日本遺産「海を越えた鉄道」と快適空間の近鉄特急
2月18日、19日は雪景色の中、ニューサンピア敦賀で長浜市・敦賀市・南越前町にまたがる鉄道遺産で構成される「海を越えた鉄道〜世界へつながる鉄路のキセキ」の日本遺産ガイド養成講座で講演させていただきましたが、地元の名産である「焼き鯖」を食べながら、鉄道文化について考えてみました。
越前の名物「焼き鯖」
「道」あるいは「路」は、「けもの道」という言葉があるように、野生動物にも道の歴史がありますが、それを大きく進化させてきたのが人類で、道路(街道)、鉄路(鉄道)、海路、空路の歴史です。
敦賀での日本遺産ガイド養成講座
その中で日本においては近代遺産というべきものが鉄道で、明治の「文明開化」の象徴は新橋〜横浜間の「鉄道開通」でした。明治33年には地方を知る「旅のガイドブック」のような「地理教育鉄道唱歌」が発表されましたが、鉄道路線ごとに駅名や地名、沿線風景などが歌詞に盛り込まれ、歌を楽しみながら沿線の自然や歴史、さらには名所旧跡・名産品なども知ることができました。
「汽笛一声新橋を はや我汽車は離れたり」で始まる鉄道唱歌「第一集・東海道編」の歌詞は有名ですが、敦賀も「北陸編」で気比の松原などが紹介されています。
敦賀はげにもよき港 おりて見てこん名どころを
気比の松原気比の海 官幣大社気比の宮
鉄道唱歌で紹介された敦賀の気比神宮
この鉄道唱歌の作詞は、国文学者でもあった大和田建樹(たけき)が担当したこともあり、内容的には民俗学的傾向がありますが、多梅稚(おおのうめわか)の曲で人気を呼び、全国に広まりました。
敦賀港は明治以前には、「北前船」をはじめとする海上交易の拠点として栄え、船で運ばれてきた様々な品は、敦賀港から峠越えの街道を利用し、琵琶湖経由で京都や大阪へ運ばれていました。しかし、敦賀港と琵琶湖が鉄道で繋がると、物流の主役が鉄道へと移り、敦賀は国際港へと舵を切りました。
明治40年頃の敦賀港
そして明治35年にシベリア鉄道が開通したのに合わせ、敦賀〜ウラジオストクの定期航路が開設されると、敦賀港は日本海側で屈指の国際港となり、明治45年には東京から敦賀、ウラジオストクを経由してヨーロッパまで渡航できる「欧亜国際連絡列車」が開業したのです。
そのため、敦賀港は大正時代に敦賀に来たポーランド孤児や、第2次世界大戦中にリトアニア駐在の外交官杉原千畝氏が発給した「命のビザ」でやってきたユダヤ人難民の受け入れ港となり、「人道の港」とも呼ばれています。「敦賀ムゼウム」のムゼウムはポーランド語で資料館を意味し、杉原千畝によって救われたユダヤ人の大半がポーランドからで、多くのポーランド孤児を救ったことから命名されています。
「人道の港」に立つ敦賀ムゼウム
よって日本遺産のタイトルが「キセキ」とカタカナ表記になっているのは軌道としての「軌跡」以外に「奇跡」の意味も含まれていると思われます。
敦賀駅前の通りには、敦賀開港100周年を記念した「宇宙戦艦ヤマト」のモニュメントが立っており、敦賀を「日本でも有数の鉄道と港」の町としてアピールしています。日本遺産は観光文化による町おこしですが、それはまだ緒についたばかりで、地方の文化遺産をどう活用していくかという明確な提言はまだできていません。
敦賀駅前通りのモニュメント
文化は不要不急のもので経済発展がもたらした贅沢品と考える人もいますが、それは一部であって鉄道遺産はまぎれもなく庶民の足として利用されてきた貴重な文化遺産です。
鉄道事業を歴史的に振り返っても、近鉄大阪線の前身、伊勢への「参宮急行」をはじめ、成田山を目指した京成電鉄、川崎大師を目指した京浜急行(大師電気鉄道)など、庶民の神社仏閣参拝の利便を目的として引かれた路線が多いのです。
新しい鉄道文化、近鉄特急の快適空間
私も三重県名張市の片田舎で生まれ育ちましたが、地元を走る近畿日本鉄道はなくてはならない生活の足で、近鉄のおかげで吉野や伊勢への便が良くなったことは事実です。
伊勢への快適な旅「しまかぜ」
最近では魅力的な近鉄特急「青の交響曲(シンフォニー)」が吉野へ、伊勢参宮には「しまかぜ」が、さらに大阪〜名古屋間には「ひのとり」が運行されており、便利になっただけでなく、快適な移動空間という新しい文化遺産になっています。
「青の交響曲」の快適な車内
私は日本遺産を訪ねる「文化」をテーマとした希少な旅を企画していますが、「文化」は雄弁ではありません。しかし、鉄道遺産のように「文化」は無力ではないので、そのことを信じてテーマ旅行の企画を続けたいと思うのです。
最新の近鉄特急「ひのとり」
長浜市・敦賀市・南越前町にまたがる鉄道遺産が築かれた当時は、鉄道自体が「文化」であり、鉄道への期待、さらには明るい未来への希望でもあったのです。
日本の縄文文化「北海道と北東北の縄文遺跡群」が世界文化遺産!
