令和の「平成芭蕉」

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平成芭蕉の世界遺産

平成芭蕉の世界遺産 丘の上の王冠と呼ばれる名城「カステル・デル・モンテ」

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名君であり築城の名人フリードリヒ2世ゆかりの城「カステル・デル・モンテ」

平成芭蕉の「世界遺産への旅」

平成芭蕉の「世界遺産への旅」

「玉座に位した最初の近代的人間」フリードリヒ2

日本において築城の名人と言えば、加藤清正、黒田官兵衛、藤堂高虎の3人が有名ですが、ヨーロッパでは誰かと問われれば、私は神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世がその一人ではないかと思います。
彼は各地に多くの城を築き、世界遺産に登録されている南イタリアのプーリア州アンドリアの郊外に建つカステル・デル・モンテ(デルモンテ城)の設計にも加わったと言われています。カステル・デル・モンテは、古代ローマ・イスラム・北ヨーロッパの文化的要素を兼ね備えた中世の建造物で他に例をみない最高傑作とされています。

カステル・デル・モンテ

彼はシチリア島に生まれ、成人してシチリア王、1212年にドイツ王、ついで1220年に神聖ローマ皇帝に即位するも、9年間ドイツに滞在しただけで、ほとんどをシチリアの王宮パレルモで過ごし、イタリア統一を目指しました。フリードリッヒ2世は幼いころから聡明で、知的好奇心に溢れており、歴史、哲学、神学のほか、天文学や数学などを習得しています。

時代に先駆けた近代的君主としての振る舞いから、スイスの歴史家ブルクハルトは、学問と芸術を好んだフリードリヒ2世を「玉座に位した最初の近代的人間」と評しています。

しかしフェデリーコ(フリードリヒ2世のイタリアでの呼び方)自身は、文学や芸術よりも科学を好み、科学という点ではヨーロッパよりイスラム世界の方が遙かに進んでいた関係で、彼はイスラム文化への造詣も深く、城の位置も彼のイスラム世界への理解を示すかのごとく、当時のキリスト教の拠点であるシャルトルとイスラム教の聖地メッカの2点を結ぶ直線上に立地しています。

「破門十字軍」による聖地エルサレム回復

フリードリッヒ2世の功績のなかで、もっとも知られているのは、「破門十字軍」とも称される、第6回十字軍における聖地エルサレムの回復です。1228年、フリードリッヒ2世は4万のドイツ兵を率いて十字軍遠征に出発したものの、疫病に罹り、帰還しましたが、教皇グレゴリウス9世は、これを仮病と断じ、フリードリッヒ2世に破門を言い渡しました。

当時の人間にとって、破門は社会的な死でしたが、翌1229年、フリードリッヒ2世は病が快復すると、破門の身ながらも、再び聖地へと向かいました。兵を率いてはいましたが、フリードリッヒ2世が聖地回復のために選んだ手段は、武力による戦いではなく、外交交渉でした。

第6回十字軍(破門十字軍)

彼は当時、聖地エルサレムを支配していたアイユーブ朝のスルタン、アル・カミールと粘り強く交渉を重ね、その結果、講和を成立させ、10年という期限付きではありましたが、130年ぶりにエルサレムをはじめとする諸都市の回復に成功したのです。

成功の背景には、フリードリッヒ2世が流暢なアラビア語を話し、イスラムの文化にも深い敬意を払う教養人であったことがあるといわれています。カステル・デル・モンテを築いたのは、これまでの十字軍が武力でもって果たせなかった聖地回復を、無血で成し遂げた男なのです。

「丘の上の王冠」と呼ばれるイタリアの名城 カステル・デル・モンテ

カステル・デル・モンテは丘陵風景が広がる丘の上にぽつんと立つ美しい城で、フリードリヒ2世の数学へ造詣を示す、黄金比を用いた八角形が象徴的に取り入れられており、「8」に彩られた、極めて独創的な城です。すなわち、全体が八角形の平面で構成され、中央に八角形の中庭を内包し、8つのコーナーにはそれぞれ八角形の小塔がそびえています。

カステル・デル・モンテの中庭からの眺め

一般に、中世の城郭は軍事要塞の役割を担っていますが、カステル・デル・モンテの防御力は無きに等しいので軍事目的で建設されたわけではないとされています。

城を守る堀はなく、跳ね橋、城壁、矢を射るための窓などの防衛設備も、いっさい持ち合わせておらず、城内の螺旋階段も攻める方に有利な左回りで、馬小屋も食糧の保管庫も設けられていませんでした。

カステル・デル・モンテ〔世界遺産データベースより〕

そこで狩猟の拠点として建設されたと言われていますが、イスラムと北ヨーロッパ様式が融合し、均衡のとれた八角形構造と白い石灰岩の色調はひたすら美しく、周りに溶け込むことを拒否するがごとく立つ堂々とした姿は、フリードリヒ2世の生き様を感じさせてくれます。

一方でフリードリッヒ2世は、キリストの聖杯を所有しており、それを納めるために建てたという説もあり、また、城の窓からは、フリードリッヒ2世が愛した2人の妻が眠るアンドリアの街が見えるので、フリードリッヒ2世は2人の妻を偲ぶために、カステル・デル・モンテを建てたのかもしれません。

「丘の上の王冠」カステル・デル・モンテ

「早く生まれすぎた」彼は教皇庁や北イタリアの都市国家と対立し、治世をイタリア統一のために費やすも教皇庁と都市国家の抵抗によって悲願を達することはできなかったのです。しかし、この「丘の上の王冠」とも称されるカステル・デル・モンテは、複雑な歴史と文明を積み重ねるイタリアの象徴として、今も異彩を放っています。

平成芭蕉メッセージ ~「旅の質」が人生を変える

「小説が書かれ読まれるのは人生がただ一度であることへの抗議」という言葉がありますが、私にとって旅することは、一度限りの人生を最大限に楽しむための創造活動なのです。そして私は、人生を楽しむために必要な「心のときめき」は、「知恵を伴う旅」を通じて得られると考えています。

そこでこの度、私はその知恵を伴う日本遺産や世界遺産の旅を紹介しつつ、平成芭蕉独自の旅の楽しみ方とテーマ旅行に関する企画アイデアノート、さらに著者が松尾芭蕉の旅から学んだ旅行術について紹介した『平成芭蕉の旅指南 人生が変わるオススメの旅 旅の質が人生を決める』と題した本を出版しました。このブログと合わせてご一読いただければ幸です。

参考記事:世界遺産の旅における「へー、そうだったの」

★関連記事:平成芭蕉の旅のアドバイス「旅して幸せになる~令和の旅」

私は平成芭蕉、自分の足で自分の五感を使って世界遺産を旅しています

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「平成芭蕉の世界遺産」はその世界遺産についての単なる解説ではなく、私が実際に現地に赴いてその土地に生きる人たちと交流した際に感じた感動の記録です。

「令和の旅」へ挑む平成芭蕉

*「平成芭蕉の旅物語」サイトマップ参照

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