「塩の町」赤穂の隠れた名所「有年(うね)の古代遺跡群」
赤穂市の日本遺産「『日本第一』の塩を産したまち 播州赤穂」の写真展を見学した後、かねてより関心のあった古代遺跡の宝庫「有年(うね)地区」を訪ねてきました。
今年は兎年ということもあり、まずは兎にゆかりのある神社に参拝してきました。それは小池百合子東京都知事のお母様の実家「小川邸」ゆかりの赤穂市有年(うね)に鎮座する有年八幡(うねはちまん)神社です。
有年八幡神社
有年(うね)地区は、ほとんどが山林ですが、千種川を挟んで東西に長い平野があり、近郊には縄文時代後期から室町時代にかけての複合遺跡「沖田遺跡」、弥生時代後期の大型墳丘墓「田中遺跡」などの古代遺跡もあります。
縄文時代後期の沖田遺跡
また、千種川に加えて中世の筑紫大道、近世の西国街道が通っているため、宿場町としても大いに栄えた場所です。
墳丘墓の並ぶ「田中遺跡」
しかし実際、現地を訪ねてみると渡来人の痕跡が多い土地柄で、厩戸皇子(聖徳太子)の知恵袋的存在として有名な秦河勝(はたのかわかつ)ゆかりの神社や史跡が多く残っています。
秦河勝は、その際立った技術経営力、国際的教養を駆使し、厩戸皇子のブレーンとして大活躍しました。すなわち、聖徳太子は、当時の外交や国際情勢を熟知していた秦河勝から、儒教、仏教のみならず中東系諸宗教、律令制といった当時の最先端知識を徹底的に学んだと言われています。
この秦氏は、九州北部の宇佐八幡神社がある地域を拠点にして、山城、播磨さらには全国に広がっていきました。例えば山城地方にある太秦(うずまさ)がその名のとおり秦氏の一大拠点だったのです。「うづ」は“Ishu”即ち“Jesus”又、「まさ」は“Messiah”の転訛語なので、私は秦氏が「ユダヤ人景教徒」ではなかったかと考えています。
そして八幡神社といえば、稲荷とならんで日本でもっとも馴染みの深い神社の一つですが、八幡神社はもともと秦氏のカミ様を祀る神社で、今回訪ねた有年八幡神社も秦氏ゆかりの神社と考えられます。
秦氏は日本に養蚕、機織の技術をもたらした一族で、ハタは機に通じるだけでなく、畑作にも通じています。秦氏によって、養蚕に加え、先進的な開墾技術、畑作技術、土木技術が導入されたのです。
そして、この有年八幡神社の見どころは、本殿の切り込みハギで作られた石垣の中にはめ込まれた「飾り石」です。それは本殿に向かって左から扇、三日月、兎です。
白居易の詩が書かれた「扇」
さらに、扇には唐の時代に読まれた白居易の詩の一部が記されており、全国的に見ても非常に珍しいものです。赤穂市に伝わる伝説では応神天皇が兎と遊んでいたという話があり、それにちなんで扇に加えて兎と三日月があるのではないかともいわれています。
有年八幡神社の「飾り石」の説明
また、通常は川べりにあるべき、高瀬舟灯台がなんとこの有年八幡神社境内の見晴らしの良い高台に建てられています。この八幡神社は赤松氏の居城であった有年山(うねやま)城中腹にあり、頂上の本丸まで登れば遠くに家島群島も見ることができます。
私は有年の歴史を知るべく、有年考古館も訪れましたが、これは医業とともに郷土史研究にも励み、幅広い学識で知られた松岡秀夫博士により設立された“日本一小さな考古館”といわれていますが、とても興味深い資料館でした。
平成芭蕉メッセージ ~「旅の質」が人生を変える
「小説が書かれ読まれるのは人生がただ一度であることへの抗議」という言葉がありますが、私にとって旅することは、一度限りの人生を最大限に楽しむための創造活動なのです。そして私は、人生を楽しむために必要な「心のときめき」は、「知恵を伴う旅」を通じて得られると考えています。
そこでこの度、私はその知恵を伴う日本遺産や世界遺産の旅を紹介しつつ、平成芭蕉独自の旅の楽しみ方とテーマ旅行に関する企画アイデアノート、さらに著者が松尾芭蕉の旅から学んだ旅行術について紹介した『平成芭蕉の旅指南 人生が変わるオススメの旅 旅の質が人生を決める』と題した本を出版しました。このブログと合わせてご一読いただければ幸です。
私は平成芭蕉、自分の足と自分の五感を駆使して旅しています。
平成芭蕉の旅語録
平成芭蕉は「検索すればわかる情報」より「五感を揺さぶる情報」を提供します。旅とは日常から離れ、いつもと違う風、光、臭いなど五感を通じて自分を見つめ直す機会です。そしていつもと違う人に会い、いつもと違う食事をとることで、考え方や感じ方が変わります。すなわち、いい旅をすると人も変わり、生き方も変わり、人生も変わるのです。
「令和の旅」へ挑む平成芭蕉
★関連記事:平成芭蕉の旅のアドバイス「旅して幸せになる~令和の旅」
