西行に憧れた芭蕉さんの『おくの細道』と『野ざらし紀行』
芭蕉さんの「おくの細道」の旅は1689年ですが、これは西行法師の500年忌にあたっており、芭蕉さんが西行法師を強く意識していたことは間違いありません。
「おくの細道」の中には直接、西行に言及した記述はほとんどありませんが、1684年の「野ざらし紀行」では、伊勢の西行谷において次のような記述があります。
「西行谷の麓に流あり、をんなどもの芋あらふを見るに、芋あらふ女西行ならば歌よまむ」
芋を洗う女性を西行に比喩しているのは、まだ芭蕉さんの若さを感じますが、芭蕉さんは西行の旅の仕方や目的地を真似ただけでなく、西行法師が
「どのような気持ちで、その地を訪れたのか?」
「その時、頭の中で何を考えて歌を詠んだのか?」
「どのような感覚で旅していたのか?」
といった、西行法師の「頭の中で起こっていたこと」まで考えていたようです。
私は、芭蕉さんのような旅の達人は、目的地などの「目に見える」部分とその時に感じた気持ちのような「目に見えない部分」と両方を意識しているように思われます。
西行法師も出家後にみちのくを訪ねた際、能因法師を強く意識していましたが、西行も能因法師の足跡だけでなく、能員法師の心理的な内面を感じ取ろうとしていたことは間違いありません。
芭蕉さんから学ぶ「旅を楽しむコツ」
そこで、芭蕉さんから学ぶ旅を楽しむコツは、そこに行った人や旅の達人に
「どのような手段でどこに行ったのか?」とか
「そこで何を見てどのように過ごしたのか?」
という、目に見える部分だけでなく、
「その時に、頭の中で何を考えていましたか?」
「なぜ、そこに行こうと思ったのですか?」
「その時の気持ちや感情、感覚はどうでしたか?」
といった目に見えない部分についても質問し、「どこへ」とか「何」よりも「なぜ」に関心を持つことです。
この「なぜ」にこだわると、旅での学びが深まり、芭蕉さんや西行法師のように歌には詠めなくても自身の素直な感動を言葉として残すことができます。
芭蕉さんと西行法師の内面的な相違
芭蕉さんと西行法師の間には500年の歳月がありますが、旅に関しては共通点が多く存在します。
しかし、二人の詠んだ歌から内面的な部分にフォーカスすると相違点が見つかります。
それは「死」への心構えという「死生観」に表れています。
芭蕉さんの辞世の句は
「旅に病んで 夢は枯野をかけめぐる」
が知られていますが、この句からは現世へのこだわりが感じられ、まだ死を覚悟していたとは思えません。
一方、西行法師の辞世の歌として有名な
「願わくは花のしたにて春死なん そのきさらぎの望月の頃」
からは、自分の死はこのようにあって欲しいという死への心構えが感じられます。
この点が、旅を住処とした「漂泊の俳人」松尾芭蕉と出家した「僧侶」西行法師との根本的な気質の違いではないでしょうか。
すなわち、同じ先達の足跡を訪ねる旅であっても、このように先人の内面的なところに意識をむければ、旅の楽しみも深まります。
平成芭蕉メッセージ ~「旅の質」が人生を変える
「小説が書かれ読まれるのは人生がただ一度であることへの抗議」という言葉がありますが、私にとって旅することは、一度限りの人生を最大限に楽しむための創造活動なのです。そして私は、人生を楽しむために必要な「心のときめき」は、「知恵を伴う旅」を通じて得られると考えています。
そこでこの度、私はその知恵を伴う日本遺産や世界遺産の旅を紹介しつつ、平成芭蕉独自の旅の楽しみ方とテーマ旅行に関する企画アイデアノート、さらに著者が松尾芭蕉の旅から学んだ旅行術について紹介した『平成芭蕉の旅指南 人生が変わるオススメの旅 旅の質が人生を決める』と題した本を出版しました。このブログと合わせてご一読いただければ幸です。
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私は平成芭蕉、自分の足で自分の五感を使って旅をしています。
平成芭蕉は元禄時代に生きた俳聖松尾芭蕉の旅から学んだことをお伝えします。旅とは日常から離れ、いつもと違う風、光、臭いなど五感を通じて自分を見つめ直す機会です。そしていつもと違う人に会い、いつもと違う食事をとることで、考え方や感じ方が変わります。すなわち、いい旅をすると人も変わり、生き方も変わり、人生も変わるのです。