令和の「平成芭蕉」

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平成芭蕉の日本遺産

平成芭蕉の日本遺産 岡山県「 桃太郎伝説~古代吉備の遺産が誘う鬼退治の物語」

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日本遺産の地を旅する 岡山県の日本遺産「桃太郎伝説」

日本遺産の旅とは?

平成27年よりスタートした「日本遺産」は、日本各地に存在する有形無形の文化財を、その地域の歴史的魅力やわが国の伝統・文化を伝えるストーリー、すなわち「物語」として文化庁が認定する制度です。

しかし「物語」にはそれを語る人、聴く人あるいは読む人の心があって、それぞれの想いがその物語の土地に繋がってこそ「物語」は旅となります。

また「物語」はたとえそれがフィクションであっても設定された舞台が「桃太郎伝説」のように実際に存在する場合も多く、その舞台を訪れて主人公の気持ちに思いを馳せるのが日本遺産「物語」の旅です。

岡山の日本遺産「桃太郎伝説」

日本人であれば誰もが知っている「桃太郎」物語も平成30年に“「桃太郎伝説」の生まれたまち おかやま~古代吉備の遺産が誘う鬼退治の物語~”(岡山、倉敷、総社、赤磐の4市)として日本遺産に認定されました。

岡山駅前の桃太郎像

岡山駅前の桃太郎像

桃太郎伝説は鬼ヶ島のモデルとされる香川県の女木島(めぎじま)や愛知県犬山市の桃太郎神社など、全国各地にありますが、やはり一番は岡山かと思います。そこで私はこの岡山の桃太郎伝説をテーマとしたモニターツアーにナビゲーターとして同行してきました。

この岡山の日本遺産は桃太郎伝説中の鬼とされる温羅(うら)の居城であった巨大山城「鬼城山」(鬼ノ城=総社市)、桃太郎を意味する吉備津彦命(きびつひこのみこと)が温羅との戦で築いたとされる墳丘墓「楯築遺跡」(倉敷市)、吉備津彦命をまつる「吉備津神社」「吉備津彦神社」(岡山市北区)、そして吉備の勢力を誇示する巨大前方後円墳の「造山古墳」「牟佐大塚古墳」(岡山市北区)、「両宮山古墳」(赤磐市)など27の文化財からなるストーリーです。

古代の吉備と大和朝廷

古代の吉備は、大和朝廷に匹敵する勢力を誇るも、最終的には大和に屈服したことが『日本書紀』『古事記』に記載があり、この吉備津彦命と温羅との戦いは、実は大和と吉備の対立を反映したものと考えられています。

楯築遺跡

楯築遺跡

この吉備勢力の強大さを物語るのは、かつての王たちの墳墓であり、温羅伝説にも登場する約1800年前に築かれた楯築遺跡は、同時期の墓としては日本最大級です。

これに続く時期の鯉喰神社一帯の墓も巨大で、埋葬の祭りに使用された円筒形土器は、この地方で使われ始め、後の埴輪の原型になりました。

さらに、5世紀代の造山古墳・作山古墳・両宮山古墳は、大和の天皇陵古墳に匹敵する規模を誇り、いかに吉備王国が強大で、大和政権にとって脅威であったかを示しています。

吉備津彦神社と温羅

温羅退治の拠点、吉備津彦命の御陵がある吉備の中山の東麓には吉備津彦神社があり、勝利した吉備津彦が祀られています。

吉備津彦命の御陵

吉備津彦命の御陵

また、境内には温羅神社もあり、百済渡来の皇子とも言われる温羅を製鉄や稲作などを伝えた恩人として祀っています。

岡山の桃太郎伝説では、「鬼」とは異質な存在の総称とされ、善悪の対立という観点からではなく、多様性を受け入れて活かしあうことが「宝」だとしています。

「温羅」を祀った温羅神社

「温羅」を祀った温羅神社

吉備津神社と鳴釜神事

一方、西麓の吉備津神社は、民を苦しめる温羅を大和朝廷の四道将軍の一人、吉備津彦命が退治して、吉備の国を平定した逸話を伝承しており、国宝の本殿・拝殿に架かる扁額「平賊安民」が伝説を物語っています。

