令和の「平成芭蕉」

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平成芭蕉の旅語録

平成芭蕉の旅語録~日本考古学発祥の地「大森貝塚」と静岡県の古代遺跡群

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日本考古学発祥の地「大森貝塚」と縄文土器

「北海道・北東北の縄文遺跡群」「百舌鳥・古市古墳群」などがユネスコの世界文化遺産に登録され、古代史に対する関心が高まってきましたが、これらは日本の考古学的研究の成果によるものです。

大森貝塚を発見したモース博士

日本近代考古学の学問としての始まりは1877年(明治10年)にエドワード・モース大森貝塚を発見したことに起因し、モースの活躍後は、当時京都帝国大学の教授をしていた濱田耕作がアメリカ流考古学を導入して日本考古学の基礎を築きました。濱田耕作は「考古学は過去人類の物質遺物により人類を研究すること」と定義し、日本考古学の父と呼ばれています。

そこで、私は日本考古学発祥の地である大森貝塚から、戦後、科学的、客観的に古代史を研究しようと画期的な調査が行われた弥生時代の登呂遺跡を視察し、同時に静岡県内の縄文遺跡も調査してきました。

大森貝塚遺跡庭園

大森貝塚は明治10年(1877)にアメリカから来日した動物学者エドワード・シルヴェスター・モース(1838~1925)によって発見された、縄文時代後期から晩期にかけて(3500年〜2400年前)の貝塚遺跡です。

貝塚をモチーフにした「地層の回廊」

モース博士は、日本近海に生息するシャミセンガイなど腕足動物(わんそくどうぶつ=2枚の殻を持つ海産の底生無脊椎動物)の研究のため来日し、明治10年6月19日、横浜から東京に向かう汽車の窓から貝層(貝塚)を見つけ、日本初の発掘調査を行った結果、縄目の文様のついた土器を発見したのです。これが後に「縄文土器」と呼ばれるようになり、この縄文土器が中心的に使われていた時代を総称して縄文時代と命名されました。

大森貝塚で発見された縄目の文様のついた土器

モース博士は東海道本線大森駅を発掘調査の起点とし、発掘当初は大森村と推測していたため(実際は大井村)、大森貝塚という名称が生まれました。明治10年9月〜12月に日本初の科学的発掘調査が行なわれ、明治12年、日本初の発掘報告書となる“Shell Mounds of Omori”と和文版『大森介嘘古物編』が出版されたことから、大森貝塚は「日本考古学発祥の地」と呼ばれるようになりました。

“Shell Mounds of Omori”

大森貝塚遺跡庭園(国指定史)内では貝塚をモチーフにした「地層の回廊」や保存された貝塚標本(剥離標本)から貝殻が堆積している様子を実際に見ることもできます。

貝塚標本(剥離標本)

縄文時代には、台地の近くまで遠浅の海岸が迫っており、さらに現在の大田区と品川区の区境には小川が流れており、周辺にはシラカシ、アカガシ、スダジイ、タブノキ、ヤブツバキといった常緑広葉樹の森もあって、縄文人はその実をアク抜きして食用にしていました。

縄文時代の大森貝塚

公園内の「大森貝塚碑」は、大阪毎日新聞社社長で考古学者の本山彦一が発起人となり、昭和4年に立てられ、昭和59年、平成5年の調査で発掘された遺物の一部は、品川歴史館に展示されています。

公園内の「大森貝塚碑」

品川歴史館は、郷土資料の保存と活用を目的に昭和60年に開館した区立博物館で、「大森貝塚とモース博士」と「東海道品川宿」の2つのテーマを柱に原始・古代から近現代までの品川区の歴史を分かりやすく展示しています。

