平成芭蕉の世界遺産

令和の「平成芭蕉」

  

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「世界遺産」から地球と人類の歴史を知る

☝《タイトルをクリックして解説記事もご覧下さい》

私は平成芭蕉、自分の足で自分の五感を使って世界遺産を旅しています。

平成芭蕉の世界遺産

平成芭蕉の世界遺産

世界遺産とは地球の成り立ちと人類の歴史によって生み出された全人類が共有すべき宝物で、その内容によって①文化遺産②自然遺産③複合遺産に分類されます。

この「平成芭蕉の世界遺産」はその世界遺産についての単なる解説ではなく、私が実際に現地に赴いてその土地に生きる人たちと交流した際に感じた感動の記録です。

「人生は出会いの歴史」であり、旅はその出会いを劇的に演出してくれます。

私の旅行人生を振り返ると、人類共通の宝物である世界遺産との出会いも印象的でしたが、それ以上に訪問地で出会った人達との交流が素敵な思い出として心に残っています。

そこで、この講座では現地の人から私が直接聞いた話をもとに、その世界遺産が登録されるに至った歴史的背景や真に守るべき大切なものは何かについてもご紹介します。

「平成」の時代は幕を閉じ、新しい「令和」の時代を迎えましたが、平成芭蕉は令和時代も旅を続けます。「令和」の由来については下記の「芭蕉さんの旅語録」の記事をご一読下さい。

祝!新元号「令和」~出典『万葉集』の「筑紫歌壇」及び「防人」の歌

 アーノルド・トインビー博士の名言

ミャンマーの托鉢

私はこれまで世界各地を訪ねて多くの人と交流すると同時に、訪日観光客を迎えるインバウンド事業にも携わってきましたが、私自身、日本人でありながら日本の歴史文化に対する知識が不十分であったり、相手国の文化的背景を知らなかったために、誤解を招くことが多々ありました。

20世紀の偉大な歴史学者アーノルド・ジョセフ・トインビー博士
「人間とは歴史に学ばない生き物である」
と明言を残していますが、私も誤解や争いの原因の多くは、この歴史を学ばないことだと思います。

そこで、私は日本という国を正しく理解し、海外旅行では買い物以外の「心の土産」を持ち帰るための知恵を身につけることによって、「日本人としてのプライド回復と真の国際人を目指すべきであると切に感じます。

そして、アジアの中の日本という国を正しく理解した上で、世界遺産を通じ、人類の歩みと文化を学ぶべきだと考えます。

世界遺産を訪ねる『奥の深い細道』

ナミビアのフィッシュリバーキャニオンにて

ナミビアのフィッシュリバーキャニオンにて

成田空港が開港するまでは、海外旅行に出かける人はまだまだ限られており、海外の旅情報も今日と比べるとわずかでした。しかし、現在ではおびただしい人が海外に出て、多くの情報をもとに地球上を闊歩しています。

これらの旅体験は途方もなく巨大な文化的集積ですが、それが地球文明の未来にどのような影響を与えるのかと考えた時、その指針となるのが世界遺産かと思います。

「旅人は、自分の持っている以上のものは持ち帰れない」

と言われており、事前の予備知識もなく、しかるべき観察テーマを持たずに旅に出ても、気付きや発見は少ないのではないでしょうか。

旅を終えてから、訪れた都市の紹介番組などを見ると、無為無策の旅では得るものも少なく、もったいなかったと感じるでしょう。

そこで、世界遺産を訪ねる旅に出かける前には最低限、その訪問国に対する「知恵」を身に付けてから出かけていただきたいと考え、本講座を開設しました。

世界遺産を訪ねる旅へ

世界遺産を訪ねる旅へ

すなわち、「世界遺産の旅+知恵=人生のときめき」をコンセプトとした『奥の深い細道』世界遺産巡りの旅です。

この「平成芭蕉の世界遺産」で紹介する内容は、文化遺産や自然遺産の旅情報というよりも、私が現地を訪問した際の体験に基づく所見です。

なぜなら旅情報は日々更新され、また今日では多くのガイドブックのみならず、検索すればわかることが多いからです。

しかし、旅情報が少なかった時に、多少は事前勉強をしていた私が、現地の人と触れ合って感じた感動現地で直に学んだことをお伝えすることは私にとっても意義のあることです。

同じ旅を愛する者として「世界遺産」を学びながら価値観を共有していただければ幸いです。

★関連記事:平成芭蕉の旅のアドバイス「旅して幸せになる~令和の旅」

エジプトの世界遺産「アブ・シンベル神殿」

このアブ・シンベル神殿は古代エジプト新王国第19王朝のラムセス2世が建設した岩窟神殿で大神殿と小神殿からなります。

インドの世界遺産「タージ・マハル」

このタージ・マハルは自らを「世界の王(シャー・ジャハン)」と名乗った皇帝が、愛妃ムムタズ・マハルをしのび、彼女の記憶を永遠に留めるために建てた愛の霊廟であり、皇帝の涙の結晶です。

ウズベキスタンの世界遺産「サマルカンド」

サマルカンドはサンスクリット語のSamaryaに由来し、「人々が出会う場所」という意味がありますが、まさにここは人種のるつぼです。

イギリスの世界遺産「ロンドン塔」

ロンドン塔は、ロンドン観光でも人気が高く、18世紀英国文壇の大御所ジョンソン博士が「ロンドンに飽きた人は、人生に飽きた人である」と言わせたロンドンでも興味深い場所です。

フランスの世界遺産「パリのセーヌ河岸」

世界遺産に登録された「パリのセーヌ河岸」は、正確にはセーヌ河のシュリー橋からイエナ橋までの約8kmで、この中にはセーヌ右岸・左岸に加えてパリの発祥地であるシテ島やサン・ルイ島も含まれます。

チェコの世界遺産「チェスキークルムロフ」

ヨーロッパの地方都市の中でも最も美しい町の一つとされるのがボヘミア(チェコ)のチェスキー・クルムロフです。

スイスの世界遺産「スイスアルプス ユングフラウ‐アレッチ」

スイスの世界遺産「スイスアルプス ユングフラウ-アレッチ」はユーラシア大陸で最も大きな氷河地帯で、ヨーロッパ最長の氷河、深さ900mの氷、9つの4000m級の山々など、最高級の自然景観です。

ザンビア、ジンバブエの世界遺産「ヴィクトリアの滝」

この滝は英国人探検家リヴィングストンが1850年代に発見し、当時のイギリス女王の名をとって「ヴィクトリアの滝」と命名されました。

マダガスカルの世界遺産「ツィンギ・デ・ベマラハ」

マダガスカルは、アフリカではなくモザンビーク海峡をはさんだインド洋上に浮かぶ島国で、サン・テグジュペリの「星の王子さま」に登場するバオバブや横っ飛びが特徴的なシファカやキツネザルが有名です。

中国の世界遺産「五台山」

五台山は中国の仏教聖地であるだけでなく、中国で唯一、仏教とラマ教の2つの宗教を兼ね備えた道場であるため、チベット族や内モンゴル族からも崇敬されています。

アルゼンチンの世界遺産「ロス・グラシアレス国立公園」

その名も「氷河」を意味するロス・グラシアレス国立公園は、アルゼンチンの世界自然遺産で、アンデス山脈の南端パタゴニアに位置する南極、グリーンランドに次ぐ世界第3の氷河群です。

セーシェルの世界遺産「ヴァレ・ド・メ自然保護区」

いろいろな種類の鳥達や愛らしいゾウガメ、美しい紺碧の空と海、白砂のビーチ、緑深い熱帯樹林等に囲まれ、素朴でゆったり流れる時間を満喫した後の「セイシェルの夕陽」は、本当に美しく輝きます。

オーストリアの世界遺産「ザルツブルク市街の歴史地区」

ザルツブルクの本当の世界遺産は、大司教の残したザルツブルク建造物ではなく、モーツァルトの残した永遠不滅の音楽だと思います。

アメリカの世界遺産「自由の女神像」

自由の女神像はアメリカ独立100周年を記念してフランスから贈られたもので、右手には世界を照らす松明、左手には1776年7月4日と記された独立宣言書を持っています。

タンザニアの世界遺産「セレンゲティ国立公園」

タンザニアの世界遺産「セレンゲティ国立公園」は、マサイ語で「果てしなく広がる平原」と言われるだけあって、アフリカ大陸の最高峰キリマンジャロ山の裾野に広がる広大なサバンナでサファリを満喫することができます。

