シルクロードのオアシス都市ブハラの象徴はなぜコウノトリ?
親日家の多い中央アジアのウズベキスタンが共和国として独立したのは、旧ソ連崩壊後の1991年で、国の歴史は浅いものの、紀元前からシルクロードの要衝として繁栄していました。
ウズベキスタンのほぼ中央に位置するブハラは、古代よりそのシルクロードのオアシスとして栄え、ザラフシャン川からの水量が豊富で、運河とハウズ(池)が数多くある水の都として、1993年には旧市街がユネスコの世界遺産に登録されました。
ハウズには街の人々が炊事、洗濯、水浴びなどで集い、またその近くに必ずコウノトリの巣がありました。実に1000年以上もの間、コウノトリは街に巣を作り続けてきたといわれており、ブハラの象徴とされています。
しかし、現在では衛生上の問題からハウズのほとんどは埋め立てられ、それとともにコウノトリの姿も少なくなりました。その代わり、コウノトリは手作りハサミのデザインとして残っています。
シルクロードの町といっても、その町の「顔」は様々ですが、ブハラはかつて荷を積んだ隊商が訪れたであろうオアシス都市をイメージするにはぴったりの町です。
私は青の都サマルカンドからシルクロードをバスで走り、ティムールの故郷シャフリサーブスを経由してブハラに来ましたが、今日でも周囲に大きな建物がないので、遠くからでも町の中心にそびえるカラーン・ミナレットの聳え立つ姿が確認できました。
2500年の歴史を誇るイスラム文化の中心地ブハラ
「カラーン」とはタジク語で「偉大」という意味で、天に聳える高さ約46mのカラーン・ミナレットはブハラで一番高い街のシンボル塔です。
ブハラは9世紀にイスラムのサーマーン朝が都としたことから、商業のみならず文芸や学問も発達して栄えましたが、13世紀のモンゴル軍の侵攻によって徹底的に破壊されます。古代ブハラの発祥の地と言われるアルク城はブハラ・ハーンの居城でしたが、この城に立てこもった住民はチンギス・ハーン率いるモンゴル軍により虐殺され、城も徹底的に破壊されたのです。
しかし、チンギス・ハーンがカラーン・ミナレットの前に来た際には、塔を見上げたら彼の帽子が落ち、腰をかがめて拾い上げると「この塔は私に頭を下げさせた立派な塔だから壊してはいけない」と言ったそうです。そのためブハラの町はモンゴル軍によって壊滅状態となるも、この塔だけは破壊を免れたのです。
カラーン・ミナレットのある「カラーン・モスク」の中庭へ入ると、正面に青い玉ねぎ型のドームが現れます。名前の通りとても大きなモスクで、広さは約1ヘクタール、広場の周りは回廊で囲まれ、いくつものアーチ状の柱が連なるとても美しい造りになっています。
また、モスクの向かい側には、ふたつの青いドームが特徴的な神学校「ミル・アラブ・メドレセ」が建っており、私はそのドームと「カラーン・ミナレット」を入れて写真に収めました。
また、長らく砂に埋もれていたイスマイル・サマニ廟も破壊も免れましたが、この廟は日干しレンガを組み上げ、9m四方の建物の上にドームを乗せた、イスラム以前の文化も見られる中央アジアに現存する最古のイスラム建築です。派手な彫刻が施されているわけではありませんが、レンガの積み上げ方を工夫することで、すばらしく精緻な装飾に見えます。この建造物は、特に月の明かりの下で見ると美しく、邪念を捨て、願い事を唱えながら周囲を3回まわるとその願いが叶うと信じられています。
ブハラの町の中へ歩を進めると、商店街が交差する部分にドームの屋根が付いた独特の空間「タキ」が現れます。昔はこのタキ(丸屋根の意)の脇にラクダがつなげられ、東西から運ばれてきたいろいろな物品が並べられていました。
今ではアーケードのある商店街といった感じで、珍しい宝石や伝統の布「スザニ」、サフランなどのスパイスが並ぶ店がありました。タキを出たところにはコウノトリのハサミを作る刃物屋さん、遊牧民の装飾品や民芸品を売る店もあり、愛くるしい子供が働いていました。
また、ブハラの旧市街の中心からは少し離れますが、私の印象に残った建物は、かつて屋根の上にコウノトリの巣があったと伝わる「チャール・ミナール」です。これは「4つのミナレット」という意味で、昔インドの商人が4人の娘のためにこの塔を建設するも、その娘たちの姿・性格が4者4様だったため、それぞれのミナレット装飾には違うデザインを採用したと言われています。
隊商の気分が味わえるブハラのラビハウズ
世界遺産の町ブハラには、魅力的な建造物が多く残っていますが、歴史的な建築物だけでなく、漂う雰囲気も一緒に味わっていただきたいと思います。例えば、市民の憩いの場「ラビハウズ」という正方形の池を中心に徒歩で散策すると、隊商の気分が味わえると同時に樹齢数百年の木々から、かつてのブハラの象徴であったコウノトリの巣もイメージできます。
このラビハウズは1620年に造られた46m×36mの大きさの池で、アブドゥールアジス・ハーンの大臣であったナディール・ディヴァンギが、立ち退かないユダヤ人女性の家の下に運河を通して作ったことから「力ずくのハウズ」とも呼ばれています。
また、近くのナディール・ディヴァンベギ・メドレセの前には、ユーモラスな格好をした「フッジャ・ナスレッディンの像」があり、「触ると幸せになれる」という言い伝えがあって、多くの人が触るので、銅像の一部がピカピカになっています。彼は立派なイスラム神学者でしたが、この像のポーズのようにユーモラスな授業をすることで人気を得ていたそうです。
このナディール・ディヴァンベギ・メドレセはイスラム教の学校(マドラサ)ですが、正面にはイスラムの教義に反する鳳凰と太陽が描かれています。その理由ですが、もともと設計者はここをキャラバン・サライ(行商の人々の為の宿)のつもりで作っていたのですが、時の権力者ナディール・ディヴァンギが完成後「お〜!これは立派なメドレセ(神学校)だ」と言ったことからメドレセになったという逸話が残っています。
このナディール・ディヴァンベギ・メドレセ内でのブハラ民族舞踊ショーを見学すると、周囲のモスクやメドレセに描かれているデザインの意味が伝わってくるようで、かつてのオアシスの隊商になった気分も味わえます。
祝!日本の縄文文化「北海道と北東北の縄文遺跡群」が世界文化遺産登録
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★関連記事:平成芭蕉の旅のアドバイス「旅して幸せになる~令和の旅」
私は平成芭蕉、自分の足で自分の五感を使って世界遺産を旅しています
「平成芭蕉の世界遺産」はその世界遺産についての単なる解説ではなく、私が実際に現地に赴いてその土地に生きる人たちと交流した際に感じた感動の記録です。