*「平成芭蕉の旅物語」サイトマップ参照
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平成芭蕉の旅語録 珍しい石垣の赤穂市「有年(うね)八幡神社」
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「塩の町」赤穂の隠れた名所「有年(うね)の古代遺跡群」
赤穂市の日本遺産「『日本第一』の塩を産したまち 播州赤穂」の写真展を見学した後、かねてより関心のあった古代遺跡の宝庫「有年(うね)地区」を訪ねてきました。
今年は兎年ということもあり、まずは兎にゆかりのある神社に参拝してきました。それは小池百合子東京都知事のお母様の実家「小川邸」ゆかりの赤穂市有年(うね)に鎮座する有年八幡(うねはちまん)神社です。
有年八幡神社
有年(うね)地区は、ほとんどが山林ですが、千種川を挟んで東西に長い平野があり、近郊には縄文時代後期から室町時代にかけての複合遺跡「沖田遺跡」、弥生時代後期の大型墳丘墓「田中遺跡」などの古代遺跡もあります。
縄文時代後期の沖田遺跡
また、千種川に加えて中世の筑紫大道、近世の西国街道が通っているため、宿場町としても大いに栄えた場所です。
墳丘墓の並ぶ「田中遺跡」
しかし実際、現地を訪ねてみると渡来人の痕跡が多い土地柄で、厩戸皇子(聖徳太子)の知恵袋的存在として有名な秦河勝(はたのかわかつ)ゆかりの神社や史跡が多く残っています。
秦河勝は、その際立った技術経営力、国際的教養を駆使し、厩戸皇子のブレーンとして大活躍しました。すなわち、聖徳太子は、当時の外交や国際情勢を熟知していた秦河勝から、儒教、仏教のみならず中東系諸宗教、律令制といった当時の最先端知識を徹底的に学んだと言われています。
この秦氏は、九州北部の宇佐八幡神社がある地域を拠点にして、山城、播磨さらには全国に広がっていきました。例えば山城地方にある太秦(うずまさ)がその名のとおり秦氏の一大拠点だったのです。「うづ」は“Ishu”即ち“Jesus”又、「まさ」は“Messiah”の転訛語なので、私は秦氏が「ユダヤ人景教徒」ではなかったかと考えています。
そして八幡神社といえば、稲荷とならんで日本でもっとも馴染みの深い神社の一つですが、八幡神社はもともと秦氏のカミ様を祀る神社で、今回訪ねた有年八幡神社も秦氏ゆかりの神社と考えられます。
秦氏は日本に養蚕、機織の技術をもたらした一族で、ハタは機に通じるだけでなく、畑作にも通じています。秦氏によって、養蚕に加え、先進的な開墾技術、畑作技術、土木技術が導入されたのです。
そして、この有年八幡神社の見どころは、本殿の切り込みハギで作られた石垣の中にはめ込まれた「飾り石」です。それは本殿に向かって左から扇、三日月、兎です。
白居易の詩が書かれた「扇」
さらに、扇には唐の時代に読まれた白居易の詩の一部が記されており、全国的に見ても非常に珍しいものです。赤穂市に伝わる伝説では応神天皇が兎と遊んでいたという話があり、それにちなんで扇に加えて兎と三日月があるのではないかともいわれています。
有年八幡神社の「飾り石」の説明
また、通常は川べりにあるべき、高瀬舟灯台がなんとこの有年八幡神社境内の見晴らしの良い高台に建てられています。この八幡神社は赤松氏の居城であった有年山(うねやま)城中腹にあり、頂上の本丸まで登れば遠くに家島群島も見ることができます。
私は有年の歴史を知るべく、有年考古館も訪れましたが、これは医業とともに郷土史研究にも励み、幅広い学識で知られた松岡秀夫博士により設立された“日本一小さな考古館”といわれていますが、とても興味深い資料館でした。
平成芭蕉メッセージ ~「旅の質」が人生を変える
「小説が書かれ読まれるのは人生がただ一度であることへの抗議」という言葉がありますが、私にとって旅することは、一度限りの人生を最大限に楽しむための創造活動なのです。そして私は、人生を楽しむために必要な「心のときめき」は、「知恵を伴う旅」を通じて得られると考えています。
そこでこの度、私はその知恵を伴う日本遺産や世界遺産の旅を紹介しつつ、平成芭蕉独自の旅の楽しみ方とテーマ旅行に関する企画アイデアノート、さらに著者が松尾芭蕉の旅から学んだ旅行術について紹介した『平成芭蕉の旅指南 人生が変わるオススメの旅 旅の質が人生を決める』と題した本を出版しました。このブログと合わせてご一読いただければ幸です。
私は平成芭蕉、自分の足と自分の五感を駆使して旅しています。
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