令和の「平成芭蕉」

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平成芭蕉の日本遺産

平成芭蕉の日本遺産~日本国創成のとき-飛鳥を翔(かけ)た女性たち-

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日本遺産の地を旅する~飛鳥時代に日本を牽引した女性たちの足跡

平成27年11月、私は公益財団法人古都飛鳥保存財団後援の「瀬戸内 記紀万葉紀行」に同行し、瀬戸内海沿岸の万葉故地を訪ねて以来、額田王をはじめとする飛鳥を舞台に活躍した女性ゆかりの地を巡ってきました。

日本遺産「飛鳥を翔た女性たち」

それは、同年4月、飛鳥時代に活躍した女性たちの物語「日本国創成のとき-飛鳥を翔(かけ)た女性たち-」(奈良県明日香村・橿原市・高取町)が日本遺産に認定されたからです。

私が「瀬戸内 記紀万葉紀行」で訪れた伊予の地(松山)は、記紀万葉の時代から多くの文人・歌人が訪れて多くの詩歌が残されていますが、中でも額田王(ぬかたのおほきみ)「熱田津(にきたつ)の歌」は、661年、百済救援のために伊予水軍を集めていざ出発という天皇の御心を詠んだ歌で万葉集の中でも有名です。

「熟田津(にきたつ)に船乗りせむと月待てば 潮もかなひぬ今は漕ぎいでな」  
 『万葉集』巻1-8             額田王(ぬかたのおほきみ)

斉明天皇率いる新羅征討の一行が四国の道後温泉に滞在し、風待ち、潮待ちをしていた際、ふたたび航海に出るのに月も出たし、潮もちょうどよい具合になった状況を詠んでいます。

愛媛万葉苑の熱田津歌碑

愛媛万葉苑の熱田津歌碑

この歌を詠んだ「額田王」は斉明・天智朝を中心に仕えた女官で、天皇に代わって歌を詠むほどの歌才にすぐれ、感情を巧みに表現し、万葉の文化をリードした歌人としての功績は計り知れません。彼女は大海人皇子の娘を生み、出産後も再び出仕しましたが、仕えた「斉明女帝」「重祚(ちょうそ)」した皇極天皇です。

*「重祚」とは 一度退位した天皇が再び天皇の位につくことで、 飛鳥時代 の斉明天皇(皇極)と 奈良時代 の称徳天皇(孝謙)の2例があります 。

飛鳥宮跡の敷石

飛鳥の地で重祚した斉明女帝は、国際的な都市造りをめざして、飛鳥各地に次々と宮殿を造営しましたが、石の持つ永遠性に惹かれたのか、飛鳥宮跡飛鳥水落遺跡では石材をふんだんに使っており、「岩船」「酒船石遺跡(亀形石造物)」、「高取城跡猿石」といった奇妙な石造物も造っています。また大運河「狂心渠(たぶれごころのみぞ)」は、性急な土木事業として非難を浴びましたが、田畑の水路や、敵の侵入を防ぐ濠として転用できるように計画されていました。

飛鳥水落遺跡

しかし、女帝と言えばやはり聖徳太子が摂政を務めた東アジア初の女帝「推古天皇」です。彼女は聖徳太子だけでなく、渡来人との結び付きが強い大物政治家の蘇我馬子と協力体制を築き、まずは仏教を公認し、百済や高句麗の僧たちから大陸文化を吸収ました。そして飛鳥を翔(かけ)たのは推古女帝だけでなく、聖徳太子にも黒駒の「飛翔伝説」があります。

飛鳥を翔た聖徳太子

『扶桑略記』によれば、聖徳太子は推古天皇6年(598年)に諸国から良馬を貢上させ、献上された数百匹の中から四脚の白い甲斐の黒駒を神馬であると見抜き、太子が試乗すると馬は天高く飛び上がり、太子を連れて東国へ赴き、富士山を越えて信濃国まで至ると、3日で都へ帰還したと伝わっています。

