平成芭蕉こだわりの「奥の細道の旅」~黒羽から大垣へ | 【黒田尚嗣】平成芭蕉の旅物語

令和の「平成芭蕉」

令和の「平成芭蕉」

平成芭蕉同行の旅

平成芭蕉こだわりの「奥の細道の旅」~黒羽から大垣へ

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詳しい解説付きで巡る「奥の細道を訪ねて」ハイライト6日間~黒羽から大垣へ

150日、600里に及ぶ『おくのほそ道』は座して閑吟する俳諧の書ではなく、俳聖芭蕉が私たちに残してくれた旅の指南書でもあります。
芭蕉さんの俳文『許六離別の詞』には「古人の跡を求めず、古人の求めしところを求めよ」とあり、作品を味わうだけでなく、作者が探究したことを求めよと書かれています。芭蕉さんは流転してやまない人の世の苦しみをどのように受け止めたのでしょうか。
芭蕉さんは西行を和歌の代表作家として崇敬していたので、芭蕉さんの「古人の心に閲す」の「古人」は西行が主です。そして「白河の関」や「松嶋」という西行が訪れた歌枕の地で古人の心に触れたいと考えていました。

しかし、奥の細道における代表的な句「閑さや岩にしみ入る蝉の声」を詠んだ立石寺は歌枕の地ではありません。また、日本海側の風景を代表する「荒海や佐渡によこたふ天河」も歌枕とは関係なく、芭蕉さんが佐渡という遠流の島に流された人々への想いを詠んでいます。そこで、私は「奥の細道」における芭蕉さんの主要な足跡を訪ね、追体験しながら芭蕉さんの心の変化を探ってみました。
そのため、このツアーは平成芭蕉こだわりの「奥の細道」の旅で、深川ではなく黒羽から出発、白河の関を過ぎて松島をはじめとする歌枕巡礼、奥羽山脈を越えて山寺や日本海沿岸で得た宇宙への感応、そして様々な別離を経て大垣に至る浮世帰りまでの6日間としました。

「奥の細道」の旅~別れと旅の契り

◆1日目 2020年11月16日(月)  <東京→那須塩原→黒羽→白河→福島>

7:15 東京駅日本橋口集合

7:44 東京発 やまびこ205号で那須塩原へ

8:58 那須塩原駅到着

9:15 那須中央観光バスの林運転手の挨拶の後、黒羽へ出発

9:35 くろばね物産店駐車場到着、ガイデシングレシーバーの使用説明後、黒羽散策へご案内

*黒羽は1689(元禄2)年4月3日から4月16日まで、奥の細道の旅では最長の滞在地でした。

9:40~10:00 <黒羽山大雄寺>「芭蕉の道」

大関家の菩提寺「黒羽山大雄寺」

黒羽山大雄寺(くろうさんだいおうじ)は、曹洞宗永平寺派の古刹で1576(天正4)年、領主大関高増によって建立された大関氏の菩提寺です。寺院に向かって左手に大関家の墓所があり、その下には芭蕉さんが黒羽で厚遇を受けた浄法寺図書高勝こと桃雪の墓もあります。また、参道より50m先の「芭蕉の道」入り口には「おくのほそ道」出立の句碑がありました。

行く春や鳥啼き魚の目は涙 

行春や鳥啼魚の目は泪

行春や鳥啼魚の目は泪

10:00~10:30 <芭蕉公園>

芭蕉公園は黒羽藩の留守役家老で芭蕉さんをもてなした浄法寺高勝(桃雪)の書院跡で、入り口左側には芭蕉翁桃青翁の句碑が立っています。

田や麦や中にも夏のほととぎす

田や麦や中にも夏のほととぎす

田や麦や中にも夏のほととぎす

書院跡には門が残されており、中には浄法寺家当主の浄法寺直之氏建立の連句碑と俳誌『寒雷』主宰の俳人、加藤楸邨(しゅうそん)氏が揮毫した芭蕉句碑が立っています。

山も庭もうごき入るや夏坐敷 (山も庭もうごきいるや夏ざしき)

