令和の「平成芭蕉」

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平成芭蕉の日本遺産

平成芭蕉の日本遺産 日本生まれ日本育ちの六古窯(瀬戸・常滑・信楽・越前・丹波・備前)

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日本遺産を旅する きっと恋する六古窯の歴史ある焼き物めぐり

日本六古窯と焼き物の種類

2019年8月には閑谷学校の屋根瓦にも使われている備前焼の里をご紹介させていただきましたが、備前焼は六古窯の1つです。六古窯には、堅牢で堂々とした「備前焼」の他、質朴で釉流れの美しい「丹波焼」、明るく健康的な「信楽焼」、豪快で無骨な「常滑焼」「越前焼」、そして唯一釉薬(ゆうやく)が掛けられた優雅さと逞しさを兼ね備える「瀬戸焼」がありますが、いずれも日本らしい焼き物として多くの人々の心をとりこにしてきました。

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2022年は縄文土器を中心に古代の焼き物巡りをしてきましたが、2023年2月には日本六古窯の「瀬戸」「常滑」「信楽」など東海地域の歴史ある5つの焼き物巡りを予定しており、この機会に日本六古窯を中心とした焼き物の旅にご招待します。

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日本六古窯(にほんろっこよう)とは、1948年頃、古陶磁研究家・小山冨士夫氏によって命名され、古来の陶磁器窯のうち、中世から現在まで生産が続く代表的な6つの産地(瀬戸・常滑・越前・信楽・丹波・備前)の総称で、「きっと恋する六古窯~日本生まれ日本育ちのやきもの産地~」として日本遺産に認定されています。

古陶磁研究家・小山冨士夫

日本人と焼き物との関わりは縄文時代にさかのぼり、食糧の保存や調理などの生活用具や祭祀用具など、人間の営みに必要不可欠なものとして、文明を築き、分野を超えて、さまざまな文化を深めてきました。
焼き物を総称して「陶磁器」と呼びますが、大きく二分類すると「土もの」(土器・陶器・炻器)と「石もの」(磁器)に分けることができます。

「土器」:無釉で有色粘土を原料とし、多くは700~800℃で焼成したもので、吸水性があり、不透光性です。焼物の歴史の中で人類が初めて作った「やきもの」であり、縄文式土器弥生式土器が我が国では知られています。
「陶器」:粘土質の素地に釉薬を施し、1000℃~1300℃で焼成したもので、素地に吸水性があり、不透光性です。濁った音がし、唐津焼薩摩焼が代表です。
「炻器(せっき)」:素地は吸水性が無く、不透光性で、アルカリや鉄を含む粘土質の原料を使い、「焼き締め」や「半磁器」とも呼ばれ、窯の中で1200℃~1300℃の高温で長時間焼成し、須恵器備前焼が代表です。
「磁器」有田焼で代表され、素地は白色で吸水性が無く、透光性があり、白色粘土、長石、珪石・陶石を原料に1300~1400℃での高温で焼くために薄手で、陶器よりも固く耐久性があります。

猿投窯(さなげよう)と日本六古窯

日本の焼き物といえば、伊万里焼(古伊万里)、有田焼、九谷焼などを連想しますが、これらは、豊臣秀吉の朝鮮出兵(文禄・慶長の役)の際、朝鮮半島から連れ帰った陶工たちが伝えた、磁器に始まる近世的な焼物です。

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それに対し、古墳などからも出土する猿投窯(さなげよう)の須恵器をルーツに、常滑焼、瀬戸焼など、中世(平安時代末期〜鎌倉時代)に焼き始めたのが日本六古窯であり、伝統的な焼物を紹介する目的で選別したため、圧倒的シェアを占める美濃焼は含まれず、また近世からの窯とは区別されているのです。

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猿投窯

猿投窯(さなげよう)は古墳時代から鎌倉時代にかけて愛知県で稼働していた古窯群のことで、猿投山の西南部に広がっており、山の名前から猿投窯と名付けられました。猿投窯は須恵器という硬質の土器で、従来の500℃~800℃で焼く手びねりと野焼きの軟質土器に対し、1,000℃を超える高温で焼かれたため、硬く焼き締まっています。

六古窯の産地は良質の「土」に始まり、山中で採れる陶土や古琵琶湖層瀬戸陶土層で採取される多量の石英粒を含んだ蛙目(がえろめ)粘土、炭化した木片(亜炭)を含む木節(きぶし)粘土、そして「干寄(ヒヨセ)」と呼ばれる、田畑から採掘される粘土(田土)などで、これらをブレンドして使用しています。陶工たちはこれら大地が育んできた焼き物(陶磁器や土器)の素材になる「粘っこい土」を数年かけて子どものように育ててきたのです。