カンボジアの世界遺産「アンコール遺跡」

アンコール・ワットスールヤヴァルマン2世の治下、1113年から約30年かけて建立されたヒンドゥー教寺院で、王はこの寺院に王権の神格とクメール(カンボジア)文化独自の宇宙観を表現しました。

日本の世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」

熊野古道(伊勢路)は「伊勢へ七度、熊野へ三度」と呼ばれる信仰の道で、平安時代には法皇や公家が多数参詣し、江戸時代には伊勢のお陰参りと共に「蟻の熊野詣」で賑わいました。

ハンガリーの世界遺産「ブダペストのドナウ河岸とブダ城地区およびアンドラシー通り」

ヨハン・シュトラウスの「美しき青きドナウ」で知られるドナウ河が、街の中央を北から南へと流れ、ブダ側とペスト側に分けており、合わせてブダペストの街が成り立っています。

グアテマラの世界遺産「ティカル国立公園」

ティカルはペテン一帯のマヤの都市を従える大祭祀センターとして栄え、テオティワカンが衰退した8世紀には最も輝かしい時期を迎え、や有名な「大ジャガーの神殿」などの神殿群はこの時期に造られました。

イタリアの世界遺産「アマルフィ海岸」

南イタリアを代表する観光地にして「世界一美しい海岸」と呼ばれるア
ルフィの人々は大海原に出て、ピサ、ジェノヴァ、ヴェネツィアと地中海の覇権を争い、最盛期には黒海にも商業活動を広げていました。

カナダの世界遺産「カナディアンロッキー山脈自然公園群」

20世紀初頭の案内人ビル・ペイトに因んで名づけられたこの湖は、緑の針葉樹林の中、光線の加減によって湖面の色が様々に変化します。

ミャンマーの世界遺産「ピュー古代遺跡」と世界三大仏教遺跡「パガン」

ピュー古代遺跡は、9世紀頃までエーヤワディー川沿いに栄え、ビルマ族に滅ぼされた古代民族ピュー族の遺跡で、この時代に造られた仏塔の形が現代のパゴダの始まりと考えられています。

ヴァティカン市国の世界遺産「サン・ピエトロ大聖堂」

カソリック総本山であるヴァティカンのサン・ピエトロ大聖堂は、聖ペトロの墓の上に建てられた4世紀のバジリカ(集会堂)が起源で、コンスタンティヌス大帝が寄進したとされています。

クロアチアの世界遺産 ドゥブロヴニクの隠れた魅力

ドゥブロヴニクとはスラヴ語の名称で、ラテン語ではラグーサと言い、ナポレオン侵攻まではラグーサ共和国と呼ばれる海洋都市国家でした。

クロアチアの歴史ある古都トロギール

トロギールの旧市街

スプリットから海岸道路を西へ約25km走った場所に、世界遺産にも登録された美しい中世の面影を残す古都トロギールがあります。トロギールは紀元前2~3世紀にギリシャ人が建設した殖民都市で、そのギリシャ人が「トラグリオン」と名づけたのが町の起源ですが、実際はクロアチアの先住民イリュリア人が独自の文化を育んでいたと言われています。

ポルトガルの世界遺産 「ジェロニモス修道院とベレンの塔」


リスボン市内よりテージョ川に沿って走る市電で約30分のところに位置するベレンの塔は、ポルトガル大航海時代の栄華を今に伝えています。

トルコの世界遺産「イスタンブール歴史地域」

イスタンブールは「ヨーロッパとアジアの架け橋」と呼ばれ、ビザンツ、オスマントルコ帝国の都として繁栄しました。

オランダの世界遺産「アムステルダムの環状運河地域」

アムステル川にかけられた橋の中でも絵になる「マヘレの跳ね橋」は、大型船の航行を可能にした17世紀創建の木造の跳ね橋で、夜のイルミネーションは必見です。

ベルギーの世界遺産「ブリュッセルのグラン・プラス

グラン・プラスはヴィクトル・ユーゴーが「世界で最も美しい広場」と称え、特に15世紀に建てられたフランボワイヤン様式の市庁舎やハプスブルク家統治時代の面影を残す「王の家」のファサードは壮麗です。

ルクセンブルクの世界遺産「古い街並みと要塞群」

首都ルクセンブルク市は、渓谷の断崖城壁に囲まれた要塞都市で、街全体が世界文化遺産に指定されており、その景観は訪れた者を圧倒する荘厳な美しさです。

スペインの世界遺産「グラナダのアルハンブラ宮殿」

アルハンブラ宮殿はイスラム建築の特徴である空間を自然と調和させ、偶像崇拝禁止というイスラムの教理に従い、壁や天井のモチーフには人物や動物はいっさい使われておらず、幾何学文様やアラビア文字を装飾した繊細緻密なアラベスク模様が中心です。

スウェーデンの世界遺産「ドロットニングホルムの王宮」

「ドロットニングホルム」はスウェーデン語で「王妃の小島」を意味しますが、これは16世紀に国王ヨハン3世が王妃のために建てた夏の離宮に始まります。

イタリアの世界遺産「ヴェネツィアとその潟(ラグーン)」

ヴェネツィアの中心は周囲を壮麗な建物で囲まれたサン・マルコ広場で、ナポレオンはこの広場を「屋根のない宮殿」と評したそうです。

ノルウェーの世界遺産 ガイランゲル「西ノルウェーのフィヨルド群」

ガイランゲル・フィヨルドの「ガイランゲル」とは槍のとがった先という意味で、ガイランゲルの博物館「ノルウェー・フィヨルドセンター」の外観はまさしくフィヨルド方向を指す槍の刃先のようです。

タイの世界遺産「スコータイの歴史上の町と関連の歴史上の町」

数ある仏像の中でもやはり歩く姿の仏像が一番美しいとされ、スコータイ遺跡のワット・サスィー境内にある青銅製の釈迦遊行仏(プラ・リラー)こそがスコータイ文化のシンボルなのです。

フランスの世界遺産「モン・サン・ミシェルとその湾」

私が観たモン・サン・ミシェルの景観は、とても神秘的で崇高な威厳を感じると同時に人間の自然への大いなる挑戦の結果生まれた塔や城壁、ラ・メルヴェーユ(驚異)と呼ばれる修道院建築から「人間の挑戦は偉大である」と感動しました。

ブラジルの世界遺産「リオ・デ・ジャネイロ」

リオと言えばやはりサンバのカーニバルが有名ですが、「カリオカ」たちには「リオを見て生き永らえよ」という言葉もあって、このカーニバルを見ていると生きることの素晴らしさを感じさせてくれます。

ギリシャの世界遺産「アテネのアクロポリス」

アクロポリスの丘にある遺跡は、アテナイのみならずギリシアの栄光の象徴ですが、そのギリシアはポリス間の争いで衰退、マケドニアの英雄、アレクサンドロス大王の軍門に降りますが、逆に敗北したが故にギリシアが一つになったと言われています。

オーストラリアの世界遺産「ウルル=カタ・ジュタ国立公園」

ウルルは西オーストラリア州にあるマウント・オーガスタに次いで世界で2番目に大きな単一の岩で、「世界の中心」という意味あいで「地球のヘソ」と呼ばれています。

ペルーの世界遺産「マチュピチュの歴史保護区」

マチュピチュはクスコからウルバンバ川に沿って約114kmの奥深いアンデス山中にあり、南側に連なる山々には尾根に沿うように険しいインカ道が続いています。

フランスの世界遺産「アルルのローマ遺跡とアルルの女」

「南仏に行くならアルルにしろよ。あの町には美人が多いから」とロートレックがゴッホに語ったように民族衣装に身を包んだ「アルルの女」も魅力です。

ドイツの世界遺産「アーヘンの大聖堂」

アーヘン大聖堂はしばしば「皇帝の大聖堂」と呼ばれ、建設当時は最大のドーム建築で、その建築様式は古典主義様式、ビザンティン様式にゲルマン様式の要素を備えたきわめて重要な記念碑的建造物です。

スペインの世界遺産「バルセロナのアントニ・ガウディ作品群」

サグラダ・ファミリアは1883年にガウディが設計着手してから現在も建築中という前代未聞の壮大な教会で、日本人もこの建設に携わっています。

イタリアの世界遺産「ローマの歴史地区」

ローマの象徴「コロッセオ」の隣に立つ「コンスタンティヌスの凱旋門」は、キリスト教を公認したコンスタンティヌス帝が戦勝記念に建立したローマ最大の門で、「すべての道はローマ(コロッセオ)に通ず」の終着点になっています。

