平成芭蕉の日本遺産 長崎県「国境の島 古代からの架け橋となった壱岐島」 | 【黒田尚嗣】芭蕉さんの旅講座




平成芭蕉の日本遺産

平成芭蕉の日本遺産 長崎県「国境の島 古代からの架け橋となった壱岐島」

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私は平成芭蕉、自分の足で自分の五感を使って日本遺産を旅しています。

平成芭蕉の日本遺産

平成芭蕉の日本遺産

この「平成芭蕉の日本遺産」は、単なる日本遺産登録地の紹介や旅情報の提供ではなく、「平成芭蕉」を自称する私が、実際に現地を訪れて、地元の人と交流し、私が感じたことや認定されたストーリーに対する私自身の所見を述べた記録です。

日本遺産の地を旅する~河合曽良が眠る「神々の島」壱岐

私は先週末、桑名市長島町の木曽三川を訪ね、『奥の細道』の旅で松尾芭蕉に同行した河合曽良ゆかりの大智院を参拝しましたが、今週末はその曽良が没した壱岐島にある「河合曽良の墓」を参拝することになりました。

11月17日に開催される壱岐の万葉公園の歌会イベント審査員として招かれたこともあり、この機会に芭蕉さんを支えた曽良こと河合惣五郎(戒名は賢翁宗臣居士)の墓前に平成芭蕉の近況を報告する予定です。

壱岐島の勝本にある曽良の墓

壱岐島の勝本にある曽良の墓

河合曽良は1710年、幕府巡見使の随員として壱岐に来島し、豊臣秀吉が文禄・慶長の役で朝鮮出兵を行うにあたって築城した勝本城に近い滞在先であった中藤家で病死したのです。

そこで、巡見の志半ばで亡くなった曽良に代わり、平成芭蕉が国境の島、壱岐国についてご紹介したいと思います。

日本の西端に位置する長崎県には日本最多の971の島があり、壱岐島はその1つですが、2015年、壱岐、対馬、五島は「国境の島~古代からの架け橋」というストーリーで日本遺産第1号に認定されました。

これらの島は、日本本土と大陸の中間に位置することから、古代より海上交通の要衝で、交易・交流の拠点でもあり、まさに国境の島として古代からの架け橋でした。

壱岐神楽が行われる住吉神社

壱岐神楽が行われる住吉神社

また、長崎県は一つの県(佐賀)としか隣接しておらず、江戸時代には唯一、オランダやポルトガルと交流が許された「出島」や情緒あふれる中華街もあって中国文化も根付くまさに和洋折衷の地です。

曽良が最後に巡見使として訪れた壱岐は、玄界灘に浮かぶ南北17km、東西15kmほどの小さな島ですが、島内には千を超える神社が点在し、日本国内で最も神様の密度の高いまさに「神々の島」です。これは日本本土を守るために八百万の神が国境の島である壱岐に集結しているようにも思えます。

神道発祥の地とされる月讀神社

神道発祥の地とされる月讀神社

実際、バルカン半島のクロアチアには国土に比してキリスト教会が多いのですが、これはイスラム圏との境に位置していることから、キリスト教圏の防衛的役割を果たしているのと似ています。

壱岐島に数ある神社の中でも月讀神社は、日本書紀に記された月神の分霊とされ、これは京都松尾大社の摂社月讀神社ですが、壱岐の月讀神社が元宮です。そしてこの分霊により神道が中央に根付いたことから、壱岐の月讀神社は神道発祥の地とも言われています。

『魏志倭人伝』に登場する一支国の王都「原の辻」

また、壱岐は烽火台や遠見番所が設置されていた「岳の辻(標高212.8m)」を除くと山地が少ない平らな島ですが、島内各地の山麓から湧き出た水が集まる島内最長の幡鉾川(はたほこがわ)の流域平野の深江田原には、弥生時代、一支国(いきこく)の王都「原の辻(はるのつじ)」がありました。

国防上の狼火台があった岳の辻

国防上の狼火台があった岳の辻

この原の辻遺跡は弥生時代の重要な遺跡として、静岡県登呂遺跡佐賀県吉野ケ里遺跡と並んで史跡の国宝とされる国の特別史跡に指定されています。

遺跡の発掘調査は継続中ですが、これまでに先祖の霊に祈りをささげる際に使用されたと考えられる人面石や東アジア最古の船着き場などの貴重な発見がありました。

また、中国の歴史書『魏志倭人伝』に記載されている国の中で唯一、国と王都が特定されている遺跡で、丘陵の裾に多重の環濠を掘り巡らせた弥生時代を代表する大規模な環濠集落跡です。

遺跡からは海を眺めることはできませんが、幡鉾川を東に約1㎞下流に向かうと内海湾(うちめわん)で、この湾内には神が宿る島として崇められてきた小島があり、その小島神社の参道は満潮時には海中に沈むため、まるで日本のモン・サン・ミシェルです。

壱岐島内海湾の小島神社

壱岐島内海湾の小島神社

日本と大陸を行き来する古代船はこの内海湾に停泊し、小舟に荷物を積みかえて、幡鉾川を通って原の辻の船着場を目指したと考えられています。

原の辻遺跡から発見された船着場跡は、大陸の高度な土木技術を取り入れて造られた王都の玄関口にふさわしい立派なもので、日本最古の船着場跡です。

一支国の王都「原の辻」遺跡

一支国の王都「原の辻」遺跡

いち早く海外の情報を入手できた原の辻は、海上交易で王都を築いた国際交流都市の先駆けで、日本人だけでなく、朝鮮半島から移り住んだ人もいて、活気に満ちあふれていたと思われます。実際、この遺跡に立って復元された建物と周囲に広がる田園風景を眺めれば、弥生時代にタイムスリップしたかのように感じます。