六古窯の産地

唯一釉薬(ゆうやく)が掛けられた優雅さと逞しさを兼ね備える「瀬戸焼」(愛知県瀬戸市)

日本で陶器一般を指す「せともの」という言葉は、長い歴史のなかで、やきものづくりを牽引してきた瀬戸焼からきており、約1,000年前から一度も途切れずやきものの生産を続けてきた、世界的にも稀有な産地です。

起源は5世紀後半に名古屋市・東山丘陵周辺で、須恵器の生産を行っていた猿投窯(さなげよう)ですが、瀬戸層群と呼ばれる地層があり、やきものの原料となる良質の木節(きぶし)粘土・蛙目(がえろめ)粘土や、ガラスの原料となる珪砂を採取することができ、窯業発展の大きな支えとなりました。

12世紀終わりには古瀬戸の生産がはじまり、当時国内唯一の施釉陶器生産地として、四耳壺(しじこ)、瓶子(へいし)、水注(みずつぎ)がつくられました。

代表的な瀬戸焼

採集される木節粘土と蛙目粘土は、耐火性が高く可塑性に富み、粘土中には鉄分がほぼ含まれないことから、白い素地に青く発色するコバルト顔料(呉須)で絵付を施し、その上に透明な釉薬をかけて焼成する瀬戸染付の技法が発展しました。

六古窯の中では唯一釉薬を使用しているのが瀬戸焼で、高級品から日用雑器まで幅広く作られ、種類が多いことから「瀬戸焼の特徴」を一言で表すことは難しいのですが、青磁や白磁を彷彿とさせる、白く美しい素地が特徴です。

そして瀬戸焼について知るには、瀬戸市蔵所町にある「瀬戸蔵ミュージアム」がお勧めです。昭和の瀬戸の街を復元した瀬戸と瀬戸物のテーマパークで、2階部分にはせとものの大量生産で活気のあった時代の瀬戸をイメージし、まちの象徴である旧尾張瀬戸駅、陶房(モロ)、石炭窯、煙突などを配置、3階部分は、1000年以上の歴史がある瀬戸焼の変遷を全長30メートル以上の大パノラマ展示で紹介しています。

瀬戸蔵ミュージアム

また、仲洞町の「窯垣の小径」は、かつては陶磁器を運ぶメインストリートで、窯屋さんの邸宅が数多く建ち並んでいました。しかし、今では「窯垣」と呼ばれる、顔料として使われた鬼板粘土の壁や窯道具「ツク」「エブタ」「エンゴロ」などを埋め込んで作られた塀が連なっており、瀬戸でしか見られない景観が楽しめます。

窯垣の小径

しかし、瀬戸を訪ねた際にはやはり国内最大級の志野焼灯篭のある「陶祖公園」は必見です。瀬戸が誇る“陶祖”の藤四郎(加藤四郎左衛門景正)の業績を称える巨大な六角陶碑が慶応3年(1867)に建てられ、その高さは4.1mで、焼き物で作られた碑としては世界最大規模のものです。

陶祖公園の六角陶碑

豪快で無骨な「常滑焼」(愛知県常滑市)

お茶の味がまろやかになるといわれる朱泥焼の急須ですが、この独特の朱色と艶のある焼きもので一躍有名になったのが常滑焼です。知多半島で採れる鉄分を多く含んだ陶土を使用し、その性質を活かして、鉄分を赤く発色させる「朱泥(しゅでい)」が常滑焼を特徴付けています。

朱泥の常滑焼

茶碗や植木鉢など様々な製品が作られていますが、その中でも急須は、鉄分がお茶の苦みや渋みをまろやかにすると言われていて現代でも愛用されています。しかし、常滑焼が最も盛んだった昭和初期には、急須や茶碗だけでなく、甕(かめ)や焼酎瓶、土管、レンガ、タイルなど、陶器製造で日本の産業を盛り立てました。

やきもの散歩道の名所

常滑は平安時代末期(12世紀前半)、猿投窯南部の灰釉(かいゆう)陶器窯の南下に伴い形成された知多半島古窯群を母体として、中世陶器の主要生産地となりました。灰釉陶器とは植物を焼いた灰を水に溶いて、釉薬としてかけて焼いた土器ですが、常滑で窯業が発展した背景には、①焼き物に欠かせない原料の土に恵まれたこと。②釜焼の燃料となる木が豊富にあったこと。 ③海に面する土地柄、船によって重さのある焼き物を一度に大量に運べる「運送手段」があったことがあります。

