日本遺産の地を旅する~宮崎県初の日本遺産「西都原古墳群」
「日本遺産とは何か~歴史ある古代遺跡を活かす時代」
今年は平成から新元号へ変わる歴史的な年となりますので、先日、宮崎での「神武東遷」の旅をご紹介しましたが、この旅は宮崎から奈良の橿原までのストーリー性のある物語なので、私としては是非とも日本遺産に認定して欲しいと思っていました。
しかし、宮崎県ではこの「神武東遷」の物語に先立ち、宮崎市、西都市、新富町の「古代人のモニュメント―台地に絵を描く 南国宮崎の古墳景観」が昨年、県内初の日本遺産に登録されました。
そこで、さる2月23日にはこの宮崎県初の日本遺産登録を祝して「日本遺産おひろめかい」が西都市文化ホールにて開催されました。
この会には宮崎市の戸敷正市長と西都市の押川修一郎市長も列席され、日本遺産となった古墳景観のロゴマークも発表されました。
私もこの会で「日本遺産とは何か~歴史ある古代遺跡を活かす時代」という演題で講演させていただいたのですが、年々、古代史に関心を持たれる人が増えているようです。
また、講演後には花束贈呈を受け、宮崎市長から祝辞までいただき、大変うれしく思いました。
西都原古墳群と故郷三重県の美旗古墳群
この会場に近い宮崎市佐土原町には、私の出身地の名前である「黒田」という地名があり、かつて自分の祖先のルーツを研究していた父と一緒にこの古墳群を訪ねているので、とても懐かしく感じる場所です。
特に西都市の西都原古墳群を見学した父は、出身地である名張市黒田から初瀬街道を東に進んだ美旗古墳群に似ていると言っていましたが、私も今回訪ねてなるほどと思いました。
西都原古墳ほど広範囲ではありませんが、美旗古墳群は伊賀地方最大の古墳群で前方後円墳5基と横穴式石室を持つ円墳も現存しています。
私は今回、中心となる4世紀から7世紀にかけて造られた西都市の西都原古墳、新富町の新田原古墳、宮崎市の生目古墳もゆっくり見学しましたが、この景観はやはり海外の人にも知っていただきたいので世界遺産認定を目指すべきだと思いました。
南国宮崎の古墳群の見所とコノハナサクヤヒメ伝説
今回の日本遺産認定は、古墳のジャンルでは初の認定で、築造当時の景観が損なわれることなく残されてきたことが評価されたようですが、確かに新富町の新田原(にゅうたばる)古墳群は、現代の田園風景に馴染んでおり、全く違和感を感じません。
ちなみに自衛隊新田原基地のある「新富町(しんとみちょう)」の由来は、「新田(にゅうた)」と「富田(とんだ)」という二つの地区が合併してできたと言われています。また、新田原(にゅうたばる)の読みは、開墾の際に「新しく水田を作る」→「新田(にいた)」→「新田(にゅうた)」へと訛っていったのではないかと推定されます。
西都原古墳の目玉は土星のように見える鬼ノ窟(いわや)古墳(206号墳)ですが、大正4年、柴田常恵氏によって発掘調査された2号墳も興味深い前方後円墳です。
206号墳に「鬼」の名前がついているのは、富士山本宮浅間神社の祭神で桜のように美しいコノハナサクヤヒメの伝説から来ています。
すなわち、コノハナサクヤヒメに求婚した鬼に対して、ヒメの父は「窟を一夜で完成させれば姫を嫁にとらせる」と約束させられるも、その父は娘を鬼から守るために窟の石を抜き取って完成を阻止したのです。
この伝説もあって、この「鬼ノ窟古墳」近辺は、春は菜の花、夏はひまわり、秋はコスモスといった美しい花が彩りを添えてくれます。
西都古墳祭りと生目の葺石が再現された前方後円墳
特に神話に関心があれば、11月3、4日に行われる「西都古墳祭り」がお薦めです。