山も庭もうごき入るや夏坐敷

10:30~10:45 <芭蕉の広場>

芭蕉公園を経て「芭蕉の館」のある芭蕉の広場へ続く800mの遊歩道は「芭蕉の道」と呼ばれ、風情があって映画のロケ地にもなっています。芭蕉の広場には『おくのほそ道』にある「黒羽の館代浄坊寺何がしの」以下を刻した文学碑と芭蕉翁の句碑もありました。

鶴鳴(つるなく)や其声に芭蕉やれぬべし  芭蕉翁

10:45~11:15 <芭蕉の館>

那須野越えの芭蕉と曽良の像

「芭蕉の館」には『おくのほそ道』に関する芭蕉展示室、黒羽藩主の大関記念室等があり、庭には那須野越えにおける乗馬姿の芭蕉翁と曽良の銅像が立っています。また、「那須の黒ばねとい云所に」以下を刻した文学碑も建っていて、曽良の句も紹介されています。

かさねとは八重撫子(なでしこ)の名なるべし  曽良

かさねとは八重撫子の名なるべし

11:15~11:30 <黒羽城址>

黒羽城は1576(天正4)年、大関高増が白旗城から本拠移して構築したもので、那珂川とそれに沿った崖に面した丘陵の上に本丸、中の丸、北の丸からなる内城を三の丸が囲むように配置されていましたが、現在は黒羽城址公園になっています。黒羽「芭蕉の館」は三の丸に建てられています。

黒羽城址の「芭蕉の館」

11:30 黒羽城址公園前駐車場でお手洗い休憩の後、出発

11:40 道の駅 那須与一の郷 自由昼食

*隣接して扇の的を射た那須与一ゆかりの那須神社が鎮座する

那須与一ゆかりの那須神社

12:30 昼食後、仏頂和尚山居跡の東山雲巌寺へ

13:00~13:40 <雲巌寺>

仏頂和尚山居の雲巌寺

臨済宗妙心寺派の名刹で、八溝山地から流れる武茂川に架かった朱塗りの橋を渡り、山門を入った左手に仏頂和尚の和歌と芭蕉の句を併刻した碑が立っています。

たて横の五尺にたらぬ草の庵 むすぶもくやし あめなかりせば  仏頂禅師

木つつきもいほはやぶらず夏こだち 芭蕉翁

木つつきも庵はやぶらず夏木立

13:40 歌枕の芦野の里「遊行柳」へ

14:20~15:00 <遊行柳>

西行法師も訪ねた歌枕「遊行柳」

室町時代に遊行上人が諸国遊行の途中、柳の精の老翁を成仏させたという伝説が残る歌枕の地で、芭蕉が敬愛する西行法師は「道野辺に清水流るる柳陰 しばしとてこそ立ち止まりつれ」と詠んでいる。その西行歌碑の向かいの柳の横に芭蕉の句碑が立っています。

田一枚植植ゑて立去る柳かな 

田一枚植ゑて立去る柳かな

*遊行柳見学後、奥に樹齢数百年の大イチョウが立つ上の宮神社を参拝

15:10 WC休憩の後、白河の関へ出発

15:40~16:20 <白河の関>

白河の関にて

白河の関は5世紀頃に蝦夷の南下を防ぐ目的で設置され、勿来(なこそ)の関、念珠(ねず)の関とともに奥州三古関と呼ばれています。古い石段を上がったところに白河神社が鎮座しており、その横に平兼盛、能因法師、梶原景季(かげすえ)の和歌を併刻した古い碑が建っています。