常滑やきもの散歩道の観光スポット

「常滑やきもの散歩道」にはまだまだそんな時代の風情が残されており、煙突、窯、工場などが点在し、歴史的産業遺産を巡る観光スポットとして、焼き物マニアのみならず、古い趣ある建物や風景を求める写真愛好家など、広く親しまれています。

常滑やきもの散歩道

この集落には現在でも多くの作家や職人が住み、活動していますが、散歩道には「陶栄窯」と呼ばれる連房式登窯が残っています。この窯は1887年(明治20年)頃に築かれ、日本で現存する登窯としては最大級で、傾斜角約17度、8つの焼成窯、高さの異なる10本の煙突が特徴です。

「陶栄窯」と呼ばれる連房式登窯の煙突

また、常滑の名所「窯のある広場・資料館」では、土管を焼いた大正時代の窯と建物、煙突を保存・公開しており、迫力ある煉瓦造の大きな窯や、太い梁と柱を用いた小屋組みは圧巻です。芝生の広場を前庭に、そびえる煙突と黒い建物は1921(大正10)年に築かれた工場で、常滑でも最大級の3尺土管(内径が約90cm)を主に生産していました。

INAXライブミュージアム

この資料館は、当時INAXに社名変更した伊奈製陶が、その記念事業として窯と建物、煙突を整備し、1986(昭和61)年に公開を始めたもので、後に整備される一帯の文化エリア(現在のINAXライブミュージアム)の最初の施設となりました。現在、天に高くそびえる70尺(約21m)の煙突は、まさにINAXライブミュージアムのシンボルであり、千年の歴史を誇る陶都、常滑を代表する風景にもなっています。

鯉江方寿(こいえほうじゅ)の像

そして常滑では天保年間(1830~1844年)に連房式登窯を導入し、新田開発や木型を用いた近代土管の開発に成功した偉大な人物、鯉江方寿(こいえほうじゅ)の像も訪ねていただきたいと思います。

狸の置物の産地として親しまれている「信楽焼」(滋賀県甲賀市)

「狸の置物」の産地として広く親しまれている信楽焼は、聖武天皇が紫香楽宮を作る時に瓦を焼いたのが始まりとされ、奈良時代以来の古窯と伝えられています。初期の信楽焼は古信楽と呼ばれ、素地土(きじつち)が硬めで、長石粒が溶けた乳白色の斑があり、施釉のない焼締陶器ですが、焼成時における窯変で淡黄色、緑色、暗褐色などの自然釉がかかり、土味を増した作品として知られています。

後には灰釉が施釉されるようになり、さらに、光沢性の乳白釉をかけ、焼成時の焦げや土の赤味と混じった独特の風合いを持つ作品が作られました。

古琵琶湖層から採取される土は耐火性に優れ、汎用性の高い土で、鉄分が少なく総じて淡い色合いを見せます。そして釉薬を施さずに焼き締めるため、長石と石英の砂粒が混ざったざっくりとした肌合いや、焼成の過程で素地が変化してつくり出される印象深さが特徴です。

信楽陶芸村

滋賀県甲賀市信楽町は陶芸の里と呼ばれるように多くの窯元があり、陶芸店がありますが、「信楽焼陶芸村」はその窯元のひとつである「奥田忠左衛門窯」の土地で焼物に関することを公開している施設です。

「奥田忠左衛門窯」の信楽陶芸村

「奥⽥忠左衛⾨窯」は、明治21(1888)年に、信楽の⼭裾で開窯した100年以上の歴史を持つ6代続く窯元で、昭和9年に4代目忠保が築窯した「登り窯」は、陶器が割れないように、という願いを込めて全長25m、11の焼成室という割れない奇数でできています。耐火温度の高い土と陶器を粉砕したものを練り合わせて築かれ、おもに火鉢や植木鉢、茶壷などを100回以上焼きあげてきました。

信楽陶芸村の「登り窯」

「登り窯」とは山の斜面を利用して細長い部屋を数室連ねた、隣室の余熱を利用しながら焚き上げていく窯ですが、環境問題に配慮し、現在は使用されていません。信楽では「登り窯」が数多く築窯されましたが、保存が大変難しく、陶芸村の「登り窯」は完全な形で残された数少ない窯の一つです。

また、村内にはいたるところにたぬきが鎮座しており、 その数なんと3,000体で、大きいの、小さいの、正統派、個性派など、種々あるたぬきの愛くるしい姿に、心癒されます。