日本の世界遺産「古都奈良の文化財と法隆寺」

世界遺産「古都奈良の文化財」は、国宝建造物を有する東大寺・興福寺・薬師寺・唐招提寺・元興寺・春日大社の6つと特別史跡である平城宮跡、そして特別天然記念物に指定されている春日山原始林の8つの資産が、全体がひとつとして評価されました。

クロアチアの世界遺産「ドゥブロヴニク旧市街とプリトヴィッツェ湖群国立公園」

ドゥブロヴニクと並ぶクロアチアで人気の自然遺産「プリトヴィッツェ湖群国立公園」もクロアチアが独立宣言した後の1991年、連邦からの離脱に反対したセルビア人勢力との紛争の舞台となり、一時的に危機遺産リストに登録されてしまいました。

オーストラリアの世界遺産「シドニーのオペラハウス」

オペラハウスはシドニー湾のベネロング・ポイントに立地しており、市のランドマークとしてのみならず、オーストラリアのシンボルとなっています。

日本の世界遺産「白川郷・五箇山の合掌造り集落」

数ある世界遺産の中でも、冬にこそ訪れたい世界遺産は日本の「白川郷・五箇山の合掌造り集落」です。

明治日本の産業革命遺産「軍艦島(端島炭鉱)」

軍艦島(端島)の全景

この島は石炭出炭量の増加に伴い、急成長を遂げ、日本最古の鉄筋コンクリート高層建築の30号棟アパートや学校、神社、映画館などが立ち並び、1960年には5000人以上の人が生活し、世界一の人口密度を誇っていました。

日本三景・安芸の宮島の世界遺産「厳島神社」

夢幻的な海上の宮殿「厳島神社」

清盛がこの厳島神社を壮大なものにした理由は、厳島神社を平氏の氏神とし、平家の威勢示す目的があったと思われます。

ウイーン風ロココ様式の宮殿「シェーンブルン宮殿」

シェーンブルン宮殿

1693年に、レオポルト1世の狩猟用の別荘として建設されたのち、改築・増築が重ねられ、18世紀後半の女帝マリア・テレジアの時代に、ウィーン風ロココ様式の宮殿として完成し、宮殿建築の傑作と評価されています。

令和の時代におすすめの「世界遺産ベスト5」

エジプトの屈折ピラミッド

エジプトの屈折ピラミッド

「平成」の芭蕉を自称する黒田尚嗣が令和の時代に訪ねるべきおすすめの行って良かった世界遺産ベスト5をご紹介します。
1.エジプトの「ピラミッド」
2.カンボジアの「アンコール遺跡」
3.ペルーの「マチュピチュ」
4.日本の参詣道「熊野古道」
5.フランスの「モン・サン・ミシェル」

世界文化遺産登録された棚田で有名な「春日集落と安満岳」

春日の棚田と「丸尾さま」

美しいい棚田と夕陽で知られる春日集落は、平戸の人々の信仰を集める安満岳を望み、清らかな水にに恵まれ、平戸地区でも最も早い時期に田植が行われる美味しいいお米の里です。

イタリアの世界遺産「花の都フィレンツェ」

ボッティチェリの『プリマヴェーラ(春)』

ウッフィツィ美術館は、メディチ家のコジモ1世が造った総合庁舎(事務所)が置かれていた場所で、今はボッティチェリの『プリマヴェーラ(春)』や『ヴィーナスの誕生』などルネッサンス美術の粋を集めた美術館です。

日本のシンボル的世界遺産「富士山」

岩本山公園からの富士山

富士山には数多くのビューポイントがありますが、その中でも私は静岡県富士市岩本にある標高193mの岩本山公園から眺める富士山の景色が大好きで、特に梅や桜のシーズンは富士山が神秘的に神々しく感じられます。

謎の多いインドネシアの世界遺産「ボロブドゥール」

ボロブドゥールの全景

ボロブドゥール遺跡は、遺跡内部には空間がないのが特徴で、構造的には外周の基壇、回廊をもつ5層の方壇、そしてその上の3層の円壇からなり、全体で9層の階段ピラミッドを形成しています。

デンマークの世界遺産『ハムレット』の舞台「クロンボー城」

『ハムレット』の舞台クロンボー城

クロンボー城の北東入り口の向かいの壁には、シェークスピアの胸像レリーフがありますが、この城こそ「To be or not to be, that is the question」
の台詞で有名な戯曲『ハムレット』の舞台として知られた古城です。

「東洋のシンドラー」杉原千畝のリトアニアの世界遺産「ヴィリニュス」

カナウスの杉原千畝記念館

日本人であればリトアニアの在カナウス日本領事であった杉原千畝氏を紹介する「ユダヤ博物館」も訪れることをお薦めします。ヴィリニュスからカナウスまで足を運ぶことができれば、「杉原千畝記念館」カナウス中央駅など、杉原千畝の足跡巡りができます。

噴火で時を止めた「ポンペイ」と甦った日本のポンペイ「鎌原村」

ポンペイ遺跡とヴェスヴィオ火山

1787年にポンペイを訪れた文豪ゲーテは「世界にはこれまでいろいろの災禍が起こったが、後世の人々をこれほど愉快にするものは余り他に類がないだろう。こんな興味深いものはそう沢山はない」と『イタリア紀行』に記しています。

沖縄の世界遺産「琉球王国のグスクおよび関連遺跡群」

聖域「京のはな」への入り口

斎場は「最高位」を意味することから斎場御嶽は「最高の御嶽」で、琉球開闢の神アマミキヨがつくった9つの御嶽の一つとされ、琉球王国最高の聖域として位置づけられています。

道の世界遺産「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」

サンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂

イエスの十二使徒の一人ヤコブがエルサレムで殉教した後、その遺骸はガリシアまで運ばれて埋葬され、9世紀初頭、星の光に導かれた司教と信者がその聖ヤコブの墓を発見し、これを記念して墓の上にサンティアゴ大聖堂が建てられました。

イスラエルの世界遺産 三大宗教の聖地「エルサレム」

エルサレムの「嘆きの壁」

現在のエルサレムは西と東に分けられますが、世界遺産登録されているのは東エルサレムの旧市街で、ユダヤ教徒キリスト教徒イスラム教徒そしてアルメニア人の4つの地区からなります。

ミラノの世界遺産 レオナルド・ダ・ヴィンチの壁画『最後の晩餐』

修復前のイエス・キリスト

この絵画は、ミラノのスフォルツァ公の依頼で1498年に完成させた作品で、現在は「レオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』があるサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会とドミニコ会修道院」として世界遺産に登録されています。

ベネズエラの世界遺産 ギアナ高地のカナイマ国立公園

ギアナ高地のテーブルマウンテン

ギアナ高地のテーブルマウンテン

「失われた世界」の舞台ギアナ高地のカナイマ国立公園には、数多くのテーブルマウンテンがそびえ立ち、その中のアウヤンテプイと名のつくテーブルマウンテンには、979メートルという世界最大の落差を誇る滝エンジェルフォールがあります。

松尾芭蕉も讃えた平泉の世界遺産 中尊寺金色堂と浄土庭園

中尊寺の金色堂

中尊寺の金色堂

俳聖松尾芭蕉の句でも有名な平泉の中尊寺金色堂は、訪れる人に光り輝くロマンを与えてくれます。

ドイツの世界遺産 ロココ建築の傑作ヴィース教会

ロココ様式のヴィース教会

ロココ様式のヴィース教会

ヴィース教会とは「草原の教会」という意味で、有名なロマンチック街道の終点フュッセンに近いシュタインガーデンの草原の中に建つこじんまりした教会です。

チュニジアの世界遺産 カルタゴはなぜ滅びたか

アントニヌスの浴場跡

アントニヌスの浴場跡

カルタゴはアルファベットの基礎を作ったフェニキア人が建国した海洋国家で、世界一の造船技術を持ち、紀元前250年頃には現在のチュニジアを中心に地中海貿易で富を蓄え、ローマ帝国と並ぶ強国となっていました。

