令和の「平成芭蕉」

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平成芭蕉の日本遺産

平成芭蕉の日本遺産~信州上田・塩田平の「レイラインがつなぐ聖地」

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信州上田・塩田平における聖地の「レイライン(妖精の鎖)」

信州最古の温泉別所温泉

関東の東国三社(香取神宮、鹿島神宮、息栖神社)は直角二等辺三角形を描いていましたが、今回訪れた信濃の古社、生島足島神社から信州最古の温泉とされる別所温泉にかけては、塩田平の前山寺、中禅寺などの古社寺が、ほぼ1本の直線上(レイライン)に並んでいます。

信州の鎌倉 塩田平のレイライン

すなわち、信州の上田・塩田平は、古来「聖地」として、多くの神社仏閣が建てられており、2020年、文化庁より「レイラインがつなぐ“太陽と大地の聖地”~龍と生きるまち 信州上田・塩田平~」というストーリーで日本遺産に認定されました。

日本遺産「太陽と大地の聖地」

認定されたストーリーは「信州の学海」「神宿る『山』への祈り」「祈りの言葉は『アメ フラセタンマイナ』」「未来への懸け橋」の4節からなり、構成文化財は信濃国分寺跡、生島足島神社本殿、泥宮、前山寺三重塔、中禅寺薬師堂など市内の35件となっています。

レイラインと言えば、千葉県の玉前(たまさき)神社から竹生島元伊勢を経由して出雲大社に至る「太陽の道」が有名ですが、レイライン(ley line)とは、本来、古代遺跡などが直線的に並ぶように建造されているという仮説の上で、遺跡群が描く直線のことです。

聖地出雲に沈む夕日

聖地出雲に沈む夕日「太陽の道」

私はイギリスの古代文化に関心があって、ストーンヘンジや古代ブリトン人の遺跡を訪ねましたが、現地ではレイとは「妖精の鎖」を意味しています。イギリスが深い森に覆われていた古代においては、村と村とはこの直線状の道(レイ)が織り成すネットワークによって繋がっており、巨石や小高い丘は案内板の役目を果たしていたと言うのです。

信濃国分寺(八日堂)

信濃国分寺から生島足島神社を結ぶレイライン

上田市国分の信濃国分寺と上田市下之郷の生島足島神社を通る直線(東西を結ぶラインに対して約30度北側に傾いたライン)が聖地の配列「レイライン」の基軸とされていることから、私はまず、信濃国分寺に参拝しました。

信濃国分寺は天台宗の寺院で、国分寺の本尊の多くが釈迦如来であるのに対して、信濃国分寺の本尊は薬師如来で、1月8日の縁日にちなんだ「八日堂のお薬師さん」の名で知られています。しかし、室町時代に建立されたと推定される「和様」の三重塔の第一層には大日如来が安置されており、別所温泉の安楽寺八角三重塔の大日如来とともにレイラインの発着点を示しているようです。

信濃国分寺境内の芭蕉句碑

境内には芭蕉句碑「春もや々けしきと々のふ月と梅」も建っており、また、歴史に関心のある人には、関ケ原の戦いに臨む徳川秀忠の使者に対して真田昌幸がこの国分寺境内で会見し、和平を結んだと思わせ、油断した秀忠を破ったことも思い起こされます。

生島足島神社

信濃の古社、生島足島(いくしまたるしま)神社では、生きとし生きるもの万物に生命力を与える神「生島大神」と生きとし生けるもの万物を満ち足らしめる神「足島大神」の二柱が祀られています。

神島に鎮座する本社(上宮)

神島に鎮座する本社(上宮)

境内には、池に囲まれた神島に本社(上宮)が正面を北側に向けて建ち、それに向かい合うように諏訪神社(下宮)が建っています。神島にかかる橋は2つありますが、参拝するには左手にかかる石橋の参橋を渡っていきます。もう一つの朱色の橋は、「御神橋」といってこちらは神様の通る橋で、下宮の諏訪神が上宮に遷座する時のみ開かれるそうです。

