日本遺産のまち丹波篠山~デカンショ節に乗せて歌い継ぐふるさと | 【黒田尚嗣】平成芭蕉の旅物語

令和の「平成芭蕉」

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平成芭蕉の日本遺産

日本遺産のまち丹波篠山~デカンショ節に乗せて歌い継ぐふるさと

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私は平成芭蕉、自分の足で自分の五感を使って日本遺産を旅しています。

平成芭蕉の日本遺産

平成芭蕉の日本遺産

この「平成芭蕉の日本遺産」は、単なる日本遺産登録地の紹介や旅情報の提供ではなく、「平成芭蕉」を自称する私が、実際に現地を訪れて、地元の人と交流し、私が感じたことや認定されたストーリーに対する私自身の所見を述べた記録です。

*「平成芭蕉の旅物語」サイトマップ参照

明智光秀ゆかりの「日本遺産のまち 丹波篠山~篠山城下町から八上城」

旧丹波国として古来京都への交通の要衝であった丹波篠山市は、町並みや祭りなどに京文化の影響を色濃く残し、篠山城の城下町として栄えた町ですが、江戸時代の民謡を起源とするデカンショ節でも知られています。

デカンショ祭

デカンショ祭

デカンショ節は丹波篠山市を中心に盆踊り歌として歌われる民謡ですが、学生歌としても広く歌われていました。

そのため2015年(平成27年)4月24日、「丹波篠山 デカンショ節―民謡に乗せて歌い継ぐふるさとの記憶」というストーリーが文化庁の認定する最初の日本遺産となり、今日では歴史と文化の薫り高い「日本遺産のまち」として注目を集めています。

そこで、私は2020年大河ドラマ「麒麟がくる」の主人公明智光秀ゆかりの地でもある、丹波篠山の青山歴史村「デカンショ館」を訪ね、丹波篠山の人々の生き様に触れてきました。

青山歴史村のデカンショ館

青山歴史村のデカンショ館

デカンショ館の中にあるシアター室では「丹波篠山デカンショ物語」が放映されており、デカンショ節が学生歌として全国に普及した経緯が紹介されていました。

デカンショ節の由来

それによると、篠山藩主の青山家は学問を奨励し、優秀な者を東京へ遊学させていましたが、この遊学生が明治31年の夏、千葉県館山の宿泊先「江戸屋」の二階で郷土の盆踊り歌を歌っていた際、それをたまたま階下に宿泊していた旧制一高の水泳部員がこの歌を聞きとめ、意気投合したことが、デカンショ節が学生歌として広まるきっかけとなったそうです。

文化の中心「篠山城の大書院」

文化の中心「篠山城の大書院」

「デカンショ」という言葉の由来にはいろんな説があり、篠山地方の方言「……でござんしょ」、あるいは徹夜で酒を飲み明かすという意味の「徹今宵(でっこんしょう)」、さらに丹波(たんば)地方から灘(なだ)方面へ酒造りに出かける杜氏(とうじ)たちの「出かせぎしょ」、さらには篠山藩主青山忠誠が開いた鳳鳴(ほうめい)塾の生徒たちが、デカルト、カント、ショペンハーウエル等の哲学者の名の頭文字を取ったものであるとか言われています。

篠山藩主青山家の長屋門

篠山藩主青山家の長屋門

青山歴史村は、篠山藩主青山家の明治時代の別邸である桂園舎(けいえんしゃ)を中心に土蔵と長屋門から成り立っておいます。

デカンショ館を見学した後は、一生に一度は食すべしという「デカンショうどん」を食べて、歴史美術館を訪ねました。

デカンショうどん

デカンショうどん

この建物はわが国最古級の木造裁判所で、昭和56年6月まで地方裁判所として使用されていました。街道のツアーを担当する私としては江戸時代の主要三街道を一つの画面に描いた「東海道・中仙道・甲州街道図屏風」「鼠草紙絵巻」が印象に残りました。

また、旧法廷では写真撮影が大丈夫ということで、裁判官の衣装を着て記念撮影もしてきました。

歴史美術館の旧法廷

歴史美術館の旧法廷

明智光秀が攻めた波多野氏の八上城と篠山城

藤堂高虎設計の篠山城

藤堂高虎設計の篠山城

町のシンボルである篠山城は、デカンショ節「並木千本 咲いたよ咲いた 濠に古城の 影ゆれて」等、幾度となく歌詞の中で歌われていますが、関ケ原の合戦に勝利した徳川家康が大坂城の包囲と豊臣家ゆかりの諸大名を抑える拠点として築いた城で、縄張り奉行は私の出身地である伊賀上野城を築城した藤堂高虎でした。

篠山城の穴太衆による石垣

篠山城の穴太衆による石垣

笹山という小山を利用した一辺約400mの平山城で、防御に徹した城構えで石垣は近江の穴太衆(あのうしゅう)によるものです。

初代城主は家康の実子である松平康重が、明智光秀の落城させた八上(やかみ)城から移り、松平三家8代と青山6代といずれも徳川譜代大名に引き継がれて篠山藩の拠点として機能していました。

八上城跡のある高城山登山口

八上城跡のある高城山登山口

篠山城には天守閣はありませんが、平成12年に復元された大書院は、篠山城築城と同時期に建てられており、催し事や貴人との面会などに使われ、城で中心的な役割を果たしていました。建物は平屋建てで内部には襖絵などに囲まれた8つの部屋があり、大名の書院としては破格の規模と古式の建築様式を備えています。

大書院の狩野派絵師が描いた屏風絵

大書院の狩野派絵師が描いた屏風絵

デカンショ節「オラが殿さは 六万石よ 今じゃのどかな 城下町」と歌われる城下町は、江戸時代の武家町や商家町の町割りなど城下町の要素を残しており、天保年間に建てられた武家屋敷の武家屋敷「安間家史料館」には、当時の家具、古文書などが展示されています。

武家屋敷「安間家史料館」

武家屋敷「安間家史料館」

また、丹波篠山はデカンショ節だけでなく、桜の名所でもあり、約100種類の桜が鑑賞できます。

桜の花は実りの先触れで、古代には神意の発現とされ、「花見」の踊りによって豊凶が占われたのですが、盆踊りだけでなく「花見」にもデカンショ節はふさわしいように感じます。

 

丹波篠山デカンショ節ー民謡に乗せて歌い継ぐふるさとの記憶ー  

日本遺産ストーリー  〔丹波篠山市〕

かつて城下町として栄えた丹波篠山の地は、江戸時代の民謡を起源とするデカンショ節によって、地域のその時代ごとの風土や人情、名所、名産品が歌い継がれている。地元の人々はこぞってこれを愛唱し、民謡の世界そのままにふるさとの景色を守り伝え、地域への愛着を育んできた。

 その流れは、今日においても、新たな歌詞を生み出し新たな丹波篠山を更に後世に歌い継ぐ取組として脈々と生き続けており、今や300番にも上る「デカンショ節」を通じ、丹波篠山の町並みや伝統をそこかしこで体験できる世界が展開している。

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by 【平成芭蕉こと黒田尚嗣】

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