品川歴史館の展示

静岡県の代表的な縄文遺跡〔大鹿窪遺跡と蜆塚貝塚〕

縄文時代は「水田稲作以前の土器をもつ採集を中心とした時代」ですが、縄文時代の最も古い草創期は、他のどの時期にもみられないような大きな環境変化があった時期です。

しかし、草創期の初め頃は氷河期の中でも少し暖かい時期で、温暖化によって果実や木の実などの植物質食料を安定して得ることができるようになり、厳しい環境の中でも定住生活が始まりました。

その代表が静岡県の大鹿窪遺跡で、富士山西南麓、芝川の河岸段丘、富士宮市西部の柚野(ゆの)地区の田園地帯にあり、縄文草創期(12900年前~12600年前)頃の集落跡です。

大鹿窪遺跡

大鹿窪遺跡は、拠点を作って人々が集団生活をした開地遺跡(平地にある遺跡)集落の希少な例として、平成20年3月28日に国指定史跡に登録されました。平成13年の発掘調査によってその存在が知られ、縄文時代草創期の遺跡としては、調査当時、国内最多の竪穴住居跡や大量の土器・石器が見つかりました。

大鹿窪遺跡の竪穴住居跡

現在、竪穴住居15基、竪穴状遺構2基、炉跡2基、集石遺構14基、配石遺構8基、土坑9基が検出されていますが、集落跡は東西を谷状地形に挟まれているため、非常に狭い範囲で居住が繰り返されていたと考えられます。

大鹿窪遺跡の住居跡〔富士宮市教育委員会〕

大鹿窪遺跡では、北東方向に富士山を仰ぎ見ることができ、集落のすぐ東側には溶岩流が広がっており、集石遺構や配石遺構はこの溶岩の礫(れき)を利用して作られています。

住居跡と富士山の溶岩〔富士宮市教育委員会〕

また、富士山から飛来したテフラ(火山噴出物)が生活していた当時の床面の土から見つかっています。竪穴住居跡は馬蹄形となって広場を持ち、その中に土坑・集石・配石を築いており、初期の縄文集落の景観を知ることができます。

富士山と大鹿窪遺跡〔富士宮市教育委員会〕

出土した土器・石器片は26,000点以上で、出土した土器の多くは押圧(おうあつ)縄文土器とよばれる土器ですが、このほかに押圧縄文土器よりも古いと考えられている隆線文土器(粘土紐を環状に貼り付けたシンプルな作り)や爪型文土器も出土しており、遺跡の始まりはさらに遡る可能性もあります。

押圧縄文土器〔富士宮市教育委員会〕

富士山を仰ぎ見る景観の良い場所にあり、生活環境には恵まれた集落だと感じました。

見ごたえのある蜆塚貝塚と浜松市博物館

地球環境が温暖化していった縄文時代、人類は新しい環境に即して生活様式を変革する必要に迫られましたが、その一つが川や湖沼や海に溢れる魚介類の利用の拡大や開始です。扇状地や河岸段丘に住み、貝類を常食とした縄文人の居住地域では、貝塚が形成されました。

貝塚では、貝殻の炭酸カルシウム成分のために酸性土壌であっても中和され、土壌が有機物由来の考古遺物を保護し、人骨や鳥獣魚骨、骨角器などが比較的良好な保存状態で出土することが多く、文字を持たなかった社会を研究するうえで重要視されています。

縄文時代のタイムカプセル「貝塚」

蜆塚遺跡(しじみづかいせき)は、静岡県浜松市中区蜆塚にある縄文時代後期から晩期(約3~4千年前)頃の貝塚および集落遺跡で、国の史跡に指定されています。この貝塚は大きく分けて4つ存在し、その内の一つは専用施設により発掘調査当時のまま保存されています。

史跡「蜆塚遺跡(しじみづかいせき)」

貝塚の規模は東海地域各地に残る縄文時代の貝塚の中でも有数であり、静岡県内においては磐田市の小規模な貝塚を除けば縄文時代の貝塚はほとんど例がなく、貴重な縄文後期・晩期の遺跡ですが、その多くが淡水性で二枚貝の蜆(シジミ)で構成されていたことが遺跡周辺の地域名「蜆塚(しじみづか)」の由来です。

