歴史と伝統文化につつまれる島根県安来市
「清酒発祥の地」伊丹と山中鹿之助の月山富田城
伊丹市鴻池に建つ「鴻池稲荷祠碑」には、慶長5年(1600)、山中新六幸元(ゆきもと)がこの地で初めて双白澄酒(もろはくすみざけ=清酒)を造ったと記されていますが、これは従来の濁り酒(どぶろく)から清酒を大量に醸造する技術を開発したということであり、伊丹市はこれをもって「清酒発祥の地」を標榜しています。
伊丹市鴻池の「清酒発祥の地」碑
しかし、この鴻池家初代の山中新六幸元は摂津国鴻池の出身ではなく、山陰の尼子十勇士の筆頭にして、尼子家再興のために「願わくば、我に七難八苦 を与えたまえ」と三日月に祈った逸話で有名な”山陰の麒麟児”山中鹿介(しかのすけ)幸盛の長男なのです。
伊丹市の鴻池稲荷祠碑
今回、私は安来市観光協会に招かれて、その山中鹿介が活躍した尼子氏の居城、月山富田城の歴史資料館やその城下町として栄えた安来市広瀬町を訪ねました。
月山富田城の歴史資料館
月山富田城は天然の地形を利用した難攻不落の要塞城で、標高約190mの月山山頂部を中心とした馬蹄形の尾根に多数の曲輪が配されおり、この縄張りの様子は歴史資料館にあるジオラマを見ればよくわかります。
日本百名城の月山富田城
桃山時代に築かれたとされる千畳平(せんじょうなり)石垣は城主の権威が感じられますが、周囲から多くの装飾瓦が出土しており、櫓も建っていたと推察されます。そしてこの千畳平から尾根沿いに進んだ太鼓壇(たいこのだん)曲輪に、清酒醸造を開発した新六幸元の父で、尼子家のために毛利軍と戦った山中鹿介幸盛の銅像が建っているのです。
月山富田城の山中鹿之助像
月山富田城の城下町、広瀬町の鍛冶工房「弘光」と「たたら製鉄」
月山富田城の城下町であり、後の松江藩陣屋町として栄えた安来市広瀬町布部地区には、広瀬清水街道と呼ばれた旧道と古い町並みが残っていました。広瀬から安来市・宇賀荘・清水峠・門生を結ぶこの街道は、清水寺参りや嵩(だけ)神社参りの道として利用され、巡礼の人々がさかんに往来していたと言われています。
清水寺への参道
この情緒ある宿場町のような広瀬町布部には、たたら製鉄を司る村下(むらげ)の家系を継ぐ鍛冶職人、小藤宗相(ことうしゅうすけ)氏の鍛冶工房「弘光」があります。
鍛冶工房「弘光」
この鍛冶工房を訪ねると、昔懐かしい「しばしも休まず 槌(つち)うつ響き」の童謡『村の鍛冶屋』が思い出されました。
「鍛冶屋」と言えば、武器の生産をしていた刀鍛冶・鉄砲鍛冶を思い浮かべる人が多いようですが、この童謡『村の鍛冶屋』は3番の「刀はうたねど大鎌小鎌、馬鍬(まぐわ)に作鍬(さくぐわ)鋤(すき)よ鉈よ」にある通り、刀ではなく「平和の打ち物」を打つ「野鍛冶」の歌でした。
この鍛冶工房「弘光」では、日本刀鍛錬の技法を今に活かし、接合も安易な溶接に頼らない昔ながらの“かしめ留め”によって仕上げることなど、重厚でありながら繊細さ、緻密さを併せ持つ「ろうそく立て」などのシンプルなオブジェが作られています。
村の鍛冶屋を連想させる工房
私は「弘光」の工房で、木炭と鍛造による製作現場を見学し、その作品である鋼の吊り具もプレゼントしていただきました。ほとんどの鉄製品がプレスや機械加工を施したものが占めるなか、職人の手で丁寧に造り上げられたその作品には、柔らかな鎚跡が残り、その風合いには「たたらの魂」が感じられました。
鍛冶工房「弘光」の鍛冶職人 小藤氏
「たたら製鉄」は映画『もののけ姫』の“タタラ場”でのシーンのモデルにもなりましたが、そのストーリーは、「出雲國たたら風土記~鉄づくり千年が生んだ物語」で日本遺産にも認定されています。
私は安来市駅前にある「和鋼博物館」館長よりたたら製鉄について説明を受けましたが、中国山地で営まれてきたこの伝統的な技法は、今でも日本の鉄づくりの源流とされており、そのために日立金属がこの地にあるとのことでした。また、この「和鋼博物館」では、本物の日本刀を実際に持たせてくれますので、たたらの鋼を直に感じることができます。
