令和の「平成芭蕉」

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平成芭蕉の世界遺産

平成芭蕉の世界遺産 人類が造った最大の建造物「万里の長城」

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農耕民族と遊牧民族の境界線として人類が造った最大の建造物「万里の長城」

平成芭蕉の「世界遺産への旅」

平成芭蕉の「世界遺産への旅」

月からも見えると言われた長大な防御壁「万里の長城」

2022年11月8日の夜、日本全国で皆既月食が見られましたが、私は望遠鏡で皆既となった「赤銅色の月」を観察しながら、かつて中国の「万里の長城」が月から見える唯一の構造物と言われていたことを思い出しました。

北京郊外にある万里の長城は、「巨大龍」とも呼ばれ、人類が造った最大の建造物で、2003年に中国初の有人宇宙船「神舟5号」に搭乗した中国人宇宙飛行士が、「万里の長城は見えなかった」と証言するまで、中国の教科書にも「万里の長城は月から見える」と記載されていたそうです。

人類最大の建造物「万里の長城」

万里の長城は、戦国七雄の群雄割拠の春秋・戦国時代に築かれた各国の城壁を、秦代の紀元前214年、北方の遊牧民族(匈奴)が侵攻してくるのを迎撃するために始皇帝が連結させたのが起源です。
秦の始皇帝は燕・趙・韓・魏・斉・楚の6か国を滅ぼすと、史上はじめて中国を統一、それまで国ごとに異なっていた貨幣や度量衡・車軌(車軸の距離)をそろえ、富国強兵に努めて長城を建設したのです。

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しかし、この長城の建設は困難を極め、険しい山の尾根に城壁を築いたために死者が続出、過酷な労働に苦しむ農民の怒りは「孟姜女(もうきょうじょ)の悲劇」として今日に語り継がれています。重労働に耐える夫を案じた農婦の孟姜女が、夫の死を知って泣き崩れたところ、長城の城壁も崩れ落ちたという伝説です。

「万里の長城」の名前は、紀元前100年頃に編纂された司馬遷の『史記』に「万余里の長さ」と記されたことに由来しますが、この頃の長城は騎馬民族の侵入を防げればよいということで、馬が上れない程度の小さな土塁だったりする部分も多く、この時代の長城はほとんど残っていません。

世界遺産に登録された八達嶺・山海関・嘉峪関

万里の長城は、その後いくつかの王朝によって修築と移転が繰り返されていますが、一般には東は渤海に臨む山海関(さんかいかん)から、西は敦煌に近い砂漠の荒野に位置する嘉峪関(かよくかん)まで、尾根伝いに築かれた軍事施設を指し、世界遺産としての「万里の長城」も八達嶺・山海関・嘉峪関の3件を構成資産としています。

万里の長城の「八達嶺」

最も有名な「八達嶺」長城は、北京へ入る要衝を押さえており、道がここから四方八達に分かれることからこの名がついたのですが、15~16世紀の明代に大幅に増築・延長されて現在の姿となりました。焼成レンガを積み上げた非常に堅牢な長城で、高さは平均7メートル、最大14メートルに達し、幅は平均6.5メートルに及び、約3.7キロメートルが一般に公開されています。

山海関

「山海関」は、明代に修築された万里の長城の最東端に設けられた関で、山に拠り海に面するところであることから命名され、北京を守る重要な関門でした。清代になると、この地より東のいわゆる満州地方が、山海関の東に当たることから「関東」と呼ばれるようになり、後に遼東半島に進出した日本軍が、その権益を守る派遣部隊を「関東軍」と称したのはそのためです。

「嘉峪関」

「嘉峪関」は明代の長城の西端の関城で、万里の長城につながる関の中で唯一建設当時のまま残される建造物です。最東端にある山海関が「天下第一関」と称されるのに対し、嘉峪関は「天下第一雄関」と呼ばれ、東西シルクロードの要衝の一つです。