縄文後期・晩期の貝塚遺跡

蜆塚遺跡の貝塚は幾重もの層が存在し、およそ千年分のものが積み重なっているとされており、その堆積は1.5メートルほどに達する個所もあります。貝塚から出土した貝類は入り江や河口に多いヤマトシジミが9割以上であり、そのほかにはハマグリ、マガキ、キサゴなどもみられ、動物の骨ではシカ、イノシシ、クジラ、ウミガメ、鳥はツルやキジ、魚はコイ、フナ、クロダイ、スズキ、カツオなども出土し、縄文土器や動物の骨を加工した道具も発見されています。

蜆塚貝塚の貝塚保存施設

また、この貝塚の存在により、遺跡の西にある佐鳴湖(さなるこ)が当時は遺跡付近にまで達していたことがうかがえ、水産資源も豊富であったことを物語っています。円環状に平地式の住居跡が20数戸、墓地などの存在が明らかになり、首飾りや貝製腕輪を身につけた人骨なども出土しています。さらに勾玉や土器、鉄鏃なども出土しており、これらの出土品の多くは遺跡南側に併設されている浜松市博物館に展示されています。

蜆塚貝塚の幾重もの層

浜松市博物館は、縄文時代の貝塚である蜆塚遺跡(国の史跡)に隣接している浜松市の市立博物館で、原始から近代まで、浜松地域の歴史資料を紹介しています。特に1921(大正10)年、浜名郡伊佐見村(浜松市西区佐浜町)の崖から発掘されたナウマン象の化石と全身骨格模型は圧巻です。

浜松市博物館の展示

日本考古学の金字塔「登呂遺跡」

縄文時代に続く、弥生時代には本格的な稲作が開始され、大陸から金属器(青銅・鉄)や機織り技術が伝わりました。「弥生」という名称は、1884年(明治17年)に東京府本郷区向ヶ岡弥生町の貝塚(向ヶ岡貝塚)で発見された土器が縄文土器と異なっていたことから発見地にちなんで「弥生式土器」と呼ばれたことに由来します。

弥生時代に入ると水稲耕作技術の導入により、開墾や用水の管理などに大規模な労働力が必要とされるようになり、集団の大型化が進行しました。

水稲耕作技術が導入された登呂遺跡

日本考古学の金字塔と呼ばれた弥生時代の「登呂遺跡」では、大量の土器・木製品などの出土品に加えて、住居跡・倉庫跡などの居住域が水田域と一体となっており、「弥生時代といえば水田稲作」というイメージが定着する契機となりました。

史跡「登呂遺跡」の案内図

登呂遺跡は、安倍川の分流の洪水時に押し流された土砂が堆積し、自然に形成された堤防の上に造られており、富士山を眺めるには絶好の場所にあります。

登呂遺跡から眺める富士山

遺跡は戦時中の1943年、軍事工場建設の際に発見され、1947年には考古学・人類学・地質学など各分野の学者が加わった日本で初めての総合的な発掘調査が行われた結果、8万平方メートルを超える水田跡や井戸の跡、竪穴式住居(竪穴系平地式住居)・高床式倉庫の遺構が検出されました。

登呂遺跡の水田跡

村は、北東から南西の方向に広がる微高地を利用して住居12棟、高床倉庫2棟が建っており、水田は南につくられ、復元水田は太い畔で大きく区画された中を細い手畔で小さく区画されています。

登呂遺跡の住居は周囲に土手(周堤)を築き、地面を掘らずに竪穴住居と同じ構造で造られた「平地住居」で、住居の周りには配水用の溝(周溝)が掘られています。

登呂遺跡の平地住居

登呂遺跡の高床倉庫は稲を長期間保管し、湿気を防ぐために床を高く持ち上げた建物ですが、小動物による食害を防ぐための「ネズミ返し」が特徴的で、柱の数によって建物の大きさが異なっています。