三首の和歌を併刻した古歌碑

白河神社の脇には「白河関の森公園」が整備され、入り口に卯の花が植えられ、横には芭蕉・曽良の像が立ち、台石正面に芭蕉・曽良の句が刻まれています。

風流の初やおくの田植うた 芭蕉

卯の花をかざしに関の晴着かな 曽良

白河関の森公園に立つ芭蕉・曽良の像

16:20 WC休憩の後、東北道を経由して福井の宿泊ホテルへ

*車中で「立花和平とゆく 奥の細道心の旅」のDVD上映

17:30 グランパークホテル エクセル福島恵比寿にチェックイン

*夕食は各自で自由食

福井駅前の芭蕉と曽良の像

「奥の細道」の旅~歌枕の地を訪ねる

◆2日目 2020年11月17日(水)  <福島→多賀城→松島→平泉→鳴子温泉>

6:30~ ホテルレストランにて朝食ヴァイキング

8:00 福島から宮城県岩沼市の歌枕「武隈の松」へ

9:30岩沼の「武隈の松」付近で下車、バスは近くの竹駒神社を回送

歌枕「武隈の松」と古歌碑

歌枕「武隈の松」と古歌碑

9:30~9:40 <武隈の松>

竹駒神社の北側にある根本がひとつで幹が2本に分かれた松で、能因法師や西行も訪れた歌枕の地です。現代の松は7代目で、傍らに「二木松碑」として藤原元良と橘季通の二首を刻した歌碑立っています。芭蕉は江戸に住んでいた挙白が芭蕉の接待を遅桜に依頼した「武隈の松見せ申せ遅桜」に応える形で、武隈の松を見ることができた歓びを詠んだ句碑が立っています。

桜より松は二木(ふたき)を三月越し

桜より松は二木を三月越し

 

9:50 竹駒神社で二木塚を見学後、多賀城へ

竹駒神社の二木塚

10:40 多賀城の政庁跡駐車場で下車

10:40~11:00 <多賀城跡>

724(神亀元)年、大野東人によって創建され、約900メートル四方という広大な敷地内に、陸奥国府と鎮守府が置かれていました。周囲は築地塀(ついじべい)で囲まれ、南・東・西に門があり、中央には儀式などを行う政庁正殿が設けられていました。江戸時代初めに多賀城碑が発見され、保存状態が良かったこともあり、多賀城廃寺跡とともに国の史跡に指定されました。

多賀城政庁跡

11:00~11:15 <壺の碑(いしぶみ)>(多賀城碑)

壺の碑は多賀城南門から城内に入った覆堂(おおいどう)に納められており、群馬県の多胡碑、栃木県の那須国造碑とともに日本の3古碑と呼ばれています。芭蕉が訪れた時には覆堂はなく、古からの石碑のみで素朴に感慨を述べています。

壺の碑(多賀城碑)

また、近くには仙台を案内してくれた「風流のしれ者」加右衛門から送られた草鞋にショウブを関連付けて旅の健脚を祈った句碑が立っています。

あやめ草足に結ばん草鞋(わらじ)の緒

あやめ草足に結ばん草鞋の緒

11:15 松島海岸の瑞巌寺五大堂へ

11:30 五大堂駐車場で下車して、五大堂見学へ

*五大堂見学後、自由昼食。希望者は昼食後に雄島観光へご案内

松嶋の瑞巌寺五大堂

11:30~11:45 <松島―瑞巌寺五大堂>

現存する瑞巌寺の五大堂は、1604(慶長9)年に伊達政宗が再建した方三間・単層の本瓦葺きの小堂で、松島の景勝地として知られ、瑞巌寺が管理しています。塩竈から松島に着いた芭蕉は、まず瑞巌寺に参拝した後、雄島を見学して松島に一泊しています。