日本刀を持たせてくれる和鋼博物館
砂鉄と炭を交互に入れる3昼夜通しの操業は、炎との格闘であり、従事する人々を支えるのは誠意と真心だそうです。火をよみ、風をよみ、砂鉄の煮える音をよみながら、命なきものと人間の対話の果てに鉄の「鉧(けら)」が誕生し、日本刀の原料となるのです。
和鋼博物館に展示されているケラ
私はかつて現代の刀匠藤安将平氏に、「日本刀の切れ味の秘密」や名刀についてのお話をお伺いするべく、福島県の鍛錬所「将平鍛刀場」を訪ねましたが、その際、藤安刀匠も日本刀の切れ味の秘密は「たたら吹き」にあり、日本人の心の拠り所であった日本刀の原点はたたらの玉鋼(たまはがね)であるとおっしゃっていました。
日本を代表する刀匠藤安将平氏
この安来から奥出雲を旅すれば、中世から近世まで日本の鉄文化を支えた伝統的な「たたら製鉄」技法は、今でも日本の鉄づくりの源流であることが実感できます。
また、今回は安来市観光協会の門脇事務局長のご厚意で、鍛冶工房に引き続き、同じ安来市広瀬町にある藍染めの老舗「天野紺屋」にもご案内いただきました。
安来の伝統文化藍染の「天野紺屋」とさぎの湯温泉「竹葉」
「天野紺屋」は1870年創業で、昔から変わらない技法により糸の藍染を続けており、現在は5代目の天野尚さんが伝統を継承して染めを担当されています。
天野紺屋の五代目天野尚氏
私も父の繊維会社を継承した際、取引先であった京都の大同マルタ染工の機械捺染工場を見学し、染色技術についての話も聞いたことがありましたが、実際の藍染を体験したのは今回が初めてです。
天野尚さんの丁寧な指導により、Tシャツの藍染を無事に終えることができましたが、私には天野尚さんの「藍液の中の微生物が元気に頑張ってくれているおかげできれいに染まる」という言葉が印象に残りました。
伝統ある藍染の天野紺屋
なぜなら、私も繊維業に携わった経験から、染色には空気との触れ合いや湿度なども関係する繊細な世界であることは理解していたつもりですが、微生物の働きのおかげという考えには感銘を受けました。藍液につけて絞った綿のシャツが空気に触れ、鮮やかな藍色に変化する様子はまるで微生物による魔法を見ているかのようでした。
藍染を終えたTシャツ
安来での一夜は足立美術館横のさぎの湯温泉、どじょうすくい女将、小幡美香さんの「竹葉」に宿泊しました。さぎの湯温泉は、その昔、白鷺がこの湯で傷を癒したという伝説から命名され、戦国時代の尼子氏をはじめ、歴代藩主の御殿湯として栄えた湯治場です。
さぎの湯温泉
視察の際にはなかなか温泉旅館に泊まる機会が少ないのですが、今回はのんびり温泉に浸かるだけでなく、名物女将の話を聞きながら名物料理を味わうという有難いひとときを過すことができました。
さぎの湯温泉「竹葉」
足立美術館横の旅館に宿泊して美術館の展示品を見ないのはもったいないと思う方もいらっしゃいますが、実はこのさぎの温泉は、足立美術館の美術作品や庭園だけでなく、灯りのない夜空が素晴らしいのです。
足立美術館の庭園
私は就寝前に足立美術館前の駐車場に出て、夜空を見上げては『ジェットストリーム』城達也のオープニングナレーションを口ずさんでいました。
「遠い地平線が消えて、深々とした夜の闇(やみ)に心を休める時、
遥か雲海の上を、音もなく流れ去る気流は、たゆみない 宇宙の営みを告げています。
満点の星をいただく果てしない光の海を、豊かに流れゆく風に 心を開けば、
煌(きらめ)く星座の物語も聞こえてくる、夜の静寂(しじま)の、なんと饒舌(じょうぜつ)なことでしょうか。
光と影の境に消えていったはるかな地平線も瞼(まぶた)に浮かんでまいります」
安来と言えば、出雲国風土記よりスサノオノミコトが「安来く(やすけく)地」と命名されたと言われていますが、まさしく心休まる安来時間でした。
日本の縄文文化「北海道と北東北の縄文遺跡群」が世界文化遺産!
