令和の「平成芭蕉」

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平成芭蕉の日本遺産

平成芭蕉の日本遺産~古代からの架け橋「国境の島」遣唐使船最後の寄港地 五島列島

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遣唐使船最後の寄港地であり「亡き人に逢える島」五島の三井楽

仏教における極楽浄土は太陽の沈む西方かなたにあるとされ、日本の最西端に位置する長崎県五島列島福江島の「三井楽(耳楽)」の地は、「あの世」に最も近い場所として道綱母『蜻蛉(かげろふ)日記』で詠んだ歌枕の地でもあります。

みみらくの島

その平安時代の『蜻蛉(かげろふ)日記』には

「ありとだに よそにても見む 名にし負わば われに聞かせよ みみらくの島」

(耳楽の島よ、耳を楽しませてくれる島なら 何処にあるのか聞かせておくれ。早速行って亡き母がいるならせめて遠くからでもお会いしたいものよ)

という歌が詠まれており、福江島の三井楽は、西方浄土との境で「亡き人に逢える島」「此岸と彼岸の交わる場所」とされていました。

そしてこの三井楽の柏崎は、また遣唐使船の最終寄港地として利用されていた港でもあります。唐に渡った空海(弘法大師)も命を賭してこの日本最後の地を去ったことから「辞本涯」(本涯とは日本の果ての意)という碑が建っています。

三井楽の「辞本涯」の碑

630年から838年にかけて派遣された遣唐使船は当初、壱岐・対馬を通り、朝鮮半島を経て中国大陸に渡っていましたが、新羅との外交関係が悪化すると、五島から東シナ海を横断し中国大陸に入るようになったのです。

そのため遣唐使たちは遣唐使船の最後の寄港地であった五島で航海の安全を祈り、決死の覚悟で旅立ちました。岐宿町白石に残る「ともづな石」は、遣唐船が食料補給や風待ちをするために立ち寄った際、とも綱を結わえた石といわれています。現在では地元の人が唐使たちの命をかけた偉業を讃え、小さな祠を建てて豊漁、海上安全の神としてこの石を祀っています。

白石の「ともづな石」

804年の第16次遣唐使船に乗っていた空海・最澄も五島から大陸に渡りましたが、その遣唐使や空海・最澄ゆかりの地は五島列島各地にあり、壱岐・対馬とともに古代からの架け橋「国境の島」としてその物語は日本遺産に認定されています。

遣唐使船

これらの「国境の島」に残る史跡や文化財で構成される物語は、朝鮮半島や中国大陸との交流や交易によって作られた特有の文化が伝わり、特に五島では奈良・平安時代に大海原へ漕ぎだした遣唐使たちに想いを馳せることができます。

そこで私は遣唐使たちが最後に見た五島の風景を体感し、日本遺産「国境の島」のストーリーに想いを馳せるべく、五島家第35代の五島典昭当主に福江島を案内していただきました。徒然草第52段「仁和寺にある法師」の「すこしのことにも先達はあらまほしき事なり」と書かれているように、日本遺産のようなストーリーを理解するには適切な指南書またはガイドが必要なのです。

五島家35代五島典昭当主

五島家35代五島典昭当主

三井楽(みいらく)にある道の駅「ふるさと物産館」では、名物の五島うどん、椿油や芋・むぎ焼酎など、五島の島々の逸品をそろえているだけでなく、「万葉シアター」と呼ばれる「遣唐使」と「万葉」をテーマにした展示施設があり、三井楽オリジナルの人形アニメーション映像も見ることができます。

五島に残る弘法大師、空海の足跡

「辞本涯」の言葉を残した空海は、五島を出港した後、苦難の末、赤岸鎮に漂着、福州を経由して長安に赴きました。そして長安に着いた空海は、金剛頂経、大日経という2系統の密教を統合した第一人者のインド僧の恵果に師事し、胎蔵界・金剛界・伝法など密教のすべてを教わり、灌頂(かんじょう)を受け、正式な継承者となったのです。

明星院

そして唐より帰国した際にもこの福江島の寺に立ち寄り、明星の奇光を拝して、「自分が修めた密教が国家や民衆のために役立つ」と仏より示されたと歓び、その寺の名前を「明星院」と命名しました。

現在、この明星院は高野山真言宗に属し、「五島88か所島へんろ」の第一番札所になっており、五島家の祈願寺でもあります。密教という難しい教義も空海の次の名言で私たちにもわかりやすく理解できます。

 修行して悟りを得ようとする人は 心の本源を悟ることが必要である

 心の本源とは清らかできれいな明るい心である

 周りの環境は心の状態によって変わる 心が暗いと何を見ても楽しくない

 静かで落ち着いた環境にいれば、 心も自然と穏やかになる

五島での空海の軌跡を訪ねる「五島88か所島遍路」を巡ると、四国のお遍路とはまた異なる体験が得られるようです。

私は五島当主に夕陽の名所大瀬崎灯台にも案内していただきましたが、自然豊かな島の大瀬崎断崖にたたずみ、海のかなたに日本で最後に沈む黄金色の夕日を眺めていると、弘法大師の教えの通り、心も穏やかに、また素直な気持ちになれたような気がしました。