朱塗りの渡月橋の架かる雄島

13:00~13:30 <松島―雄島>

朱塗りの渡月橋で結ばれた雄島で、芭蕉は雲居(うんご)禅師の遺跡を訪ねていますが、あまりの絶景に芭蕉は絶句してしまい、代わりに曽良が詠んでいます。

松島や鶴に身をかれほととぎす 曽良

雄島に立つ句碑

13:40 雄島の観光事務局前より平泉の中尊寺へ

15:00 中尊寺の月見坂駐車場で下車し、金色堂、讃衡蔵(宝物館)見学

15:05~16:30 <平泉―中尊寺>

中尊寺金色堂

中尊寺金色堂

平泉は清衡・基衡・秀衡の奥州藤原三代が栄枯盛衰を演じた場所ですが、義経主従の悲劇の大舞台でもあります。中尊寺は慈覚大師円仁によって開山され、初代の清衡が再建し、1124年には光り輝く金色堂を竣工させました。

五月雨の降り残してや光堂

中尊寺に立つ松尾芭蕉像

中尊寺に立つ松尾芭蕉像

また、近くの「高館」は落ちのびてきた義経に秀衡が与えた館ですが、義経はここで自決し、今は義経堂が建っています。

夏草や兵どもが夢の跡

16:30 平泉レストハウスでショッピング、WC休憩の後、鳴子温泉へ

18:20 鳴子温泉 リゾートパークホテルオニコウベにチェックイン

*鬼首(オニコウベ)スキー場が広がる高原に佇むスイスのシャレー風の宿泊施設

リゾートパークホテルオニコウベ

19:00 夕食はホテルレストランにてコースメニュー

「奥の細道」の旅~立石寺で宇宙の静けさを体験

◆3日目 2020年11月18日(木)  <鳴子温泉→尿前の関→尾花沢→立石寺→清川→鶴岡>

7:00~ ホテルレストランにて朝食

7:50 鳴子温泉から尿前の関所跡へ

8:15 国道47号線沿いの駐車場から旧道を歩いて尿前の関へ

8:20  芭蕉と曽良が厳しい検問を受けた尿前の関見学

取り調べが厳しかった尿前の関

8:20~8:40 <尿前の関>

尿前の関所は宮城県と山形県の県境近くにあり、義経の妻が出産した際、赤子の亀若丸がここで尿をしたという伝説が残っています。関所を模して門と柵が建てられており、下の公園に芭蕉像が建てられ、蕪村筆画巻の絵を刻した文学碑もありました。

尿前の関の文学碑

8:40 尿前の関からWC休憩を兼ねて鳴子峡へ

8:45~9:05 <鳴子峡>

鳴子温泉郷の「中山平温泉」地区に位置し、大谷川が刻んだ深さ100mに及ぶ大峡谷で、さまざまな岩石が屏風のように連なり、新緑、紅葉の時期には素晴らしい景色を楽しませてくれます。

紅葉の名所「鳴子峡」

9:05 最上町の旧有路家住宅「封人の家」へ

9:15~10:00 <封人の家>

芭蕉が宿泊した封人の家

芭蕉が実際に滞在した民家で、役屋(村役場)、問屋、旅籠の機能も備えた国境の庄屋家屋です。永くこの家に住んでいた有路氏は代々この村の庄屋でした。この小国(おぐに)地域は、山形県内では馬産地であり、当地方産の牡馬は「小国駒」と呼ばれ、江戸にも移出されていました。芭蕉の詠んだ句には馬の産地という背景があったのです。

蚤虱馬の尿(ばり)する枕もと

蚤虱馬の尿する枕もと

10:00 赤倉温泉を経由して尾花沢へ

10:40~11:15 <清風歴史資料館>

清風歴史資料館の建物は、旧丸屋・鈴木弥兵衛の店舗と母屋を清風宅の隣に移転復元したものです。芭蕉は門人曾良をともない、山刀伐峠のけわしい路を越えてここ尾花沢に鈴木清風をたずね、清風邸に3泊、近くの養泉寺に7泊しました。「おくの細道」の関連資料が展示されているだけでなく、日本遺産「山寺が支えた紅花文化」の構成文化財にも認定されています。