吉備津神社の鳴釜神事

吉備津神社の鳴釜神事

お互いが矢を放つ激戦の末、吉備津彦命は温羅を打ち取って首をはねました。

しかし、御竃殿の下に埋めても、うなり声を上げ続ける温羅は吉備津彦命の夢に現れて「俺は鬼などではないぞ」と言い、「妻の阿曽女(あぞめ)に御竃殿の釜炊きを任せよ。さすれば釜の音を鳴らし、吉凶禍福を占おう」と告げました。

これが吉備津神社の釜が鳴動する「鳴釜神事」の由来です。

大きな鉄製の釜に載せられたセイロに、巫女姿の阿曽女が玄米を振り入れて、釜が大きく豊かに鳴れば吉、鳴らない時は凶です。

御竃殿の天井や壁が真っ黒なのは、この神事が連綿と続いてきた証です。

古代の吉備国の繁栄と屈服の歴史を背景とし、桃太郎伝説の原型となったとされる温羅の鬼退治伝説は、日本遺産に認定されたこともあり、訪れる人々を神秘的な物語へと誘ってくれます。

一般に伝わる桃太郎伝説

標準的な桃太郎伝説は、日本のおとぎ話の代表で、桃の実から生まれた男子「桃太郎」がお爺さんとお婆さんからきび団子をもらって、道中で出会ったイヌ、サル、キジを従えて、鬼ヶ島へ鬼退治に行き、鬼の財宝を持ち帰り、郷里に凱旋する物語です。

桃太郎伝説の「鬼ノ城」

標準的な桃太郎伝説の教訓

この物語の教訓は、ひとりで何もかもこなすのは大変ですが、苦手な事は、それぞれの分野の得意な人にお願いをすればいいという事です。

何でも出来る万能な仲間を探すのは難しいですが、特性をもった仲間を集めて、それぞれの力を生かす場所を作れば、それぞれが才能を発揮することが出来ます。

イヌは、忠誠心の象徴で、主人に忠実、吠えて相手を威嚇して、かみつく事ができます。

キジは空を飛ぶことができて、違う角度から、相手を攻撃することができます。

サルは頭が良く、手を器用に使い、ひっかく事ができるのです。

仕事でも、すべての事を万能にこなせる人はなかなかいませんが、それぞれが、自分の得意な事をする人達が集まれば、万能な組織になるのです。

桃太郎伝説の吉備津神社

桃太郎伝説の吉備津神社

風水における「鬼」

鬼は、風水では丑と寅の間の方角(北東)である「鬼門」からやって来ると考えられていることから、敵役である鬼が牛のような角を生やし、虎の腰巻きを履いているのも、風水の思想によるという説があります。 

そして桃太郎は「鬼門」の鬼に対抗して、「裏鬼門」に位置する十二支(十二支は方角も表す)の動物(申(サル)、酉(トリ=キジ)、戌(イヌ))を率いた、とも言われています。

桃太郎の「桃」は邪気払い

桃太郎の名の由来となった桃は、古来より魔よけの道具として使われ、吉備は、晴天の多い温暖な気候に恵まれ、古くから桃が栽培されてきた土地柄です。

桃太郎が犬、猿、雉を従えるために与えた「きびだんご」の原料の黍(きび)は、吉備の地名に由来するといわれ、今では岡山土産の代表ですが、桃には次のような話があります。

・桃の木は中国では「仙木」と呼ばれ、邪気を払う力があるとされてきました。

 桃の木の上には番人がいて悪い鬼を取り締まっているという話もあり、鬼門の方角に植えると魔除け
 のご利益があるとされ、岡山城の屋根にも桃の形をした瓦が置かれています。

・ひな祭りが桃の節句と呼ばれ、ひな壇に桃の木を飾るのは、桃の木にはたくさんの実ができることか
 ら、「子宝に恵まれる」という意味で、女の子の健やかな成長を願っているのです。

