令和の「平成芭蕉」

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平成芭蕉の日本遺産

平成芭蕉の日本遺産 笠間焼と益子焼「かさましこ~兄弟産地が紡ぐ”焼き物語”~」

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日本遺産「兄弟産地が紡ぐ“焼き物語”」笠間焼と益子焼の美意識

かさましこの日本遺産

関東平野の北部に位置する茨城県笠間市と栃木県益子町は、かつては下野国と呼ばれ、11世紀からその後の約500年間、下野宇都宮氏が拠点としていました。第5代宇都宮頼綱(藤原頼綱)は武人で奥州藤原氏討伐にも功績がありましたが、鎌倉幕府から謀反の嫌疑をかけられたのを機に京に隠棲して宇都宮歌壇を確立しています。京都嵯峨野の小倉山麓の庵に住まい、その襖色紙には親交があった藤原定家によって選じられた首歌が書かれ、これが小倉百人一首の起源として伝統文化に受け継がれています。

益子にある宇都宮家の墓所

そして今日の笠間焼と益子焼の美意識もこの宇都宮氏が統治した時代にもたらされた京都・鎌倉からの文化・芸術・気風を引き継いでいます。

16世紀後半、宇都宮氏が豊臣秀吉によって改易されると笠間と益子2つの地域はそれぞれの歴史を歩むこととなりますが、江戸時代中期、笠間藩箱田村の名主であった久野半右衛門が信楽焼陶工の長右衛門 から伝授されて箱田村で焼き物を始めます。この久野窯での焼き物が後の笠間焼で、現在の久野陶園には「笠間焼発祥に関わる登窯」が残っています。

笠間焼発祥の地(旧久野窯)

江戸時代後期になると、笠間焼の技術は近隣地域にも広がり、箱田村鳳台院で寺子屋教育を受けていた大塚啓三郎は、久野窯での焼き物作りとの出合いから陶器の製法を修業し、益子で窯を築きます。この益子焼は笠間焼の技法を受け継ぎ、笠間焼とは兄弟産地の関係となりました。8世紀に同じ技術圏で窯を築いていた2つの地域が、1,000年後、また製陶を通じて同じ未来に向かって進み始めたのです。

八溝山系を挟むこの地域は、古代から土器や須恵器造りに必要な粘土や燃料となる木材に恵また土地柄ですが、土器を含む焼き物は縄文時代、弥生時代から古墳時代へと続く日本史を学ぶうえで、避けて通れない日本古代文化史の象徴となっています。

笠間焼の原点「古代の須恵器」

こうした背景から、陶器の産地として共に歩んできた笠間市と益子町の二大窯業地「かさましこ」は、令和2年、「かさましこ~兄弟産地が紡ぐ“焼き物語”~」として日本遺産に認定されました。そして私は今後の観光振興策「ラーニングバケーション」についての事前検討会に有識者として招かれ、「かさましこ」の日本遺産ストーリーを確認する目的で笠間市の構成文化財を視察してきました。

「かさましこ」ラーニングバケーション講演

関東最古の歴史を誇る笠間焼

笠間は、戦後、窯業地としての存続が危ぶまれたため、窯業指導所が設けられ、デザイン性を重視した工芸陶器への転換を目指して釉薬改良や粘土研究、デザイナー等による指導が行われました。さらに、県内外から才能ある陶芸家を招くために造られた窯業団地や笠間芸術の村には、陶芸家の他、絵画や彫刻、染色等の芸術家を集め、地元の窯元、陶工と互いに交流を深めています。
こうした中で斬新な表現と技法が生まれ、後に人間国宝となる松井康成(こうせい)「練上」という技法で笠間焼を芸術の域にまで高めました。

私が最初に訪れた笠間芸術の森公園は、有名な「笠間の陶炎祭(ひまつり)」「笠間浪漫」が開催される会場ですが、「伝統工芸と新しい造形美術」をテーマとした文化の発信基地となっています。

笠間芸術の森公園のオブジェ

特に公園内のイベント広場でゴールデン・ウィークに開催される「笠間の陶炎祭」では、陶芸家が集まって自慢の作品を展示するだけでなく、販売もしてくれるので、陶芸家と直接触れ合うことのできる貴重な機会です。