清風歴史資料館

すずしさを我やどにしてねまるなり

11:15 館長に見送られて立石寺の昼食場所へ

12:15~12:50 立石寺参道ちかくの楽水庵 いずみやにて昼食(芋煮定食)

12:50~13:40 <立石寺(せみ塚)>

立石寺のせみ塚

立石寺(りっしゃくじ)は、山寺の通称で知られる山形県山形市にある天台宗の仏教寺院で、本尊は薬師如来。古来、悪縁切り寺として信仰を集めており、芭蕉も元禄2年に清風や尾花沢の人々に勧められて参拝しています。奥の院への途中、仁王門の手前に「せみ塚」があり、碑面に芭蕉翁、右側に芭蕉の句が刻まれています。

閑さや岩にしみ入る蝉の声

立石寺境内の芭蕉像と句碑

13:45~14:35 <山寺芭蕉記念館>

山寺を一望できる高台にあり、芭蕉の遺墨を中心に、蕉門の墨跡『おくのほそ道』関係資料を展示しています。

14:35 大石田村山ICを経由して清川関所跡へ

山寺芭蕉記念館

16:20~16:45 <清川関所跡>

立石寺を出た芭蕉は大石田を経由し、猿羽根峠を越えて新庄に至り、最上川では本合海で乗船、清川に上陸しました。清川は往時、最上川舟運の水駅として栄え、この地に関所が置かれていました。清川関所跡には奥の細道紀行300年記念の芭蕉像と加藤楸邨氏揮毫の句碑も建てられています。

五月雨を集めて早し最上川

清川関所前の芭蕉像

16:45 清川の戊辰戦争古戦場を後に鶴岡へ

17:20 東京第1ホテル鶴岡へチェックイン

18:30 ホテルにて夕食

 

「奥の細道」の旅~日本海の越後で天上の星々と出会う

◆4日目 2020年11月19日(金)  <鶴岡→念珠関跡→出雲崎→親不知→市振関所跡→富山>

7:00~ ホテルレストランにて朝食

7:50  鶴岡市内の山王日枝神社へ

8:00~8:15 <山王日枝神社>

山王日枝神社

地元の人々には「山王様」「お山王はん」と呼ばれ、この地方で最古の神社です。近くに鶴岡で芭蕉を迎えた庄内藩の藩士長山重行宅跡があり、境内の弁天島にはこの地で詠まれた句碑が建っています。

珍しや山をいで羽の初なすび 翁

珍しや山をいで羽の初なすび

8:15 城下町の鶴岡より温海温泉を経由して念珠関跡へ

9:10~9:25 <念珠関跡>

蝦夷防備のための設けられた鼠ヶ関(ねずがせき)に対して芭蕉が通った「近世念珠関址(きんせねんじゅせきあと)」は、1622年以後に移転・整備されたものです。歌舞伎の名場面『勧進帳』の舞台は石川県の安宅関(あたかのせき)と伝えられていますが、鼠ヶ関には義経から伝えられた矢立て、扇、般若心経が残っているとの言い伝えもあり、『勧進帳』の関所は実は念珠関ではないかと言われています。

勧進帳の本家「念珠の関」

勧進帳の本家「念珠の関」

9:25 昼食場所の寺泊へ(道中、バス車内で「奥の細道」のDVD上映)

10:05~10:20 道の駅 朝日まほろばでWC休憩

12:10~13:10 寺泊の中央水産まるなかで昼食(漁火御膳)

寺泊での漁火御膳

13:10 良寛ゆかりの出雲崎へ

13:25~13:35 <出雲崎・良寛堂>

出雲崎の良寛堂

国道402号線沿いにある良寛堂は、橘屋(良寛の生家)の屋敷跡に建っており、母の故郷である佐渡を借景として日本海に浮かぶように佇んでいます。良寛が肌身離さず身に付けていた石地蔵をはめ込んだ石塔には、良寛自筆の歌が刻まれています。

