令和の「平成芭蕉」

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平成芭蕉の旅語録

平成芭蕉の旅語録~伊能忠敬ゆかりの地を訪ねる【九十九里・佐原編】

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人生を二度生きた伊能忠敬ゆかりの地を訪ねる

2022年7月30日、私は映画「大河への道」に描かれた伊能忠敬ゆかりの地を訪ねる(九十九里・佐原編)「伊能忠敬を育んだ北総の台地へ 誕生地九十九里から佐原をめぐる」ツアーに同行し、九十九里町の伊能忠敬記念公園、銚子マリーナの測量記念碑そして佐原の伊能忠敬旧宅伊能忠敬記念館を案内してきました。

この伊能忠敬ゆかりの地を訪ねる旅は前編・後編に分かれており、後編は9月17日に江戸編として「念願の隠居生活から江戸へ 東京の由緒ある下町・深川から浅草をめぐる」ツアーが実施されました。

伊能忠敬ゆかりの地を訪ねる旅

★関連記事:平成芭蕉の旅語録~伊能忠敬ゆかりの地を訪ねる【江戸編】

伊能忠敬出生の地、九十九里町の小関村

伊能忠敬は延享2年(1745年)1月、九十九里浜の片貝漁港の近く、母ミネの小関家のあった山辺郡小関村(現九十九里町)で生まれ、幼名は三治郎と言いました。

母の死後、11歳で父の生家である小堤(おんずみ)村の神保家に帰って勉学に励んだ後、宝暦12年(1762年)、18歳で佐原の伊能長由の一人娘ミチの養子となり、伊能家だけでなく、佐原村のためにも尽力したのです。

その間に数学、測量を研究し、50歳で江戸に出て天文学・地理学を修め、第2の人生として日本全土の測量に従事し、「大日本沿海輿地全図」の作成に着手、弟子たちがそれを完成させたのです。

伊能忠敬記念公園

ツアーで最初に訪れた九十九里町の「伊能忠敬記念公園」には、明治時代の文学者徳富蘆花の兄である徳富蘇峰の筆による「伊能忠敬先生出生之地」と刻まれた記念碑が建てられています。

伊能忠敬先生出生之地

そして、伊能忠敬誕生250周年と町制施行40周年を記念して、記念公園内には象限儀を用いて天測をする伊能忠敬の銅像が大きな岩の上に建てられ、海岸線測量を続けた彼の不屈の精神を造形化しています。

公園内にある伊能忠敬像

公園の説明板によると、三治郎7歳のときに母ミネは亡くなり、婿養子だった父貞恒は兄と姉を連れて実家の小堤(おんずみ)村の神保家に戻るも彼は漁業を営んでいた小関家納屋番として4年間残ったと記されています。

伊能忠敬生誕の地

なお母方の小関家先祖の墓は、近くの妙覚寺境内墓地に在りますが、三治郎は10歳までこの地で過ごし、当時の妙覚寺住職に数学などを学んだと言われています。そして、11歳になると、父に引き取られ、生家から15㎞ほど離れた現在の横芝町小堤の神保家で兄と姉と共に過ごし、17歳で佐原の伊能家に婿養子で入るまで、父の実家で勉学に励みました。

小関家ゆかりの妙覚寺

伊能忠敬が富士山測量した銚子「東洋のドーバー 屏風ケ浦」

今回は父の実家のあった横芝町には立ち寄らず、九十九里から一路、伊能忠敬が富士山を計測した銚子を目指しました。伊能忠敬の測量記念碑は東洋のドーバーと言われる屏風ケ浦(びょうぶがうら)を前面に眺める「銚子マリーナ」海水浴場にあります。

銚子マリーナ海水浴場

屛風ヶ浦は、かつて東国三社詣(香取・鹿島・息栖神社)と共に江戸っ子に人気のあった「銚子の磯めぐり」のハイライトで、遠くに富士山を望むことができる名所としても知られていました。

東洋のドーバー「屛風ヶ浦」

「伊能忠敬測量記念碑」は、彼が銚子から富士山の方位を測定したことを伝える記念碑で、稲田石と呼ばれる立派な白御影石(高さ1.3メートル、幅1.7メートル、厚さ1メートル)が使われ、埋め込まれた陶板には「伊能大図」や解説文が記され、そばには富士山の方向が示されています。

伊能忠敬銚子測量記念碑

隣接する名洗港海浜公園には、テラスなどもあって夕陽を眺めることもできますが、この地は銚子ジオパークにも指定されており、約1億5000万年前からの銚子誕生の記録が地層を通して観察できます。

