令和の「平成芭蕉」

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平成芭蕉の旅語録

平成芭蕉の旅語録~伊能忠敬ゆかりの地を訪ねる【江戸編】

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人生を二度生きた伊能忠敬ゆかりの江戸深川・浅草を訪ねる

2022年9月17日、私は映画「大河への道」に描かれた伊能忠敬ゆかりの地を訪ねる(江戸編)「念願の隠居生活から江戸へ 東京の由緒ある下町・深川から浅草をめぐる」ツアーに同行し、深川黒江町にあった伊能忠敬旧居跡や富岡八幡宮、そして浅草の浅草寺から伊能忠敬が師と仰いだ高橋至時の眠る源空寺を案内してきました。

伊能忠敬ゆかりの地を訪ねる旅

この伊能忠敬ゆかりの地を訪ねる旅は前編・後編に分かれており、前編は7月30日に「伊能忠敬を育んだ北総の台地へ 誕生地九十九里から佐原をめぐる」ツアーで、九十九里町の伊能忠敬記念公園、銚子マリーナの測量記念碑そして佐原の伊能忠敬旧宅と伊能忠敬記念館を訪ねました。

佐原旧宅内に建つ佐原時代の伊能忠敬像

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伊能忠敬の隠宅跡と富岡八幡宮

伊能忠敬は佐原村のため大いに尽力しつつ、その間に数学、測量を研究し、50歳で江戸に出て天文学・地理学を修め、日本全土の測量に従事して「大日本沿海輿地全図」の作成に着手、弟子たちがそれを完成させましたが、彼は江戸においては富岡八幡宮近くの深川黒江町(現・門前仲町1丁目)に隠宅を構え、寛政12(1800)年4月19日(陽暦では6月11日)の早朝、富岡八幡宮に参拝してから蝦夷地測量の旅に出かけていました。

深川黒江町の伊能忠敬隠宅跡

富岡八幡宮は深川八幡宮とも呼ばれ、江戸勧進相撲発祥の神社で、境内には「横綱力士碑」をはじめ大相撲ゆかりの石碑が多数建立されています。また、祖霊社・花本社は深川にゆかりの深い松尾芭蕉を御祭神としています。

富岡八幡宮

伊能忠敬は蝦夷地測量から10回の測量を企画しましたが、第8回までは出発の都度、内弟子と従者を率いて富岡八幡宮に参拝し、無事を祈念していたことから、伊能測量開始200年を記念して平成13年10月20日、伊能忠敬の銅像が富岡八幡宮境内の大鳥居横に建立されたのです。

富岡八幡宮の伊能忠敬像

しかし、私は伊能忠敬の銅像より、脇にあった三角測量に用いる際に経度・緯度・標高の基準になる三等三角点モニュメントに感銘を受けました。伊能忠敬の蝦夷地測量を皮切りとした約4万キロの測量の旅はまさに、この地点から始まったのです。

三等三角点モニュメント

伊能忠敬は1794年に家督を長男の景敬に譲った後は、深川黒江町の居宅から時の天文暦学の大家高橋至時のいる浅草司天台まで徒歩で通いました。すなわち伊能忠敬は黒江町から浅草に至る距離を歩測で図るために清澄通りを歩き、黒江町と司天台の緯度も観測して子午線の長さを推算したのです。

江戸時代の古地図

清澄通りの海辺橋の脇には松尾芭蕉が「おくの細道」の旅に出る前に住んだ採荼庵がありますが、今回のツアーでは主人公が伊能忠敬なので「おくの細道」の話はせずに、彼の測量をサポートした松平定信の墓がある霊巌寺を目指しました。

清澄通りの芭蕉像

伊能忠敬が歩いた清澄通りから松平定信墓所の霊巌寺へ

霊巌寺(れいがんじ)には、11代将軍徳川家斉のもとで老中首座として寛政の改革を行った松平定信の墓をはじめ、今治藩主松平家や膳所藩主本多家など大名の墓があり、また、江戸六地蔵の第5番も安置されています。

霊巌寺

松平定信は1792年、ロシア使節ラクスマン大黒屋光太夫を送還する名目で根室に渡来し、江戸回航と通商を求めるに及び、長崎以外に海防体制のない欠陥を痛感、北国郡代設置による北方防備を構想するとともにみずから伊豆・相模を巡検して江戸湾防備体制の構築を練りました。そして近藤重蔵に択捉島を探検させ、伊能忠敬には蝦夷地を測量させて正確な地図を作成させたのです。

松平定信の墓所

霊巌寺の近くにある江戸深川資料館は、江戸時代末期の天保年間頃にあった深川佐賀町の町並み、猪牙船(ちょきぶね)の浮かぶ掘割や、白壁の土蔵、船宿のたたずまい等を再現しており、興味深い資料館です。

猪牙船(ちょきぶね)の浮かぶ掘割

特に名横綱「大鵬」の展示コーナーでは、昭和元禄の時期の文化を背景にした流行語『巨人・大鵬・卵焼き』が思い出されました。

名横綱「大鵬」の展示コーナー

昼食は池波正太郎の作品にも度々登場し、深川産のあさりの独創的な炊き込み飯「深川めし」で有名な割烹「みや古」でとりました。

割烹「みや古」

浅草の浅草寺から伊能忠敬が眠る源空寺墓地へ

昼食後は森下から地下鉄で高橋至時が勤めていた天文台のあった蔵前(浅草橋)を経由して浅草に出て、雷門から仲見世を通って浅草寺(せんそうじ)に参拝しました。

浅草の金龍山浅草寺

浅草寺の創建は飛鳥時代の推古天皇36年(628年)までさかのぼる古刹で、都内最古の寺ですが、正式には金龍山浅草寺と言い、聖観世音菩薩を本尊とすることから、浅草観音として知られています。
一方、伊能忠敬が通った浅草天文台(天司台)は浅草橋近辺にあり、1782年に新築された江戸幕府の「天文方」の施設「頒暦所御用屋敷(はんれきしょごようやしき)」で、1869年に廃止されるまで暦を作るための天体観測などが行われていました。