ロシアの世界遺産 ピョートル大帝の都サンクトペテルブルク

ピョートル大帝「青銅の騎士像」

ピョートル大帝「青銅の騎士像」

北方のヴェネツィアと呼ばれるサンクト・ペテルブルクは「ピョートル大帝の都」と呼ばれ、ヨーロッパで最も美しい街の一つと言われています。

フランスの世界遺産 歴史的要塞都市カルカソンヌ

歴史的城塞都市カルカソンヌ

歴史的城塞都市カルカソンヌ

 カルカソンヌ城塞への入り口はナルボンヌ門オード門という2か所ですが、二重になった城壁内には50以上の塔やサン・ナゼール大聖堂、12世紀に建てられた歴代伯爵の城館コンタル城など見所が数多く存在します。

チェコを代表する世界遺産 魅力的な「百塔の町」プラハ

モルダウ川とプラハ城

モルダウ川とプラハ城

『交響曲第9番(新世界より)』で人気のドヴォルザーク、そして「モルダウ」で有名な組曲『わが祖国』を作曲したスメタナは、ともに19世紀にチェコが輩出した偉大な音楽家ですが、彼らゆかりの地プラハは「祖国」を感じさせる魅力的な都です。

スペインの世界遺産 セビリアの大聖堂と慶長遣欧使節

セビリアのアルカサル

セビリアのアルカサル

伊達政宗が派遣した支倉常長「慶長遣欧使節」はメキシコを経由し、1614年10月23日にルイス・ソテロ神父の生地セビリアで熱狂的な歓迎を受け、アルハンブラを連想させるスペイン王室のアルカサル宮殿に宿泊しました。

イスラムの聖地サウジアラビアの世界遺産 ディルイーヤのトライフ地区

ディルイーヤ遺跡入り口

ディルイーヤ遺跡入り口

サウジアラビアはメッカメディナというイスラム2大聖地をかかえたイスラム教発祥の国で、絶対君主制を敷くサウード家が厳格なイスラム戒律に基づいた統治を行っており、現サルマン国王は6代目ですが、初代のアブドゥル・アジズ(一般にはイブン・サウードで知られる)が最初に都としたのがディルイーヤです。

スイスの世界文化遺産 ベルン旧市街とベリンツォーナの古城と城壁

ベルンの時計塔

ベルンの時計塔

スイスの世界遺産と言えば、スイスアルプスという言葉がある通り、自然遺産が中心ですが、スイスには自然の景観だけでなく、学術的に高い価値を認められて登録された文化遺産もあり、今回はその中のベルン旧市街ベリンツォーナをご紹介します。
ベルン旧市街は中世ヨーロッパ都市の姿を今に伝える美しい町並みで、1191年にツェーリンゲン公ベルヒトルト5世が、アーレ川に囲まれた小高い丘という地形をいかしてニィデックに築いた砦にはじまり、13世紀に自由都市となり時計塔のところまで発展しました。

バリ島の世界遺産「トリ・ヒタ・カラナの哲学を表現したスバック・システム」

バリ島のジャティルウィ棚田

バリ島のジャティルウィ棚田

美しいいビーチやリゾートホテルも魅力ですが、実はバリ島には「神と人と自然が調和することで、人々は幸福に生きることが出来る」というバリ・ヒンドゥーの哲学に基づいた素晴らしい世界遺産もあるのです。
具体的には「トリ・ヒタ・カラナの哲学を表現したスバック・システム」というバリ島の伝統的な田の水利管理組合(スバック)によって維持されてきた文化的景観です。

ドイツの世界遺産 ヴィッテンベルクにあるルターの記念建造物群

ヴィッテンベルク市庁舎前のルター像

ヴィッテンベルク市庁舎前のルター像

キリスト教の日本への最初の伝来は、イエズス会宣教師フランシスコ・ザビエルによる布教と言われていますが、この日本への布教活動の原因となったのはかの有名なマルティン・ルターの宗教改革です。
マルティン・ルターはドイツのヴィッテンベルク大学で神学の教鞭をとっていて、カトリック教会の購入すれば罪が許されるという「免罪符(贖宥状)」に疑問を抱き、1517年、ヴィッテンベルク城付属聖堂の扉「95カ条の論題」を貼って、カトリック教会の腐敗を糾弾したことが宗教改革の発端です。

スリランカの世界遺産 シギリヤロックとダンブッラ石窟寺院

スリランカの世界遺産シギリヤ・ロック

スリランカの世界遺産シギリヤ・ロック

シンハラ語で「光り輝く島」を意味するインド南東部に位置するスリランカは、面積は北海道のわずか0.8倍ですが、国土の大部分には雄大な手つかずの自然が広がっており、「これまでに宿泊した中で最も印象に残っているホテルはどこですか?」と問われると、私はスリランカが誇る偉大な建築家、ジェフリー・バワ設計の自然と調和したアジアンリゾートホテル「ヘリタンス・カンダラマ」と答えます。
スリランカは地理的にインドに近く、インドと歴史的・文化的な共通点があることから、なんとなく「インドに似ている国」と思われがちですが、スリランカの雰囲気はインドとはずいぶん異なっています。

ボリビアの世界遺産 チチカカ湖畔の巨石文化「ティワナク遺跡」 

ティワナク遺跡の「太陽の門」

ティワナク遺跡の「太陽の門」

1995年に刊行され、世界的なベストセラーとなったグラハム・ハンコックの名作『神々の指紋』を電子書籍で読みました。彼はエジプトのスフィンクスをはじめ世界各地の古代遺跡を調査しましたが、今回はその中で南米ボリビアのティワナク遺跡について書いてみたいと思います。
抜けるような青い空に白い雲が浮かぶ、南米ボリビアの町ティワナクですが、この地には有名な世界遺産マチュピチュのインカ文明より先にあったプレ・インカ文明の遺跡が残っています。

イギリスの世界遺産 貴族の華麗なる館「ブレナム宮殿」

英国らしいブレナム宮殿の風景

英国らしいブレナム宮殿の風景

2018年のアカデミー賞で話題になった映画「ウィンストン・チャーチル」の映画を鑑賞し、私は小学生の頃に読んだ彼の伝記を読み返してみました。
そこで今回は「偉大な英国人」と呼ばれる第二次世界大戦前後の首相「サー・ウィンストン・レナード・スペンサー・チャーチル」の生家でもある、イギリス貴族の館「ブレナム宮殿」をご紹介します。
このイギリスのバロック建築を代表する宮殿は、1704年、「ブレナムの戦い」でフランス軍を降した将軍、初代マールバラ公爵ジョン・チャーチルに、当時のアン女王が恩賞として下賜したものです。

ベトナムの風光明媚な世界遺産 「ハロン湾」と「チャンアン」

ハロン湾のディンフォン島

ハロン湾のディンフォン島

近年アジアで最も注目されている国のひとつはベトナムかと思います。
この国の魅力は喧噪と静寂といった相反するものが混然となった独特の雰囲気にあります。そこで、今回は喧噪のハノイから日帰り圏内で静寂の「ハロン湾」「チャンアン」という2か所の世界遺産をご紹介します。

フランスの世界遺産 フランス財政を支えた白い黄金「塩」の街

サラン・レ・バンの大製塩所

サラン・レ・バンの大製塩所

私たちの生活に欠かせない塩がいかにして作られていたかをフランスとスイスの国境近くにある世界遺産「サラン・レ・バンの大製塩所とアル・ケ・スナン王立製塩所」からご紹介します。
今日のように冷蔵庫がない時代、フランスでは食料を保存するための材料として塩が重宝され、塩は「白い黄金」と呼ばれて、それに課税される塩税(ガベル)はフランス王国の主要な財源で、その管理は国が直接行っていました。

アメリカの世界遺産 国立公園の発展に寄与した「ヨセミテ国立公園」

ヨセミテ国立公園のエル・キャピタン

ヨセミテ国立公園のエル・キャピタン

アメリカにおける国立公園の理想は「万人に開かれた公園として後世に残す」というもので、「平等」を掲げたアメリカ独立宣言にも通じると言われています。
このヨセミテ国立公園は「ありのままの自然」を残そうと、ヨセミテ渓谷を新大陸における『カテドラル』と命名、神聖にして犯されざるものとして開発と闘った「自然保護の父」ジョン・ミューアの功績によって雄大な景観が残されているのです。

日本初の世界自然遺産「東洋のガラパゴス」と呼ばれる屋久島

屋久島の縄文杉

日本で最初に世界自然遺産として登録された屋久島を例にエコツアーの楽しみ方をご紹介します。
屋久島は神秘的な森や透明度の高い海、綺麗な水の川など、豊かな自然がいっぱいの魅力的な島ですが、ほとんどの屋久島観光ツアーでは、往復飛行機利用で屋久島の縄文杉へのトレッキングが主体となっています。
しかし、屋久島の自然を理解するには、帰りは南西諸島沿いに東シナ海を北上する黒潮の流れに乗った船旅をお勧めします。