・桃の種の核に含まれる「トウジン」は、生薬として婦人病を治す効果に加えて、血流を良くしたり、
 むくみや咳止めの効能もあって、体の中の悪いものを取り除く作用があるとされています。

 すなわち、桃は果実や木だけでなく、種も魔除けになるという最強の魔除け植物です。

・桃の木は『古事記』の日本神話「黄泉の国」にも登場します。

 黄泉の国で変わり果てたイザナミを見たイザナギが、そこにあった桃の実を3つ取って追ってきた雷
 神たちに投げつけたところ、桃の実の魔力で雷神たちは退散したのです。

 そこで、イザナギはこの功績に対して「私を助けてくれたように、人々が苦しんだりするときは助け
 るように」と言って、桃に「オオカミヅミノミコト(大神実命)」という名前を授けたのです。

桃茂実苑観光農園の桃

桃茂実苑観光農園の桃

私たちは「桃太郎伝説」を通じて桃の効能を知ると同時に神話の世界も学べるのです。

「桃太郎伝説」の生まれたまち おかやま~古代吉備の遺産が誘う鬼退治の物語~

所在自治体〔岡山県:岡山市、倉敷市、総社市、赤磐市

いにしえに吉備と呼ばれた岡山。

この地には鬼ノ城と呼ばれる古代山城や巨大墓に立ち並ぶ巨石などの遺跡が現存する。

これら遺跡の特徴から吉備津彦命が温羅と呼ばれた鬼を退治する伝説の舞台となった。

絶壁にそびえる古代山城は、その名の通り温羅の居城とされ、巨石は命の楯となった。

勝利した命は巨大神殿に祀られ、敗れた温羅の首はその側に埋められた。

鬼退治伝説は、古代吉備の繁栄と屈服の歴史を背景とし、桃太郎伝説の原型になったとされ、吉備の多様な遺産は今も訪れる人々を神秘的な物語へと誘ってくれる。

桃太郎伝説モニュメント

桃太郎伝説モニュメント

一般社団法人日本遺産普及協会と日本遺産検定

私は2023年、「日本遺産ストーリー」を通じて地域の魅力を国内外に発信する目的で、有志とともに一般社団法人日本遺産普及協会を立ち上げました。そして、協会では日本遺産ブランドの普及と日本各地の文化や伝統の普及・活用に資する目的で日本遺産検定を実施しています。
本検定は3級・2級・1級に分かれ、まずは3級(ベーシック)が開始されていますので、「日本遺産」をはじめ「日本文化」「日本史」「地域振興」に関心のある方は、下記の『日本遺産検定3級公式テキスト』(黒田尚嗣編著・一般社団法人日本遺産普及協会監修)を参考に受験していただければ幸です。お問合せ先・お申し込み先:一般社団法人日本遺産普及協会

平成芭蕉メッセージ ~「旅の質」が人生を変える

「小説が書かれ読まれるのは人生がただ一度であることへの抗議」という言葉がありますが、私にとって旅することは、一度限りの人生を最大限に楽しむための創造活動なのです。そして私は、人生を楽しむために必要な「心のときめき」は、「知恵を伴う旅」を通じて得られると考えています。

そこでこの度、私はその知恵を伴う日本遺産や世界遺産の旅を紹介しつつ、平成芭蕉独自の旅の楽しみ方とテーマ旅行に関する企画アイデアノート、さらに著者が松尾芭蕉の旅から学んだ旅行術について紹介した『平成芭蕉の旅指南 人生が変わるオススメの旅 旅の質が人生を決める』と題した本を出版しました。このブログと合わせてご一読いただければ幸です。

私は平成芭蕉、自分の足で自分の五感を使って日本遺産を旅しています。

平成芭蕉の日本遺産

平成芭蕉の日本遺産

この「平成芭蕉の日本遺産」は、単なる日本遺産登録地の紹介や旅情報の提供ではなく、「平成芭蕉」を自称する私が、実際に現地を訪れて、地元の人と交流し、私が感じたことや認定されたストーリー対する私自身の所見を述べた記録です。

「令和の旅」へ挑む平成芭蕉

*「平成芭蕉の旅物語」サイトマップ参照

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