「北海道と北東北の縄文遺跡群」が世界文化遺産に登録されることを記念して、私はこのたび『縄文人からのメッセージ』というタイトルで令和の旅を語り、Amazonの電子本として出版しました。人生100歳時代を楽しく旅するために縄文人の精神世界に触れていただければ幸いです。日本人の心に灯をつける『日本遺産の教科書』、長生きして人生を楽しむための指南書『人生は旅行が9割』とともにご一読下さい。
★平成芭蕉ブックス
①『日本遺産の教科書 令和の旅指南』: 日本人の心に灯をつける 日本遺産ストーリーの旅
②『人生は旅行が9割 令和の旅指南Ⅰ』: 長生きして人生を楽しむために 旅行の質が人生を決める
③『縄文人からのメッセージ 令和の旅指南Ⅱ』: 縄文人の精神世界に触れる 日本遺産と世界遺産の旅
平成芭蕉ブックス『令和の旅指南』
私は平成芭蕉、自分の足で自分の五感を使って日本遺産を旅しています。
平成芭蕉の旅語録
平成芭蕉は「検索すればわかる情報」より「五感を揺さぶる情報」を提供します。旅とは日常から離れ、いつもと違う風、光、臭いなど五感を通じて自分を見つめ直す機会です。そしていつもと違う人に会い、いつもと違う食事をとることで、考え方や感じ方が変わります。すなわち、いい旅をすると人も変わり、生き方も変わり、人生も変わるのです。
「令和の旅」へ挑む平成芭蕉
★関連記事:平成芭蕉の旅のアドバイス「旅して幸せになる~令和の旅」
★関連記事:世界遺産の旅における「へー、そうだったの」
「平成芭蕉の旅物語」サイトマップ参照
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平成芭蕉の旅語録〜「海を越えた鉄道」と快適空間の近鉄特急
更新日:
日本遺産「海を越えた鉄道」と快適空間の近鉄特急
2月18日、19日は雪景色の中、ニューサンピア敦賀で長浜市・敦賀市・南越前町にまたがる鉄道遺産で構成される「海を越えた鉄道〜世界へつながる鉄路のキセキ」の日本遺産ガイド養成講座で講演させていただきましたが、地元の名産である「焼き鯖」を食べながら、鉄道文化について考えてみました。
越前の名物「焼き鯖」
「道」あるいは「路」は、「けもの道」という言葉があるように、野生動物にも道の歴史がありますが、それを大きく進化させてきたのが人類で、道路(街道)、鉄路(鉄道)、海路、空路の歴史です。
敦賀での日本遺産ガイド養成講座
その中で日本においては近代遺産というべきものが鉄道で、明治の「文明開化」の象徴は新橋〜横浜間の「鉄道開通」でした。明治33年には地方を知る「旅のガイドブック」のような「地理教育鉄道唱歌」が発表されましたが、鉄道路線ごとに駅名や地名、沿線風景などが歌詞に盛り込まれ、歌を楽しみながら沿線の自然や歴史、さらには名所旧跡・名産品なども知ることができました。
「汽笛一声新橋を はや我汽車は離れたり」で始まる鉄道唱歌「第一集・東海道編」の歌詞は有名ですが、敦賀も「北陸編」で気比の松原などが紹介されています。
敦賀はげにもよき港 おりて見てこん名どころを
気比の松原気比の海 官幣大社気比の宮
鉄道唱歌で紹介された敦賀の気比神宮
この鉄道唱歌の作詞は、国文学者でもあった大和田建樹(たけき)が担当したこともあり、内容的には民俗学的傾向がありますが、多梅稚(おおのうめわか)の曲で人気を呼び、全国に広まりました。
敦賀港は明治以前には、「北前船」をはじめとする海上交易の拠点として栄え、船で運ばれてきた様々な品は、敦賀港から峠越えの街道を利用し、琵琶湖経由で京都や大阪へ運ばれていました。しかし、敦賀港と琵琶湖が鉄道で繋がると、物流の主役が鉄道へと移り、敦賀は国際港へと舵を切りました。
明治40年頃の敦賀港
そして明治35年にシベリア鉄道が開通したのに合わせ、敦賀〜ウラジオストクの定期航路が開設されると、敦賀港は日本海側で屈指の国際港となり、明治45年には東京から敦賀、ウラジオストクを経由してヨーロッパまで渡航できる「欧亜国際連絡列車」が開業したのです。