スコットランドの世界遺産 エディンバラの旧市街と新市街

スコットランドのバグパイプ演奏

スコットランドのバグパイプ演奏

スコッチウィスキーやタータンチェックバグパイプにケルト文化が今も息づくスコットランドは、私のような歴史好きだけでなくファンタジーが好きな人の心を掴んで離さない、ロマン溢れる国です。
エディンバラの旧市街は、今もなお中世ヨーロッパ要塞都市の景観を保っていますが、新市街は、18世紀以降に発展した新古典主義の様式で、その区画整理された街並みは非常に美しく、その後のヨーロッパの都市計画に影響を与え、「計画都市の最高傑作」とされています。

イランの世界遺産 アケメネス朝ペルシアの古代遺跡「ペルセポリス」

ペルセポリスのクセルクセス門

ペルセポリスのクセルクセス門

イランは1997年のイスラム革命によって「イラン・イスラム共和国」となりましたが、私たち日本人にとっては「日の沈まない帝国」と言われ、220年の長い期間、オリエント全域を支配したペルシアという旧名の方が理解し易いかと思います。
世界各地の世界遺産を訪れた私ですが、数ある遺跡の中でもこれぞ世界遺産というべき遺跡はこのアケメネス朝ペルシアの都「ペルセポリス」の古代遺跡です。

ペルーの世界遺産 謎の巨大アート「ナスカの地上絵」

ナスカの地上絵の宇宙人

ナスカの地上絵の宇宙人

ナスカの地上絵は紀元前2世紀から6世紀頃に描かれたと考えられていますが、発見されたのは、航空機が地上絵上空を飛行するようになったことがきっかけで、1939年6月22日、ナスカ台地上空を飛んでいた考古学者ポ-ル・コソックによってはじめて公表されました。

ドイツ「ロマンチック街道」の世界遺産 ヴュルツブルク司教館

ビュルツブルクのレジデンツ

ビュルツブルクのレジデンツ

今日、ヨーロッパを訪れるとしたら、ぜひとも行ってみたい場所の筆頭にドイツの「ロマンチック街道」があります。
中世の姿をそのまま現在に伝える街、多くの由緒ある教会、戦災を免れた貴重な絵画・彫刻などの美術品、そして広大で美しい田園風景など、「ロマンチック街道」沿いの地方には、今もなお「古き良きヨーロッパ」が残っています。

スペインの世界遺産 タホ川に囲まれた中世の城塞都市トレド

タホ川とトレド旧市街

タホ川とトレド旧市街


「もしスペインに一日しか滞在しないなら、迷わずトレドへ行け」
という格言があるほど、トレドは魅力的な町です。
古都トレドは、三方をタホ川に囲まれた岩山に築かれている天然の要塞で、スペインの歴史を凝縮した中世の面影が漂う町です。

スペイン アラゴン王国の都サラゴサの世界遺産

ピラール聖母教会ファサード

ピラール聖母教会ファサード

スペインの歴史を語る上で、欠かせないのが西ゴート王国からイスラム教徒による支配、そしてキリスト教徒によるレコンキスタと呼ばれる国土再征服です。

そこで、今回はレコンキスタの中心となった国の一つであるアラゴン王国の都、サラゴサの世界遺産建築物であるカテドラル、ラ・セオ、サン・パブロ教会をご紹介します。

コルドバの世界遺産 イスラム建築の至宝 メスキータ

石柱が林立するメスキータ

石柱が林立するメスキータ

1012本の石柱が林立するイスラムの名建築メスキータを中心にコルドバの世界遺産をご紹介します。

メスキータとはスペイン語で、イスラム教徒が礼拝に集まるモスクを意味する普通名詞ですが、

ただ単にMezquita(メスキータ)と言えば、コルドバの大聖堂に転用されたモスクを指します。

モンテネグロの世界遺産「アドリア海の秘宝」コトル 

モンテネグロのコトル

モンテネグロのコトル

コトルは2000年以上の歴史をもつアドリア海に面した街で地中海では珍しいフィヨルド地形をなすコトル湾奥に位置しています。
そのため、大型船も停泊できる天然の良港であり、複雑な海岸線と険しいい山々に囲まれた堅固な要塞でもあります。

趣のある石畳の路地が走る旧市街には、彼ら船乗りの交易による富で築かれた豪華な館や美しい教会が立ち並んでいますが、コトルはローマ・カトリック文化圏ギリシャ(セルビア)正教文化圏の境界にあるためか、街には両方の教会が建っています。

世界で最大のゴシック建造物「ケルン大聖堂」

世界最大のゴシック建築ケルン大聖堂

世界最大のゴシック建築ケルン大聖堂

キリスト降誕祭と共に登場する「東方三博士(賢王)」は、星の導きで幼子イエスを拝み、乳香、没薬、黄金を贈り物として献げたとされ、彼らの聖遺物がドイツのケルン大聖堂に祀られています。
そこで今回はクリスマス・マーケットで賑わうドイツ・ケルン市のシンボル、ケルン大聖堂をご紹介します。

クロアチアの世界遺産 ディオクレティアヌス宮殿跡に誕生したスプリト

スプリトに残るローマ時代の遺跡

スプリトに残るローマ時代の遺跡

クロアチアのダルマチア地方に位置し、アドリア海沿岸最大の港町で世界遺産認定されているスプリットについてご紹介したいと思います。

この町はローマ皇帝ディオクレティアヌス帝の宮殿がそのまま旧市街になったという珍しい起源をもち、古代ローマや中世の街並みに現代が交錯するという特殊性から世界遺産に登録されています。

白鷺城と呼ばれる日本の世界遺産 姫路城

国宝の姫路城連立式天守

国宝の姫路城連立式天守

まぶしいばかりに白く、シラサギが羽を広げたような優美な姿から別名白鷺城(はくろじょう・しらさぎじょう)とも呼ばれる姫路城は、日本の木造建築物の最高傑作であり、白漆喰の城壁を持つ美しい明治以前の封建制社会の象徴として、1993年12月、法隆寺とともに日本で最初の世界文化遺産に指定されました。

姫路城がなぜ白いかと言えば、戦国時代の終わりを予感した池田輝政が、これからは「武力による統治」から「美による威嚇」の時代になると考え、城主としての威厳を「美」に託して「まぶしいばかりの白」にしたのではないかと言われています。

日本が誇る33の祭り(山・鉾・屋台行事)の「秩父の夜祭」

秩父の夜祭と花火

秩父の夜祭と花火

冬の風物詩として毎年、12月2、3日に行なわれる秩父神社の例大祭「秩父の夜祭」は、京都の祇園祭飛騨の高山祭とともに「日本三大曳山祭」の一つですが、2016年には「秩父祭の屋台行事と神楽」としてユネスコ無形文化遺産に登録されました。

この「秩父の夜祭」は江戸中期、秩父神社に立った絹織物の市、「絹大市」(きぬのたかまち)の経済的な発展と共に、盛大に行われるようになったもので、祭礼当日は勇壮な屋台囃子を打ち鳴らし、絢爛豪華な2台の笠鉾4台の屋台が曳行(えいこう)され、最大20tもある笠鉾・屋台が団子坂と呼ばれる急坂を曳き上げられる様子は圧巻です。

オーストリアの世界遺産 ハプスブルク帝国の歴史ある「音楽の都」ウィーン

ヴェルベデーレ宮殿

ヴェルベデーレ宮殿

破壊と創造を繰り返して、変わることで美しい街となったハプスブルク帝国の都、ウィーン歴史地区をご紹介します。
オーストリアの首都ウィーンは、古代ローマ時代からの歴史があり、その旧市街には様々な時代に建てられた変化に富む建築様式の建造物群が現存しています。
この街はこの建築公と称されたルドルフ4世の時代からハプスブルク家と共に発展を遂げ、17世紀末にはオスマン帝国に包囲を受けるもこれを撃退し、王宮ホーフブルク宮殿に加え、離宮シェーンブルン宮殿が郊外に造営され、これが18世紀末から現在に至る「音楽の都ウィーン」の礎となったのです。

