箱根駅伝のハイライト「箱根峠」から「八十里越」、「野麦峠」の旅
「正月は箱根駅伝で始まる」という程関東では有名な駅伝ですが、その箱根駅伝のハイライト区間が箱根峠で、唱歌『箱根八里』では「箱根の山は天下の険、函谷関もものならず」と歌われたほどの難所でした。
そして、鎌倉時代以後の「関東」の定義は「東海道の箱根峠、足柄峠から東の地」となり、この定義が今日の関東地方の基になっています。
河合継之助を描いた司馬遼太郎の名作『峠』
しかし、私にとって峠と言えば、戊辰戦争時に官軍にも会津軍にも属さず、自主独立を目指した長岡藩の家老河合継之助を描いた司馬遼太郎の名作『峠』が思い出されます。
具体的には北越戦争で獅子奮迅の活躍をした河合継之助ですが、圧倒的兵力に優る官軍に敗退して左足に重症を負い、長岡から会津へ逃亡する「八十里越」の途上で彼は
八十里 こし抜け武士の越す峠
と歌っており、私には「峠」と言えば河合継之助のこの句が思い起こされるのです。
「こし抜け」には、戦に敗れた河合継之助自身を自嘲する「腰抜け」と越後を抜け出る「越抜け」の二つの意味が込められおり、幕府が主導権を握った武士の時代も峠を過ぎたと自嘲気味に心境を吐露しているようにも感じます。
この「八十里」の名は、実際の距離は八里(約31㎞)でも、険しさゆえに一里が十里に感じられるほど急峻な山道であることに由来し、新潟県三条市から福島県南会津郡只見町に至るこの街道には、「鞍掛峠」と「木の根峠」という2か所の険しい峠があります。
2018年は河合継之助没後150年でした。この機会に越後長岡にある「河合継之助記念館」を訪ね、彼が句を詠んだとされる越後見納めの「鞍掛峠」で、越後の山々と空を眺めながら河合継之助の生涯に想いを馳せてみてはいかがでしょうか。
全国唯一の峠の資料館「野麦峠の館」
また、代表的な「峠」を舞台とした物語から選べば、やはり山本茂実の『あゝ野麦峠』に登場する岐阜県高山市と長野県松本市の県境に位置する「野麦峠」でしょう。
飛騨から諏訪、岡谷の製糸工場へ働きに出て、富国強兵の国策により主力の貿易品であった生糸の生産を支え続けた女工たちが越えた険しい峠の物語です。
この野麦峠には、峠を見直し、その役割をもう一度考えようと設けられた全国唯一の峠の資料館「野麦峠の館」があります。
峠は「手向け(たむけ)」が語源で、旅行者が安全を祈願して道祖神に手向けた場所とも言われていますが、難所でも越すしかない峠であればこそ、歌も詠まれドラマも生まれたのでしょう。
山の向こうに何があるのか、峠の旅は再発見の旅でもあります。
<具体的な旅先>
河合継之助記念館…長岡市にあり、幕末の風雲児 河合継之助ゆかりの品々や彼の生涯に関する資料がパネル展示されている。
戊辰戦争時には平和的解決のために東奔西走するも、小千谷の慈眼寺における西軍との談判に決裂した歴史など、彼の活躍を知ることができる。
野麦街道と野麦峠の館…高山市高根町野麦にある全国唯一の峠の資料館。標高1672mの豊かな自然に囲まれた山間にあって、展示コーナーには全国の峠に関する資料のほか、「女工哀史」をテーマとした飛騨地方の生活に関する資料も充実している。
*平成芭蕉のテーマ旅行「峠の旅」は旅行読売2019年2月号に掲載されました
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私は平成芭蕉、自分の足で自分の五感を使って令和時代を旅しています。
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