「万葉集」をテーマとした旅⑤~令和元年に訪ねる若狭路 | 【黒田尚嗣】芭蕉さんの旅講座

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「万葉集」をテーマとした旅⑤~令和元年に訪ねる若狭路

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古今東西、人は美味しいものや美しいものを求めて旅をし、歴史を重ねてきました。
人も町も自然もすべてが美しい土地こそ不易の文化が光を放っています。
そこで伊勢志摩と同様に美味しい食材と美しい風景を誇る「御食(みけ)つ」国の若狭路は、令和の時代の万葉旅としてもおすすめです。




「万葉集」をテーマとした旅~令和元年に訪ねる御食つ国若狭

遠敷明神を祀る若狭一之宮

遠敷明神を祀る若狭一之宮

年が明けて1月は「行ってしまい」2月は「逃げて」3月は早々に「去ってしまいました」。そして4月で「平成」は終わりを告げ、「令和」の時代となり、「昭和」に続いて「平成」もまた歴史となりました。
先日、私は御食(みけ)つ国の伊勢志摩を巡り、改めて「常若(とこわか)」について考えさせられました。「常若」とは隣り合う敷地に全く同じ建築様式で新宮が建てられ、御装束神宝のたぐいも同様に一新される式年遷宮の精神です。
すなわち、「常に若々しく、古くなってもまた新しく再生する」ことによって、永遠に若さを継続していくという思想です。
また、これは外宮で行われる「日別(ひごと)朝夕大御饌祭(おおみけさい)」のような朝夕の食事を神様にお供えするといった、われわれの日常と変わらないことも、日々新たな気持ちで臨めば「常若」の精神に近づくと言われています。
そこで私はこの「常若」の精神を今一度実践するため、伊勢志摩に続いて同じ御食(みけ)つ国でその名も「若狭(わかさ)」の小浜へ若狭一之宮参拝を兼ねた万葉の旅に行ってきました。

かにかくに 人は言ふとも 若狭路の 後瀬の山の 後も逢はむ 君 

 巻4-737    坂上大嬢(さかのぅえのおおいらつめ)
 とやかく人がうわさをしても のちにはきっと逢いましょうね あなた

これは坂上大嬢が若狭の小浜の地を詠んだ歌で、「御食つ国 志摩の海女ならし」の歌で知られる大伴家持に送った、女の情念が激しく感じられる恋歌です。
この歌に対して大伴家持は次の歌を返し、後に坂上大嬢を妻に迎えています。

後瀬山 後も逢わむと 思へこそ 死ぬべきものを 今日までも行けれ
   巻4-739              大伴家持(おおとものやかもち)
 君と一緒になりたいと思えばこそ、死ぬ思いで今日まで生きてきました

小浜にある後瀬山は都でも若狭の代名詞として知られ、中央でも名高いこの山の名前に「後に逢う瀬」の意味をかけており、男女の息づかいが聞こえてくる相聞歌です。
万葉の時代は、男性が女性のもとへ毎夜、通うといった女性上位の時代で、私は若狭を舞台にした2人に「若さ」を感じます。

若狭路の東大寺お水送り伝説と若狭の風土

お水送り伝説の遠敷神社

お水送り伝説の遠敷神社

また、若狭の鯖街道沿いの地名、遠敷(おにゅう)丹生(にゅう)と同じ語源で、丹生とは水銀を産する土の意味で、赤い土のことです。
万葉時代の人たちはこの丹生の赤と絹の白に強い憧れを抱いたと言われています。
私はかつて東大寺でお水取りとお水送りの法話を授かった際、若狭のお水送りの起源となった若狭彦神社の遠敷明神遅刻の話についても聞きました。
それによれば、遠敷明神が遅刻のお詫びに、香水を若狭から送ることを約して二月堂の下の岩を打つと、清水が湧き、若狭鵜の瀬の白と黒の二羽の鵜が飛び立ったそうです。
白は女性、黒は男性を表し、古来から伝わる白鳥伝説や天女伝説を連想させる話です。

よって、私の若狭のイメージは太陽が日本海の海に沈む際、空と海を真っ赤にそめて、白い砂浜が日没とともに暗闇に消えていくという赤、白、黒のコントラストです。
若狭の小浜は応仁の乱以降、京文化を吸収し、御食(みけ)つ国であるだけでなく、山紫水明の美(うま)し国で、若々しさを感じる土地です。
風土とは、私のような風の人(よそ者)と土の人(土地の人)との触れ合いの中から生まれるイメージであり、その土地の本当の良さは、風の人にしか判りません。
すなわち、新しい令和時代には「交流」が何よりも大切であることを小浜の風土から学び、少し「常若」に近づくことができた若狭万葉の旅でした。

 

p>by 【平成芭蕉こと黒田尚嗣】

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