日本遺産の地を旅する—黄金の国ジパング、産金はじまりの地をたどる−
「わが国産金の聖地」とされる黄金山産金遺跡
現在、文化庁が認定する日本遺産は全国に104ヶ所ありますが、その中でも最も輝かしい物語の1つは「黄金の国ジパング」を冠した宮城県・岩手県の日本遺産“みちのくGOLD浪漫”でしょう。
2023年夏、私は奈良時代に日本で初めて金が発見された宮城県涌谷町の教育委員会生涯学習課の学芸員である福山様と地域おこし協力隊の樋下様のお招きで、この日本遺産の主要な構成文化財を巡る機会を得ました。
平泉町の中尊寺金色堂から始まり、陸前高田市の「旧吉田住宅主屋」復旧現場と玉山金山遺跡、そして気仙沼市の鹿折(ししおり)金山資料館や大谷(おおや)鉱山跡を見学後、「南三陸ホテル観洋」に宿泊、女将さんの興味深いお話をお伺いして、2日目には石巻市の金華山遥拝地と島周の宿「さか井」、そして涌谷町の「わが国産金の聖地」とされる黄金山産金遺跡と天平ろまん館を訪ねました。
一粒の砂金から始まった日本の“金”の原点を体感することができる聖地、それが黄金山産金遺跡で、遺跡は涌谷町の狭隘な谷間にある延喜式内社黄金山神社一帯にあります。
天平21年(749)、東大寺の盧舎那大仏造営にあたって、仏身に塗る金が不足し憂慮していた時、陸奥守百済王敬福が黄金900両(13.5kg)を献じ、その金を用いて大仏は完成されました。これを喜んだ聖武天皇は、年号を天平感宝と改めるなど、国家的慶事として種々の施策を発表したのです。神社の境内には初出を礼賛した大伴家持の万葉歌碑が建ち、みちのくと遥か奈良の都が“金”で結ばれたことを伝えています。
涌谷町の黄金山神社の境内には、最北の万葉歌であり、初出を礼賛した大伴家持の歌碑「天皇(すめろき)の御代栄えむと東(あずま)なる陸奥(みちのく)山に金(くがね)花咲く」が建てられていますが、辺境扱いされていた陸奥がこの地で金が見つかったことから、朝廷にとって宝の産地となりました。
理想郷を厳かな光を放つ「金」で表現、平泉の金色堂
「金」と言えば、最近では佐渡金山が話題となりますが、歴史的にはやはり国家事業であった東大寺大仏を完成へと導いた宮城県涌谷町の「天平産金」に加えて奥州藤原氏が理想郷を金によって具現化した平泉「金色堂」も忘れてはいけないでしょう。
みちのくの“金”。その眩さは、「金色堂」の仏堂全面を覆う金箔だけでなく、須弥壇に使われた外国産の紫檀や象牙、夜光貝を用いた螺鈿、透かし彫りの金具や漆の蒔絵細工からも感じられます。造営主である奥州藤原氏は、財力を誇示するためではなく、争いのない平和で平等な世を願う理想郷を厳かな光を放つ「金」で表現したと言われています。
そこで、奥州藤原氏は“金“の供給地である北上山地や沿岸部の産金地を大切にしたとされ、気仙沼市と南三陸町にまたがり、産金地を一望できる霊峰「田束山」には奥州藤原氏ゆかりの寺院跡や経塚群が残っています。
光り輝く金は、貨幣や装飾品として価値を持つだけでなく、人々を魅了し続けて歴史をも変えてきました。東北を平定し、金の文化を開花させたのは奥州藤原氏ですが、私は理想郷を金で表現したところに「みちのく浪漫」を感じました。残念ながら、その藤原氏も源頼朝に滅ぼされますが、金で栄えて金で滅ぶも、平泉が戦場とならなかったことは幸いです。
玉山金山と日本のゴールドラッシュの一翼を担った近代鉱山
私は金売吉次が活躍した玉山金山、日本のゴールドラッシュの一翼を担った、モンスターゴールドで知られる鹿折(ししおり)金山、そして海岸部に近い大谷(おおや)鉱山を見学し、金山の栄枯盛衰を感じましたが、この「みちのくGOLD浪漫」のストーリーは、金の輝きは不滅で、その光は人の心の中に生き続けることを教えてくれます。
なお、金売吉次とは玉山金山を本拠に、東北地方の黄金と京の物品とを交易して長者になったといわれる人物で、源義経を奥州の藤原秀衡のもとまで送り届け、源氏興隆の有力な援助者となったと言われています。
伊達政宗が金山奉行を置いて直接開発した岩手県陸前高田市の「玉山金山遺跡」は、花崗岩を基盤とする氷上山の西麓に位置し、膨大な量の“金”と仏像の玉眼にも使われた良質な水晶が産出しています。山頂までの道々には「精錬所跡」や最盛期の坑道口「千人坑」が残り、頂上には金山の守り神として祀られた「玉山神社」が鎮座しています。