これは天孫ニニギノミコトとコノハナサクヤヒメの物語を再現した祭典で、西都原古墳群の中心でありながら、通常は立ち入れない宮内庁管轄の男峡穂塚(おさほづか)・女峡穂塚(めさほづか)も一部公開されますので、古代史ファンには魅力です。
西都原古墳と新田原古墳からは少し離れていますが、私は宮崎市の生目古墳群も印象に残っています。
奈良県の大神神社に近い箸墓古墳の相似形と言われる1号墳や、葺石が再現された5号墳の前方後円墳などは見ごたえがあります。
私は最近、目の疲れが激しいので、「日向の生目様」と呼ばれ、眼病の神様としても有名な生目神社にも参拝しました。
この神社には祭神である平(藤原)景清が、「源氏の世は見たくない」と言って自分の目をくりぬき、空に放り投げたという伝説が伝わっており、これが生目(イキメ)という地名の由来です。
宮崎には古墳時代から遡るいにしえの神話や、平景清のような上方落語に登場する物語もあって、まさに日本遺産のストーリーには事欠かない地です。
また、これはあまり知られていませんが、現在、東京都の五島美術館にある金銅製馬具類は、ここ宮崎県の百塚原古墳群から出土したと伝わっているのですが、なんとこれは国宝なのです。
よって、この国宝は宮崎県の西都原考古博物館に展示されていれば、もっと宣伝になるのではないかと思いました。
古代人のモニュメント~台地に絵を描く 南国宮崎の古墳景観
所在自治体〔宮崎県:宮崎市、西都市、新富町〕
日本独自の形である前方後円墳という古墳が造られた時代。
宮崎平野でも西都原古墳群を始め多くの古墳が造られました。
列島各地であまた造られた古墳のある景観(風景)は、時の移ろいの中で様変わりしますが、宮崎平野には繁栄した当時に近い景観が今も保たれています。
台地に広がる古墳の姿形が損なわれることなく、古墳の周りには建築物がほとんどない景観は全国で唯一です。
古墳を横から、上から斜めから、いろんな形と古墳のある景観を楽しんでみませんか?
一般社団法人日本遺産普及協会と日本遺産検定
私は2023年、「日本遺産ストーリー」を通じて地域の魅力を国内外に発信する目的で、有志とともに一般社団法人日本遺産普及協会を立ち上げました。そして、協会では日本遺産ブランドの普及と日本各地の文化や伝統の普及・活用に資する目的で日本遺産検定を実施しています。
本検定は3級・2級・1級に分かれ、まずは3級(ベーシック)が開始されていますので、「日本遺産」をはじめ「日本文化」「日本史」「地域振興」に関心のある方は、下記の『日本遺産検定3級公式テキスト』(黒田尚嗣編著・一般社団法人日本遺産普及協会監修)を参考に受験していただければ幸です。お問合せ先・お申し込み先:一般社団法人日本遺産普及協会
平成芭蕉メッセージ ~「旅の質」が人生を変える
「小説が書かれ読まれるのは人生がただ一度であることへの抗議」という言葉がありますが、私にとって旅することは、一度限りの人生を最大限に楽しむための創造活動なのです。そして私は、人生を楽しむために必要な「心のときめき」は、「知恵を伴う旅」を通じて得られると考えています。
そこでこの度、私はその知恵を伴う日本遺産や世界遺産の旅を紹介しつつ、平成芭蕉独自の旅の楽しみ方とテーマ旅行に関する企画アイデアノート、さらに著者が松尾芭蕉の旅から学んだ旅行術について紹介した『平成芭蕉の旅指南 人生が変わるオススメの旅 旅の質が人生を決める』と題した本を出版しました。このブログと合わせてご一読いただければ幸です。
私は平成芭蕉、自分の足で自分の五感を使って日本遺産を旅しています。
この「平成芭蕉の日本遺産」は、単なる日本遺産登録地の紹介や旅情報の提供ではなく、「平成芭蕉」を自称する私が、実際に現地を訪れて、地元の人と交流し、私が感じたことや認定されたストーリー対する私自身の所見を述べた記録です。