熊野灘の捕鯨文化 鯨とともに生きる和歌山県太地町
熊野古道を調査する目的で本州最南端の串本町から、「鯨の町」として知られる太地を巡り、新宮に宿泊し、熊野三山を巡ってきました。
最初に立ち寄った「橋杭岩」は、約850mにわたり、幅約15mの橋脚のような岩塔(橋杭)が直線状に並ぶ、国の名勝天然記念物であり、南紀熊野ジオパークのジオサイトにも選定されています。

橋杭岩
橋杭岩から国道42号を北東に進んで行くと、右手にかつては熊野水軍の拠点とされた九龍島、鯛島が見えてきますが、大きい方の九龍島は、熊野灘の捕鯨文化のひとつ「河内祭の御舟行事」にも関係する聖地で、鯛島はその名の通り、鯛のような形をしています。
さらに進むと国道42号から太地町への玄関口となる“道の駅たいじ”があり、クジラ肉や干物、刺し身を販売しているだけでなく、日本遺産のポスターも掲示されていました。

道の駅「たいじ」
そこで、今回は2016年、和歌山県で最初に認定された日本遺産「鯨とともに生きる」の舞台であり、熊野灘エリアの中心、太地町の「くじらの博物館」も見学することにしました。
熊野灘沿岸地域の串本、太地、那智勝浦、新宮の3町1市は、文化庁の認定する日本遺産「鯨とともに生きる」地域ですが、中でも太地町は網取り式古式捕鯨発祥の地です。

日本遺産「鯨とともに生きる」ポスター
クジラの町として「くじらと海のエコミュージアム太地」をチャッチフレーズとし、かつてクジラを見張った岬やのろしを上げた梶取崎狼煙場跡、クジラの供養碑など、クジラに感謝し、畏敬の念を抱きながら今もクジラとともに生きています。

くじら供養碑
鯨は「一頭で七郷が潤う」といわれるほど莫大な富をもたらし、捕鯨は500人以上もの人々が役割を分担して行う、まさに地域をあげての一大産業でした。そしてその役割は、「山見台」といわれる高台から鯨を見張る者(山見)、鯨に銛を打ち込む者(羽指)、仕留めた鯨を運ぶ者、用具を管理・修繕する者など、実にさまざまでした。
そして鯨の解体・加工は「鯨始末係」が担い、肉の大半は塩漬けにして出荷するだけでなく、骨や皮からは鯨油をとり、ヒゲや筋は道具の材料にするなど、鯨の巨体は余すところなく活用されました。
また、捕鯨を行う者を支えた船大工や鍛冶屋、鯨販売を営む人もおり、捕鯨は地域全体を潤して、その繁栄ぶりは江戸時代に井原西鶴が『日本永代蔵』の中で繁栄ぶりを記しています。『日本永代蔵』では、「泰地(たいじ)」という里の鯨恵比須(くじらえびす)の宮には、高さが三丈(約9メートル)もあるクジラの胴骨でできた鳥居がある」と記されており、この発想から、太地魚商組合によって昭和60年(1985)にはイワシクジラの顎の骨を使った鳥居が恵比須神社前に建てられました。

恵比寿神社前の鳥居
「鯨との格闘」という命の危険を伴う漁を担ったのは、古くは源平合戦で勇名を馳せた熊野水軍の末裔たちでした。泳ぎに長けているだけでなく、勇敢で団結心が強く、造船や操船技術に秀で、海の知識も豊富だった人々が捕鯨の原動力だったのです。
さらに、太地町で捕鯨が盛んになった理由としては、背後に急峻な山々があり、沿岸付近は複雑なリアス式海岸が続くという地理的条件もあります。つまり、沿岸地域を回避する鯨をいち早く発見できる高台やの狼煙台があり、また鯨を引き揚げられる浜があったことが捕鯨発展の要因でした。

梶取崎狼煙場跡
そして太地町には捕鯨文化を伝える場所や伝統芸能が残されているだけでなく、クジラを身近に感じる施設も数多くあり、その一つが町立「くじらの博物館」です。
左に森浦湾を見ながら太地町に入ると、捕鯨船・第1京丸やクジラにモリを打つ漁民をイメージした「刃刺しの像」などが建つ「くじら浜公園」があり、さらにその先に「くじらの博物館」がありました。

くじら浜公園
博物館では、古式捕鯨を記録した絵図などの資料をはじめ、捕鯨に使われた漁具、鯨の生態を知る骨格標本・模型などの展示に加え、9種約40頭のクジラを飼育しており、そのクジラと触れ合える体験が人気です。水族館でもなく、遊園地でもない、まぎれもなく鯨を知るための博物館でした。

くじらの博物館
捕鯨とつながりが深い町だからこそ、この太地町でしか味わえない体験やクジラとの感動的な出合いが待っています。おすすめは、「くじらの博物館」といさなの宿「白鯨」の中間、畠尻湾奥の小さな海水浴場「くじら浜海水浴場」で、例年夏には特設イケス内で2頭の鯨類が公開展示され、遊泳するクジラとの出会いがあります。
わずか半日の滞在でしたが、鯨とともに生きる昔の人々から現代に受け継がれてきた古式捕鯨という文化を少しだけでも体感し、触れることが出来たことは大変貴重な体験でした。
和歌山県の旅では、世界遺産の熊野古道や熊野三山だけじゃない日本遺産の熊野灘エリアにもぜひ訪ねていただきたいと思いました。

鯨と共に生きる町「太地町」
鯨とともに生きる 熊野捕鯨文化の継承
日本遺産ストーリー 〔和歌山県:新宮市,那智勝浦町,太地町,串本町〕
鯨は、日本人にとって信仰の対象となる特別な存在であった。
人々は、大海原を悠然と泳ぐ巨体を畏れたものの、時折浜辺に打ち上げられた鯨を食料や道具の素材などに利用していたが、やがて生活を安定させるため、捕鯨に乗り出した。
熊野灘沿岸地域では、江戸時代に入り、熊野水軍の流れを汲む人々が捕鯨の技術や流通方法を確立し、これ以降、この地域は鯨に感謝しつつ捕鯨とともに生きてきた。
当時の捕鯨の面影を残す旧跡が町中や周辺に点在し、鯨にまつわる祭りや伝統芸能、食文化が今も受け継がれている。
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私は平成芭蕉、自分の足で自分の五感を使って日本遺産を旅しています。

平成芭蕉の日本遺産
この「平成芭蕉の日本遺産」は、単なる日本遺産登録地の紹介や旅情報の提供ではなく、「平成芭蕉」を自称する私が、実際に現地を訪れて、地元の人と交流し、私が感じたことや認定されたストーリー対する私自身の所見を述べた記録です。

「令和の旅」へ挑む平成芭蕉