日本遺産を旅する 石見地域で伝承される躍動的な神楽
石見地方の世界遺産「石見銀山」と日本遺産「石見神楽」
島根県西部の石見地域には世界遺産の「石見銀山」や国の天然記念物「石見畳ヶ浦」などの観光地があり、私もテーマ旅行の下見調査で訪れた際には温泉津(ゆのつ)温泉の薬師湯に浸かって「いも代官」の顕彰碑を訪ねたりしていました。
「いも代官」とは、農民を餓死から救うために力を尽した石見銀山の大森代官、井戸平左衛門を指しますが、彼は薩摩から取りよせた甘藷(サツマイモ)を普及させた功績から、中国地方一帯に供養塔や顕彰碑が建てられ、地元住民が感謝の気持ちを表しているのですが、なんとその供養塔や顕彰碑は、数百基にものぼるといわれています。
石見銀山では1527年に発見されてから約400年もの間鉱石を採掘されており、この地で採れた銀は、16世紀半ばから17世紀にかけて世界の産銀量の約3分の1を占めていたと言われています。そして温泉津(ゆのつ)は世界遺産石見銀山の外港として栄え、永く湯治場として名を馳せた温泉のある町です。
また、石見畳ヶ浦は古くから石見の代表的な名所として和歌にも詠まれており、波の浸食によってでてきた腰掛け状の丸い岩(ノジュール)をはじめ、多くの断層や海食洞を見ることができ、まさに「天然の博物館」です。
そして広大な波食棚には縦横に規則正しく走る小さな亀裂があり、これが畳を敷き詰めたように見えて「千畳敷」とも呼ばれていますが、私には南米の「ウユニ塩湖」を連想させます。
しかし、石見銀山における銀のような資源には限界があり、千畳敷に見られる美しい自然の景観も時代とともに風化や浸食によって変化します。
一方、この石見地域に根付く伝統芸能の「石見神楽」は、かつて神職による神事であったものが、土地の人々の手に受け継がれ、民俗芸能として時代の変化を受容しながら発展を続けており、2019年5月には「神々や鬼たちが躍動する神話の世界〜石見地域で伝承される神楽〜」というストーリーが日本遺産に登録されました。
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石見神楽のルーツ「大元神楽」
石見地方には「大元神社」という神社が数多く存在していますが、どの大元神社も詳しい由緒はわからないものの、石見神楽が奉納されるという共通点が見られます。大元神社に祀られる大元神(おおもとしん)は、恵みを与えてくれる神として石見地域一円に信仰が厚く、数年に一度、式年祭の日に地域の神職が集まって「大元神楽」が行われていました。
佐比賣山神社や飯尾山八幡宮などの「大元神楽」では、「神迎え」という神事から始まり、「太鼓口」、「剣舞」などの演目が続いて「神送り」まで、数人の神職によって夜を徹して奉納されていました。
この大元神楽は、古来より民間信仰の農神に捧げる田楽系の行事が原型とされ、神様から告げられる「託宣(たくせん)」があるのが特徴で、平安末期から室町時代にかけて石見地方に浸透し、その流れの中で小神楽などを取りこみ、神事、儀式舞、神楽舞が体系化され、石見神楽の源流となったと言われています。
江津(ごうつ)市の市山コミュニティ交流センターにある「大元神楽伝承館」では、この大元神楽の神楽面、衣装、天蓋、御幣などの採り物、演目「綱貫(つなぬき)」の模型などが展示され、大元神楽の軌跡をたどることができます。
しかし、明治以降に神職の演舞が禁止されたことにより、神楽は神職から氏子(民間)に受け継がれ、その中で神楽改正の影響を受けたものが「八調子」、影響を受けなかったものが「六調子」と呼ばれています。
すなわち、「六調子」神楽は大元神楽の流れを汲み、農作業での動作が「型」となっており、腰を落としゆっくりと重厚に舞うのが特徴で、文化的に大変貴重なものです。
一方、多くの団体が受け継いでいる「八調子」神楽は、早いテンポでスピード感があります。「原型」と「進化」、2つの流れのある石見神楽は、初心者には間口が広く、通にとっては奥の深い、探求心の絶えない伝統芸能です。
神楽を伝え、舞とともに生きる石見の人々
そのリズムは、石見人の気性をそのままに、大太鼓、小太鼓、手拍子、笛を用いての囃子で演じられますが、演目としてはその年の豊作や豊漁に感謝する「儀式舞」と神話に基づいた物語を舞う「能舞」の2種類があります。
特に「能舞」は金糸銀糸の絢爛豪華、職人手縫いのこだわりの舞衣装、表情豊かな神楽面やアップテンポなリズムが特徴で、石見神楽の花形「大蛇」、福を招く「恵比寿」、神と鬼が戦う「塵輪」など、初心者にもわかりやすいストーリーと激しい動きが特徴です。
私は浜田市の三宮神社や温泉津温泉の龍御前神社等の定期公演で、これらの演目を鑑賞しましたが、その迫力には圧倒され、同時に舞手の神が乗り移ったような動きには感銘を受けました。