茨城県陶芸美術館の「松井康成と原清」展

公園内には野外コンサート広場、陶製オブジェが点在する『陶の杜』などもありましたが、併設されている茨城県陶芸美術館は必見です。私が訪れた際には「―馬あり、珠あり」をテーマに人間国宝の松井康成原清の作品が展示されていました

茨城県陶芸美術館「原清と松井康成」展

重要無形文化財「練上手」保持者の松井康成(こうせい)は、古くからあった2種類以上の色の違う粘土を板状に重ねて作る練上(ねりあげ)という技法に関して、色とりどりに縞模様が生まれる表情豊かな独自の「同根異色」という方法を編み出しました。

松井康成「練上嘯裂(しょうれつ)茜手壺」

一方、重要無形文化財「鉄釉陶器」保持者に認定されている原清は、黒色と褐色の二種類の釉薬を駆使し、馬や草花文様の細かな技巧に頼ることのない作風が特徴です。

原清「鉄釉馬文大壺」

二人の作品には「自然」を題材にしたものが多くありましたが、その「自然」の表現方法は異なっており、松井康成の作品にはエネルギー溢れる躍動感や自然の内なる生命感があり、原清の作品には自然がまとう空気感があり、身近な自然を繊細に描いているように感じました。

日本三大稲荷の「笠間稲荷神社」と達磨像のある「国見山鳳台院(しゃくなげ寺)」

また、笠間を訪れたからには日本三大稲荷の一つ「笠間稲荷神社」にも参拝し、殖産興業、五穀豊穣、商売繁盛の神とされる「宇迦之御魂神」に観光業の復興を祈願しました。江戸時代、笠間藩主はこの笠間稲荷を熱く信仰し、笠間稲荷神社では仲見世や門前町などで笠間焼を販売したり、笠間焼の歴史的資料の保存・公開のために境内に美術館を建てています。

日本三大稲荷の笠間稲荷神社

笠間稲荷神社の境内には、樹齢400年におよぶ「二株の藤樹」があり、拝殿側にある葡萄の房のような花が咲く「八重の藤」は種子をつけない珍しい品種で、茨城県の天然記念物に指定されています。楼門側にあるもう一株の「大藤」は、一重咲きの花穂の長さが1m以上にもなり、例年、5月上旬には濃紫色の美しい花を咲かせています。

笠間稲荷境内の「八重の藤」

私は藤は見れませんでしたが、本瓦型銅板葺き総ケヤキ造りの本殿に施された名匠による彫刻をじっくり見学しました。

午後に訪れた曹洞宗国見山鳳台院は別名「しゃくなげ寺」とも呼ばれていますが、日本一の達磨像があり、境内の五重ノ塔には仏舎利が奉安され、見事な 総欅材の四脚門の山門も残っていて、この山門は笠間市の有形文化財に指定されています。

鳳台院の日本一の達磨像

また、この鳳台院には当時寺子屋があり、益子焼の陶祖と呼ばれる大塚啓三郎が教育を受けたと言われています。

市指定有形文化財の鳳台院山門

笠間焼「製陶ふくだ」の登り窯と日本遺産ストーリー

笠間焼の「製陶ふくだ」には、ペルー共和国との友好親善のシンボル、世界最大の巨大花瓶が立っており、また、「世界のやきもの博物館」も併設されていて、世界60余ケ国のやきものが展示されています。

巨大花瓶と「世界のやきもの博物館」

残念ながら、永年火を灯し続けた登り窯は、東日本大震災により全壊しましたが、2013年7月に復旧され、従来と変わらない炎で笠間焼が造られています。

「製陶ふくだ」の仕法窯

私はこの仕法窯の職人に伝わる「集約された知識を能力に変え、注文には戒心なく己を殺して、他人を満足させ、それを無上の喜びとする」という心得にいたく感銘を受けました。