信楽焼のたぬき

そして陶芸教室では、自分で粘度を使って茶碗や皿を作ったり、たぬきに自分だけの色をつけたり、茶碗などに絵を描いたりできます。たぬきは、「他を抜く」「太っ腹(腹鼓)」に通じることから、古くから縁起物とされていました。信楽では、八相縁起にちなみ、編み笠をかぶり、首をかしげながら右手に徳利、左手に通帳を持つ「酒買い小僧」型が定番となっています。

信楽焼の生産と不可分の関係にある新宮神社には、元火を松明に点火して山頂の愛宕神社に松明を奉納する「火祭神事」が古くより行われていますが、私には境内に建てられていた「陶器感謝モニュメント」が印象に残っています。

新宮神社の信楽陶器感謝モニュメント

頑丈さ・耐水性の高さが特徴の「越前焼」(福井県越前町)

越前焼は常滑焼の流れを汲む炻器(せっき)で、土には鉄分が多く含まれ、耐火性も強いため、表面が赤黒・赤褐色の焼き上がりとなり、土が焼き締められました。地元で取れる鉄分の多い高温にも耐える赤土を使った素朴な風合いと、高温で焼き上げることで生み出される頑丈さ・耐水性の高さが特徴です。

代表的な越前焼

この特徴から日用雑器のほか、瓦も作られており、福井城や金沢城などの屋根瓦にも使われています。越前瓦は福井県越前地区において生産された粘土瓦で、江戸時代から北前船で遠く北海道まで出荷されていました。良質な粘土と本格還元焼成で焼き締められ、現在の越前の伝統建築はほぼ銀鼠色の越前瓦で統一され、特色ある景観をつくりだしています。

銀鼠色の越前瓦

越前焼の発祥は今から約850年前の平安代末期と言われていますが、北陸最大の窯業産地として発展し、現在では伝統を生かした新しい作陶も試みられるとともに、越前独特のねじたて成形も継承されています。

上薬を使わなくても水を通さない丈夫な焼き物と言う特長から、主に水がめ(水や穀物用)や、すり鉢・壺の3器種を中心とした生活雑器や水や酒・藍染等の染色液の保管に使われたほか、穀物の保存・貯蔵といった用途でも使用されました。

越前町織田に鎮座する劔神社は、当地域特有の 織田(おた)造りの象徴的な神社建築で、越前焼生産を主導した平等(たいら)村の工人たちも氏子でした。織田信長は当社神官の子孫と言われています。

越前町織田に鎮座する劔神社

質朴で釉流れの美しい「丹波焼」(兵庫県丹波篠山市)

丹波焼の発祥は平安時代末期から鎌倉時代の初めと言われ、桃山時代までは窖窯(あながま)が使用されていましたが、慶長の頃に登窯が導入され、同時代の蹴りろくろと共に、伝統技術を今日に受け継いでいます。

代表的な丹波焼

時代とともに呼称も変わり、発祥から桃山時代までの期間は「小野原荘」が生産の中心であったため小野原焼とも呼ばれていました。江戸時代になると、登窯が「釜屋」の山麓に築かれて「遠州丹波」の釜屋時代を迎えましたが、この頃,周囲にも登窯が作られ、やきもの作りが盛んに行われるようになり、これらの総称が「丹波焼」です。

丹波焼古窯跡

丹波焼の現存する最古の窯として県指定重要有形民俗文化財に指定されている上立(かみたち)杭の登窯は、明治 28 年に造られ、山の勾配を利用して長さ 47メートルにわたって築かれ、9袋の焼成室を持っています。

丹波立杭登り窯

丹波焼では、鉄を多く含んだ赤っぽい土を高温で長時間かけて焼成するうちに溶けた灰が自然釉としてかかり、素朴で爽やかな印象の若緑色の器に仕上がります。また、江戸時代後期からは白土を用いた「白丹波」も作られるようになりましたが、開窯以降、一貫して湯呑、皿、鉢、徳利、ぐい呑、壺、花瓶などの「生活用器」が中心です。

また、装飾の面では窖窯(あながま)時代の自然釉、登窯時代の窯変(ようへん)などによる色や模様が大きな特徴です。

堅牢で堂々とした「備前焼」(岡山県備前市)

備前焼のルーツは、古墳時代に遡り、須恵器(すえき)の製法が変化して鎌倉時代~桃山時代にかけて、現在のような形に落ち着きました。田んぼの底の土、鉄分を多く含む山土・黒土を混ぜ合わた土を完全燃焼の火で堅く焼き締めて作った茶褐色の地肌や、土の性質、窯に入れるときの並べ方、窯の温度の変化、灰や炭のかかり方などによって生み出されるさまざまな模様が特徴で、「土と火の芸術」とも呼ばれています。