橘寺の聖徳太子が愛用した「黒駒」像

仏教は伝来してから、その受け入れを巡って蘇我氏と物部氏の争いが続きましたが、蘇我馬子は百済からもたらされた仏像を譲り受け、仏教弾圧の中で還俗していた高句麗の僧の恵便を探し、聡明で純真な11歳の嶋女を得度させます。この嶋女が日本で初めて仏門に入った「善信尼」ですが、馬子はさらに善信尼を導師として、二人の少女を得度させて僧侶とします。やがて善信尼らは曽我馬子の勧めで戒律を学ぶために百済に留学し、正式な授戒を学び、帰国後は桜井寺(豊浦寺)で多くの尼を指導し、仏教興隆への信念を貫き通したのです

善信尼ゆかりの豊浦寺跡

さらに曽我馬子は日本初の法師寺(男性の僧が住持する寺)として飛鳥寺(法興寺)も建立し、鞍作鳥が制作した丈六の仏像が納められましたが、この際、推古女帝は改めて「善信尼」の功績を讃えたと言われています。

鞍作鳥による飛鳥大仏

また推古女帝は隋が中国を統一したのを機に、交流が途絶えていた中国からも最新文化を取り入れようと小野妹子遣隋使として派遣します。「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す、恙なきや」で始まる国書は、隋の煬帝を激怒させましたが、彼は使者を日本に派遣します。その使者である裴世清は開眼前の「飛鳥大仏」の様子などを煬帝に報告したとされ、推古女帝は隋と国交を結び、独立国の地位を守りながら国内の整備を続け、巧みに国の繁栄を図ったのです。

飛鳥大仏を祀る飛鳥寺

しかし、推古女帝は日本古来の神道を軽視し、仏教だけを信仰したのではなく、607年には「群臣は心をつくしてよく神祇を拝するように」と「敬神の詔」を発し、仏教との衝突を伝統的な神祇を据えた方策で乗り切ろうとしたのです。そして大陸からの新しい文化も日本の伝統文化と融合させながら、取り入れるというバランス感覚を持ち合わせていました。 

この推古天皇から始まる女帝の改革は、672年の「壬申の乱」を経て、天武天皇の妃であった「持統天皇」の代に結実します。

藤原京と天武天皇と持統天皇の改革

天武天皇は、律令制の導入に向けて制度改革を進め、飛鳥浄御原令の制定、新しい都(藤原京)の造営、『日本書紀』『古事記』の編纂を始め、「天皇」を称号とし、「日本」を国号とした最初の天皇とも言われています。

そして、天武天皇の崩御後は、「持統天皇(讃良)」が天武天皇の意思を引き継ぎ、美しい都「藤原京」を完成させ、貨幣制度や戸籍、税制度の確立、そして「律令」の整備など、今日の日本社会の基礎は持統女帝によって作り上げられたのです。

天香久山を望む藤原京跡

さらに天皇が代わるごとに宮を遷り替えていた制度も廃止、そして現在まで続く伊勢神宮の式年遷宮も、天武天皇が発案し持統女帝によって実現した伝統文化です。

私の好きな万葉歌の一つである 

「春過ぎて 夏きたるらし 白妙の 衣ほしたり 天の香具山」
 『万葉集』巻1-28              持統天皇 

は、持統天皇によって詠まれた歌ですが、彼女は大化の改新を行った中大兄皇子(天智天皇)の娘です。一般的には「香久山に白い衣が干してあり、いつの間にか春が過ぎて夏になりました」という意味ですが、「春」を天智天皇の時代「夏」を天武天皇・持統天皇の時代とし、新しい時代の到来を祝う歌とも言われています。

持統天皇が詠んだ万葉歌

ちなみに香具山は、持統天皇が政治を仕切っていた藤原京から東に見える、畝傍山、耳成山と並ぶ大和三山の1つで、天から人が降りてきたという伝説があったことから天の香具山と呼ばれています。

