伊賀流忍者の血を引く芭蕉の魂を継承する平成芭蕉
私は昭和31年3月10日、三重県伊賀市上野農人町で生まれましたが、この私の生地は俳聖松尾芭蕉の生家の向かいにあたり、江戸時代における寛永年間の絵図には「百姓町」と記されていました。
この地はかつて伊勢国・志摩国・伊賀国の三ヵ国を治めた藤堂藩の領地で、本城は伊勢の津にありましたが、伊賀の上野には支城が置かれ、そのため伊賀上野は城下町として発展したのです。

上野公園内の俳聖殿
一般的に城下町と言えば、武士の住む「武家地」と町人(商人や職人)が住む「町屋」で構成されますが、寛永期の上野にはこのほかに農民の住む「百姓町(後の農人町と赤坂町)」と呼ばれた地域があったのです。
本来ならば、城下町に農民が住むことは禁じられていたはずですが、伊賀上野では「百姓町」という農民の住む地域があったわけで、これは他の城下町とは大いに異なります。

芭蕉さんの生家
藤堂藩では重臣の多くが上野城近辺に住んでいましたが、その中に禄高5千石の藤堂新七郎家(当主は代々新七郎を名乗る)があり、その下屋敷は松尾芭蕉の生家に近い百姓町(今の赤坂町)にありました。
芭蕉さんは十歳前後からこの藤堂新七郎家で武家奉公人として働いたと言われています。上野城の城代家老であった藤堂元甫(もとよし)の家臣、川口竹人(ちくじん)が著した『蕉翁全伝』によれば、芭蕉さんは当時の藤堂新七郎家当主であった良精(よしきよ)の息子、藤堂良忠(よしただ)に幼少の頃より仕え、この良忠に寵愛されていたと記されているのです。
また、良忠に仕えていた頃の芭蕉さんは、伊賀にいる時に書かれた『貝おほい』の軽妙な文章からも推察できますが、面白い冗談を言って人を笑わせることが得意な明るい性格で、その人柄が2歳年上の良忠に気に入られたとも言われています。

上野天満宮の『貝おほい』顕彰碑
そして、良忠は俳諧を趣味とする文化人で、『蝉吟』という俳号をもっており、この良忠の俳諧の相手を務めたことで、芭蕉さんは俳諧師になる素養が培われたのです。
しかし、この良忠は寛文6(1666)年に家を継ぐことなく25歳で亡くなり、後ろ盾を失った芭蕉さんは寛文12(1672)年に江戸に出て俳諧師の道を歩むようになりました。
江戸へ出た芭蕉さんは日本橋本舟町(ほんふなちょう)の名主、小沢太郎兵衛(たろべえ)のもとで江戸を代表する俳人の一人にのしあがりました。そして深川に移り住んで、鹿島の根本寺住職であった仏頂禅師と出会ったことから、「何物にも執着しない」という「無所住」の境地に至ったのです。
この「無所住」の心を発して、芭蕉さんは旅を住処とする「奥の細道」の旅に出立したのです。この「奥の細道」の旅では芭蕉さんの公儀隠密(忍者)説もささやかれますが、少なくとも芭蕉さんの母は伊予国宇和島で生まれ、伊賀国名張に来て松尾家に嫁いだ伊賀流忍者、百地家の娘です。

奥の細道の旅(黒羽)
また、江戸時代の公儀隠密養成機関は関東代官頭、伊奈半十郎家の敷地内(日本橋馬喰町)にありましたが、芭蕉さんの「奥の細道」の旅の準備段階では、水戸藩の指揮のもと、この伊奈半十郎家配下の隠密衆がサポートしているのです。
私がなぜこのようなことを知っているのかと言えば、私の父方の祖先も伊賀流忍者発祥の地である伊賀国名張の「黒田荘」出身で、芭蕉さんの母の百地家のことは同じ伊賀流忍者の服部家や藤林家と共に伝承として聞かされていたからです。
このような経緯から、私は江戸時代に生きた芭蕉さんの魂を継承すべく、平成時代の芭蕉、すなわち「平成芭蕉」として芭蕉さんの足跡を巡っているのです。
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私は平成芭蕉、自分の足で自分の五感を使って旅をしています。

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平成芭蕉は元禄時代に生きた俳聖松尾芭蕉の旅から学んだことをお伝えします。旅とは日常から離れ、いつもと違う風、光、臭いなど五感を通じて自分を見つめ直す機会です。そしていつもと違う人に会い、いつもと違う食事をとることで、考え方や感じ方が変わります。すなわち、いい旅をすると人も変わり、生き方も変わり、人生も変わるのです。

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