いにしへにかはらぬものはありそみと むかひにみゆる佐渡のしまなり

良寛持仏の石地蔵をはめ込んだ石塔

*北国街道を歩いて芭蕉園へ

13:40~13:55 <芭蕉園>

佐渡島への渡船場出雲崎の芭蕉園

芭蕉園は敦賀屋(鳥井家)の跡地で、向かって右角の磯田氏宅が芭蕉の宿泊した大崎屋があった場所と言われています。芭蕉園には旅姿の芭蕉像と「銀河の序」の石碑が建っていますが、これは芭蕉が『おくのほそ道』行脚の途次、出雲崎に泊まった時の体験を基にして書いた句文です。

荒海や佐渡に横たふ天河 芭蕉

「銀河の序」荒海や佐渡に横たふ天河

14:05~14:15 道の駅 越後出雲崎天領の里でWC休憩

14:15 日本海北陸道を経由して親不知へ

15:45~16:05 <親不知(おやしらず)>

北国一の難所「親不知」

「親不知・子不知海岸」は、約15km続く日本海の断崖絶壁で日本アルプスが海と交わる場所です。断崖と海との間に残されたわずかな岸辺を通行するのは、困難を極め「たとえ親子でも、お互いを気遣う余裕がない」ことから「親不知」(おやしらず)等と呼ばれるようになったと言われています。

16:10~16:35 <市振関所跡>

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市振関所址

「市振の関」は、親不知子不知の険難の地を東方に控え、北陸道における越中との国境の要衝として、寛永(1624~)年代のはじめに設けられた関所です。 この関所は、旅の人々の検問のための番所と海上監視の遠見番所から成っていました。この横に市振の本陣があり、左手に「明治天皇市振御小休所跡」の碑が立ち、右手に芭蕉が泊ったという脇本陣の桔梗屋(和泉家)跡があります。

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芭蕉が宿泊した市振の桔梗屋跡

ここで「一つ家に 遊女も寝たり萩と月」という名句を残したと言われていますが、その句碑は相馬御風揮毫で長円寺に立っています。

一つ家に遊女もねたり萩と月

一つ家に遊女もねたり萩と月

16:40 長円寺前の国道でバスに乗車して富山へ

17:40 富山マンテンホテルへチェックイン

*夕食は各自の自由食

「奥の細道」の旅~金沢で北枝と出会い、山中温泉で曽良と別れる

◆5日目 2020年11月20日(土)<富山→倶利伽羅古戦場→金沢→多太神社→那谷寺→山中温泉>

7:00~ ホテルレストランにて朝食

8:30  富山から倶利伽羅古戦場へ

9:40~10:15 <倶利伽羅古戦場>

源平の倶利伽羅古戦場

石川県津畑町と富山県小矢部市にまたがる砺波山にある倶利伽羅峠は、1183(寿永2)年の源氏と平家が興亡の明暗を分けた倶利伽羅源平合戦の舞台となったところです。 中でも、『源平盛衰記(げんぺいせいすいき)』に記された木曽義仲による「火牛の計(かぎゅうのけい)」は有名で、平家の軍が終結した猿ケ馬場には芭蕉の句碑が立っています。

義仲の寝覚の山か月かなし

義仲の寝覚の山か月かなし

10:30~11:00 道の駅倶利伽羅源平の郷でWC休憩とショッピング
*「倶利伽羅塾」という倶利伽羅峠に関する資料展示があります

道の駅「倶利伽羅塾」

11:00 昼食場所の金沢の「秋月」へ

11:30~12:25 「秋月」で加賀料理の伝統的な懐石料理の昼食

12:40 <芭蕉の辻>

宮竹屋喜左衛門宅のあった「芭蕉の辻」

伊達政宗の間諜として働き、恩賞として辻の四隅の建物を授かった芭蕉という名の虚無僧が住んでいたことから「芭蕉の辻」と呼ばれるようになりました。芭蕉もこの地にあった俳人小春こと宮竹屋伊右衛門の父が営む旅籠に宿泊し、北国銀行前に芭蕉来遊記念の小碑が建てられています。

