私は平成芭蕉、自分の足で自分の五感を使って世界遺産を旅しています。

平成芭蕉の世界遺産
世界遺産とは地球の成り立ちと人類の歴史によって生み出された全人類が共有すべき宝物で、その内容によって①文化遺産②自然遺産③複合遺産に分類されます。この「平成芭蕉の世界遺産」はその世界遺産についての単なる解説ではなく、私が実際に現地に赴いてその土地に生きる人たちと交流した際に感じた感動の記録です。
松尾芭蕉ゆかりの平泉の世界遺産 中尊寺金色堂

平成芭蕉の「世界遺産への旅」
俳聖松尾芭蕉の句でも有名な平泉の中尊寺金色堂は、訪れる人に光り輝くロマンを与えてくれます。
なぜなら、マルコ・ポーロが東方見聞録に「ジパング(日本)には黄金に輝く家がある」と紹介したことから、コロンブスの新大陸発見につながり、義経の北方伝説も今だに語り伝えられているからです。つまり、ジャパンという地名はこの光堂を紹介したジパングが語源とも言えます。
芭蕉さんも讃えた 平泉の世界遺産 光輝く中尊寺金色堂と高館の景色

中尊寺に立つ松尾芭蕉像
私は以前、和歌山県田辺市で開催された第2回世界遺産サミットに参加しましたが、このサミットでは世界遺産各地域における「さらなる連携と魅力発信」をテーマとし、いくつかの提案がなされました。
私はその中で「価値と魅力を伝える語り部等の人材育成」という言葉が印象に残りました。
私は日本の世界遺産の中でも10代の頃から関心があったのは、平泉の文化遺産です。
その理由は私と同郷(伊賀上野)の俳聖松尾芭蕉が「夏草や兵どもが夢の跡」という俳句を通じて平泉を紹介し、その魅力を発信してくれていたからです。
すなわち、江戸時代に生きた松尾芭蕉という語り部が「おくの細道」という作品の中で平泉の価値と魅力を現代の私たちに伝えているのです。
芭蕉さんは中尊寺の東にある高館という丘から、眼下に広がる風景に「平泉の美」を見出しました。
その美しさは季節的に初夏の緑であり、これを「夏草」という季語にして私たちにイメージを植え付け、この「夏草」という植物と「夢の跡」という場所を、高館に居を構えていたとされる源義経とその郎等たちが燃やした「兵ども」でつないで俳句を詠んだのです。
光輝く中尊寺金色堂と奥州藤原氏の夢の跡

中尊寺の金色堂
平泉は平安時代末期、藤原清衡・基衡・秀衡の親子三代のときに栄え、源義経をかくまったことから滅んだとされ、芭蕉と曾良はその奥州藤原氏が滅亡してから500年目にあたる元禄2年(1689)の5月に平泉を訪れました。
そして高館の丘陵に登った後、中尊寺を参拝し「五月雨の降り残してや光堂」という有名な句も残しています。
句中の「光堂」は、中尊寺境内にあって創建当時の姿を伝える貴重な国宝建造物の金色堂を指します。建立は初代清衡で、堂内外の全面に金箔が張られ、柱や須弥壇にも蒔絵、螺鈿、彫金を使った華麗な装飾が施されています。
しかし、金色堂を「光堂」とも称するのは建物が金色に光輝くからではありません。
阿弥陀仏は無量光仏、すなわち「光仏」とも呼ばれ、「光堂」とは固有名詞ではなく、「光仏」の堂、阿弥陀堂の別名なのです。
平泉の世界遺産 毛越寺の浄土庭園と西行法師が称えた束稲山

毛越寺の浄土庭園
平泉の世界遺産は「仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群」として登録されており、中尊寺大池伽藍跡、毛越寺庭園、観自在王院跡、無量光院跡の4つの浄土庭園も金色堂や経蔵と同様に重要です。
これらは神聖な山である金鶏山に焦点を合わせ、日本固有の自然信仰と阿弥陀如来の極楽浄土思想を融合させて、この世に仏教的な理想世界を築こうとした奥州藤原氏の「夢の跡」なのです。
全盛期の平泉を訪ねた西行法師が称えた束稲山(たばしねやま)も今では桜ではなくつつじの名所になっていますが、西行も芭蕉も平泉の魅力を今日に伝えた優秀な語り部かと思います。
マルコ・ポーロの黄金の国ジパング伝説や義経の北行伝説も現地の語り部によっては将来、平泉の遺産として語り継がれるのではないでしょうか。
★zakzak「ライフ」:2015年11月27日夕刊フジ「世界遺産旅行講座」掲載
p>by 【平成芭蕉こと黒田尚嗣】
- SmaSurf Quick Search