ディオクレティアヌス宮殿跡に誕生したスプリト
2018年、私はクロアチアを中心にバルカン半島に点在する世界遺産巡りをしてきました。
そこで、今も印象に残っているダルマチア地方に位置し、アドリア海沿岸最大の港町で世界遺産認定されているスプリトについてご紹介したいと思います。
この町は「四分統治」などの帝政改革で知られる3世紀のローマ皇帝ディオクレティアヌス帝が余生を過ごした宮殿がそのまま旧市街になったという珍しい起源をもち、古代ローマや中世の街並みに現代が交錯するという特殊性から世界遺産に登録されています。
スプリト近郊の町で生まれたディオクレティアヌス帝は、305年に退位した後、住まいとなる宮殿を生まれ故郷に近いスプリトに建設し、この地で余生を送ったのです。
ディオクレティアヌス宮殿への主な入り口は東西南北に4つあり、それぞれ「銀の門」「金の門」「青銅の門」「鉄の門」と呼ばれています。そして宮殿の内部も四つの区画に分けられていて、南半分が皇帝のエリア、中央に中庭とそれに面した霊廟と神殿、さらに南が「皇帝の住居」として使われていました。
しかし、皇帝の宮殿であったスプリトもローマ帝国滅亡後は異民族が入り込み、宮殿の基礎部分はそのままに皇帝の邸宅や墓などの地上の建物は取り壊され、その上から建物を増築しながら町を築いていったために古代ローマ時代と中世の建物が絡みあう独自の街並みとなっています。
すなわち、スプリトの人々は宮殿を大胆にも改装し、自分たちの町に作り替えてしまったのです。
興味深いのは、キリスト教徒を迫害していた皇帝の霊廟がキリスト教の大聖堂として造りかえられ、その結果、皇帝は死してクリスチャンを見守らざるを得なくなってしまっている点です。
また、このディオクレティアヌス宮殿には「地下宮殿」と呼ばれる広大なスペースがあり、かつてはワインやオリーブオイル作りの作業場や、倉庫として利用されていました。
現在では土産物店が並び、その奥にはローマ時代の水道管や机、皇帝の胸像、中世に使われたオリーブの圧搾機などが展示されています。ここは地中に埋もれていたために保存状態がとても良く、ローマ時代の様子を現代に伝える貴重な遺産です。
ヴェネツィア人の進出とオスマン・トルコ侵入への備え
しかし、ローマ帝国滅亡後、このスプリトの街の拡大に大きな影響を与えたのはクロアチア人ではなく、海洋都市国家として地中海を支配したヴェネツィア人でした。
アドリア海の北にあるヴェネツィアの商船は、航海の初めと終わりには必ずこのクロアチア沿岸を通るため、11世紀初頭からこの沿岸部をめぐってハンガリーと争っていたのです。
そして15世紀初頭にハンガリー王国で内紛が起きると、ヴェネツィアはその機に乗じてスプリトを含むダルマチア地方の全支配権をハンガリーから奪ってしまったのです。
ヴェネツィアはこの沿岸部を生かさず殺さずの形で自国のために利用し、地場産業であった塩の交易権を押さえ、さらには製油業や絹織物工業などが成長し過ぎないようにとオリーブや桑などの木々をなぎ倒したと伝えられています。
そしてヴェネツィア時代になると拡大した町を取り囲むようにして新しい城壁が建てられ、オスマン・トルコの侵入に備えたのです。
オスマン・トルコの影響とキリスト教会
15世紀にはバルカンほぼ全域がオスマン・トルコの支配下におかれますが、このダルマチアの海岸地域だけはヴェネツィアの努力でトルコの占領から免れたのです。
クロアチアには人口に比して教会が多いのも、このトルコというイスラムの侵入を意識したからだと言われています。しかし、地元に人の話によれば、娘が結婚する際には多額の資金がかかるので、娘を修道女に出すべく教会を多く作ったとか、教会を作れば近くに金持ちが集まり、街が豊かになるからといった現実的な理由も聞かれます。
バルカン半島には中小の教会が多いことは知られていてもその理由はあまり知られていません。私はこの一般的には知られていない歴史の真実やなぞを地元民から学ぶことを楽しみとしているのです。
20世紀の歴史学者アーノルド・トインビー博士は「人間とは歴史に学ばない生き物である」と名言を残していますが、このスプリトの街の歴史を知れば、本当にこの言葉が実感されます。
すなわち、古代ローマの時代には上下水道も完備し、ディオクレティアヌス邸も現代に通用する立派な建造物だったと思われます。
しかし、この地に来たゲルマン民族やヴェネツィア人は、街の歴史を無視し、古代ローマ人の造った施設の意味も理解せずに自分勝手な破壊活動を行った結果、ローマ時代には下水道も完備して清潔だった街にペストが流行したり、余計な争いが増える原因を作ったのです。
因みに下水道設備は壊されましたが、上水道は古代ローマ時代のものが現在でも利用されています。すなわち、スプリトの街はローマ時代の遺跡の上に、後の時代に増改築されたゴシック、ルネサンス、バロックなどの建築様式が混在しているのです。
そこで、私はクロアチアの旅を通じて、日本においても古代ローマ遺跡同様に縄文遺跡など古代人の作った遺跡は、今一度その意味を精査すべきだと思いました。
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私は平成芭蕉、自分の足で自分の五感を使って世界遺産を旅しています
「平成芭蕉の世界遺産」はその世界遺産についての単なる解説ではなく、私が実際に現地に赴いてその土地に生きる人たちと交流した際に感じた感動の記録です。