私は平成芭蕉、自分の足で自分の五感を使って世界遺産を旅しています。

平成芭蕉の世界遺産
この「平成芭蕉の世界遺産」は世界遺産についての単なる解説ではなく、私が実際に現地に赴いてその土地に生きる人たちと交流した際に感じた感動の記録です。
日本が誇る33の祭り(山・鉾・屋台行事)の「秩父の夜祭」

平成芭蕉の「世界遺産への旅」
冬の風物詩として毎年、12月2、3日に行なわれる秩父神社の例大祭「秩父の夜祭」は、京都の祇園祭、飛騨の高山祭とともに「日本三大曳山祭」の一つですが、2016年には「秩父祭の屋台行事と神楽」としてユネスコ無形文化遺産に登録されました。

秩父の夜祭と花火
「無形文化遺産」は「世界遺産」、「世界の記憶(世界記憶遺産)」と並ぶUNESCO三大遺産事業のひとつで、形に残らず、人づてにしか伝えられない無形の文化遺産を保護するのが目的です。
この「秩父の夜祭」は江戸中期、秩父神社に立った絹織物の市、「絹大市」(きぬのたかまち)の経済的な発展と共に、盛大に行われるようになったもので、祭礼当日は勇壮な屋台囃子を打ち鳴らし、絢爛豪華な2台の笠鉾と4台の屋台が曳行(えいこう)され、最大20tもある笠鉾・屋台が団子坂と呼ばれる急坂を曳き上げられる様子は圧巻です。
別名『動く陽明門』と言われるほど豪華絢爛で、昭和37年には国の重要有形民俗文化財に指定されています。

「動く陽明門」と呼ばれる山車
「笠鉾」は中近(なかちか)と下郷(したごう)の2基で、神霊のより依代としての要素を供えており、その構造は土台の中央から長い真柱を立て、3層の笠に、緋羅紗の水引幕を吊り、造り花を放射状に垂らしています。
しかし大正3年に笠鉾の順路に電線が架設されたため、笠鉾本来の姿での曳行はできなくなり、現在は屋形姿で曳いています。
三重県伊賀市の「上野天神祭りのダンジリ行事」
「秩父の夜祭」と一緒に登録された無形文化遺産、『日本が誇る33の祭り(山・鉾・屋台行事)』の中には、私の生まれ故郷である三重県伊賀市の「上野天神祭のダンジリ行事」も含まれています。

文化遺産登録を祝う上野のだんじり会館
天神祭の時期になると、伊賀の国では「忍者」よりも「鬼」たちであふれかえるのです。
私としてはこの文化遺産登録によって、山車を依り代(よりしろ)にして神霊を迎え、地域の安泰や厄除け、豊作などを祈願するといった、神様とともにある暮らしのあり方や土地の伝統行事などに関心が深まれば嬉しい限りですが、一方で「遺産」とか「無形文化財」と呼ばれると少し寂しい気持ちにもなります。
なぜなら鬼たちの行列や京都の祇園祭の山鉾(だし)に似たダンジリ(楼車)の巡行など、天神祭の行事は、日々の暮らしを見守ってくれる神様を畏敬の儀式で迎える神事であり、それは祭りを運営する地元の人にとっては「無形」などではなく、今も継承される「形あるもの」だからです。

上野だんじり会館に展示された鬼
日本の祭りの多くは、「神様は祭りの日には遠くから訪ねて来てくれる」と考えた人間が創造した形ある行事で、暮れから正月にかけてはこの「来訪神」の行事が数多く行われます。
「来訪神 仮面・仮装の神々」も無形文化遺産に登録
2018年11月には、「来訪神 仮面・仮装の神々」も無形文化遺産に登録が決定し、2016年の「山・鉾・屋台行事」以来で、国内の無形文化遺産は計21件となりました。
「男鹿のナマハゲ」(秋田県)や「悪石島のボゼ」(鹿児島県)など8県10行事で構成され、神の使いに仮装した者が正月などの節目に家々を訪ね、怠け者を戒めたり、無病息災などを願ったりする行事です。

男鹿のナマハゲ
そもそもお正月とは、祖先の霊が歳神様となって子孫の繁栄を見守ってくれると考えられており、幸せを授かるために、日本には様々な風習や行事が生まれました。
歳神様が降りてくるときの目印となる「門松」や家庭にお迎えした歳神様の依り代(居場所)として飾る「鏡餅」などは、やはり明らかに形ある文化遺産なのです。
★zakzak「ライフ」:2019年12月29日夕刊フジ「世界遺産旅行講座」掲載
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by 【平成芭蕉こと黒田尚嗣】