701年に持統天皇は崩御しますが、数少ない女帝のなかでも、男性顔負けの政治手腕と人材登用で律令国家を形成し、女性ならではの「愛情」を込めて日本を繁栄に導いたのは持統天皇です。

「日本初」の多い持統天皇ですが、「愛国」という言葉を始めて使った日本人は彼女であり、崩御後も天皇として初めて荼毘(火葬)に付されています。仏教が広まる前は土葬が主流で、持統女帝が火葬を希望したのは仏教の興隆者であった天武天皇の影響と言われています。

天武天皇・持統天皇陵

さらに、夫とともに眠る合葬は、宣化天皇と橘仲皇女に次ぐ2例目という珍しいものです。常に夫に寄り添い、夫を立て、行動力もあり、初の太上天皇として数々の功績を残した持統女帝は、まさにオーストリア帝国ハプスブルク家の女帝マリア・テレジアに勝るとも劣らない存在です。

私は持統天皇のような女性こそが、現代の日本が求める真の政治家の姿だと思います。そこで日本を律令国家に導いた持統天皇を始めとする「飛鳥を翔(かけ)た女性たちの物語」は、数ある日本遺産の中でも世界に誇れるストーリーとして紹介したい内容です。

日本国創成のとき-飛鳥を翔(かけ)た女性たち-

日本遺産ストーリー 〔奈良県:明日香村・橿原市・高取町〕

日本が「国家」として歩み始めた飛鳥時代。この日本の黎明期を牽引したのは女性であった。
この時代の天皇の半数は女帝であり、彼女たちの手によって、新たな都の造営、外交、大宝律令を始めとする法制度の整備が実現された。
また、文化面では、女流歌人が感性豊かな和歌を高らかに詠い上げ、宗教面では、尼僧が仏教の教えを広め、発展させるなど、
政治・文化・宗教の各方面で女性が我が国の新しい"かたち"を産み出し、成熟させていった。
日本国創成の地である飛鳥は、日本史上、女性が最も力強く活躍した場所であり、その痕跡が色濃く残る地である。

日本の縄文文化「北海道と北東北の縄文遺跡群」が世界文化遺産!

「北海道と北東北の縄文遺跡群」が世界文化遺産に登録されることを記念して、私はみちのくを旅した芭蕉の研究本『松尾芭蕉の旅に学ぶ』と共に『縄文人からのメッセージ』というタイトルで縄文文化を語り、平成芭蕉の『令和の旅指南』シリーズ(Kindle電子本)として出版しました。人生100歳時代を楽しく旅するために縄文人の精神世界に触れていただければ幸いです。日本人の心に灯をつける『日本遺産の教科書』、長生きして人生を楽しむための指南書『人生は旅行が9割』とともにご一読下さい。

★平成芭蕉ブックス
 ①『日本遺産の教科書 令和の旅指南』: 日本人の心に灯をつける 日本遺産ストーリーの旅
 ②『人生は旅行が9割 令和の旅指南Ⅰ』: 長生きして人生を楽しむために 旅行の質が人生を決める
 『縄文人からのメッセージ 令和の旅指南Ⅱ』: 縄文人の精神世界に触れる 日本遺産と世界遺産の旅 
 ④『松尾芭蕉の旅に学ぶ 令和の旅指南Ⅲ』:芭蕉に学ぶテーマ旅 「奥の深い細道」の旅 

平成芭蕉「令和の旅指南」シリーズ

私は平成芭蕉、自分の足で自分の五感を使って日本遺産を旅しています。

平成芭蕉の日本遺産

平成芭蕉の日本遺産

この「平成芭蕉の日本遺産」は、単なる日本遺産登録地の紹介や旅情報の提供ではなく、「平成芭蕉」を自称する私が、実際に現地を訪れて、地元の人と交流し、私が感じたことや認定されたストーリー対する私自身の所見を述べた記録です。

「令和の旅」へ挑む平成芭蕉

★関連記事:平成芭蕉の旅のアドバイス「旅して幸せになる~令和の旅」

*「平成芭蕉の旅物語」サイトマップ参照

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