「北海道と北東北の縄文遺跡群」が世界文化遺産に登録されることを記念して、私はこのたび『縄文人からのメッセージ』というタイトルで令和の旅を語り、Amazonの電子本として出版しました。人生100歳時代を楽しく旅するために縄文人の精神世界に触れていただければ幸いです。日本人の心に灯をつける『日本遺産の教科書』、長生きして人生を楽しむための指南書『人生は旅行が9割』とともにご一読下さい。
★平成芭蕉ブックス
①『日本遺産の教科書 令和の旅指南』: 日本人の心に灯をつける 日本遺産ストーリーの旅
②『人生は旅行が9割 令和の旅指南Ⅰ』: 長生きして人生を楽しむために 旅行の質が人生を決める
③『縄文人からのメッセージ 令和の旅指南Ⅱ』: 縄文人の精神世界に触れる 日本遺産と世界遺産の旅
平成芭蕉ブックス『令和の旅指南』
★関連記事:平成芭蕉の旅のアドバイス「旅して幸せになる~令和の旅」
私は平成芭蕉、自分の足で自分の五感を使って日本遺産を旅しています。
平成芭蕉の旅語録
平成芭蕉は「検索すればわかる情報」より「五感を揺さぶる情報」を提供します。旅とは日常から離れ、いつもと違う風、光、臭いなど五感を通じて自分を見つめ直す機会です。そしていつもと違う人に会い、いつもと違う食事をとることで、考え方や感じ方が変わります。すなわち、いい旅をすると人も変わり、生き方も変わり、人生も変わるのです。
「令和の旅」へ挑む平成芭蕉
*「平成芭蕉の旅物語」サイトマップ参照
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平成芭蕉の旅語録〜ゆったりとした時の流れを感じる安来の「たたら」旅
更新日:
歴史と伝統文化につつまれる島根県安来市
「清酒発祥の地」伊丹と山中鹿之助の月山富田城
伊丹市鴻池に建つ「鴻池稲荷祠碑」には、慶長5年(1600)、山中新六幸元(ゆきもと)がこの地で初めて双白澄酒(もろはくすみざけ=清酒)を造ったと記されていますが、これは従来の濁り酒(どぶろく)から清酒を大量に醸造する技術を開発したということであり、伊丹市はこれをもって「清酒発祥の地」を標榜しています。
伊丹市鴻池の「清酒発祥の地」碑
しかし、この鴻池家初代の山中新六幸元は摂津国鴻池の出身ではなく、山陰の尼子十勇士の筆頭にして、尼子家再興のために「願わくば、我に七難八苦 を与えたまえ」と三日月に祈った逸話で有名な”山陰の麒麟児”山中鹿介(しかのすけ)幸盛の長男なのです。
伊丹市の鴻池稲荷祠碑
今回、私は安来市観光協会に招かれて、その山中鹿介が活躍した尼子氏の居城、月山富田城の歴史資料館やその城下町として栄えた安来市広瀬町を訪ねました。
月山富田城の歴史資料館
月山富田城は天然の地形を利用した難攻不落の要塞城で、標高約190mの月山山頂部を中心とした馬蹄形の尾根に多数の曲輪が配されおり、この縄張りの様子は歴史資料館にあるジオラマを見ればよくわかります。
日本百名城の月山富田城
桃山時代に築かれたとされる千畳平(せんじょうなり)石垣は城主の権威が感じられますが、周囲から多くの装飾瓦が出土しており、櫓も建っていたと推察されます。そしてこの千畳平から尾根沿いに進んだ太鼓壇(たいこのだん)曲輪に、清酒醸造を開発した新六幸元の父で、尼子家のために毛利軍と戦った山中鹿介幸盛の銅像が建っているのです。
月山富田城の山中鹿之助像
月山富田城の城下町、広瀬町の鍛冶工房「弘光」と「たたら製鉄」
