令和の「平成芭蕉」

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平成芭蕉の世界遺産

平成芭蕉の世界遺産 「黒海の真珠」ウクライナの オデーサ

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緊急的登録推薦で認定されたウクライナの「オデーサ歴史地区」

平成芭蕉の「世界遺産への旅」

平成芭蕉の「世界遺産への旅」

「黒海の真珠」と呼ばれた港湾都市 オデーサ

2023年1月25日、ロシア軍の攻撃にさらされているウクライナ南部の港湾都市オデーサの歴史地区は、ユネスコの世界文化遺産に登録されました。オデーサはウクライナの南、黒海の近くに位置し、しばしば「黒海の真珠」とか「南パルミーラ」と呼ばれ、驚くほどきれいでユニークな街です。

オデーサ歴史地区

しかしオデーサは、歴史的にクリミア戦争やロシア革命、第一次世界大戦の頃のウクライナ・ソ連の軍事衝突、第二次世界大戦でのナチスによる支配など、多くの悲しい危機に直面してきましたが、現在もそれは繰り返されているのです。

世界遺産条約では締約国は世界遺産に損害をもたらす行為をしてはならないことになっており、戦争が続く中、オデーサをこれ以上の破壊から守る目的で緊急的登録推薦(価値を喪失する危機に直面した物件を緊急的に推薦)により世界文化遺産に認定されたのです。

そのため、ロシアによる侵攻で普遍的価値を損なう重大な危機を考慮し、オデーサ歴史地区は同時に「危機遺産」にも指定されました。

オデーサは他のウクライナの都市とは異なり、歴史、文化に富み、帝政ロシア時代から多様な文化や民族が交わる海上貿易の要衝として栄えてきた由緒ある港湾都市です。

「ポチョムキンの階段」と港の埠頭

ソ連ジャズ発祥の地としても知られた「オデッサ」

もともとはタタール人による集落があった場所に、15世紀にオスマントルコによってハジベイと呼ばれる集落が建造され、都市となるのは1789年にロシア帝国がこの地をロシア領として編入してからです。1794年には皇帝エカチェリーナ2世によって港の建設が開始され、街の名は古代ギリシャ都市オデッソスの名前を女性系にした「オデッサ」と名付けられました。

ロシア侵攻前のオデーサ

オデッサはロシア帝国内ではかなり新しい都市で、国際的な港町、多民族、インターナショナルで華やかで明るくユーモア好きな人びとのいる街として発展してきました。

そして1803年にフランス人貴族のアルマン・エマニュエル・リシュリューがオデッサの長官となると、湾港施設を整備、新古典主義様式の建造物が多く造られ、並木道や街灯の備わった優雅な自由港へと変貌したのです。

アルマン・エマニュエル・リシュリュー像

ソビエト連邦時代になると町は工業都市としての側面が強くなりましたが、ソ連ジャズ発祥の地としても有名です。ウクライナの独立後は、再びウクライナ語のオデーサとなり今日に至っています。

オデーサ市は日本とたくさん共通している点があり、横浜市とは1965年に姉妹都市協定を締結しています。そして2010年に45周年を記念したイベントが開催され、日本の代表者はオデーサ市を何回も訪問し、オデーサの人も日本に対し、特にその伝統的な文化と習慣に深い興味を持っています。そんため、日本の文化に関する、芸術作品の展示会や日本の映画祭等のイベントも開催されています

オデーサの代表的な観光スポット「オデッサ・オペラ・バレエ劇場」はウクライナで最も古い歌劇場で町のシンボル的存在です。他にはヴォロンツォフ宮殿、1884年に建設されたオデーサ・ホロヴナ駅、1898に建設されたオデーサ・パサージュなども残っています。

オデッサ・オペラ・バレエ劇場

緑が多く美しい街並みで、プーシキン博物館、劇場や博物館、宮殿など美しい建築も数多くあります。この街に滞在したロシアの詩人アレクサンドル・プーシキンは、手紙の中で西ヨーロッパ色の強い街の様子について言及しており、古典主義様式やネオ・ゴシック様式、インペリアル様式など文化的に多様性が感じられる街です。

世界的に有名な「ポチョムキンの階段」

しかし、私にとっては歴史地区と黒海を結ぶ「プリモスキーの階段」が印象に残っています。階段の最上階の幅は12.5m、最下段の幅は21.7mとなっていますが、下から階段を見上げると階段が実際よりも長いように見え、上から階段を見下げると実際よりも短いように見えます。そして階段を上がると、リシェリュー公爵のモニュメントの姿が見え、右手を伸ばした姿は「オデッサへようこそ!」という雰囲気を醸し出しています。

しかし、この階段は1925年のサイレント映画『戦艦ポチョムキン』で大殺戮シーンに使用されたことで世界的に有名になった「ポチョムキンの階段」です。

プリモスキー(ポチョムキン)階段

戦艦ポチョムキンの水兵が上官に腐った肉を食べるよう強要されたことから、反乱を起こして成功、オデッサ港で民衆と勝利を喜んでいたのもつかの間、コサック兵が大挙して押し寄せ、大量殺戮を行った「映画史上最も有名な6分間」のシーンが思い出されるのです。

この映画は1905年に実際に起きた事件『戦艦ポチョムキンの反乱』を元に1925年にソ連で製作された、エイゼンシュテイン監督によるモンタージュ理論(複数の映像をつなげることで、後の映像は前の映像の影響を受けて新しい意味が現れる効果)の先駆的作品です。

映画『戦艦ポチョムキンの反乱』

オデーサの町には猫が多く、住民もユーモアがある親切な人が大多数ですが、現在のオデーサ市民が大量殺戮のシーンの現実化を恐れていると思えば、今回の世界遺産認定が戦争終結に一役買ってくれることを祈らずにはおれません。

 

平成芭蕉メッセージ ~「旅の質」が人生を変える

「小説が書かれ読まれるのは人生がただ一度であることへの抗議」という言葉がありますが、私にとって旅することは、一度限りの人生を最大限に楽しむための創造活動なのです。そして私は、人生を楽しむために必要な「心のときめき」は、「知恵を伴う旅」を通じて得られると考えています。

そこでこの度、私はその知恵を伴う日本遺産や世界遺産の旅を紹介しつつ、平成芭蕉独自の旅の楽しみ方とテーマ旅行に関する企画アイデアノート、さらに著者が松尾芭蕉の旅から学んだ旅行術について紹介した『平成芭蕉の旅指南 人生が変わるオススメの旅 旅の質が人生を決める』と題した本を出版しました。このブログと合わせてご一読いただければ幸です。

参考記事:世界遺産の旅における「へー、そうだったの」

★関連記事:平成芭蕉の旅のアドバイス「旅して幸せになる~令和の旅」

私は平成芭蕉、自分の足で自分の五感を使って世界遺産を旅しています

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「平成芭蕉の世界遺産」はその世界遺産についての単なる解説ではなく、私が実際に現地に赴いてその土地に生きる人たちと交流した際に感じた感動の記録です。

「令和の旅」へ挑む平成芭蕉

*「平成芭蕉の旅物語」サイトマップ参照

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