「古昔(いにしへ)」をテーマとした万葉人の旅
新元号の「令和」の出典は万葉集です。この機会に万葉人になった気分で「いにしへ」をテーマとした旅に出かけましょう。
私が育った三重県名張市は奈良県との県境に近く、初瀬街道沿いでしたのでいわゆる大和を感じさせてくれる土地柄でした。
ゆるやかな山々にかこまれたうるわしい大和の地のシンボルは、香久・畝傍(うねび・)耳成(みみなし)の大和三山で、今も万葉人の息遣いを感じることができます。
香久山は 畝傍ををしと 耳梨と 相あらそひき
神代より かくにあるらし 古昔(いにしへ)も 然(しか)にあれこそ
うつせみも 嬬(つま)を あらそふらしき 巻1‐13
中大兄(なかつおほえ)
「いにしえ」の意味と古代の旅
新元号「令和」の出典が『万葉集』であることから、『万葉集』への関心が深まりつつあります。
今からおよそ1400年前、万葉びとはどのような旅をしていたのでしょうか。
「旅」にかかる枕詞の「草枕」が象徴するように、古代の旅は宿泊場所にもつねに不安感がつきまとっていたはずです。
天皇や豪族ならともかく、一般庶民の旅は今日のような楽しむ要素は少なかったはずです。そこで、私は『万葉集』を手掛かりとして「いにしえ」の旅について考えてみました。
かつて「日本いにしえの旅」という紀行番組がありましたが、そもそも「いにしえ」とはいつの時代を指すのでしょうか?
「いにしえ」の語源は、去るを意味する古語「往(い)ぬ」に関連し、「往(い)にし方(へ)」、すなわち、去った方角という意味です。
私の祖母も帰る際に「イヌル」とか「去った」を「インダ」という表現を使っていました。
そしてその祖母が生前、熱心に天皇御陵巡りをしていたこともあり、私の「いにしえ」というイメージは、初代の天皇である神武天皇が即位された紀元前660年2月11日の紀元節(今日の建国記念日)頃にさかのぼる神代の時代です。
戦前の日本で使われていた「皇紀」とは、この神武天皇即位を紀元とする紀年法です。
今年は改元の年で新元号の「令和」が発表され、私は日本人として新天皇即位を祝し、初代神武天皇が即位された大和の橿原宮と神武天皇陵をはじめとする天皇御陵を訪ね、遠い祖先が感じたことを追体験する「いにしえの旅」と「万葉びとの旅」に出てみたいと思いました。
「いにしえの旅」古代遺跡と万葉故地を訪ねる街道歩き
しかし、神代という遠い過去は、私たちにとって想像しがたい世界で、むしろ憧れの対象なのかもしれません。そこで、その「いにしえの世界」に接近するには、古代の遺跡巡りと万葉故地を訪ねます。
奈良県の飛鳥地方は、日本を代表する古代遺跡の宝庫で、万葉時代を彷彿させる風景の中に、ひっそりと石造物が残っており、美しい風景の中に歴史が眠っているようで、いにしえへの旅の原動力になっているような気がします。
特に最古の街道である「竹内街道」を歩きながら、推古天皇陵などの天皇御陵を巡れば、美しい風景といにしえへの憧憬とが重なって大きな感動を与えてくれます。
しかし、自然の中に歴史を読み取ることは容易なことではなく、やはり、風景の中に神社仏閣や石碑や灯籠などのモニュメントがあってこそ、私たちは歴史と向き合える気がします。
これらの史跡も自然界の中に溶け込んだ状態では、それと把握することが難しいのですが、「いにしえへの旅」は、自然の風景の中にいにしえを探る楽しみを与えてくれることは間違いありません。
<具体的な旅先>
橿原神宮…日本最古の正史である『日本書紀』において日本建国の地と記され、日本の歴史と文化の発祥の地でもある橿原は日本のいにしえの世界です。
竹内街道…飛鳥には天皇の宮が置かれていた期間が長く、推古天皇の592年から持統天皇が694年に藤原京に移転するまでの約100年間を歴史の時代区分として飛鳥時代と呼んでいます。
その飛鳥と難波を結ぶ日本最古の官道が竹内街道です。
日本の縄文文化「北海道と北東北の縄文遺跡群」が世界文化遺産!
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私は平成芭蕉、自分の足で自分の五感を使って令和時代を旅しています。
見るべきものは見て、聞くべき話は聞いた。では旅に飽きたかと問われれば、いえいえ、視点が変わればまた新たな旅が始まるのです。平成芭蕉はまだまだ「こんな旅があった」と目からウロコのテーマ旅行にご案内します。すなわち、「ときめき」を感じる旅から人は変わり、生き方も変わり、人生も変わるのです。