平成芭蕉の駅弁談義~駅弁の歴史と味わい方 | 【黒田尚嗣】芭蕉さんの旅講座




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平成芭蕉の駅弁談義~駅弁の歴史と味わい方

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私は平成芭蕉、自分の足で自分の五感を使って「共感」する旅をしています。

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平成芭蕉が体験した感動を「旅行+知恵=人生のときめき」をテーマにお話しします。

餃子のまち宇都宮は駅弁発祥の地

栃木県の宇都宮は今日では餃子が有名で、私もしばしばその餃子と駅弁を目的に訪れますが、「餃子のまち」の基礎を築いたのは宇都宮陸軍第14師団の人たちでした。

交通の要衝だった宇都宮には戦前、旧陸軍第14師団が置かれ、満州における関東軍の主力として活躍し、陸軍最強部隊と呼ばれていたのですが、兵士たちはこの満州滞在中、当地の中国人たちから餃子作りを学んだのです。

そして、戦後、復員・帰国した第14師団の人たちが、ふるさと宇都宮で満州仕込みの餃子づくりを始めたのが、今日の「餃子のまち宇都宮」の由来です。

しかし、あまり知られていませんが、餃子のまち宇都宮は駅弁発祥の地でもあるのです。
すなわち、明治18(1885)年7月16日、日本鉄道の嘱託を受けた旅館「白木屋」(後の「白木屋ホテル」)が、この日開業した日本鉄道宇都宮駅でタクアンと握り飯2個を竹の皮に包んで販売したのが駅弁の最初と言われています。

宇都宮の駅弁第1号

宇都宮の駅弁第1号

そのため、宇都宮駅での駅弁発売日である7月16日は「駅弁記念日」となっていますが、実のところ発祥については諸説あります。しかし、おおよその時代として明治10年代ということは間違いないと思われます。

そして明治20年代になって東京~神戸間の東海道本線が全線開通し、鉄道網が全国的に広がるに伴い、駅弁の販売も普及していきました。

例えば明治21(1888)年、国府津(こうづ)駅で東海道線初の駅弁「握飯駅弁」が売られ、翌年には姫路駅で「幕の内弁当」が初めて販売されています。

「駅弁」の種類と変遷~軍弁と外食券制度

駅弁は、本来「駅構内で販売される弁当」の意味ですが、日本国有鉄道(国鉄)時代には白飯と焼き魚、肉料理、卵焼きなどの一般的な惣菜を使用したいわゆる「幕の内弁当」系列の「普通弁当」とそれ以外の「押しずし」などの「特殊弁当」に区分されていました。

さらに国鉄は「米飯が入っていないものは駅弁ではない」としたために、大船駅の「サンドウィチ」などは国鉄末期まで駅弁としては認められませんでした。

大正時代に入ると、大正デモクラシーの新しい文化が花開き、人々の意識も高まりを見せて、駅弁の「掛け紙」のデザインも世相を反映した斬新なデザインの傑作ラベルが多く現れました。

「掛け紙」とは駅弁を包んでいる一種の包装紙ですが、味自体には関係なくてもそのデザインによって駅弁の生まれた土地の文化的風土が表現されており、駅弁の歴史を知る材料にもなります。

そして日清戦争、日露戦争で勝利した日本は勢いで樺太や朝鮮半島などの大陸方面にも勢力を伸ばし、朝鮮や満州(南満州鉄道)などにも駅弁が登場しましたが、昭和に入ってからは昭和4(1919)年の世界恐慌のあおりを受け、不況の中で次第に主食の米や食糧が欠乏しはじめました。

政府は節米政策、続いて砂糖の配給統制、飲食店での米飯提供禁止などを実施して、ついに駅弁も米飯に雑穀が混入されたり、「おいも弁当」や「蒸しパン」などの代用食になりました。