夕陽の沈む大瀬崎灯台

最澄ゆかりの上五島「山王山」と遣唐使船の「ともじり石」

五島市の福江島から高速艇で上五島町若松島に渡って、最初に訪れたのは日島曲古墓群(ひのしままがりこぼぐん)でした。これは中世から近世にかけての古墓群で多くの石塔が並ぶ風景は圧巻で、関西方面の御影石や福井県の若狭方面の日引石など島外から持ち込まれた石材が多く使われており、これは船のバラスト(重し)であったと言われています。

日島曲古墓群

上五島には最澄ゆかりの山王山があり、最澄はこの山王山に遣唐使の航海安全を祈願し、帰国後は入唐成就のお礼詣で訪れ、比叡山延暦寺の守護神・山王権現を祭祀したと言われています。

山麓の荒川集落に一之宮、八合目付近に二ノ宮、山頂に三之宮が祀られており、三之宮後方には展望所があって360度のパノラマを楽しむことができますが、新上五島町青方郷に鎮座する青方神社は古名を山王宮と称し、山王山の遥拝所でした。

上五島の青方神社

また、相河は、中世期には鮎河(あゆかわ)と呼ばれる遣唐使船の風待ち港で、福江島の白石の「ともづな石」同様、遣唐使船が係留した時の綱をとった「ともじり石」が大切に保存され、石祠が祀られています。 

ともじり石と祠

宝亀7年(776)、大使佐伯今毛人率いる第14次遣唐使船が相河に寄港し1ヶ月以上風待ちしましたが、一向に追い風が吹かず、大津(博多)に引き返すとの記録があり、その折、船を係留した石とされています。

五島、上五島はこれらの日本遺産ストーリーだけでなく、世界遺産の「潜伏キリシタン教会群」でも知られていますが、この世界遺産でも教会堂という建物ではなく、集落や集落跡が登録対象となっている点に注意すべきです。

世界遺産の旧五輪教会

教会堂は長い潜伏期間を乗り越え、どんなに過酷な迫害に遭っても、決してその信仰を捨てなかった信者たちが渇望した「神の家」であり、本当の世界遺産の価値は、厳しい生活の中から少しづつ資金を捻出し、自分たちの生活よりも神の家を建てることを優先した信徒たちの魂にあることを知っていただきたいと思います。

そして世界遺産登録で観光地化が進んでも、紺碧の雄大な東シナ海の平穏と共に、この五島列島の美しい景観が未来永劫損なわれないことと「国境の島」としての歴史が語り継がれることを祈念します。

国境の島 壱岐・対馬・五島 ~古代からの架け橋~

所在自治体〔長崎県:壱岐市、対馬市、五島市、上五島町〕

日本本土と大陸の中間に位置することから、長崎県の島は、古代よりこれらを結ぶ海上交通の要衝であり、交易・交流の拠点であった。

特に朝鮮との関わりは深く、壱岐は弥生時代、海上交易で王都を築き、対馬は中世以降、朝鮮との貿易と外交実務を独占し、中継貿易の拠点や迎賓地として栄えた。

その後、中継地の役割は希薄になったが、古代住居跡や城跡、庭園等は当時の興隆を物語り、焼酎や麺類等の特産品、民俗行事等にも交流の痕跡が窺える。

国境の島ならではの融和と衝突を繰り返しながらも、連綿と交流が続くこれらの島は、国と国、民と民の深い絆が感じられる稀有な地域である。

一般社団法人日本遺産普及協会と日本遺産検定

私は2023年、「日本遺産ストーリー」を通じて地域の魅力を国内外に発信する目的で、有志とともに一般社団法人日本遺産普及協会を立ち上げました。そして、協会では日本遺産ブランドの普及と日本各地の文化や伝統の普及・活用に資する目的で日本遺産検定を実施しています。
本検定は3級・2級・1級に分かれ、まずは3級(ベーシック)が開始されていますので、「日本遺産」をはじめ「日本文化」「日本史」「地域振興」に関心のある方は、下記の『日本遺産検定3級公式テキスト』(黒田尚嗣編著・一般社団法人日本遺産普及協会監修)を参考に受験していただければ幸です。お問合せ先・お申し込み先:一般社団法人日本遺産普及協会

平成芭蕉メッセージ ~「旅の質」が人生を変える

「小説が書かれ読まれるのは人生がただ一度であることへの抗議」という言葉がありますが、私にとって旅することは、一度限りの人生を最大限に楽しむための創造活動なのです。そして私は、人生を楽しむために必要な「心のときめき」は、「知恵を伴う旅」を通じて得られると考えています。

そこでこの度、私はその知恵を伴う日本遺産や世界遺産の旅を紹介しつつ、平成芭蕉独自の旅の楽しみ方とテーマ旅行に関する企画アイデアノート、さらに著者が松尾芭蕉の旅から学んだ旅行術について紹介した『平成芭蕉の旅指南 人生が変わるオススメの旅 旅の質が人生を決める』と題した本を出版しました。このブログと合わせてご一読いただければ幸です。

私は平成芭蕉、自分の足で自分の五感を使って日本遺産を旅しています。

平成芭蕉の日本遺産

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この「平成芭蕉の日本遺産」は、単なる日本遺産登録地の紹介や旅情報の提供ではなく、「平成芭蕉」を自称する私が、実際に現地を訪れて、地元の人と交流し、私が感じたことや認定されたストーリー対する私自身の所見を述べた記録です。

「令和の旅」へ挑む平成芭蕉

*「平成芭蕉の旅物語」サイトマップ参照

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