏都会津」へと繋がっていったのです。

徳一が創建した慧日寺跡

コロナ禍で長らくツアーも中断していましたが、10月に入ってようやく私のテーマ旅行も催行される運びとなりました。そこで、私はコロナ退散と旅の安全を祈願する目的で「徳一」ゆかりの慧日寺を参拝し、また、私が長患いせず、天寿をまっとうできるように「会津ころり三観音」を巡ってきました。

ころり三観音の鳥追観音

ころり三観音の鳥追観音

死の苦しみに遭うことなく、極楽往生ができるよう願うことを、ころり信仰またはぽっくり信仰と呼び、関西では吉田寺が有名ですが、関東ではこの「会津ころり三観音」が有名です。

会津ころり三観音とは、鳥追観音こと如法寺、立木観音こと恵隆寺(えりゅうじ)、中田観音こと弘安寺の三カ寺の総称です。

会津の霊場巡り案内板

観音経の中には、人が克服すべき三つの煩悩が三毒として書かれており、すなわち、人間は生を受けてのちは三毒と呼ばれる、貪(とん=むさぼること)瞋(しん=いかること)痴(ち=おろかなこと)によりもろもろの苦悩を受けます。しかし、この三観音に巡拝し、悪い心を消し去ることで、その苦しみが除かれ、子孫繁栄、福寿円満、寿命安楽などがかなえられると同時にやがて大往生を遂げられるというものです。

慧日寺の薬師堂

最初に訪れた慧日寺は、南都の僧「徳一」が理想の修行地として会津にたどり着き、磐梯山を奥院として建立した山岳信仰の寺院で、東北地方で建立期が明らかになっている寺院としては最古のものとして知られています。

平将門寄進とされる慧日寺本堂・山門

「徳一」は民衆から徳一菩薩、徳一大師とも称されていますが、天台宗の最澄や真言宗の空海と大論争を繰り広げた僧としても知られています。

明治初期に廃寺となったあとは、昭和45年(1970)に国の史跡に指定され、現在に至るまで復元事業が進められており、再建されたばかりの金堂は優美な屋根のシルエットが奈良の古刹を連想させてくれます。

慧日寺の復元された金堂

慧日寺を開いた徳一の墓と伝えられる平安時代の石塔を覆う徳一廟は、磐梯山の麓の豊かな自然に囲まれ、静寂に包まれており、まさに五感が満たされる信仰の場所です。

「徳一」の墓のある徳一廟

次に訪れた西会津町の鳥追観音は、行基が村の夫婦に観音像を授けたことに始まり、大同2年(807)に徳一が伽藍を建てて正観音像を安置したと言われています。三方に入り口のある珍しい観音堂には、江戸時代の名匠・左甚五郎作の彫刻があり、この中から「隠れ三猿」を探せば、開運「福まさる」と伝えられています。

鳥追観音の観音堂

坂下の立木観音は寺伝によると中国の梁から渡って来た僧が高寺に庵を結んだことに始まります。本尊は立ち木で根の付いた状態のケヤキを彫刻した像で、国内でも最大級の千手観音像と言われています。私は高さ8.5mの立派な千手観音像の足に触れてゆっくりと手を合わせ、まずはコロナ退散を祈念しました。

会津坂下町の立木観音

会津坂下町の立木観音

会津三十三観音霊場第30番札所でもある中田観音は、長者の江川常俊が亡娘の菩提を弔うために十一面観音を建立し、その後、地頭の寄進で伽藍が建てられました。また、野口英世の母シカが、息子の火傷の治癒と立身出世を祈願して月参りしたことでも知られています。私も中田観音堂内の「抱きつき柱」に抱きついて旅の安全を祈願しました。

会津美里町の中田観音

この野口英世の母のお詣り事実は、やはり会津三十三観音巡りが大らかな信仰として、女性でも気軽に行えたことを物語っています。

霊験あらたかながらも大らかなる信仰は、磐梯山の自然と融合し、五感が刺激されます。私にとっては仏都会津で改めて神仏習合の様子や霊山・磐梯山の威厳を感じることができて、本当に有意義な旅でした。

中田観音の抱きつき柱

会津の三十三観音めぐり~巡礼を通して観た往時の会津の文化~

日本遺産ストーリー
   〔福島県:会津坂下町、会津美里町、会津若松市、湯川村、喜多方市、西会津町、柳津町〕

会津の三十三観音霊場

磐梯山信仰を取り込み、東北地方で最も早く仏教文化が花開いた会津は、今も平安初期から中世、近世の仏像や寺院が多く残り「仏都会津」とよばれる。
その中でも三十三観音巡りは、古来のおおらかな信仰の姿を今に残し、広く会津の人々に親しまれている。
会津藩祖、名君保科正之が定めた会津三十三観音巡りは、広く領民に受け入れられ、のちに様々な三十三観音がつくられた。
会津の三十三観音は、国宝を蔵する寺院から山中に佇むひなびた石仏までいたるところにその姿をとどめており、これら三十三観音を巡った道を道中の宿場や門前町で一服しながらたどることで、往時の会津の人々のおおらかな信仰娯楽を追体験することができるのである。

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