メキシコの世界遺産 黒曜石の交易で栄えた古代都市テオティワカン

太陽のピラミッド

太陽のピラミッド

長野、山梨両県にまたがる八ヶ岳周辺で採取された黒曜石は、矢じりの材料として日本各地にもたらされましたが、霧ヶ峰南麓にある「駒形遺跡」は、その黒曜石の石器製作と交易に関する縄文時代の集落遺跡で、日本遺産の構成文化財になっています。

一方、メキシコの世界遺産テオティワカンの古代都市でも黒曜石の加工所が数多く発見されており、この都市はその黒曜石の交易を独占して栄えていました。

トルコの世界遺産 シュリーマン発掘のトロイの考古遺跡

有名なトロイの木馬

有名なトロイの木馬

古代都市トロイは、ホメロスの叙事詩「イリアス」では海の近くにあるように描かれていますが、トロイの遺跡は実際には海からかなり離れた場所にあります。

シュリーマンは1870年から本格的な発掘調査を行い、その地層の違いから、トロイが紀元前3000年から何世紀にもわたって何回か都市が建設されてきたことを発見しました。

ウズベキスタンの世界遺産 シルクロードのオアシス都市ブハラ

2500年の歴史を誇るブハラ

2500年の歴史を誇るブハラ

ウズベキスタンのほぼ中央に位置するブハラは、古代よりそのシルクロードのオアシスとして栄え、ザラフシャン川からの水量が豊富で、運河とハウズ(池)が数多くある水の都として、1993年には旧市街がユネスコの世界遺産に登録されました。

ハウズには街の人々が炊事、洗濯、水浴びなどで集い、またその近くに必ずコウノトリの巣がありました。実に1000年以上もの間、コウノトリは街に巣を作り続けてきたといわれており、ブハラの象徴とされています。

日本の世界遺産 海洋を含んだ初の自然遺産「知床半島」

松浦武四郎が探検した知床

松浦武四郎が探検した知床

北海道の命名者であり探検家であった松浦武四郎の数ある著作の中でも『知床日誌』には、アイヌ語の地名、伝説に関する詳細な記述のほか、知床の生態系についても記された部分があり、興味深い内容となっています。

「知床」の名前の由来は、アイヌ語の「突き出した地」、「地の果て」を意味する「シリ・エトク」とされ、地形や環境が人を寄せ付けなかったので、太古からの自然が残り、絶滅危惧種など希少な動植物が棲息していることから、知床半島は世界自然遺産に登録されました。

世界遺産における「へ~そうだったの」リスト

アブシンベルの鍵

アブシンベル神殿の鍵

私が海外旅行に関心を持ち、毎年のように出かけるようになったきっかけは、「日本の重要な文書や絵画等は、ワシントンのスミソニアン博物館やロンドンの大英博物館をはじめとする海外の博物館に保管されている」と父から聞いたからです。

私の生まれは母方の実家のあった伊賀上野ですが、出身は三重県名張市黒田荘という伊賀流忍者発祥の地で、祖先はやはり忍者のごとく海外からの異国船に関する情報入手活動をしていたようです。そのため、重要な文書はGHQに持っていかれ、土地も農地改革の際に没収されてしまいました。

そこで、私は日本の歴史の真実を探り、自分の軸となる知識・教養を身につけるべく、海外に流出した日本の遺産や世界各地の有名な遺産を調べる目的で海外視察の旅を続けてきたのです。

オランダの原風景「キンデルダイク」の風車を訪ねる

キンデルダイクでの平成芭蕉

キンデルダイクでの平成芭蕉

強い風が吹く平坦な国土をもつオランダでは、古くから風車が様々な分野で活躍していました。かのナポレオンは、オランダのザーンセ・スカンスに並ぶ風車を見て驚嘆したと伝えられていますが、今日、最も美しい風車のある景色となれば、やはり世界遺産に登録されているキンデルダイクの風車群です。

マオリ族の聖地 ニュージーランドの「トンガリロ国立公園」

トンガリロ国立公園

マオリ族の伝統民族舞踊『カパ・ハカ』には、ニュージーランド北島中央部のトンガリロ山をテーマにするものが多く、この地がマオリ族にとって「心のよりどころ」となっていることがうかがい知れます。現在このマオリ族の聖地はトンガリロ国立公園となっており、周辺のロトルアからタウポなどの町も含め、大地熱地帯と呼ばれる火山活動が盛んな地域にあります。

「アメリカ大陸のアテネ」と称される中米の古代マヤ遺跡 コパン!

ホンジュラスのコパン遺跡

暦で有名なマヤ遺跡は、中米のホンジュラス、メキシコ、グアテマラ、ベリース、エル・サルヴァドルの5カ国に渡り数多く残っていますが、これらマヤ遺跡の中でもホンジュラスのコパン遺跡は全体の美しさとその芸術的価値から、最も美しい遺跡の一つと言われています。

地球に残された「野生動物の楽園」パンタナール自然保護地域

パンタナールのトゥユユ

パンタナールとはポルトガル語で「大湿原」を意味し、南米大陸中央部に降り注ぐ雨水の受け皿のような場所で、地球上に現存する最大の野生生態系の一つとされ、世界自然遺産に登録されています。そして、乾季の間、パンタナール湿原は「野生動物の楽園」となり、ジャガーをはじめ、カピバラやズグロハゲコウ(トゥユユ)など多種多様の動物に出逢うことができるのです。

フランスの庭園「シュリー=シュル=ロワールとシャロンヌ間のロワール渓谷」

ロワール渓谷の城

パリから日帰り圏内にあり、「フランスの庭園」と称されるロワール渓谷は私の好きな観光地の一つで、風光明媚な渓谷と趣のある歴史的な古城が織りなすメルヘンチックなエリアです。このロワール渓谷に城が多いのは、中世において、この地に広大な領土を持っていたアンジュー伯家が、領土防衛目的で築城したからです。

韓国の世界遺産 「新羅王国千年の都 慶州」と日本の古都 奈良

韓国仏教遺跡の代表「石窟庵仏国寺」

韓国仏教遺跡の代表「石窟庵仏国寺」

奈良は民俗学者柳田國男の兄であった松岡静雄氏によれば、朝鮮語の国を意味する「ナーラ」が語源とも言われていますが、私にとって新羅(シルラ)王国の都であった慶州(キョンジュ)は、日本の奈良を連想させます。

実際、慶州で必ず訪れる世界遺産の仏国寺の伽藍配置は日本の奈良時代の寺院配置に似ています。なかでも印象に残るのは東の多宝塔西の釈迦塔ですが、これは女性の美と男性の美を競っているように大雄殿の前庭の左右に対峙して立っています。

日本の製糸技術を支えた隠れた主役「富岡乙女」と富岡製糸場

世界遺産「富岡製糸場」

明治6年から明治17年の間に32道府県から延べ3,509名が富岡製糸場に入場し、彼女たちは「富岡乙女」と呼ばれ、全国へと巣立って器械製糸の技術を伝えました。この製糸場は彼女たちにとって、単なる工場ではなく、診療所設備も付随する環境の中で、読み書き、算術、裁縫なども習得できる生活や学びの場でもあったのです。

世界経済に影響を与えた日本における銀生産の歴史「石見銀山」

石見銀山大久保間歩の坑道

世界遺産認定された島根県の石見銀山は、「東西文明交流に影響を与え、自然と調和した文化的景観を形作っている、世界に類を見ない鉱山である」と言われていますが、私は特に東西文明交流に果たした役割に注目したいと思います。今日の日本は資源が乏しい状況ですが、17世紀初頭の日本は、銀の産出国として世界産出量のおよそ3分の1から4分の1を生産していたのです。

古代よりの山岳信仰の聖地に建つ 匠の技の彫刻美「日光東照宮」

絢爛豪華な陽明門

世界遺産に登録された「日光の社寺」は、日光山内にある二社(東照宮と日光二荒山神社)と一寺(日光山輪王寺)の「建造物群」に加えてこれらを取り巻く「遺跡(文化的景観)」です。三つの神社仏閣は、江戸時代の神仏習合のなごりですが、山の緑に包まれ、それぞれが独自の世界を保ちつつ融和しています。古くは山岳信仰の地であった日光が、江戸時代にその意味を変えたのは、家康公すなわち東照大権現が鎮座してからのことです。