黄土を固めた土とレンガで用いて築かれていることから、黄色く輝いており、城壁の高さは約11メートルに及び、三重の城壁に囲まれています。

「慕田峪(ぼでんよく)」長城

すなわち、今日、私たちが観光したり、写真で観たりする北京郊外の「八達嶺」「慕田峪(ぼでんよく)」などの長城も、主に明代に建てられたものです。そして明代の長城では、要所に砦(関城)や武器弾薬庫を兼ねた狼煙台、さらに城壁には矢狭間が設けられるなど、軍事防衛機能が強化されています。

明代に築かれた万里の長城の城壁

15世紀の中頃以降、明は敵対するモンゴルとの境界に2千キロ以上に及ぶ万里の長城を整備し、これに沿って30万人近い規模の軍隊を配置、この軍隊に対しては銀を支給し、必要な食料や物資を現地で購入させたと言われています。

しかし、明国内で産出される銀は少なく、国外から求められたのですが、それが日本の石見銀山から産出された銀だったのです。すなわち、島根県の温泉津(ゆのつ)から積み出された石見銀が、明に輸出され、明代の万里の長城の維持管理に使われたのです。

明への銀が積み出された温泉津港

2012年6月5日、中国の国家文物局は、この万里の長城の公式な総延長は21,196.18kmであると発表しました。2009年には8,851.8kmとされた長城がついに2万kmを超えることになったのです。私には中国の国力の発展に応じて伸びたように感じますが、実在する「万里の長城」は、やはり数字以上に価値のある建造物です。

壮大な風景の中で、険しい大地と切り立った山々に築かれた世界最長の石垣は、古代の防御壁として驚愕させられるものがあります。万里の長城は現代の"世界の七不思議" New Seven Wonders of the Worldにも数えられていますが、これは「不思議のもの」ではなく、「驚異的なもの(Wonder)」であり、その威容は宇宙に届くと言われても納得できます。

祝!日本の縄文文化「北海道と北東北の縄文遺跡群」が世界文化遺産登録

「北海道と北東北の縄文遺跡群」が世界文化遺産に登録されたことを記念して、私はみちのくを旅した芭蕉の研究本『松尾芭蕉の旅に学ぶ』と共に『縄文人からのメッセージ』というタイトルで縄文文化を語り、平成芭蕉の『令和の旅指南』シリーズ(Kindle電子本)として出版しました。人生100歳時代を楽しく旅するために縄文人の精神世界に触れていただければ幸いです。

また、日本人の心に灯をつける『日本遺産の教科書』、長生きして人生を楽しむための指南書『人生は旅行が9割』、感情の老化を防ぐ私の旅日記である『生まれ変わりの一人旅』とともにご一読下さい。

★平成芭蕉ブックス
 ①『人生は旅行が9割 令和の旅指南Ⅰ』: 長生きして人生を楽しむために 旅行の質が人生を決める
 『縄文人からのメッセージ 令和の旅指南Ⅱ』: 縄文人の精神世界に触れる 日本遺産と世界遺産の旅
 『松尾芭蕉の旅に学ぶ 令和の旅指南Ⅲ』:芭蕉に学ぶテーマ旅 「奥の深い細道」の旅
 ④『生まれ変わりの一人旅 令和の旅指南Ⅳ』: 感動を味わう一人旅のススメ
 ⑤『日本遺産の教科書 令和の旅指南』: 日本人の心に灯をつける 日本遺産ストーリーの旅

平成芭蕉「令和の旅指南」シリーズ

参考記事:世界遺産の旅における「へー、そうだったの」

★関連記事:平成芭蕉の旅のアドバイス「旅して幸せになる~令和の旅」

私は平成芭蕉、自分の足で自分の五感を使って世界遺産を旅しています

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「平成芭蕉の世界遺産」はその世界遺産についての単なる解説ではなく、私が実際に現地に赴いてその土地に生きる人たちと交流した際に感じた感動の記録です。

「令和の旅」へ挑む平成芭蕉

*「平成芭蕉の旅物語」サイトマップ参照

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