世界遺産 安芸の宮島観光のおすすめ 厳島神社参拝心得 | 【黒田尚嗣】芭蕉さんの旅講座

令和の「平成芭蕉」

令和の「平成芭蕉」

平成芭蕉の世界遺産

世界遺産 安芸の宮島観光のおすすめ 厳島神社参拝心得

更新日:

Pocket

にほんブログ村 旅行ブログ 世界遺産へ

安芸の宮島は江戸時代末までは神仏混合で、厳島神社、大聖院、大願寺は「三社体制」をとっていました。すなわち、大聖院が社僧を管理し、大願寺が神仏の修造を担当していました。
弁財天を祀る大願寺は厳島神社の社殿前にあり、弘法大師空海が開基した大聖院は霊峰弥山(みせん)の麓にあります。
宮島を訪ねる際には厳島神社だけでなく、大願寺、大聖院の参拝もおすすめします。また同じ世界遺産に指定されている弥山も訪ね、山頂に登ると天気によっては遠く四国連山まで望めます。

平清盛が信仰した「厳島神社」は日本三景から世界遺産へ

 世界遺産「厳島神社」は日本三景・安芸の宮島のシンボル

厳島神社の大鳥居

「せとうちDMO(Destination Management Organization)」は、2020年の東京オリンピックに向けて瀬戸内の魅力を国内外に発信していますが、今でいうこの瀬戸内の地域おこしと世界に向けて貿易ルート開発事業を最初に行ったのは平清盛です。
中国(宋)との交易による経済発展を構想していた清盛は、瀬戸内の安全を第一と考え、瀬戸内の海賊を退治して制海権を握った後、海上安全を守護する「厳島大神」を熱く信仰し、瀬戸内航海の無事を祈念しつつ日宋貿易を行ったと考えられます。
「厳島大神」を祀る厳島神社は、日本三景のひとつ「安芸の宮島」のシンボルでもあり、潮の干満によって趣をかえるその幻想的な姿は外国人にも人気があります。
厳島の名前は「斎(いつ)く」という心身を清めて神に仕えるという言葉に由来し、島全体が聖地として太古より崇められてきました。
そして厳島の神を崇めるために社殿を一新した平清盛ですが、寝殿造りを基本とした社殿を海上に建てたのは清盛独自のユニークな発想で、自然美と人工美が調和した他に類を見ない夢幻的な社殿群です。

厳島の3女神と5月15日の伝統行事「御島巡式」

厳島の神とは宗像三女神と総称される、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)、田心姫命(たごりひめのみこと)、湍津姫命(たぎつひめのみこと)の三柱です。
そして、厳島神社は明治以前の神仏習合の時代は隣接する大願寺と一体で、市杵島姫命は仏教の女神の弁才天と習合したため、大願寺は「日本三大弁才天」の1つとされています。
そこで、厳島神社にはこの3女神が鎮座の場所を探して浦々を巡ったという伝説にちなんで「御島巡式(おしまめぐりしき)」という珍しい伝統行事が毎年5月15日に行われています。
その中でも重要な養父崎神社の沖合で行われる御鳥喰式(おとぐいしき)は、海上に幣串と団子を供え、雅楽を奏すると雌雄2羽の神鴉(おがらす)が団子をくわえて養父崎神社に帰っていくというとても神秘的で、私、平成芭蕉のおすすめ行事です。

厳島神社は平家の象徴で不朽の信仰芸術

夢幻的な海上の宮殿「厳島神社」

一方、厳島神社の社殿は「玉御池(たまのみいけ)」と呼ばれる入江の中に建てられており、陸からの「回廊」は通路としてだけでなく、僧の読経舞楽の演奏の場、またあるときは観覧席としても利用されましたが、この回廊の床板には隙間があり、高潮の際には隙間から水が抜けて建物が浸水しない工夫がなされています。
しかし、台風や高潮で本殿が床上浸水することもたびたびあったのですが、御神体を祀る玉殿(ぎょくでん)は本殿内の檀上にあって、回廊から1m50㎝ばかり高いために、歴史上、一度も浸水していません。
干潮時には社殿から150m沖の大鳥居まで干上がりますが、満潮時にはまるで海上の宮殿にいるような壮大さから、平安貴族はこの厳島神社を「竜宮」と呼びました。
清盛がこの厳島神社を壮大なものにした理由は、厳島神社を平氏の氏神とし、平家の威勢示す目的があったと思われます。
栄華を誇った平家でしたが、清盛の死後、滅んでしまいます。しかし、平家の象徴となった厳島神社の権威は今も揺るがず、瀬戸内の観光事業にも貢献しています。
世界遺産の厳島神社は、平清盛という英雄が残した不朽の信仰芸術であり、交易立国としての「日本の魂」とも言えるでしょう。

by 【平成芭蕉こと黒田尚嗣】

にほんブログ村 旅行ブログ 世界遺産へ

Follow me!

Pocket

-平成芭蕉の世界遺産

Copyright© 【黒田尚嗣】芭蕉さんの旅講座 , 2019 All Rights Reserved Powered by STINGER.