諏訪神が渡る「御神橋」

真田信之が寄進したと伝わる諏訪神社の横には歌舞伎舞台があり、この中には、川中島での決戦を前に武田信玄が必勝を祈った「願文」や真田昌幸・信幸父子の「朱印状」など、数多くの文書が展示されており、歴史好きの私には興味深い場所でもあります。

信玄の「願文」が展示されている歌舞伎舞台

生島足島神社の次は、その旧跡とされる泥宮(泥をご神体とする宮)を参拝しました。泥宮は字のごとく、「泥(大地)」をご神体とし、生島足島神社が創建された際、精霊はここに残されたとされ、かつては生島足島神社の西鳥居と真っ直ぐな道で繋がっていました。

生島足島神社の旧跡「泥宮」

独鈷山山麓の名刹と信州の鎌倉「塩田平」

独鈷山(とっこざん)は山頂に奇岩怪石が多く、妙義山に似ている事から「信州の妙義山」と呼ばれています。周辺は塩田平の水源地として古代より信仰の対象となり、独鈷山を信仰の起源とするのは前山寺だけでなく、中禅寺塩野神社も同様で信仰の深さと広がりを感じます。塩田平は年間降水量が1000ミリに満たない乾燥地で、水源地の源である独鈷山信仰は自然のなりゆきだったと思われます。

雪景色の前山寺

前山寺は独鈷山麓にあり、本尊は大日如来で、空海が護摩修行の霊場として開創した古刹です。私のお目当ての三重塔は、高さ19.5mで柿葺(こけらぶき)の立派な屋根はありますが、窓も扉もなく、また廻廊もないことから「未完成の完成の塔」と言われています。しかし、中央に須弥壇(しゅみだん)が置かれ、室町時代の和様・唐様の折衷様式で、雪化粧した姿からは自然と調和して完成する塔のように感じました。

前山寺三重塔「未完成の完成の塔」

近くの中禅寺も、空海が雨乞い祈祷のため、独鈷山山頂付近に草庵(護摩壇)を結んだのが始まりとされ、伝承では空海が独鈷杵(とっこしょ)を埋めた事から独鈷山と呼ばれるようになったとも言われています。

信州の鎌倉「中禅寺」

鎌倉時代に入ると中禅寺は、源頼朝や塩田地方で影響力のあった塩田北条氏の帰依により寺運が隆盛し、鎌倉時代初期に建てられた薬師堂は、中尊寺金色堂に類似する中部日本最古の御堂建築です。

中禅寺薬師堂

「信州の学海」と信州最古の温泉「別所温泉」

また、この塩田平周辺には前山寺の他に安楽寺や北向観音などの社寺が点在し、「信州の鎌倉」と呼ばれています。そしてこの地には中国の高僧や多くの学僧が訪れたことから「信州の学海」とも呼ばれていますが、それは背後に豊かな湯で心まで洗われる別所温泉があったからだと思われます。

樵谷惟仙をはじめ多くの僧が学んだ「信州の学海」の代表は、慈覚大師が開創したと伝わる天台宗別格本山の常楽寺で、北向観音をお護りする本坊です。

北向観世音本坊常楽寺の本堂

寄棟造、茅葺の本堂裏には石造の多宝塔があり、北向観世音の出現された場所で、聖域とされています。本尊は大日如来の五つの智慧を表す五智如来の一尊で「妙観察智弥陀如来」と呼べれる宝冠を頂いた珍しい阿弥陀如来像です。

常楽寺の石造多宝塔

北向観音堂は平安時代に慈覚大師円仁が開いた霊場で、善光寺と向かい合うように本堂が北を向いており、「極楽往生」を願う善光寺と両参りしてっここで「現世利益」を祈ることで、ご利益があるとされています。かつては参道脇に長楽寺があり、本坊の常楽寺と安楽寺とともに「別所山楽寺」と呼ばれていました。