宮城県気仙沼市の「鹿折(ししおり)金山」では1904(明治37)年、日本最大の自然金“モンスターゴールド”を産出し、同年開催の米国セントルイス万国博覧会に出品されて世界に衝撃を与えました。平成24年10月にリニューアルオープンした鹿折金山資料館では、この巨大な金塊の写真のほか、当時の金鉱石、工具、文献などを展示、金山の歴史の一端を紹介しています。
海岸部に近い丘陵地にそびえる「大谷鉱山」も鹿折金山とともにゴールドラッシュを担い、1935(昭和10)年頃の最盛期には年間約1tもの“金”を産出、巨大精錬所は不夜城と化し、約1,300人の従業員のため映画館・幼稚園まで備えた一大鉱山町が形成されていました。
閉山後は廃墟のようになっていますが、麓の大谷鉱山資料館に残された採掘工具である磨り減ったタガネは、狭い坑道の中、経験と勘を頼りに岩盤を掘り進めた鉱夫たちの“金”への憧れや鉱山の賑わいを今に伝え、色褪せることのない金の魅力を感じさせてくれます。
今回は行けませんでしたが、近い将来、私は「お参りすれば一生お金に困らない」と言われる、牡鹿半島東端に浮かぶ「黄金の神が坐す祈りの島」金華山の黄金山神社に船で参拝したいと思いました。
みちのくGOLD浪漫—黄金の国ジパング、産金はじまりの地をたどる−
所在自治体〔宮城県:気仙沼市、南三陸町、涌谷町、石巻市 岩手県:平泉町、陸前高田市〕
日本で初めて“金”が産出されたのは奈良時代の陸奥国。
現在の岩手県や宮城県を含み「みちのく」とも呼ばれるこの地が生んだ“金”は富の象徴のみならず、奈良・東大寺の大仏や平泉・中尊寺金色堂を彩り、祈りの対象として人々の心に光を灯し続けてきました。
私たちは、時代とともに幾重にも結び付き、独自の文化や信仰、産業へと昇華した“金”と人々の縁を“みちのくGOLD”と名付け、
価値や魅力の掘り起しを始めました。
日々の生活や風土に溶け込んだ“みちのくGOLD”との出会いは、悠久の時を経ても色褪せることのない浪漫に満ち溢れています。
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一般社団法人日本遺産普及協会と日本遺産検定
私は2023年、「日本遺産ストーリー」を通じて地域の魅力を国内外に発信する目的で、有志とともに一般社団法人日本遺産普及協会を立ち上げました。そして、協会では日本遺産ブランドの普及と日本各地の文化や伝統の普及・活用に資する目的で日本遺産検定を実施しています。
本検定は3級・2級・1級に分かれ、まずは3級(ベーシック)が開始されていますので、「日本遺産」をはじめ「日本文化」「日本史」「地域振興」に関心のある方は、下記の『日本遺産検定3級公式テキスト』(黒田尚嗣編著・一般社団法人日本遺産普及協会監修)を参考に受験していただければ幸です。お問合せ先・お申し込み先:一般社団法人日本遺産普及協会
平成芭蕉メッセージ ~「旅の質」が人生を変える
「小説が書かれ読まれるのは人生がただ一度であることへの抗議」という言葉がありますが、私にとって旅することは、一度限りの人生を最大限に楽しむための創造活動なのです。そして私は、人生を楽しむために必要な「心のときめき」は、「知恵を伴う旅」を通じて得られると考えています。
そこでこの度、私はその知恵を伴う日本遺産や世界遺産の旅を紹介しつつ、平成芭蕉独自の旅の楽しみ方とテーマ旅行に関する企画アイデアノート、さらに著者が松尾芭蕉の旅から学んだ旅行術について紹介した『平成芭蕉の旅指南 人生が変わるオススメの旅 旅の質が人生を決める』と題した本を出版しました。このブログと合わせてご一読いただければ幸です。
私は平成芭蕉、自分の足で自分の五感を使って日本遺産を旅しています。
この「平成芭蕉の日本遺産」は、単なる日本遺産登録地の紹介や旅情報の提供ではなく、「平成芭蕉」を自称する私が、実際に現地を訪れて、地元の人と交流し、私が感じたことや認定されたストーリー対する私自身の所見を述べた記録です。