*金沢では門弟小杉一笑の追善会が願念寺で催され、芭蕉は追悼の句を詠んでいます。また、北枝が芭蕉に入門し、金沢から天龍寺まで芭蕉に随行しています。

つかもうごけ我泣く声は秋の風

つかもうごけ我泣く声は秋の風

つかもうごけ我泣く声は秋の風

12:40 金沢から小松の多太神社へ

13:20~14:10 <多太神社>

多太神社入り口の石の兜

1008(寛弘5)年、舟津松ケ中原にあった八幡宮を合祀して多太八幡宮と称し、1183(寿永2)年の源平合戦のとき、木曽義仲が本社に詣で斉藤実盛の兜鎧の大袖等を奉納し戦勝を祈願しました。

宝物館に展示された斎藤実盛の兜

斎藤実盛は倶利伽羅の戦いで敗れましたが、木曽義仲は恩人であった実盛の慰霊のために武門の崇敬篤い多太神社に彼の兜等を奉納したのです。芭蕉も詣でた際には、実盛の兜によせて感慨の句を捧げており、境内には句碑と石造りの兜が置かれています。

むざんやなかぶとの下のきりぎりす

むざんやなかぶとの下のきりぎりす

14:10 高野山真言宗別格本山の那谷寺へ

14:40~15:30 <那谷寺>

那谷寺の石の奇岩

那谷寺は717(養老元)年、泰澄大師の開基で大師作の千手観世音菩薩を本尊とし、岩窟内に安置したことから自生山岩屋寺と呼ばれていましたが、花山法皇がこの地を訪れ、西国三十三カ所第一番の那智山青岸渡寺と第三十三番谷汲山華厳寺から各一字をとって那谷寺と改称しました。
広大な境内は、奇岩の群れが岩洞となり、天然の奇岩遊仙境で、芭蕉も素晴らしい景観の聖地で句を詠んでいます。

石山の石より白し秋の風

石山の石より白し秋の風

15:30 山中温泉の芭蕉の館へ

15:50~16:30  <山中温泉 芭蕉の館>

「芭蕉の館」前の芭蕉と曽良の別れ

芭蕉が滞在した和泉屋に隣接した扇屋別荘を改築した建物で、入り口には曽良が芭蕉に別れを告げる像があります。館内には和泉屋の主人久米之助(桃妖)の資料や芭蕉が書き残した「やまなかや菊は手折らじゆのにほひ」の掛軸真蹟をはじめ、扁額など多くの俳諧資料が展示されています。

「芭蕉の館」平井館長による説明

16:30 山中グランドホテルへチェックイン

18:00 ホテルレストランでバイキングスタイルの夕食

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「奥の細道」の旅の終焉~浮世帰りで不易流行とかるみの境地へ

◆6日目 2020年11月21日(日) <山中温泉→松岡天龍寺→気比神宮→大垣→名古屋→東京>

7:00~ ホテルレストランにて朝食

8:30  山中温泉の医王寺へ

8:40~8:50 <医王寺>

山中温泉の医王寺

行基開創による山中温泉を守護する寺で、展示室には山中温泉縁起絵巻や芭蕉の忘れ杖も収蔵されており、芭蕉が逗留した和泉屋の主人、桃妖の墓もあります。境内には芭蕉が山中温泉を称えた句碑も建てられています。

やまなかや菊はたおらじ湯の匂い

やまなかや菊はたおらじ湯の匂い

やまなかや菊はたおらじ湯の匂い

8:50 山中温泉から松岡の天龍寺へ

9:30~9:45 <天龍寺>

清涼山天龍寺

清涼山天龍寺は藩主松平家の菩提寺で、松岡公園にある永平寺の末寺です。芭蕉が訪ねた当時の住職は大夢和尚ですが、金沢から芭蕉に随行してきた北枝とここで別れるにあたって芭蕉は別離の句を詠んでいます。