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伊能忠敬が通った浅草天文台跡

伊能忠敬も訪れたであろう浅草寺のシンボル「雷門」は、江戸時代末期の1865年、田原町大火と呼ばれる火災で焼失し、その後長らく再建されませんでした。

浅草寺の雷門

しかし、松下電器の創業者であった松下幸之助が浅草寺で病気平癒の祈願をしたところ、体調が回復したことから、松下幸之助の寄進によって1960年に再建されました。そして大提灯の下に彫られた見事な龍の彫刻は渡邉崇雲氏の手によるもので、浅草寺秘仏の観音像が発見された時、金の龍が現れたという逸話にちなんで彫られています。

浅草寺まで参拝に行って龍を見てきました! | shouki-blog

浅草寺の金の龍

かつて浅草は木造建築が密集して非常に火災に弱い町であったため、雨を降らせて火事から人々を救ってくれる龍は神として崇められてきたのです。浅草寺から伊能忠敬が眠る源空寺へは河童橋道具街を歩きましたが、途中、「合羽橋道具街」誕生90年を記念したシンボル像「かっぱ河太郎」にもご挨拶しました。

「かっぱ河太郎」

源空寺は東京都台東区東上野にある浄土宗の仏教寺院で、本尊は円光大師(法然)像ですが、寺号は法然の諱(いみな)である源空に由来します。そして高橋至時と伊能忠敬の墓は源空寺墓地にあり、それぞれ国の史跡に指定されています。

源空寺墓地

伊能忠敬の墓は、師と仰いだ高橋至時の墓の右に並んで建ち、総高168.5cm、幅・奥行きそれぞれ91cmで、正面には隷書で「東河(とうが)伊能先生之墓」と記されています。

伊能忠敬の墓

また、高橋至時は、天文学者麻田剛立(ごうりゅう)の下で天文学を学び、寛政の改暦事業に貢献した人ですが、伊能忠敬の全国沿岸測量事業の完成は、至時の指導・援助に負うところが大です。高橋至時の墓は伊能忠敬の墓の左に並んで建ち、墓石は2重台石に角石を載せたもので、正面には「東岡(とうこう)高橋君之墓」と刻まれています。

高橋至時の墓

しかし、父至時の死後、天文方を継ぎ、伊能忠敬の測量事業を監督、「大日本沿海輿地全図」を完成させたのは子の高橋景保です。景保は学者でしたが、優れた政治的手腕もあり、この政治的手腕がかえって災いしてか、1828年、国禁の日本図を贈ったことが発覚して逮捕され(シーボルト事件)、翌年45歳の若さで牢死しています。

高橋景保の墓

存命ならば死罪となるところでしたが、死後は父と同じ源空寺に葬られており、この幕府の配慮はやはり伊能忠敬の偉大なる業績にあるのかもしれません。足かけ17年にわたる全国測量をおこなった伊能忠敬の愚直な精神を理解していれば、高橋景康もシーボルト事件に巻き込まれることはなかったのではないでしょうか。

日本の縄文文化「北海道と北東北の縄文遺跡群」が世界文化遺産!

「北海道と北東北の縄文遺跡群」が世界文化遺産に登録されたことを記念して、私はみちのくを旅した芭蕉の研究本『松尾芭蕉の旅に学ぶ』と共に『縄文人からのメッセージ』というタイトルで縄文文化を語り、平成芭蕉の『令和の旅指南』シリーズ(Kindle電子本)として出版しました。人生100歳時代を楽しく旅するために縄文人の精神世界に触れていただければ幸いです。

また、日本人の心に灯をつける『日本遺産の教科書』、長生きして人生を楽しむための指南書『人生は旅行が9割』、感情の老化を防ぐ私の旅日記である『生まれ変わりの一人旅』とともにご一読下さい。

★平成芭蕉ブックス
 ①『人生は旅行が9割 令和の旅指南Ⅰ』: 長生きして人生を楽しむために 旅行の質が人生を決める
 『縄文人からのメッセージ 令和の旅指南Ⅱ』: 縄文人の精神世界に触れる 日本遺産と世界遺産の旅
 『松尾芭蕉の旅に学ぶ 令和の旅指南Ⅲ』:芭蕉に学ぶテーマ旅 「奥の深い細道」の旅
 ④『生まれ変わりの一人旅 令和の旅指南Ⅳ』: 感動を味わう一人旅のススメ
 ⑤『日本遺産の教科書 令和の旅指南』: 日本人の心に灯をつける 日本遺産ストーリーの旅

平成芭蕉「令和の旅指南」シリーズ

私は平成芭蕉、自分の足と自分の五感を駆使して旅しています。

平成芭蕉のテーマ旅行

平成芭蕉の旅語録

平成芭蕉は「検索すればわかる情報」より「五感を揺さぶる情報」を提供します。旅とは日常から離れ、いつもと違う風、光、臭いなど五感を通じて自分を見つめ直す機会です。そしていつもと違う人に会い、いつもと違う食事をとることで、考え方や感じ方が変わります。すなわち、いい旅をすると人も変わり、生き方も変わり、人生も変わるのです。

「令和の旅」へ挑む平成芭蕉

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*「平成芭蕉の旅物語」サイトマップ参照

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