令和の「平成芭蕉」

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平成芭蕉の世界遺産

平成芭蕉の世界遺産 心で感じる世界遺産『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群

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目で見るのではなく心で感じる世界遺産 「神宿る島」宗像・沖ノ島

平成芭蕉の「世界遺産への旅」

平成芭蕉の「世界遺産への旅」

日本的な世界文化遺産 『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群

世界遺産とは、人類が共有すべき「顕著な普遍的価値」を持つ物件のことで、有形文化財や景観、自然など目に見える不動産が対象とされています。しかし、「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」として登録された世界遺産は、宗像大社という目に見える建物が対象ではなく、福岡県宗像市と福津市での宗像三女神への固有の信仰や祭祀が今日まで継承されていることが評価された、極めて日本的な文化遺産です。

一般的に宗像大社と言えば、イメージされるのは「宗像大社辺津宮(へつみや)」ですが、この文化遺産を味わうには、宗像大社辺津宮へ参拝するだけでなく、現代まで続く固有の信仰・祭祀の歴史と島全体がご神体である沖ノ島の意義を理解することが重要です。

宗像大社辺津宮

そもそも、宗像大社だけが世界遺産になったわけではなく、世界遺産リストに登録された正式名称は”「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群”であり、沖ノ島(宗像大社沖津宮、小屋島、御門柱、天狗岩)宗像大社中津宮(御嶽山祭祀遺跡を含む)、沖津宮遙拝所宗像大社辺津宮そして新原・奴山古墳群が含まれます。

玄界灘に浮かぶ周囲約4キロの沖の島には、宗像三女神の長女神である田心姫神(たごりひめのかみ)を祀る沖津宮が鎮座しています。この沖ノ島は、整った形でよく目立つため、日本と朝鮮半島を行き来した船は沖ノ島の存在を目印にしていました。当時の船は手漕ぎの小さな船で、途中で船が壊れてしまうことも多く、古代の航海は死と隣り合わせであったため、航海の目印となる沖ノ島の存在がどれほど重要だったかは、想像に難くありません。

心で感じる「沖津宮」(宗像大社公式ホームページより)

そこで沖ノ島に航海の安全を祈るようになったことで、信仰が生まれました。実際、古代祭祀の変遷を示す貴重な考古遺跡がほぼ手つかずの状態で残され、この島で出土した約8万点にも及ぶ神宝は全て国宝に指定されており、「海の正倉院」とも言われています。

ちなみに沖ノ島には、昔から4つの禁忌、すなわち①島で見聞きしたことを他人に話さない、②一木一草一石たりとも持ち出してはならない、③禊をせずに島に入ってはいけない、④島で四つ足の動物を食べてはいけない、があり、現在でも守られています

そして宗像大社の由来となる「宗像三女神」は、古代の人々が沖ノ島に航海の安全を祈った気持ちから生まれました。そのため、宗像三女神の女神様の名前は、海の自然現象や島の古い言葉が関係しており、宗像大社沖津宮(沖ノ島)の田心姫神は、別名が「霧」に由来する田霧姫(たきりひめ)、宗像大社中津宮(大島)は、玄界灘の激流の「たぎる」から湍津姫神(たぎつひめのかみ)、宗像大社辺津宮(九州本土)の市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)は神様を祭る「いつく」という言葉に由来しています。

宗像氏の存在を物語る新原(しんばる)・奴山(ぬやま)古墳群

古代祭祀遺跡を含む沖津宮,中津宮,辺津宮は,宗像大社という信仰の場として現在まで続いてきましたが、その信仰を担い、育んだ宗像氏の存在を物語る資産が、福津市に残る新原(しんばる)・奴山(ぬやま)古墳群です。

世界遺産「新原・奴山古墳群」

宗像氏は、海を越えた交流の担い手として沖ノ島祭祀を行い、信仰の伝統を育んだ古代豪族で、5〜6世紀、入海に面して沖ノ島へと続く海を一望する台地上に墳墓群を築きました。前方後円墳5基、円墳35基、方墳1基の計41基が現存しており、中でも5世紀に入海に突き出た位置に7号墳は、宗像地域では珍しい方墳で、沖ノ島祭祀と共通する鉄斧が発見されています。

宗像氏の新原・奴山古墳群

 しかし、ご神体の沖ノ島へは一般の上陸は禁止されているので、おすすめは九州本土から約6.5km離れた、大島に上陸することです。大島に到着したら、まずは宗像三女神の湍津姫神を祀る中津宮へ参拝しますが、中津宮は有名な「七夕伝説」の発祥の地と言われており、境内の川は「天の川」と呼ばれ、牽牛神社・織女神社も祀られており、この祭りは鎌倉時代から続いています。

大島の「天の川」と織女神社

この天の川伝説では、「唐に渡った貴公子が織女を伴って帰国後、二人は離ればなれとなり、日々織女に想いを寄せていたら、ある夜の夢枕で、天の川にタライを浮かべると水鏡に織女が映るとのお告げがあり、それから貴公子は神仕えをした」と伝えています。また、中津宮は美しい朝焼けも魅力で、立春と冬至の頃には、参道の延長線上に朝日が昇り、その美しい光景は「光の参道」と呼ばれていますが、とても感動的です。

そして大島の北に「沖津宮遙拝所」がありますが、ここが神話の時代より国家鎮護を祈る沖ノ島に最も近づける場所で、渡島できない沖ノ島に対しては、ここから遥拝するのです。

大島の「沖津宮遙拝所」

すなわち、この「神宿る島」の世界遺産は目で楽しむ遺産ではなく、「すぐれて畏れ多いもの」を心で感じる遺産なのです。

平成芭蕉メッセージ ~「旅の質」が人生を変える

「小説が書かれ読まれるのは人生がただ一度であることへの抗議」という言葉がありますが、私にとって旅することは、一度限りの人生を最大限に楽しむための創造活動なのです。そして私は、人生を楽しむために必要な「心のときめき」は、「知恵を伴う旅」を通じて得られると考えています。

そこでこの度、私はその知恵を伴う日本遺産や世界遺産の旅を紹介しつつ、平成芭蕉独自の旅の楽しみ方とテーマ旅行に関する企画アイデアノート、さらに著者が松尾芭蕉の旅から学んだ旅行術について紹介した『平成芭蕉の旅指南 人生が変わるオススメの旅 旅の質が人生を決める』と題した本を出版しました。このブログと合わせてご一読いただければ幸です。

参考記事:世界遺産の旅における「へー、そうだったの」

★関連記事:平成芭蕉の旅のアドバイス「旅して幸せになる~令和の旅」

私は平成芭蕉、自分の足で自分の五感を使って世界遺産を旅しています

平成芭蕉の世界遺産

平成芭蕉の世界遺産

「平成芭蕉の世界遺産」はその世界遺産についての単なる解説ではなく、私が実際に現地に赴いてその土地に生きる人たちと交流した際に感じた感動の記録です。

「令和の旅」へ挑む平成芭蕉

*「平成芭蕉の旅物語」サイトマップ参照

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