物書いて扇引きさく余波(なごり)かな

物書いて扇引きさく余波かな

9:50 天龍寺から鯖江北PAを経由して気比神宮へ

10:55~11:40 <敦賀 気比神宮>

「お砂持ち」行事が行われる気比神宮

氣比神宮(けひじんぐう)は 福井県敦賀市に鎮座する一之宮で、 地元では「けいさん」と呼ばれています。伝承によれば、1301(正安3)年に参詣した時宗第2世の阿真上人は、西参道の沼地を改善するため浜から砂を運んで整地したと言われており、この故事に因んで、現在でも時宗総本山の法主交代時には「お砂持ち」の儀式が行われています。

「お砂持ち」の像

芭蕉は「中秋の名月」を楽しみに訪れましたが、前日の8月14日に気比神宮に参拝し、月明かりに照らされた神前の白砂とその由来に感動して句を詠みました。

月清し遊行のもてる砂の上

月清し遊行のもてる砂の上

12:00~13:40 <孫兵衛(西村家)>

西村本の民芸茶屋「孫兵衛」

福井県と滋賀県の県境にある「民芸茶屋孫兵衛」で名物のとろろそばの昼食をとりました。この店の第16代店主の西村久雄さんは『おくのほそ道』素龍清書本の所有者です。芭蕉は1694(元禄7)年、能書家の柏木素龍に清書を依頼し、兄の半左衛門に贈るも、芭蕉没後は遺言によって向井去来に渡り、その後幾人かのもとを経て、敦賀の西村家に伝えられたことから「西村本」と呼ばれています。

第16代店主西村氏による素龍本の解説

14:45~17:00 <大垣 奥の細道むすびの地>

奥の細道むすびの地の住吉燈台

深川から600里の「奥の細道」の旅は大垣で終わり、大垣には芭蕉とは北村季吟同門の仲である谷朴因や宿を提供した門弟の近藤如行がいました。

大垣での松尾芭蕉

大垣での谷木因と松尾芭蕉

「奥の細道むすびの地」には、芭蕉と朴因の像、朴因作と伝わる「南いせくわなへ十里ざいがうみち」の俳句道標、「惜むひげ剃りたり窓に夏木立」の木因白桜塚、そして『おくのほそ道』最後の句が刻まれた蛤塚が建っています。

蛤のふたみへ別れゆく秋ぞ

大垣むすびの地に立つ蛤塚

また、「大垣市奥の細道むすびの地記念館」では芭蕉の「奥の細道」の旅を振り返るビデオが上映されています。

17:00 大垣のむすびの地より名古屋駅へ

17:50 名古屋駅到着後出発まで自由行動

19:06 名古屋発 のぞみ246号で東京へ

20:45 東京駅到着後解散

 

日本の縄文文化「北海道と北東北の縄文遺跡群」が世界文化遺産!

「北海道と北東北の縄文遺跡群」が世界文化遺産に登録されることを記念して、私はこのたび『縄文人からのメッセージ』というタイトルで令和の旅を語り、Amazonの電子本として出版しました。人生100歳時代を楽しく旅するために縄文人の精神世界に触れていただければ幸いです。日本人の心に灯をつける『日本遺産の教科書』、長生きして人生を楽しむための指南書『人生は旅行が9割』とともにご一読下さい。

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平成芭蕉ブックス『令和の旅指南』

私は平成芭蕉、自分の足で自分の五感を使って令和時代を旅しています

平成芭蕉同行の旅

平成芭蕉同行の旅

「平成芭蕉同行の旅」では、私が実際にお客様をご案内したツアーの中でも特に印象に残っている旅をご紹介しています。

*「平成芭蕉の旅物語」サイトマップ参照

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令和の「平成芭蕉」

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