壱岐の古墳群と遣新羅使の万葉歌

6世紀後半以降は、倭国と新羅・高句麗など朝鮮半島の国々との関係が悪化する中、壱岐では首長やその一族が島の中央部に次々と大型の巨石古墳を築いています。これらの古墳の中には長崎県最大の前方後円墳である双六(そうろく)古墳や円墳である笹塚古墳鬼の窟古墳などがあります。

壱岐古墳群の双六古墳

壱岐古墳群の双六古墳

この壱岐古墳群の石室から発見された副葬品を見ると、壱岐島の有力者はそれまでに築いた独自の交流ルートを活かして、倭国の情勢が悪化したとは言え、彼らは友好的な国際関係を築いていたと考えられます。

今回は神功皇后が三韓出兵の勝利を祈願した住吉三神を祀る壱岐の住吉神社で壱岐神楽も鑑賞する予定ですが、壱岐神楽は神楽舞人や曲を奏でる演者などすべて神職によって執り行われる貴重な神事で、1987年に国の重要無形民俗文化財の指定を受けています。

壱岐神楽 橋の上

壱岐神楽 橋の上

また、今年は万葉集に因む令和元年ということで、壱岐の万葉公園歌会イベントが開かれますが、これは壱岐出身の卜占家であり、遣新羅使でもあった雪連宅麻呂(ゆきのむらじやかまろ)を記念する行事でもあります。

天平8(736)年、遣新羅使船は福岡県の唐泊(からとまり)を出港し、玄界灘を現在の郷ノ浦港ではなく、印通寺(いんどうじ)の港へ向かったとされますが、一行が遭難漂流したときの一員が壱岐出身の雪連宅麻呂で

大君の 命恐(みことかしこ)み 大舟の 行きのまにまに 宿りするかも (巻15-3644)

と歌いましたが、彼は壱岐に着いて急逝し、現在は印通寺手前の石田峯という小丘にある「けんとうしの墓」に眠っています。

そこで、作者は不詳ですが、一説では副使の大伴三中(みなか)がこの病死した雪連宅麻呂の死を偲んで

石田野(いはたの)に 宿(やどり)する君 家人の いづらと我をとはばいかに言はむ (巻15-3689)

万葉公園の雪連宅麻呂を偲ぶ句碑

万葉公園の雪連宅麻呂を偲ぶ句碑

「石田野を眠り場としている君よ、都に帰ってから家の人がどこにいるかと私に尋ねたらなんと答えたらいいのでしょう」と挽歌で返しています。この句碑は遣新羅使一行が入港した印通寺港を眼下に見下ろす黒木城跡を整備して作られた万葉公園に建てられているのです。

壱岐のシンボル猿岩と日本遺産ストーリー

私は猿歳生まれのため、壱岐のシンボルの猿岩は壱岐島誕生神話の八本の柱の一つであるだけでなく、私の磐座のようにも感じるのですが、東国から国境警備で派遣された防人はこの猿岩をどのように見ていたのでしょうか。

壱岐島のシンボル猿岩

壱岐島のシンボル猿岩

彼らは自給自足の生活をしながら防備にあたりましたが、3年の任期を終えても故郷に帰れない者が多く、防人たちの故郷や家族への思いは、『万葉集』に防人の歌として収められています。

防人に 立ちし朝開の 金戸出に たばなれ惜しみ 泣きし子らはも (巻15-3569)

壱峻島で亡くなった河合曽良や遣新羅使の雪宅麻呂だけでなく、無名の防人の物語を思えば、日本遺産のストーリーである「国境の島~古代からの架け橋」が実感できます。

「ストーリー(物語)」はたとえそれが伝説であっても設定された舞台があれば、現地を訪ねて想いに耽るのが旅の楽しみです。

島にはそれぞれその土地の物語(歴史)があり、長崎の島旅はその「物語」を求め、自分の物語と対比する旅だと思います。本土だけでは見えてこない日本全体を包むストーリーが長崎の島旅によって浮かび上がってくるような気がします。

私は玄界灘の宝石箱と称される美しい壱峻島を訪ねるたびに、古代文化が大陸や朝鮮半島との海上交易でもたらされたことを再認識し、日本の古代史の原点を知ることができるのです。

また訪れたくなる壱岐島

また訪れたくなる壱岐島

国境の島 壱岐・対馬・五島 ~古代からの架け橋~

日本遺産ストーリー 〔長崎県壱岐島、対馬、五島列島〕

日本本土と大陸の中間に位置することから、長崎県の島は、古代よりこれらを結ぶ海上交通の要衝であり、交易・交流の拠点であった。

特に朝鮮との関わりは深く、壱岐は弥生時代、海上交易で王都を築き、対馬は中世以降、朝鮮との貿易と外交実務を独占し、中継貿易の拠点や迎賓地として栄えた。

その後、中継地の役割は希薄になったが、古代住居跡や城跡、庭園等は当時の興隆を物語り、焼酎や麺類等の特産品、民俗行事等にも交流の痕跡が窺える。

国境の島ならではの融和と衝突を繰り返しながらも、連綿と交流が続くこれらの島は、国と国、民と民の深い絆が感じられる稀有な地域である。
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by 【平成芭蕉こと黒田尚嗣】

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令和の「平成芭蕉」

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