月山富田城の城下町であり、後の松江藩陣屋町として栄えた安来市広瀬町布部地区には、広瀬清水街道と呼ばれた旧道と古い町並みが残っていました。広瀬から安来市・宇賀荘・清水峠・門生を結ぶこの街道は、清水寺参りや嵩(だけ)神社参りの道として利用され、巡礼の人々がさかんに往来していたと言われています。
清水寺への参道
この情緒ある宿場町のような広瀬町布部には、たたら製鉄を司る村下(むらげ)の家系を継ぐ鍛冶職人、小藤宗相(ことうしゅうすけ)氏の鍛冶工房「弘光」があります。
鍛冶工房「弘光」
この鍛冶工房を訪ねると、昔懐かしい「しばしも休まず 槌(つち)うつ響き」の童謡『村の鍛冶屋』が思い出されました。
「鍛冶屋」と言えば、武器の生産をしていた刀鍛冶・鉄砲鍛冶を思い浮かべる人が多いようですが、この童謡『村の鍛冶屋』は3番の「刀はうたねど大鎌小鎌、馬鍬(まぐわ)に作鍬(さくぐわ)鋤(すき)よ鉈よ」にある通り、刀ではなく「平和の打ち物」を打つ「野鍛冶」の歌でした。
この鍛冶工房「弘光」では、日本刀鍛錬の技法を今に活かし、接合も安易な溶接に頼らない昔ながらの“かしめ留め”によって仕上げることなど、重厚でありながら繊細さ、緻密さを併せ持つ「ろうそく立て」などのシンプルなオブジェが作られています。
村の鍛冶屋を連想させる工房
私は「弘光」の工房で、木炭と鍛造による製作現場を見学し、その作品である鋼の吊り具もプレゼントしていただきました。ほとんどの鉄製品がプレスや機械加工を施したものが占めるなか、職人の手で丁寧に造り上げられたその作品には、柔らかな鎚跡が残り、その風合いには「たたらの魂」が感じられました。
鍛冶工房「弘光」の鍛冶職人 小藤氏
「たたら製鉄」は映画『もののけ姫』の“タタラ場”でのシーンのモデルにもなりましたが、そのストーリーは、「出雲國たたら風土記~鉄づくり千年が生んだ物語」で日本遺産にも認定されています。
私は安来市駅前にある「和鋼博物館」館長よりたたら製鉄について説明を受けましたが、中国山地で営まれてきたこの伝統的な技法は、今でも日本の鉄づくりの源流とされており、そのために日立金属がこの地にあるとのことでした。また、この「和鋼博物館」では、本物の日本刀を実際に持たせてくれますので、たたらの鋼を直に感じることができます。
日本刀を持たせてくれる和鋼博物館
砂鉄と炭を交互に入れる3昼夜通しの操業は、炎との格闘であり、従事する人々を支えるのは誠意と真心だそうです。火をよみ、風をよみ、砂鉄の煮える音をよみながら、命なきものと人間の対話の果てに鉄の「鉧(けら)」が誕生し、日本刀の原料となるのです。
和鋼博物館に展示されているケラ
私はかつて現代の刀匠藤安将平氏に、「日本刀の切れ味の秘密」や名刀についてのお話をお伺いするべく、福島県の鍛錬所「将平鍛刀場」を訪ねましたが、その際、藤安刀匠も日本刀の切れ味の秘密は「たたら吹き」にあり、日本人の心の拠り所であった日本刀の原点はたたらの玉鋼(たまはがね)であるとおっしゃっていました。
日本を代表する刀匠藤安将平氏
この安来から奥出雲を旅すれば、中世から近世まで日本の鉄文化を支えた伝統的な「たたら製鉄」技法は、今でも日本の鉄づくりの源流であることが実感できます。
また、今回は安来市観光協会の門脇事務局長のご厚意で、鍛冶工房に引き続き、同じ安来市広瀬町にある藍染めの老舗「天野紺屋」にもご案内いただきました。
安来の伝統文化藍染の「天野紺屋」とさぎの湯温泉「竹葉」
「天野紺屋」は1870年創業で、昔から変わらない技法により糸の藍染を続けており、現在は5代目の天野尚さんが伝統を継承して染めを担当されています。