登呂遺跡の高床倉庫

祭殿は建物西側の広場に面しており、両側の棟持柱が特徴の大型の掘立柱建物です。広場南側の水辺からは祭祀具と思われる卜骨が出土しており、特別な空間だったと考えられます。

祭殿として使われた大型の掘立柱建物

隣接する静岡市登呂博物館には、「登呂ムラと稲作」「登呂遺跡の記憶(登呂遺跡の歴史)」を主なテーマに、弥生時代を代表する登呂遺跡から発掘された出土品等が展示されています。展示室の中央には、登呂ムラの生活情景を再現したジオラマが設置されており、弥生時代の登呂ムラの全体像を見ることができますが、稲作が主な食糧生産方法になることで、生活スタイルが変わり、縄文時代に比較して集団の規模が大きくなったことが理解できます。

静岡市登呂博物館内のジオラマ

また、稲作には人手が必要なため、これによって管理する側、される側という身分の差が生じるようになり、さらに農地の拡大や灌漑用の水の確保のための領地争い、余分に収穫できた米の強奪などのために争いが起きるようになったと推察されます。

縄文時代は女性の勤勉さと充足・安定を尊ぶ文化で、男性にとっての労働である狩猟闘争も認識しつつ、価値を見出していた平和な時代でした。それが弥生時代となり、稲作文化による階級社会が生まれ、明治以降のヨーロッパ文化によって日本は近代化しましたが、日本人の原点はやはり共感を重視する縄文時代かと思います。

★関連記事:平成芭蕉の旅語録~縄文人の謎を紐解く 群馬・栃木の縄文遺跡と岩宿遺跡

日本の縄文文化「北海道と北東北の縄文遺跡群」が世界文化遺産!

「北海道と北東北の縄文遺跡群」が世界文化遺産に登録されたことを記念して、私はみちのくを旅した芭蕉の研究本『松尾芭蕉の旅に学ぶ』と共に『縄文人からのメッセージ』というタイトルで縄文文化を語り、平成芭蕉の『令和の旅指南』シリーズ(Kindle電子本)として出版しました。人生100歳時代を楽しく旅するために縄文人の精神世界に触れていただければ幸いです。

また、日本人の心に灯をつける『日本遺産の教科書』、長生きして人生を楽しむための指南書『人生は旅行が9割』、感情の老化を防ぐ私の旅日記である『生まれ変わりの一人旅』とともにご一読下さい。

★平成芭蕉ブックス
 ①『人生は旅行が9割 令和の旅指南Ⅰ』: 長生きして人生を楽しむために 旅行の質が人生を決める
 『縄文人からのメッセージ 令和の旅指南Ⅱ』: 縄文人の精神世界に触れる 日本遺産と世界遺産の旅
 『松尾芭蕉の旅に学ぶ 令和の旅指南Ⅲ』:芭蕉に学ぶテーマ旅 「奥の深い細道」の旅
 ④『生まれ変わりの一人旅 令和の旅指南Ⅳ』: 感動を味わう一人旅のススメ
 ⑤『日本遺産の教科書 令和の旅指南』: 日本人の心に灯をつける 日本遺産ストーリーの旅

平成芭蕉「令和の旅指南」シリーズ

私は平成芭蕉、自分の足と自分の五感を駆使して旅しています。

平成芭蕉のテーマ旅行

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平成芭蕉は「検索すればわかる情報」より「五感を揺さぶる情報」を提供します。旅とは日常から離れ、いつもと違う風、光、臭いなど五感を通じて自分を見つめ直す機会です。そしていつもと違う人に会い、いつもと違う食事をとることで、考え方や感じ方が変わります。すなわち、いい旅をすると人も変わり、生き方も変わり、人生も変わるのです。

「令和の旅」へ挑む平成芭蕉

★関連記事:平成芭蕉の旅のアドバイス「旅して幸せになる~令和の旅」

*「平成芭蕉の旅物語」サイトマップ参照

 

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