芭蕉さんの旅行術

「芭蕉さんの格安旅行術」は俳諧をテーマとした旅

私は俳聖松尾芭蕉の生家(三重県伊賀市上野赤坂町)の向かい、上野農人町で生まれ、芭蕉翁の遺髪が眠る愛染院願成寺(上野農人町)「故郷塚」には裏庭から行くことができました。

俳聖松尾芭蕉の遺髪が納められた愛染院の「故郷塚」

そして私は幼少期にその松尾家の菩提寺である愛染院願成寺のご住職より、芭蕉さんについて多くのことを教わりました。

私を含む伊賀上野出身者は、俳聖松尾芭蕉を親しみ込めて「芭蕉さん」と呼びます。

芭蕉さんは俳聖と呼ばれる俳句の達人ですが、旅行業に身を置く私にとっては、俳聖と呼ぶより、我々が参考にすべき究極の「格安旅行術」を身に付けた「旅の達人」と呼ぶのがふさわしいと思います。

芭蕉さんが俳諧を学んだきっかけは、伊賀上野の侍大将、藤堂藩の嫡子である藤堂良忠(俳号は「蝉吟」)に仕えたことです。

良忠は芭蕉さんの良き理解者であり、熱心な文化人でもあって、京都の北村季吟に俳諧を学んでいましたが、その影響で芭蕉さんも俳諧を始めたのでした。

しかし、その藤堂良忠が早逝したため、職を失った芭蕉さんは俳諧を武器に「格安旅行術」を身につけて「旅の達人」となったのです。

すなわち俳諧をテーマとした旅が、支援者を獲得し、自身も「かるみ」を発見するという偉業を生み出したのだと思います。

*「俳諧」とは「俳諧の連歌」の略で、芭蕉さんの時代、「俳句」はその俳諧の最初の一句と言う意味で発句と呼んでいました。

芭蕉さんの功績は「俳句」だけではありません

芭蕉さんの功績の第一は、この貴族のたしなみであった「俳諧」を庶民にも分かり易い「俳句」に改良

したことにあり、この功績により「俳聖」と呼ばれています。

しかし、私は愛染院ご住職の話から、芭蕉さんは「俳聖」というより「人間味あふれる行動の人」で、旅行業界にとって模範とすべき「旅の達人」だと思います。

すなわち、芭蕉さんは旅する前に十分な準備を整え、必要に応じて案内人を同行させて、船や馬も利用しましたが、基本的には歩き旅で今日で言うところの価値ある究極の「格安旅行」をしていました。

そして、道中、地元の人とも交流しつつ、地図やガイドブックがない時代に考えながら旅をして、その感想を俳句によって今日の私たちに伝えてくれています。

すなわち、芭蕉さんは旅に出るにあたり

・十分な事前準備と案内人同行

・推理推敲による旅日程と臨機応変な日程変更

・基本的に船旅と歩き旅が主体

・旅先で門人との交流しつつ俳句を詠み、情報収集

という4つの行為を実践し、知恵とコミュニケーションによって格安旅行を価値ある旅とした「旅の達人」なのです。

芭蕉さんの時代における「旅」事情

旅(Travel)の語源は苦労(Travail)にあり、「困難(Trouble)」やそれを回避するための「移動Transfer)」が本来の意味でした。

日本語の「旅(たび)」という言葉も、諸説ありますが、食べ物を乞う「給(た)べ」、他人の食卓で食べる「他火」、他の場所で一日過ごす「他日」と言った言葉から来ています。

その「旅」が庶民に広がった芭蕉さんの生きた元禄時代、「伊勢参り」「善光寺詣」も道中、決して楽ではなかったはずです。

芭蕉さんも紀行文『おくの細道』の中で、芭蕉さん自身が旅にあって苦労する修行の句を多く詠んでいますが、みちのくを旅した結果、「不易流行」という俳諧の本質を発見し、芭蕉さん自身も大いに満足したのではないでしょうか?

今日、私たちは気軽に日本国中、世界各地へ気軽にレジャー目的で旅することができます。
しかし、旅の有難みや満足度は昔に比べて下がって来ているように思います。なぜでしょうか

芭蕉さんの教えは「旅行+知恵=人生のときめき」

旅行に行って今一つ満足感が得られなかった場合の原因としては

・旅の準備や事前勉強が不十分でガイドなし(バスガイド同乗は稀)
・情報過多で自らが推理し、考えることをしなかった(スマホの普及)
・旅先で歩く機会が少なかった(交通手段の発達)
・旅先で人との交流がなかった(コミュニケーション不足)

が挙げられます。

逆に、旅する前に勉強と推理、異郷の地を歩いて現地の人と対話する機会を増やし、加えて案内人さんの解説があれば、旅の満足度は上がると思います。

そこで、私は自身の体験から旅の満足度を上げる手法と旅の達人である芭蕉さんの「旅の知恵」を整理してみました。

そして感じたことは、芭蕉さんの教えは「旅行+知恵=人生のときめき」であり、旅行の仕方によって人生が変わるということです。

芭蕉さんは現代にも通用する「旅の達人」です!

もし芭蕉さんが「おくの細道」という紀行文を残していなければ、東関東を訪れる旅行者の楽しみは減り、もっと言えば旅行会社の東北企画担当者の商品ラインナップは減っていたはずです。

すなわち、芭蕉さんは俳聖であるだけでなく、旅行業界の大恩人です。また、現代に通じる「旅の語り部」であり、「旅の達人」でもあると思います。

そして、さらに我々が学ぶべきところは、旅に出るための旅費の工面の仕方や現地での資金調達方法等も含む芭蕉さんの「旅行術」です。

すなわち、芭蕉さんの旅ほど費用対効果のすぐれたものはありません。私も同じ旅費で価値ある旅ができるように芭蕉さんから学ぶべく、ペンネームを「平成芭蕉」としました。

私は芭蕉さんの同郷として芭蕉さんの知られざる人間性を考察し、芭蕉さんの「旅」だけでなく、代表的な「俳句」に対する所見もここでお話ししたいと思います。

by 【平成芭蕉

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芭蕉さんの旅の目的

芭蕉さんは「おくの細道」の冒頭の段に「松島の月まづ心にかかりて…」と宮城県の松島を訪ねるのが目的のひとつと書いていますが、実際はこの蕉風開眼をきっかけに真の俳諧を探求することが旅に出る真の目的だったと思います。

「おそれ」を克服した芭蕉さんの旅

芭蕉さんもみちのくを旅して、心の「惧れ(おそれ)」を克服した結果、「不易流行」という俳諧の本質を発見し、「俳聖」になったのです。

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