『インディ・ジョーンズ 最後の聖戦』のロケ地、ヨルダンの世界遺産「ペトラ遺跡」

ライトアップされたペトラ遺跡

私は007シリーズをはじめとする映画のロケ地を巡る旅にしばしば同行しましたが、中でも『インディ・ジョーンズ 最後の聖戦』のロケ地となったペトラ遺跡は、私が最も感銘を受けた場所の一つです。特に「シーク(峡谷)」と呼ばれる岩の裂け目にできた細道を抜け、映画で聖杯の安置場所とされていた「エル・カズネ」が見えた時には、ハリソン・フォード演じる考古学者インディアナ・ジョーンズのごとく、宝物を探して冒険している気分でワクワクしました。

アメリカ合衆国発祥の地 フィラデルフィアの独立記念館

フィラデルフィアの独立記念館

最近のアメリカは、トランプ大統領の支持者がアメリカ合衆国議会(連邦議会)を襲撃するなど、衝撃的な事件が起きていますが、私は民主主義国家のアメリカ国民であれば、アメリカ建国の父たちが民主主義の理想を起草し、独立宣言を採択したフィラデルフィアの州議事堂(現在の独立記念館)を訪ね、建国時の精神を振り返って欲しいと思います。

日本の縄文文化「北海道・北東北の縄文遺跡群」が世界文化遺産登録へ

日本を代表する縄文遺跡「三内丸山遺跡」

2021年夏、北海道・青森県・秋田県・岩手県に点在する17ヶ所の遺跡で構成される「北海道・北東北の縄文遺跡群」は、世界文化遺産に登録される見込みです。長期間継続した採集・漁労・狩猟による定住の開始,発展,成熟の過程及び精神文化の発達を示し,農耕以前における人類の生活の在り方と精緻で複雑な精神文化を顕著に示すものとして評価されました。

南太平洋上の絶海の孤島「イースター島」に立つモアイ像からのメッセージ

イースター島のモアイ像

イースター島の中心都市、バンガロアの西南に位置するラノ・カウの山頂、オロンゴ岬の断崖絶壁に立つと、太平洋を踏んづけているような気分になり、水平線が丸く見えることから、地球が丸い球体であると実感できます。また、このオロンゴ地域は、鳥に似た頭を持つ人の姿をした神を崇拝し、島のリーダーを選出する鳥人儀式(タンガタ・マヌ)が行われていた神域で、オロンゴ儀式村と呼ばれています。

チャンドラ・ボースとイスラム王朝の遺産が残るインドのデリー

蓮光寺のチャンドラ・ボース像

残念ながら、日本ではマハトマ・ガンジーのことは語られてもチャンドラ・ボースのことを知らない人が多いようです。しかし、東京都杉並区にある蓮光寺には、チャンドラ・ボースの遺骨が埋葬されており、ネルー首相をはじめ主だったインド人が参詣されると聞いています。そこで今回はガンジー、ネルーと並んでチャンドラ・ボースの肖像画が掲げられたインド国会議事堂のあるデリーの世界遺産を紹介します。

地中海に浮かぶマルタ騎士団の拠点「ヴァレッタ」

マルタ共和国のヴァレッタ

世界遺産登録されたマルタ共和国の首都ヴァレッタは、1565年にイスラム勢力のオスマン帝国から、キリスト教圏の防衛に成功した当時のマルタ騎士団(聖ヨハネ騎士団)総長、ジャン・ド・ヴァレットにちなんで命名されました。ヴァレッタの街は、曲がりくねった小道を巡らせる当時の街とは異なり、格子状に整備されています。そして騎士団による防衛のためにヴァレッタの半島部分は50mの堀で本島と分断され、半島は完全に孤立化した要塞となっています。

オーストラリアの世界遺産 自然とアボリジニの文化が融合した「カカドゥ国立公園」

カカドゥ国立公園の壁画ロックアート

オーストラリアのノーザンテリトリー北部に広がる「カカドゥ国立公園」は、非常に興味深い世界複合遺産で、アボリジニ(オーストラリア先住民)文化のアートがいたるところで見られ、また、オーストラリア内でも有数の野生動物や野鳥の楽園でもあります。しかし、カカドゥ国立公園と言えば、やはり壁画のロックアートです。この地では人類最古の石器とされる斧が発見され、4万年以上前から人が住んでいた形跡があり、壁画はオーストラリアの先住民アボリジニの先祖が書いたものと考えられています。

ナミビアの世界遺産 世界最大のナミブ砂漠「ソッサスブレイ」

ソッサスブレイの砂丘

ナミビア最大の見どころはやはりナミブ砂海の砂丘にあり、砂漠好きの私が雄大なサハラ砂漠と共に感動した砂漠は、ここナミブ砂漠の奥地の砂丘です。スワコプムント周辺の砂丘だけ見ていても本物のナミブ砂漠を見たことにはならないので、ぜひ奥地の世界最大の砂丘群と言われるソッサスブレイまで足を運びましょう。ソッサスブレイは、360度を砂丘に囲まれており、ナミブ砂漠の真髄と言われている場所です。

広島の世界遺産 人類が犯した悲惨な出来事を伝える「原爆ドーム」

負の世界遺産 原爆ドーム

世界遺産の中には、人類が犯した悲惨な出来事を伝え、そうした悲劇を二度と起こさないための戒めとなる物件として、ナチス・ドイツがユダヤ人を虐殺した強制収容所アウシュヴィッツなどの「負の世界遺産」があります。

ロシア軍がウクライナ侵攻の過程で、核兵器を利用するのではないかと危惧されていますが、私は今こそ核兵器の惨禍を伝える広島の「負の世界遺産 原爆ドーム」を以て戦争の即時停止を世界に訴えるべきだと思います。

ブラジルの世界遺産 高原地帯に建設された計画都市「ブラジリア」

計画都市のブラジリア

ブラジル中部の高原地帯に建設された未来都市のブラジリアは、何もない高原地帯に1から人工的に作られた、航空機と車の時代を見越した計画都市です。世界遺産に登録された都市と言えば、ローマのように歴史があり、伝統的な街並みを持つ旧市街をイメージしますが、1987年に世界文化遺産に登録されたブラジリアは建設から40年未満という近代的な都市です。

南イタリアの世界遺産 とんがり屋根と白壁の「アルベロベッロのトゥルッリ」

アルベロベッロのトゥルッリ

南イタリアのプーリア州、オリーブの産地として知られる農村地帯のアルベロベッロでは、白壁に円錐形の帽子のような石積み屋根を載せた「トゥルッロ」(複数形が「トゥルッリ」)と呼ばれる家屋を見ることができます。中世の末期まではこの付近には樫の森が広がっていて、生きているおとぎ話の町という趣だったそうで、アルベロベッロとは「美しい木」という意味です。

ドイツの世界遺産 サンスーシ宮殿で代表される「ポツダムとベルリンの宮殿群と庭園群」

サンスーシ宮殿と庭園

ドイツの首都ベルリンとブランデンブルク州の州都ポツダム周辺には、18~20世紀初頭にかけて造られた数多くの宮殿と庭園群が残されており、第二次世界大戦の戦後処理について話し合われたポツダム会談で有名なツェツィーリエンホーフ宮殿やフランス語で「憂いなし」を意味するサンスーシ宮殿などが、「ポツダムとベルリンの宮殿群と公園群」として世界遺産に登録されています。

ルーマニアの世界遺産 彩色豊かな外壁が特徴の「モルドヴァ地方の教会群」

モルドヴァ地方のヴォロネツ修道院

ウクライナとの国境に近いルーマニア北東部、モルドヴァ地方のブコヴィナという山間部には、のどかな田園風景の中にフレスコ画で飾られた中世の修道院や教会が点在しています。15世紀から16世紀にかけてこの地方を支配していたモルダヴィア公国は、常にオスマン・トルコ帝国の侵略にさらされていましたが、そのイスラム勢力に屈しなかったシュテファン大公ら代々の領主が、戦争に勝利する度に神に感謝する意味で建てていったのが「モルドヴァ地方の教会群」で、その教会や修道院8つが世界遺産として登録されています。

デンマーク王国の起源を示す世界遺産「イェリング墳墓群とルーン文字石碑」

Bluetoothロゴに使われたルーン文字

このデジタル機器同士を無線でつなぐBluetoothを直訳すると「青い歯」ですが、これは10世紀のデンマーク王、ハーラル1世のあだ名「青歯王」の英語訳から取られました。ハーラル1世はデンマークを統一し、ノルウェーの有力者を影響下に置くことで自国と隣国を平和的に結び付け、文化交流を行ったことから、人々をつなぐ新しいデジタル通信規格の名前に採用されました。
そしてそのハーラル1世の功績をルーン文字で刻んだ石碑は、ユトランド半島中部のイェリングにあり、「イェリング墳墓群、ルーン文字石碑群と教会」として世界遺産に登録されているのです。