再建された登り窯

また、登り窯を復活させるだけでなく、お互いの地域の陶芸家が合同で個展を開いたり、一緒に窯焚きを行ったりしている「かさましこ」の連携は、真にすばらしい日本遺産ストーリーだと感じました。なお、笠間には「春風萬里荘(しゅんぷうばんりそう)」と呼ばれる北大路魯山人が住居としていた約300平方メートルの茅葺き民家が、北鎌倉より移築されており、館内には、魯山人手製の家具や愛用の品々が展示されています。

北大路魯山人の「春風萬里荘」

「春風萬里荘(しゅんぷうばんりそう)」には広大な庭園があり、桜、梅、つつじ、もみじ、花菖蒲などをはじめとする多くの草木が生い茂っており、北大路魯山人自らが設計した茶室「夢境庵」では年に1~2回茶会イベントも開催されています。

濱田庄司の民藝運動と益子焼の歴史

明治時代になると笠間と益子それぞれで組合が設立され、笠間焼と益子焼の特約を結んで出荷規格を統一し、連携して製品の融通を図るなど支え合いながら、関東の窯業地として発展しました。そして明治時代から大正時代にかけて、壺、水甕、すり鉢、土鍋などの日用品を製造出荷し、その製品は丈夫で使いやすく、安価であったことから東日本全域にまで販路を大きく拡大しました。

しかし、昭和初期には、それぞれの焼き物に作風の変化が起こります。益子では、手仕事に宿る美を見いだす民藝運動が拡がり、後に人間国宝となる濱田庄司を中心に、芸術性の要素が加わった民藝調の陶器(民藝陶器)が作られるようになり、現在では時代に合った様々な焼き物が作られています。

濱田庄司の旧宅

民藝運動とは、1920年代にスタートした工芸をめぐる文化運動で、白樺派に所属していた思想家の柳宗悦(1889-1961)が主導しました。濱田庄司は、運動が始まるよりも以前から、バーナード・リーチを通して、柳と交流を持っていました。

濱田庄司とバーナード・リーチ

この運動を通して、濱田庄司は私たちが生活のなかで使用する日用的な雑器のうち、とくに「伝統的な手仕事に美術工芸にはない美があること」を主張し、これらを「民芸」と呼び、その美を喧伝しました。

昭和20~30年代になると、民藝運動の拡がりは窯業にとどまらず、染織、木工、金工等の職人たちにも伝わり、職人たちの気取らない素朴ですこやかな心と、伝統に裏打ちされた確かな技術から、新たな作品が次々と生み出されました。

濱田庄司記念益子参考館

益子町にある濱田庄司記念益子参考館は、濱田庄司の自邸の一部と陶芸窯(工房)跡を活用した博物館で、現在も濱田窯に残る茅葺きの長屋門は、1934年に来日したリーチが益子で作陶する際の仕事場として建てたものです。益子参考館を訪れれば、濱田庄司が制作のヒントにと集めたアジア、ヨーロッパ、中南米などの世界各国の陶磁器、木工、漆器など様々な工芸品から民藝のある生活感が私たちを迎え入れてくれます。

濱田庄司が収集した工芸品

益子焼窯元共販センターと現存する益子最古の登り窯

一般的な益子観光で訪れる「益子焼窯元共販センター」は、益子焼の複合ショッピングタウンとなっており、有名作家のギャラリーをはじめ、ろくろや絵付けなどが体験できる陶芸教室、お土産用の益子焼販売店や、地元野菜の直売所、食事処などが立ち並び、また、毎年春と秋には陶器市も開催されています。

益子焼窯元共販センター

現存する益子最古の登り窯と太平洋戦争以前に築窯された古い登り窯で知られる「岩下製陶」では、現在五代目の哲夫氏と後継者である宗晶氏が益子焼の伝統を活かした焼き物作りを継承されています。岩下製陶内に残る2基の登り窯は、東側には岩下製陶2代目の岩下太平が1893年(明治26年)に築いた益子町最古の登り窯・通称「古窯」、西側には1918年(大正7年)に築かれた、現存する中では北関東最大級の登り窯・岩下太平になぞらえた通称「太平窯」が保存公開されています。