銚子ジオパーク「屛風ヶ浦」

しかし銚子と言えば、連続テレビ小説「澪つくし」の舞台として知られ、大正末期から終戦後の昭和にかけて、“陸(おか)者”と“海者”が対立する漁港の町銚子で、しょうゆ醸造を家業とする旧家の娘・かをると、網元の長男が波乱万丈の人生を歩みながら愛をはぐくむ物語が印象に残っています。

「澪つくし」ロケ地

ぬれ煎餅で有名な銚子電鉄の外川駅の駅舎には、そのロケが行われた当時の写真が紹介されています。

銚子電鉄「外川駅舎」

昼食は太平洋の大海原を一望できる「銚子ポートタワー」傍にある水産物卸売センター「ウオッセ21」のレストランで海鮮丼を食べましたが、目前には利根川の雄大な流れも見ることができました。

ウオッセ21と銚子ポートタワー

銚子港に注いている利根川は、かつては江戸湾(現在の東京湾)に注いでおり、今の利根川の流れは、人の手によって東に向けられたものです。これは、数次に渡る瀬替えの結果であり、利根川東遷事業と呼ばれる河川改修工事によるものです。

銚子港に注ぐ利根川

銚子漁港は関東平野と豊かな漁場の太平洋を背景に、この利根川東遷により発達した水運を利用して江戸に東国の物産を供給、江戸のくらしや経済を支えながら発展したのです。

伊能忠敬の旧宅と伊能忠敬記念館

伊能忠敬ゆかりの佐原も、江戸時代、海難事故の多かった房総沖を避け、銚子から利根川を遡(さかのぼ)って江戸に至る主要水運の拠点となったため、下利根随一の河港商業都市として栄えたのです。

伊能忠敬ゆかりの佐原の街並

伊能忠敬は17歳のときに佐原の伊能家に婿入りし、49歳で隠居するまで、商才を発揮して伊能家に多大な資産を残したと言われています。忠敬が伊能(三郎右衛門)家に婿養子に入るきっかけは、六代景利の三男で九代目の当主・長由が中村(現多古町)の平山家から嫁いだ妻タミと一人娘のミチ(達)を残して病死したことです。跡継ぎとなったミチは、母タミの実家である平山家に相談、平山家と親戚であった忠敬の父の神保家の三治郎を迎えたのです。

旧宅内に建つ佐原時代の伊能忠敬像

佐原の「伊能忠敬旧宅」は、小野川に面して店舗、炊事場、書院そして土蔵が残っていますが、店舗と正門は忠敬が婿養子に入る以前の建物です。旧宅には測量器具が展示されていましたが、地球の大きさを知るために全国測量を始めたというのはすごい発想で、まさに「天を測り地を量る」という一種の芸術のように感じました。

伊能忠敬旧宅

旧宅の敷地内に伊能忠敬の家訓碑と日本遺産認定の案内板がありましたが、私は佐原を訪れた人には、深い郷土愛と使命感をもって郷土のために尽くした伊能忠敬のストーリーを知っていただきたいと思いました。

伊能家旧宅内の日本遺産説明板

伊能忠敬旧宅前の小野川にかかる樋橋(とよはし)は、人を渡す橋ではなく、江戸時代につくられた佐原村用水を、小野川の東岸から西岸の水田に送るための大樋で、コンクリートの橋になってからも橋の下側につけられた大樋を流れる水が、「ジャージャー」と音を立て、「じゃあじゃあ橋」と呼ばれています。私たちが旧宅の見学を終えて、伊能忠敬記念館に向かおうとしたちょうどその時、タイミングよく樋橋が「ジャージャー」と音を立ててくれました。

ジャージャーと音を出す「樋橋」

「伊能忠敬記念館」は江戸時代中期の国学者、楫取魚彦(かとりなひこ)の旧宅跡に建っており、国宝の伊能忠敬関係資料、伊能図、測量器具だけでなく、伊能図を持ち出して海外に日本の正確な姿を紹介したシーボルトに関する展示もあり、とても興味深い展示内容です。

国宝資料を展示する「伊能忠敬記念館」

この記念館を見学すれば、彼が精度の高い地図を作成できた理由は、複数の測量方法を用いて誤差を最小限に抑える測量法を導入し、丁寧で根気強い測量を継続したことにあると理解できます。