ブナの原生林が自生する日本初の世界自然遺産「白神山地」

白神山地のブナ林

「白神山地」は、人の手がほとんど入っていない原生的なブナ林が世界最大級の規模で分布し、多種多様な動植物が生息する特異な生態系が見られることなどが評価され、1993年、自然遺産に登録されました。
白神山地は青森県と秋田県の県境にまたがる標高200~1250メートルの山岳地帯で、その中心部のおよそ1万7000ヘクタールが世界自然遺産に登録され、多くの地域は白神山地森林生態系保護地域、白神山地自然環境保全地域、津軽国定公園、赤石渓流暗門の滝県立自然公園、秋田白神県立自然公園などに指定され保護されています。

「奇跡の広場」と呼ばれるピサのドゥオモ広場

「奇跡の広場」と呼ばれるドゥオモ広場

紀元前からローマ帝国の軍港だったピサは、11世紀半ばに西地中海の覇権を握り、13世紀末まで海洋都市国家として栄え、その繁栄ぶりは世界遺産「ドゥオモ広場」の建造物から伺い知ることができます。この広場は、青々とした芝生の上に有名なピサの斜塔、白亜の大聖堂(ドゥオモ)洗礼堂(バッティステロ)墓所(カンポサイト)などのロマネスク様式の建築物が、美しい景観を呈していることから「奇跡の広場」とも呼ばれています。

ウェストミンスター寺院(アビー)とロンドンの象徴「ビッグ・ベン」

ウェストミンスター寺院

ロンドンの公共の場所には、郵便ポストなど、いたるところにE・R・Ⅱという表示があります。これはエリザベスのE、女王を意味するラテン語のレギーナのR、2世を表すⅡの略字ですが、その女王は2022年9月8日、療養されていたスコットランドのバルモラル城で静かに息を引き取られました。
そしてエリザベス女王の棺はロンドンに移され、ウェストミンスター寺院にて9月19日、国葬が執り行われましたが、そこは1947年に女王がエディンバラ公フィリップ殿下との結婚式、そして1953年には女王の戴冠式が執り行われた場所でもあります。

農耕民族と遊牧民族の境界線として人類が造った最大の建造物「万里の長城」

八達嶺長城

北京郊外にある万里の長城は、「巨大龍」とも呼ばれ、人類が造った最大の建造物で、2003年に中国初の有人宇宙船「神舟5号」に搭乗した中国人宇宙飛行士が、「万里の長城は見えなかった」と証言するまで、中国の教科書にも「万里の長城は月から見える」と記載されていたそうです。
万里の長城は、戦国七雄の群雄割拠の春秋・戦国時代に築かれた各国の城壁を、秦代の紀元前214年、北方の遊牧民族(匈奴)が侵攻してくるのを迎撃するために始皇帝が連結させたのが起源です。

1200年の歴史を誇る「世界一の迷宮都市」モロッコのフェズ旧市街

フェズのタンネリ

モロッコ文化の中心で、1200年の歴史をもつモロッコ最古の街「フェズ(フェス)」旧市街は、敵の侵入を防ぐために造られた2.2㎞×1.2㎞の高い城壁で囲まれており、複雑な街並みから「世界一の迷宮都市」として、1981年に世界遺産登録されました。フェズは首都ラバトから東へ約200kmのところに位置する都市で、モロッコでは最古のイスラム都市であり、数世紀にもわたって宗教・文化の中心でしたが、伝統的な生活文化を伝えるものとして「タンネリ」というなめし革工場があります。

日本人 山田長政が活躍し、交易で栄華を誇ったタイのアユタヤ王朝

ワット・プラ・シー・サンペット

アユタヤは、バンコクから車で約2時間、およそ80km北に位置するアユタヤ王朝の古都で、現在は、当時の遺跡が歴史公園として保存され、世界遺産にも登録されています。バンコクから気軽に訪ねることができ、日中は象に乗って遺跡を見学できるほか、夜には遺跡が美しくライトアップされるので観光客に人気のスポットです。

名君であり築城の名人フリードリヒ2世ゆかりの城「カステル・デル・モンテ」

カステル・デル・モンテ

神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世が設計に加わったとされる南イタリアのプーリア州アンドリアの郊外に建つカステル・デル・モンテ(デルモンテ城)は、古代ローマ・イスラム・北ヨーロッパの文化的要素を兼ね備えた中世の建造物で他に例をみない最高傑作とされています。フリードリヒ2世はシチリア島に生まれ、成人してシチリア王、1212年にドイツ王、ついで1220年に神聖ローマ皇帝に即位するも、9年間ドイツに滞在しただけで、ほとんどをシチリアの王宮パレルモで過ごし、イタリア統一を目指しました。

かつて日本人町が栄えたベトナムの古都「ホイアン」

ホイアンの「日本橋夜景」

ホイアンはベトナムの中部、ダナンから車で1時間のところに位置しており、この東西交易の中継地として栄えたホイアンの町は、かつて1,000人を超える日本人が暮らしていた場所であるため、どこか懐かしい雰囲気を感じとることができます。そうした土地柄からも、心の郷愁が刺激されるのかもしれません。

南国シンガポール唯一の世界遺産「シンガポール植物園」

シンガポールの「ボタニック・ガーデン」

「シンガポール植物園(Singapore Botanic Gardens)」は、シンガポール初の世界文化遺産で、世界最大級のラン園や美しい熱帯の花々を鑑賞することができます。世界遺産といえば古くから残る建造物や国を代表する自然景観が中心ですが、人の手で作られた植物園がなぜ世界遺産に認定されたかと言えば、この植物園はシンガポールの建国よりも先にこの場所に造られ、その古い歴史と景観の美しさが評価されたのです。

ポーランド王国の都として繁栄したクラクフ歴史地区

クラクフ歴史地区

ポーランド文化の中心地といわれ、世界遺産に指定されたクラクフ旧市街の観光スポットは今も王国の輝きを語り継いでいます。その歴史地区には、中世の街並が残る旧市街、ヴァヴェルの丘の建物群、かつてのユダヤ教徒の街カジミエシュという三つの地区があります。クラクフ歴史地区の見どころは、旧市街に集まっており、旧市街の中央広場は、中世から残っている広場としてはヨーロッパでも最大級です。中央広場には織物会館聖マリア教会、旧市庁舎塔といった街の歴史で欠かすことができない建物が建ち、壮観な景色に圧倒されます。

心で感じる世界遺産『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群

新原・奴山古墳群

一般的に宗像大社と言えば、イメージされるのは「宗像大社辺津宮(へつみや)」ですが、この文化遺産を味わうには、宗像大社辺津宮へ参拝するだけでなく、現代まで続く固有の信仰・祭祀の歴史と島全体がご神体である沖ノ島の意義を理解することが重要です。古代祭祀遺跡を含む沖津宮,中津宮,辺津宮は,宗像大社という信仰の場として現在まで続いてきましたが、その信仰を担い、育んだ宗像氏の存在を物語る資産が、福津市に残る新原(しんばる)・奴山(ぬやま)古墳群です。

平成芭蕉メッセージ ~「旅の質」が人生を変える

「小説が書かれ読まれるのは人生がただ一度であることへの抗議」という言葉がありますが、私にとって旅することは、一度限りの人生を最大限に楽しむための創造活動なのです。そして私は、人生を楽しむために必要な「心のときめき」は、「知恵を伴う旅」を通じて得られると考えています。

そこでこの度、私はその知恵を伴う日本遺産や世界遺産の旅を紹介しつつ、平成芭蕉独自の旅の楽しみ方とテーマ旅行に関する企画アイデアノート、さらに著者が松尾芭蕉の旅から学んだ旅行術について紹介した『平成芭蕉の旅指南 人生が変わるオススメの旅 旅の質が人生を決める』と題した本を出版しました。このブログと合わせてご一読いただければ幸です。

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この「平成芭蕉の世界遺産」は、単なる世界遺産登録地の紹介や旅情報の提供ではなく、「平成芭蕉」を自称する私が、実際に現地を訪れて、地元の人と交流し、私が感じたことや登録された世界遺産に対する私自身の所見を述べた記録です。

「令和の旅」へ挑む平成芭蕉

*「平成芭蕉の旅物語」サイトマップ参照

  

 

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