町指定有形文化財の登り窯「岩下製陶」

なお、六代目の宗晶氏は、制作過程で欠けてしまった陶器など、日の目を見ずに捨てられてしまった作品を供養する「陶器供養」となる「ともしびのよる」を企画実行するなど、「益子最古の登り窯」を用いた「新しい益子の文化」を開催されていますが、私にはまるで縄文時代の「送り場」儀式のようにを感じます。

岩下製陶に残る「登り窯」

益子におけるもう一つの伝統文化「日下田藍染工房」に伝わる藍染

なお、益子と言えば益子焼以外にもう一つ興味深い文化遺産があります。それは栃木県有形文化財にも指定されている「日下田藍染工房」の藍染で、江戸時代の寛政年間(1789-1801)から続く藍染屋です。かつては庶民の衣料の8割を占めたといわれ、「ジャパン・ブルー」として世界的にも評価された伝統的な藍染、草木染の手法を今に伝えており、茅葺き民家に72もの藍甕が並ぶ様子は圧巻です。

栃木県有形文化財指定「日下田藍染工房」

この鮮やかな藍染の技術は、近年の科学染料の発達により、行われなくなってきています。原料の藍が高価で、技術的にも複雑であることから、滅びゆく運命なのかもしれませんが、私たちの祖先がこよなく愛した美しい色は末永く大切にしたいと感じました。

日本古来の藍染

「かさましこ~兄弟産地が紡ぐ“焼き物語”~」

所在自治体〔茨城県:笠間市 栃木県:益子町〕

東日本屈指の窯業地「かさましこ」(茨城県笠間市と栃木県益子町)は、窯業や統治者によって古代から同じ文化圏でした。

江戸時代に入り別々の道を歩みますが、18世紀後半から再び、製陶を通じてつながり合った地域です。使い勝手のいい日用品を作り続けていたこの地は、存続の危機に陥ると時代に合わせた革新に挑み、多様な作風を許容する産地へと変化しました。

自由でおおらかな環境が創造する者を惹きつけ、今では600名を超える陶芸家が活躍しています。

美意識を追求し美しい生活造形を生み出す「かさましこ」は、訪れる人の五感をも刺激し、暮らしに寄り添う陶文化を醸成しているのです。

旅行読売「日本遺産のミカタ」

一般社団法人日本遺産普及協会と日本遺産検定

私は2023年、「日本遺産ストーリー」を通じて地域の魅力を国内外に発信する目的で、有志とともに一般社団法人日本遺産普及協会を立ち上げました。そして、協会では日本遺産ブランドの普及と日本各地の文化や伝統の普及・活用に資する目的で日本遺産検定を実施しています。
本検定は3級・2級・1級に分かれ、まずは3級(ベーシック)が開始されていますので、「日本遺産」をはじめ「日本文化」「日本史」「地域振興」に関心のある方は、下記の『日本遺産検定3級公式テキスト』(黒田尚嗣編著・一般社団法人日本遺産普及協会監修)を参考に受験していただければ幸です。お問合せ先・お申し込み先:一般社団法人日本遺産普及協会

平成芭蕉メッセージ ~「旅の質」が人生を変える

「小説が書かれ読まれるのは人生がただ一度であることへの抗議」という言葉がありますが、私にとって旅することは、一度限りの人生を最大限に楽しむための創造活動なのです。そして私は、人生を楽しむために必要な「心のときめき」は、「知恵を伴う旅」を通じて得られると考えています。

そこでこの度、私はその知恵を伴う日本遺産や世界遺産の旅を紹介しつつ、平成芭蕉独自の旅の楽しみ方とテーマ旅行に関する企画アイデアノート、さらに著者が松尾芭蕉の旅から学んだ旅行術について紹介した『平成芭蕉の旅指南 人生が変わるオススメの旅 旅の質が人生を決める』と題した本を出版しました。このブログと合わせてご一読いただければ幸です。

私は平成芭蕉、自分の足で自分の五感を使って日本遺産を旅しています。

平成芭蕉同行の旅

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「平成芭蕉同行の旅」では、私が実際にお客様をご案内したツアーの中でも特に印象に残っている旅をご紹介しています。

*「平成芭蕉の旅物語」サイトマップ参照

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