なお、楫取魚彦(かとりなひこ)は本名を伊能景良と言い、名家である伊能茂左衛門家の出身で、遠縁の親族が伊能忠敬(伊能三郎右衛門家)です。

楫取魚彦旧宅跡

伊能忠敬は息子に家督を譲って隠居してからは、佐原から江戸の深川に移り、黒江町に隠宅を構え、幕府天文方高橋至時(よしとき)の門弟となり、天文学を本格的に学びました。天文学を学ぶうちに、地球の大きさを知りたいと思うようになった彼は、子午線1度の長さを求めるために、蝦夷地(北海道)まで赴いたと言われています。

伊能忠敬が用いた測量器具

伊能忠敬からのメッセージ

伊能忠敬は遺言により、東上野の源空寺にある師の高橋至時の傍らに葬られましたが、佐原の観福寺には爪と遺髪の納められた墓が、妻ミチの墓とともに並んでいます。

観福寺の伊能忠敬夫妻の墓

そこで、私たちは佐原の町を散策した後、伊能家の菩提寺でもあり、忠敬夫妻の墓のある観福寺も参拝しましたが、この寺は川崎大師、西新井大師と並ぶ日本厄除三大師として知られ、また、本尊の聖観世音菩薩は平将門の守護仏でした。

日本三大厄除大師「観福寺」

墓前で伊能忠敬の人生を振り返ると、二人分の人生が詰まっているように感じました。

伊能忠敬は地図を作った人として有名ですが、この佐原を訪れると商家の入り婿となり苦労を重ね、「家訓」を守りながら伊能家の資産を3億円から70億円にまでにしたビジネスの達人とも言えます。さらに、50歳から天文学・暦学を勉強し、73歳までに4000万歩を歩き、日本全国の地図を作った強靭な肉体と精神を持ち合わせた人です。

伊能忠敬の作った家訓

「世のため人のため」私財を投じて後世に残る事業をやりぬいた伊能忠敬は、私たちも目標にすべき人です。足かけ17年にわたる全国測量をおこなった愚直な精神は、現代人には失われています。効率化、省力化、成果主義が標榜され、短時間で利益を得たいという風潮に対して、伊能忠敬がアンチテーゼのメッセージを送っているように感じました。

日本の縄文文化「北海道と北東北の縄文遺跡群」が世界文化遺産!

「北海道と北東北の縄文遺跡群」が世界文化遺産に登録されたことを記念して、私はみちのくを旅した芭蕉の研究本『松尾芭蕉の旅に学ぶ』と共に『縄文人からのメッセージ』というタイトルで縄文文化を語り、平成芭蕉の『令和の旅指南』シリーズ(Kindle電子本)として出版しました。人生100歳時代を楽しく旅するために縄文人の精神世界に触れていただければ幸いです。

また、日本人の心に灯をつける『日本遺産の教科書』、長生きして人生を楽しむための指南書『人生は旅行が9割』、感情の老化を防ぐ私の旅日記である『生まれ変わりの一人旅』とともにご一読下さい。

★平成芭蕉ブックス
 ①『人生は旅行が9割 令和の旅指南Ⅰ』: 長生きして人生を楽しむために 旅行の質が人生を決める
 『縄文人からのメッセージ 令和の旅指南Ⅱ』: 縄文人の精神世界に触れる 日本遺産と世界遺産の旅
 『松尾芭蕉の旅に学ぶ 令和の旅指南Ⅲ』:芭蕉に学ぶテーマ旅 「奥の深い細道」の旅
 ④『生まれ変わりの一人旅 令和の旅指南Ⅳ』: 感動を味わう一人旅のススメ
 ⑤『日本遺産の教科書 令和の旅指南』: 日本人の心に灯をつける 日本遺産ストーリーの旅

平成芭蕉「令和の旅指南」シリーズ

私は平成芭蕉、自分の足で自分の五感を使って日本遺産を旅しています。

平成芭蕉のテーマ旅行

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平成芭蕉は「検索すればわかる情報」より「五感を揺さぶる情報」を提供します。旅とは日常から離れ、いつもと違う風、光、臭いなど五感を通じて自分を見つめ直す機会です。そしていつもと違う人に会い、いつもと違う食事をとることで、考え方や感じ方が変わります。すなわち、いい旅をすると人も変わり、生き方も変わり、人生も変わるのです。

「令和の旅」へ挑む平成芭蕉

★関連記事:平成芭蕉の旅語録~伊能忠敬ゆかりの地を訪ねる【江戸編】

*「平成芭蕉の旅物語」サイトマップ参照

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