オーストリアの世界遺産 ハプスブルク帝国の都ウィーン歴史地区 | 【黒田尚嗣】芭蕉さんの旅講座

令和の「平成芭蕉」

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平成芭蕉の世界遺産

オーストリアの世界遺産 ハプスブルク帝国の都ウィーン歴史地区

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私は平成芭蕉、自分の足で自分の五感を使って世界遺産を旅しています。

平成芭蕉の世界遺産

平成芭蕉の世界遺産

世界遺産とは地球の成り立ちと人類の歴史によって生み出された全人類が共有すべき宝物で、その内容によって①文化遺産②自然遺産③複合遺産に分類されます。この「平成芭蕉の世界遺産」はその世界遺産についての単なる解説ではなく、私が実際に現地に赴いてその土地に生きる人たちと交流した際に感じた感動の記録です。

ハプスブルク帝国の歴史ある「音楽の都」ウィーン

新しい令和の時代を迎えて、世の中の変化が一層早く感じられるようになりました。
しかし、世界の歴史は破壊と創造という「変化」の歴史であり、そもそも人類は環境の変化に適応してきたおかげで今日まで生き残っているのです。

そこで今回は破壊と創造を繰り返して、変わることで美しい街となったハプスブルク帝国の都、ウィーン歴史地区をご紹介します。
オーストリアの首都ウィーンは、古代ローマ時代からの歴史があり、その旧市街には様々な時代に建てられた変化に富む建築様式の建造物群が現存しています。
特にウィーンの街のシンボルで、市民から「シュテッフル」の愛称で親しまれている聖シュテファン大聖堂は、12世紀半ばにロマネスク様式の教会として建設されましたが、13世紀から14世紀にかけてはハプスブルク家のルドルフ4世の命により、主要部分がゴシック様式に建て替えられた建造物です。

シュテファン大聖堂のハプスブルク家紋章

シュテファン大聖堂のハプスブルク家紋章

この街はこの建築公と称されたルドルフ4世の時代からハプスブルク家と共に発展を遂げ、17世紀末にはオスマン帝国に包囲を受けるもこれを撃退し、王宮ホーフブルク宮殿に加え、離宮シェーンブルン宮殿が郊外に造営され、これが18世紀末から現在に至る「音楽の都ウィーン」の礎となったのです。

ホーフブルク宮殿

ホーフブルク宮殿

ハイドン・モーツァルト・ベートーヴェンといった「ウィーン古典派」の3大巨匠をはじめ、シューベルトやワーグナーなど、名だたる音楽家たちが暮らしていた街で、現在も、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団やウィーン交響楽団といった世界的に著名な楽団が活動しており、年間を通じてコンサートやオペラなどが気軽に楽しめます。

リング通りに面したウイーン国立歌劇場

リング通りに面したウイーン国立歌劇場

破壊と創造の都市開発で変化したウィーン

しかし、今日のウィーン市街の外観は19世紀、ハプスブルク家最後の皇帝フランツ・ヨーゼフ1世が自ら立案した前代未聞の大規模な都市改造によって出来上がりました。
治安維持と雇用人口を増やす目的で、城塞都市であったウィーンの城壁を撤去し、新たな都市開発を進め、「リンク・シュトラーセ」と呼ばれる環状道路を設置し、このリング通り沿いに「音楽の都ウィーン」を象徴するウィーン国立歌劇場や古代ギリシャ神殿様式の国会議事堂などを建てたのです。
国会議事堂の正面右側には女神パラス・アテネの像が存在感を放っており、古代ギリシャの賢人たちの彫刻が並んでいるので、外観を見るだけだと、国会議事堂だとは気づかないほどの美しさです。

ウィーンの国会議事堂

ウィーンの国会議事堂

すなわち、ウィーン歴史地区の世界遺産はこの19世紀の都市大改革の遺産なのですが、今日、ヴェルベデーレ宮殿の近くに新たな高層建築物計画が進行中のため、2017年には「危機にさらされている世界遺産」に登録されてしまいました。

ヴェルベデーレ宮殿

ヴェルベデーレ宮殿

これはホーフブルク宮殿向かいに建つモダン様式のロースハウスが、当時、「眉のない建物」と呼ばれ、華やかな街にそぐわないと不評を買ったのと同様で、「変化」する街でも新しいスタイルの建造物と歴史的建造物の融合の難しさを物語っています。

モダン様式を代表するロースハウス

モダン様式を代表するロースハウス

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