天野紺屋の五代目天野尚氏
私も父の繊維会社を継承した際、取引先であった京都の大同マルタ染工の機械捺染工場を見学し、染色技術についての話も聞いたことがありましたが、実際の藍染を体験したのは今回が初めてです。
天野尚さんの丁寧な指導により、Tシャツの藍染を無事に終えることができましたが、私には天野尚さんの「藍液の中の微生物が元気に頑張ってくれているおかげできれいに染まる」という言葉が印象に残りました。
伝統ある藍染の天野紺屋
なぜなら、私も繊維業に携わった経験から、染色には空気との触れ合いや湿度なども関係する繊細な世界であることは理解していたつもりですが、微生物の働きのおかげという考えには感銘を受けました。藍液につけて絞った綿のシャツが空気に触れ、鮮やかな藍色に変化する様子はまるで微生物による魔法を見ているかのようでした。
藍染を終えたTシャツ
安来での一夜は足立美術館横のさぎの湯温泉、どじょうすくい女将、小幡美香さんの「竹葉」に宿泊しました。さぎの湯温泉は、その昔、白鷺がこの湯で傷を癒したという伝説から命名され、戦国時代の尼子氏をはじめ、歴代藩主の御殿湯として栄えた湯治場です。
さぎの湯温泉
視察の際にはなかなか温泉旅館に泊まる機会が少ないのですが、今回はのんびり温泉に浸かるだけでなく、名物女将の話を聞きながら名物料理を味わうという有難いひとときを過すことができました。
さぎの湯温泉「竹葉」
足立美術館横の旅館に宿泊して美術館の展示品を見ないのはもったいないと思う方もいらっしゃいますが、実はこのさぎの温泉は、足立美術館の美術作品や庭園だけでなく、灯りのない夜空が素晴らしいのです。
足立美術館の庭園
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「遠い地平線が消えて、深々とした夜の闇(やみ)に心を休める時、
遥か雲海の上を、音もなく流れ去る気流は、たゆみない 宇宙の営みを告げています。
満点の星をいただく果てしない光の海を、豊かに流れゆく風に 心を開けば、
煌(きらめ)く星座の物語も聞こえてくる、夜の静寂(しじま)の、なんと饒舌(じょうぜつ)なことでしょうか。
光と影の境に消えていったはるかな地平線も瞼(まぶた)に浮かんでまいります」
安来と言えば、出雲国風土記よりスサノオノミコトが「安来く(やすけく)地」と命名されたと言われていますが、まさしく心休まる安来時間でした。
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①『日本遺産の教科書 令和の旅指南』: 日本人の心に灯をつける 日本遺産ストーリーの旅
②『人生は旅行が9割 令和の旅指南Ⅰ』: 長生きして人生を楽しむために 旅行の質が人生を決める
③『縄文人からのメッセージ 令和の旅指南Ⅱ』: 縄文人の精神世界に触れる 日本遺産と世界遺産の旅
平成芭蕉ブックス『令和の旅指南』
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私は平成芭蕉、自分の足で自分の五感を使って日本遺産を旅しています。
平成芭蕉の旅語録
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令和の「平成芭蕉」
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