私は平成芭蕉、自分の足で自分の五感を使って「共感」する旅をしています。

平成芭蕉の旅語録
平成芭蕉が体験した感動を「旅行+知恵=人生のときめき」をテーマにお話しします。
松尾芭蕉『奥の細道』のハイライト「五月雨を集めて早し最上川」
最上川で至福の時を過ごした芭蕉さん

最上川下りでの上陸地に立つ芭蕉像
私の好きな芭蕉さんの句に
「五月雨を集めて 早し 最上川」
があります。
この句は元禄2(1689)年5月29日(新暦では7月中旬)に山形県大石田の俳諧をたしなむ人たちと句会(36句の歌仙一巻)を開いたときに詠まれたものです。
彼らの代表は船宿の主人、高野一栄という人で、芭蕉さんはその高野一栄の亭に招かれたのですが、そこは最上川の川っぺりにある涼しい場所だったのです。
そして、芭蕉さんは『奥の細道』に「このたびの風流、ここに至れり」と書いており、みちのくの旅が最上川でピークに達したと自ら言っているのです。
そこで、芭蕉さんが最初に詠んだ挨拶の句は
「五月雨を集めて 涼し 最上川」
でした。
しかし、実際に船に乗ってみると故郷の柘植川や服部川のような穏やかな川ではないので、「涼し」ではちょっと物足りないということで「涼し」を「早し」に訂正して『奥の細道』に発表したと思われます。
芭蕉さんのコミュニケーション能力は適切なる質問の仕方にあった

「奥の細道」出立前の芭蕉像
私は、芭蕉さんの俳句を研究すればするほど、芭蕉さんの情報収集力に畏れ入るのですが、この情報収集力は旅先での門人や出会った人とのコミュニケーション能力に起因するものと思われます。
最上川下りもさることながら、当時のみちのくを安全無事に旅行するには、それなりの旅情報が不可欠だったはずで、芭蕉さんは句会を楽しみながらも、情報を得るための質問をしていたはずです。
実際、私も「奥の細道」のツアーの下見では多くの現地の方に教えを請いながら、同行の先生方とストーリーを構築しています。
しかし、ツアー造成に限ったことではありませんが、何でも質問すれば良いというものではなく、やはり正しい質問の仕方があります。
すなわち、自分でもそれなりの調査をして、自身の考えを述べた上で、質問するのが良いと思います。
そうすると教える側も、そこまで調べているのであれば、もっと広く知って欲しいと、親身になって価値ある情報を提供、あるいは他に詳しい人を紹介してくれたりします。
すなわち、質問の仕方が適切であれば、コミュニケーションが深まるということです。
みちのくの旅が盛んになったのは『奥の細道』による情報発信のおかげ
ただ、芭蕉さんのすごいところは、コミュニケーション能力に長けた情報収集家としてだけでなく、『奥の細道』をはじめとする作品で当時の貴重な情報を発信し、今日の私たちに残してくれたということです。
もし、芭蕉さんの紀行文がなければ、今日の東北旅行の楽しみは半減していたでしょう。
また、芭蕉さんの時代に今日のようなSNSがあれば、もっと早く世界的な俳聖になっていたとも思われます。
そこで私は、同郷のよしみで元禄時代の芭蕉さんができなかった情報発信を「平成芭蕉の旅語録」としてお届けしたいと思ったのです。
この投稿は、本来「芭蕉さんに学ぶ」カテゴリーに入れるべきかもしれませんが、平成芭蕉の役割を明確にするために、あえて「平成芭蕉の旅語録」に入れました。
★平成曽良の旅のアドバイス「旅して幸せになる~令和の旅」
by 【平成芭蕉こと黒田尚嗣】