重量のある石見神楽衣装を身に纏って、その重さを感じながら激しく踊る姿は神々しく見えますが、舞った後は動けなくなっているのではないかと心配になります。
そこで私は「リフレパークきんたの里」に隣接する、石見神楽最大規模の衣裳工房「神楽ショップ くわの木」で神楽の刺繍衣裳や神楽面を見学し、2023年の神楽カレンダーも購入しました。
ショップ内には、各演目の説明パネルも展示してありましたが、驚いたことに入り口の自動販売機は何と石見神楽のデザインでした。
石見神楽の特徴の一つは多様性にあり、現在、石見地域には130以上の神楽団体が活動し、同じ演目でも衣装や神楽面、所作は神楽団体により異なっています。浜田市内の「柿田勝郎面工房」では、伝統的な神楽面作りが行われており、神楽団体により面へのこだわりがあるため、一つ一つをオーダーメイドで作っているそうです。
江戸時代までは神楽面は木彫りでしたが、明治時代以降に神職から氏子へ神楽が受け継がれ、多くの団体が発生したことから、量産可能な「石州半紙(ばんし)」で作られた面が普及しました。
石見神楽はこの石州和紙とは切っても切れない関係にあり、直径40㎝、全長17mもある「大蛇」に使われる石見神楽蛇胴も竹と石州和紙で作られます。
これは長浜神社社中の舞手であった植田菊市さんが提灯をヒントに考案し、この蛇胴の発明をきっかけに「大蛇(おろち)」が石見神楽における代表演目となったと言われています。
私が初めて石見神楽を知ったのは大阪万博であったと記憶していますが、現在では、神社祭礼での奉納やイベントでの上演にとどまらず、ホールの舞台で舞う機会が増え、照明効果や音響効果を取り入れ、アーティストとコラボするなど、新たな「魅せる」神楽に進化しているようです。
実際、石見神楽を演じるには、体力のある若い人と石州和紙から神楽面や衣装を創る伝統技術が必要で、その存続は「つなぐ伝える」という地域の活性化を図ることにもなります。そこでこの日本遺産ストーリーは、神々や鬼たちだけでなく、石見地域を愛する若者も躍動する世界だと感じました。
神々や鬼たちが躍動する神話の世界〜石見地域で伝承される神楽〜
所在自治体〔島根県:浜田市、益田市、大田市、江津市、川本町、三郷町、邑南町、津和野町、吉野町〕
島根県西部、石見(いわみ)地域一円に根付く神楽(かぐら)は、地域の伝統芸能でありながらも、時代の変化を受容し発展を続けてきた。
その厳かさと華やかさは、人の心を惹きつけて離さない。
神へささげる神楽を大切にしながら、現在は地域のイベントなどでも年間を通じて盛んに舞われ、週末になればどこからか神楽囃子(かぐらばやし)が聞こえてくる。
老若男女、観る者を魅了する石見地域の神楽。それは古来より地域とともに歩み発展してきた、石見人が世界に誇る宝なのだ。
一般社団法人日本遺産普及協会と日本遺産検定
私は2023年、「日本遺産ストーリー」を通じて地域の魅力を国内外に発信する目的で、有志とともに一般社団法人日本遺産普及協会を立ち上げました。そして、協会では日本遺産ブランドの普及と日本各地の文化や伝統の普及・活用に資する目的で日本遺産検定を実施しています。
本検定は3級・2級・1級に分かれ、まずは3級(ベーシック)が開始されていますので、「日本遺産」をはじめ「日本文化」「日本史」「地域振興」に関心のある方は、下記の『日本遺産検定3級公式テキスト』(黒田尚嗣編著・一般社団法人日本遺産普及協会監修)を参考に受験していただければ幸です。お問合せ先・お申し込み先:一般社団法人日本遺産普及協会
平成芭蕉メッセージ ~「旅の質」が人生を変える
「小説が書かれ読まれるのは人生がただ一度であることへの抗議」という言葉がありますが、私にとって旅することは、一度限りの人生を最大限に楽しむための創造活動なのです。そして私は、人生を楽しむために必要な「心のときめき」は、「知恵を伴う旅」を通じて得られると考えています。
そこでこの度、私はその知恵を伴う日本遺産や世界遺産の旅を紹介しつつ、平成芭蕉独自の旅の楽しみ方とテーマ旅行に関する企画アイデアノート、さらに著者が松尾芭蕉の旅から学んだ旅行術について紹介した『平成芭蕉の旅指南 人生が変わるオススメの旅 旅の質が人生を決める』と題した本を出版しました。このブログと合わせてご一読いただければ幸です。
私は平成芭蕉、自分の足で自分の五感を使って日本遺産を旅しています。
この「平成芭蕉の日本遺産」は、単なる日本遺産登録地の紹介や旅情報の提供ではなく、「平成芭蕉」を自称する私が、実際に現地を訪れて、地元の人と交流し、私が感じたことや認定されたストーリー対する私自身の所見を述べた記録です。