現世利益を祈る北向観音堂

安楽寺は信州最古の禅寺で、境内の奥には日本唯一の木造八角三重塔がそびえ、長野県では最初の国宝に指定されました。禅宗寺院であるにも関わらず、信濃国分寺ど同様に第一層内部には大日如来像が安置されており、太陽信仰(レイライン)との関連を連想させてくれます。

安楽寺の八角三重塔

レイラインという観点から古代遺跡を見るようになったのは、日本では数年前からですが、このレイラインという視点から古い神社仏閣を調べてみると、一見地味な信州上田・塩田平の古刹も海外の有名な遺跡にひけをとりません。

独鈷山の登山口に鎮座する塩野神社

特に前山塩野神社のような木々に囲まれた静かで神秘的な雰囲気は、日本人だけでなく、海外から訪れた人々をもやさしく包み込むような包容力の深さを感じさせてくれます。そして日本人がなぜ由緒ある神社仏閣に魅かれるのかがわかるような気がします。

前山塩野神社はかつては独鈷山山頂近くの鷲岩という大きな岩に祀ってあったものをこの地に移したと伝わる古い延喜式内社で、武田信玄の朱印状も納められています。

レイラインがつなぐ「太陽と大地の聖地」~龍と生きるまち 信州上田・塩田平~

所在自治体〔長野県: 上田市〕地域型

信州最古の温泉といわれる別所温泉、国土・大地を祀る「生島足島神社」、大日如来・太陽を安置する「信濃国分寺」は1本の直線状に配置され、レイライン(夏至の朝、太陽が日の出の際に地上につくる光の線)を繋いでいる。

生島足島神社

生島足島神社は夏至には太陽が東の鳥居の真ん中から上がり、冬至には西の鳥居に沈む。太陽と大地は、この神秘的な光景をレイラインとして現代に遺した。

先人たちが、この地が特別であると後世に伝えようと遺した様々な仕掛けは、今も、訪れる人々にパワーをチャージさせる。

一般社団法人日本遺産普及協会と日本遺産検定

私は2023年、「日本遺産ストーリー」を通じて地域の魅力を国内外に発信する目的で、有志とともに一般社団法人日本遺産普及協会を立ち上げました。そして、協会では日本遺産ブランドの普及と日本各地の文化や伝統の普及・活用に資する目的で日本遺産検定を実施しています。
本検定は3級・2級・1級に分かれ、まずは3級(ベーシック)が開始されていますので、「日本遺産」をはじめ「日本文化」「日本史」「地域振興」に関心のある方は、下記の『日本遺産検定3級公式テキスト』(黒田尚嗣編著・一般社団法人日本遺産普及協会監修)を参考に受験していただければ幸です。お問合せ先・お申し込み先:一般社団法人日本遺産普及協会

平成芭蕉メッセージ ~「旅の質」が人生を変える

「小説が書かれ読まれるのは人生がただ一度であることへの抗議」という言葉がありますが、私にとって旅することは、一度限りの人生を最大限に楽しむための創造活動なのです。そして私は、人生を楽しむために必要な「心のときめき」は、「知恵を伴う旅」を通じて得られると考えています。

そこでこの度、私はその知恵を伴う日本遺産や世界遺産の旅を紹介しつつ、平成芭蕉独自の旅の楽しみ方とテーマ旅行に関する企画アイデアノート、さらに著者が松尾芭蕉の旅から学んだ旅行術について紹介した『平成芭蕉の旅指南 人生が変わるオススメの旅 旅の質が人生を決める』と題した本を出版しました。このブログと合わせてご一読いただければ幸です。

私は平成芭蕉、自分の足で自分の五感を使って日本遺産を旅しています。

平成芭蕉の日本遺産

平成芭蕉の日本遺産

この「平成芭蕉の日本遺産」は、単なる日本遺産登録地の紹介や旅情報の提供ではなく、「平成芭蕉」を自称する私が、実際に現地を訪れて、地元の人と交流し、私が感じたことや認定されたストーリー対する私自身の所見を述べた記録です。

「令和の旅」へ挑む平成芭蕉

*「平成芭蕉の旅物語」サイトマップ参照

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