「忍城」城主の末裔阿部正靖氏の講演 | 芭蕉さんの旅講座

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「忍城」城主の末裔阿部正靖氏の講演

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忍城での阿部正靖氏の講演

さる6月23日(土)、日本遺産に認定された行田市にある忍城(石田光成の水攻めに耐え抜いた逸話から「浮き城」とも呼ばれる)において、元忍藩主で老中でもあった阿部忠秋の末裔、阿部正靖さんの講演がありました。

阿部氏と言えば、ペリー来航時に幕府の優秀な老中であった阿部正弘が有名ですが、とにかく老中を多く輩出した名門の家系です。

その阿部家の血を引く阿部正靖さんは私の大学の先輩でもあり、これまでにも何度か講演をしていただいておりますが、今回は忍城が続百名城に認定され、戊辰戦役150年を記念した企画でした。

その講演の中で印象に残った話が次の「生類憐みの令」についてのお話です。

「生類憐みの令」の意義

この法律は江戸時代の第5代将軍徳川綱吉によって制定され、鷹の餌になる犬の保護を中心に「生類を憐れむ」ことを趣旨とし、捨て子や病人、動物保護のための法令ですが、これは1回で出されたものではなく、複数回に分けて発布された諸法令でした。

しかし、「江戸に多いもの、伊勢屋、稲荷に犬の糞」と落語でネタにされるほど、犬の糞が放置される原因にもなった誤解の多い法令です。

すなわち、第8代将軍の吉宗が「鷹狩りの邪魔になる犬を遠くへ捨てなさい」とお触れを出すまで犬が増え続けたと言われています。

しかし、この法令のおかげで、以前は刀を買った武士が試し切りと称して、辻切りをしていた習慣がなくなり、それまで命が軽んじられていた世の中の倫理観が変わったのです。

さらに、
・捨て子や堕胎の禁止
・動物遺棄の禁止
・囚人の境遇を改善
など、それまでの為政者では発想だにしなかった、先進的な内容でした。

これを悪法として広めたのは、鷹狩りの楽しみを奪われた武士階級ではなかったかと思います。by【平成芭蕉

 

 

 

 

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