そのため、敦賀港は大正時代に敦賀に来たポーランド孤児や、第2次世界大戦中にリトアニア駐在の外交官杉原千畝氏が発給した「命のビザ」でやってきたユダヤ人難民の受け入れ港となり、「人道の港」とも呼ばれています。「敦賀ムゼウム」のムゼウムはポーランド語で資料館を意味し、杉原千畝によって救われたユダヤ人の大半がポーランドからで、多くのポーランド孤児を救ったことから命名されています。
「人道の港」に立つ敦賀ムゼウム
よって日本遺産のタイトルが「キセキ」とカタカナ表記になっているのは軌道としての「軌跡」以外に「奇跡」の意味も含まれていると思われます。
敦賀駅前の通りには、敦賀開港100周年を記念した「宇宙戦艦ヤマト」のモニュメントが立っており、敦賀を「日本でも有数の鉄道と港」の町としてアピールしています。日本遺産は観光文化による町おこしですが、それはまだ緒についたばかりで、地方の文化遺産をどう活用していくかという明確な提言はまだできていません。
敦賀駅前通りのモニュメント
文化は不要不急のもので経済発展がもたらした贅沢品と考える人もいますが、それは一部であって鉄道遺産はまぎれもなく庶民の足として利用されてきた貴重な文化遺産です。
鉄道事業を歴史的に振り返っても、近鉄大阪線の前身、伊勢への「参宮急行」をはじめ、成田山を目指した京成電鉄、川崎大師を目指した京浜急行(大師電気鉄道)など、庶民の神社仏閣参拝の利便を目的として引かれた路線が多いのです。
新しい鉄道文化、近鉄特急の快適空間
私も三重県名張市の片田舎で生まれ育ちましたが、地元を走る近畿日本鉄道はなくてはならない生活の足で、近鉄のおかげで吉野や伊勢への便が良くなったことは事実です。
伊勢への快適な旅「しまかぜ」
最近では魅力的な近鉄特急「青の交響曲(シンフォニー)」が吉野へ、伊勢参宮には「しまかぜ」が、さらに大阪〜名古屋間には「ひのとり」が運行されており、便利になっただけでなく、快適な移動空間という新しい文化遺産になっています。
「青の交響曲」の快適な車内
私は日本遺産を訪ねる「文化」をテーマとした希少な旅を企画していますが、「文化」は雄弁ではありません。しかし、鉄道遺産のように「文化」は無力ではないので、そのことを信じてテーマ旅行の企画を続けたいと思うのです。
最新の近鉄特急「ひのとり」
長浜市・敦賀市・南越前町にまたがる鉄道遺産が築かれた当時は、鉄道自体が「文化」であり、鉄道への期待、さらには明るい未来への希望でもあったのです。
日本の縄文文化「北海道と北東北の縄文遺跡群」が世界文化遺産!
「北海道と北東北の縄文遺跡群」が世界文化遺産に登録されることを記念して、私はこのたび『縄文人からのメッセージ』というタイトルで令和の旅を語り、Amazonの電子本として出版しました。人生100歳時代を楽しく旅するために縄文人の精神世界に触れていただければ幸いです。日本人の心に灯をつける『日本遺産の教科書』、長生きして人生を楽しむための指南書『人生は旅行が9割』とともにご一読下さい。
★平成芭蕉ブックス
①『日本遺産の教科書 令和の旅指南』: 日本人の心に灯をつける 日本遺産ストーリーの旅
②『人生は旅行が9割 令和の旅指南Ⅰ』: 長生きして人生を楽しむために 旅行の質が人生を決める
③『縄文人からのメッセージ 令和の旅指南Ⅱ』: 縄文人の精神世界に触れる 日本遺産と世界遺産の旅
平成芭蕉ブックス『令和の旅指南』
私は平成芭蕉、自分の足で自分の五感を使って日本遺産を旅しています。
平成芭蕉の旅語録
平成芭蕉は「検索すればわかる情報」より「五感を揺さぶる情報」を提供します。旅とは日常から離れ、いつもと違う風、光、臭いなど五感を通じて自分を見つめ直す機会です。そしていつもと違う人に会い、いつもと違う食事をとることで、考え方や感じ方が変わります。すなわち、いい旅をすると人も変わり、生き方も変わり、人生も変わるのです。
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