そして戦時中には、出征先に向かう兵隊さんの鉄道輸送時の食事に供する軍用弁当、いわゆる「軍弁」が登場します。

この「軍弁」こそ、先の宇都宮第14師団の戦地に向かう兵隊さん用弁当として、宇都宮で駅弁業者が大量に供給していたものです。すなわち、戦地に向かう兵隊さんの食欲を満たした「軍弁」は、戦争を通じて駅弁と関連があったのです。

そして戦争末期の昭和20(1945)年7月からは食糧統制により、「外食券制度」でしか駅弁が買えなくなってしまいました。
しかし、終戦後の昭和21(1946)年、駅弁業者の団体である社団法人日本鉄道構内営業中央会が設立され、昭和27(1952)年には駅弁業者が米の生産地と交渉して屑米(等外米)の配給を受け、主食である米の入った弁当「等外米お弁当」を売り出し、ようやく駅弁らしい駅弁が復活ということになりました。

そして「外食券制度」は、食糧事情が好転した昭和31(1956)年に廃止されています。

この昭和31(1956)年には東海道本線の全線電化が完成、昭和33(1958)年には特急「こだま」にビュッフェ車が登場し、横川駅では有名な「峠の釜めし」が売り出されました。

そして、昭和元禄と呼ばれた昭和39(1964)年、東海道新幹線が開通し、空前の旅行ブームの波に乗り、駅弁も多様化して特殊弁当が多く売り出されるようになりました。

駅弁もこの頃がピークで、全国各地の主要な駅では、到着した列車の窓を開けて立ち売りの販売員から駅弁を買うという姿が至るところで見られました。

しかし、東海道新幹線の開業は、鉄道高速化時代の幕開けとなりましたが、一方でのんびりと列車で旅しながら各地の駅弁を食べるという、鉄道の旅の楽しみが消えていく契機となりました。

開業した「東海道新幹線ホームで駅弁の立売をするのは危険である」との理由で駅弁販売が禁止されたことがその転機と言われています。

在来線においても特急の停車時間が短くなり、車両の窓も開かなくなったことで、駅弁がホームでは買いにくくなったことも原因です。

そのため、駅弁が時代遅れの「過去の産物」として追いやられ、特に昭和50年代以降の自家用車の増加による鉄道離れ、さらには安価なファーストフードやコンビニ弁当の普及などによって駅弁を買う客が激減していきました。

五感で味わう「駅弁」

しかし、駅弁業界の衰退を食い止めようと、駅弁屋さんもいろいろな工夫を試み、地域の産物を生かした名物弁当づくりや駅弁大会などの各種イベントへの参加、さらに客のニーズに合わせた加熱式や保温式駅弁、キャラクター駅弁などが開発され、今日では町おこしや村おこしの期待を背負った駅弁など、さまざまな駅弁が売られています。

また、駅弁はコンビニ弁当などの「ファーストフード」に対して、「スローフード」という、環境や健康を害さない安全で手間暇かけて作られる食品の代表とみなされるようになってきています。

すなわち、今日の駅弁業界では、素材にこだわって無添加を売りにする駅弁や栄養のバランスを考えた駅弁など、「スローフード」としてさまざまな商品が生まれ、駅構内の「駅弁コーナー」だけでなくデパートの店頭にも並ぶようになりました。

秋田駅の「駅弁コーナー」

秋田駅の「駅弁コーナー」

この現実は、駅弁は今や駅で客を待って販売するのではなく、駅から飛び出してビジネス客や一般の買い物客にもアピールする時代になったような気がします。

「駅弁」本来の意味は失われますが、「駅弁」の存在は旅を忘れつつある忙しい私たちに旅の本質を教えてくれます。

なぜなら駅弁は、その土地の気候、土壌、水、植生などの「風土」に即したもので、駅弁を食べることは、すなわち駅弁の文化的風土や精神的風土を体感することにもなるからです。

そこで、駅弁はたとえ自宅で食べる際にも、味覚だけでなく盛り付けや彩りなどからその土地の風土を感じ、視覚・触覚・嗅覚さらには聴覚を研ぎ澄まして調理人のごとく、五感で味わってみてはいかがでしょうか。

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by 【平成芭蕉こと黒田尚嗣】

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