代表的な備前焼

備前焼は、「釉薬」を一切使用せず、絵付けもしない究極にシンプルな焼き物です。最大の特徴は窯変 (ようへん) で、土の性質や、窯への詰め方、窯の温度の変化、焼成時の灰や炭などによって模様が生み出され、一つとして同じ色、同じ模様にはならない、手作りの味わい深さが魅力で、使ううほどに味わいが増していきます。

備前地域では、神社の境内で備前焼の宮獅子(狛犬)を多く見かけますが、これは江戸時代後半から近代にかけて窯元の主力商品として出荷され、全国的に流通した焼き物です。備前焼の神社として有名な伊部(いんべ)町天津(あまつ)神社の鳥居の両脇にも、立派な備前焼の狛犬が鎮座しています。

天津神社

この天神神社は備前焼の作家、窯元にゆかりの神社で、備前焼が多く寄進されており、参道の塀には備前焼のいろいろな陶板作品が埋め込まれ、門の屋根瓦などにも備前焼が使用されています。

また、岡山藩主池田光政が造った日本最古の庶民のための閑谷学校にも、国宝の講堂や聖廟など主要な建物だけで約 5 万枚の備前焼の瓦が使用されています。

備前焼の屋根の閑谷学校

焼き物めぐりは、“ 焼き物”を通して、人間の根源的な営み、人と自然との関わり、ものづくりの根源について考えると同時に、千年という時をかけて育まれてきた産地にある「火と人、土と人、水と人が出会った風景」に触れる旅です。六古窯は、各々で育まれた伝統や製作技術とともに、さりげなく私たちを出迎える街並みとやきものが日本人のおもてなしの心を表しているように感じます。

*関連記事 平成芭蕉の日本遺産 岡山県備前市「備前焼の里~きっと恋する六古窯」

きっと恋する六古窯 ─日本生まれ日本育ちのやきもの産地─

瀬戸、越前、常滑、信楽、丹波、備前のやきものは「日本六古窯」と呼ばれ、縄文から続いた世界に誇る日本古来の技術を継承している、日本生まれ日本育ちの、生粋のやきもの産地である。

中世から今も連綿とやきものづくりが続くまちは、丘陵地に残る大小様々の窯跡や工房へ続く細い坂道が迷路のように入り組んでいる。

恋しい人を探すように煙突の煙を目印に陶片や窯道具を利用した塀沿いに進めば、「わび・さび」の世界へと自然と誘い込まれ、時空を超えてセピア調の日本の原風景に出合うことができる。

日本の縄文文化「北海道と北東北の縄文遺跡群」が世界文化遺産!

「北海道と北東北の縄文遺跡群」が世界文化遺産に登録されることを記念して、私はみちのくを旅した芭蕉の研究本『松尾芭蕉の旅に学ぶ』と共に『縄文人からのメッセージ』というタイトルで縄文文化を語り、平成芭蕉の『令和の旅指南』シリーズ(Kindle電子本)として出版しました。人生100歳時代を楽しく旅するために縄文人の精神世界に触れていただければ幸いです。日本人の心に灯をつける『日本遺産の教科書』、長生きして人生を楽しむための指南書『人生は旅行が9割』とともにご一読下さい。

★平成芭蕉ブックス
 ①『日本遺産の教科書 令和の旅指南』: 日本人の心に灯をつける 日本遺産ストーリーの旅
 ②『人生は旅行が9割 令和の旅指南Ⅰ』: 長生きして人生を楽しむために 旅行の質が人生を決める
 『縄文人からのメッセージ 令和の旅指南Ⅱ』: 縄文人の精神世界に触れる 日本遺産と世界遺産の旅 
 ④『松尾芭蕉の旅に学ぶ 令和の旅指南Ⅲ』:芭蕉に学ぶテーマ旅 「奥の深い細道」の旅 

平成芭蕉「令和の旅指南」シリーズ

★関連記事:平成芭蕉の旅のアドバイス「旅して幸せになる~令和の旅」

私は平成芭蕉、自分の足で自分の五感を使って日本遺産を旅しています。

平成芭蕉の日本遺産

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この「平成芭蕉の日本遺産」は、単なる日本遺産登録地の紹介や旅情報の提供ではなく、「平成芭蕉」を自称する私が、実際に現地を訪れて、地元の人と交流し、私が感じたことや認定されたストーリー対する私自身の所見を述べた記録です。

「令和の旅」へ挑む平成芭蕉

*「平成芭蕉の旅物語」サイトマップ参照

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