平成芭蕉の世界遺産 | 芭蕉さんの旅講座

平成芭蕉の世界遺産

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旅を愛するあなたへ『奥の深い細道』

旅の達人「平成芭蕉」が、松尾芭蕉の行けなかった世界の名所・旧跡を訪ねた感動の体験記録です。

「旅行+知恵=人生のときめき」で、旅行から人生が変わる体験を味わっていただけます。

「平成芭蕉」が案内する「旅スルおつかれ様 ハーフタイムツアーズ」(テレビ東京 11月26日、27日放映分)

前編動画  https://youtu.be/V0rJgAZxE-8

後編動画  https://youtu.be/qywsR5p9Fmw

世界遺産を訪ねる『奥の深い細道』

成田空港が開港するまでは、海外旅行に出かける人はまだまだ限られており、海外の旅情報も今日と比べるとわずかでした。しかし、現在ではおびただしい人が海外に出て、多くの情報をもとに地球上を闊歩しています。

これらの旅体験は途方もなく巨大な文化的集積ですが、それが地球文明の未来にどのような影響を与えるのかと考えた時、その指針となるのが世界遺産かと思います。

「旅人は、自分の持っている以上のものは持ち帰れない」

と言われており、事前の予備知識もなく、しかるべき観察テーマを持たずに旅に出ても、気付きや発見は少ないのではないでしょうか。

旅を終えてから、訪れた都市の紹介番組などを見ると、無為無策の旅では得るものも少なく、もったいなかったと感じるでしょう。

そこで、世界遺産を訪ねる旅に出かける前には最低限、その訪問国に対する「知恵」を身に付けてから出かけていただきたいと考え、本講座を開設しました。

すなわち、「世界遺産の旅+知恵=人生のときめき」をコンセプトとした『奥の深い細道』世界遺産巡りの旅です。

この「平成芭蕉の世界遺産」で紹介する内容は、文化遺産や自然遺産の旅情報というよりも、私が現地を訪問した際の体験に基づく所見です。

なぜなら旅情報は日々更新され、また今日では多くのガイドブックのみならず、検索すればわかることが多いからです。

しかし、旅情報が少なかった時に、多少は事前勉強をしていた私が、現地の人と触れ合って感じた感動現地で直に学んだことをお伝えすることは私にとっても意義のあることです。

同じ旅を愛する者として「世界遺産」を学びながら価値観を共有していただければ幸いです。

アーノルド・トインビー博士の名言

私はこれまで世界各地を訪ねて多くの人と交流すると同時に、訪日観光客を迎えるインバウンド事業にも携わってきましたが、私自身、日本人でありながら日本の歴史文化に対する知識が不十分であったり、相手国の文化的背景を知らなかったために、誤解を招くことが多々ありました。

20世紀の偉大な歴史学者アーノルド・ジョセフ・トインビー博士

「人間とは歴史に学ばない生き物である」

と明言を残していますが、私も誤解や争いの原因の多くは、この歴史を学ばないことだと思います。

そこで、私は日本という国を正しく理解し、海外旅行では買い物以外の「心の土産」を持ち帰るための知恵を身につけることによって、「日本人としてのプライド回復と真の国際人を目指すべきであると切に感じます。

そして、日本という国を正しく理解した上で世界遺産を通じ、その国の文化を学ぶべきだと考えています。

「世界遺産」とは

世界遺産とは地球の成り立ちと人類の歴史によって生み出された全人類が共有すべき宝物で、その内容によって①文化遺産②自然遺産③複合遺産に分類されます。

この「平成芭蕉の世界遺産」はその世界遺産についての単なる解説ではなく、私が実際に現地に赴いてその土地に生きる人たちと交流した際に感じた感動の記録です。

「人生は出会いの歴史」であり、旅はその出会いを劇的に演出してくれます。

私の旅行人生を振り返ると、人類共通の宝物である世界遺産との出会いも印象的でしたが、それ以上に訪問地で出会った人達との交流が素敵な思い出として心に残っています。

そこで、この講座では現地の人から私が直接聞いた話をもとに、その世界遺産が登録されるに至った歴史的背景や真に守るべき大切なものは何かについてもご紹介します。

by 【平成芭蕉】

<タイトルをクリックすると解説記事があります>

エジプトの世界遺産「アブ・シンベル神殿」

このアブ・シンベル神殿は古代エジプト新王国第19王朝のラムセス2世が建設した岩窟神殿で大神殿と小神殿からなります。

大神殿は太陽神ラーを祭神としており、一番奥の至聖所には右からラー・ハルアクティ神、神格化されたラムセス2世、アモン・ラー神、プタハ神の坐像が並んでいます。

そしてラムセス2世の誕生日(2月22日)と王に即位した日(10月22日)の2回、この至聖所にある4体の像のうち、冥界神のプタハ神を除く3体を日の光が照らすように設計されていました。

小神殿は最愛のネフェルタリに捧げられていますが、エジプトには「美人が人によっては記念碑である」ということわざがあります。
ラムセス2世は多くのモニュメントを建造しましたが、ここアブ・シンベル神殿に来ると、最愛の女性ネフェルタリこそが彼にとって真の記念碑ではないかと思われます。

 

インドの世界遺産「タージ・マハル」

この壮麗な建造物は、帝国の繁栄に意欲を燃やし、自らを「世界の王(シャー・ジャハン)」と名乗った皇帝が、愛妃ムムタズ・マハルをしのび、彼女の記憶を永遠に留めるために建てた愛の霊廟であり、皇帝の涙の結晶です。

シャー・ジャハンは終生、彼女一人を愛し、14人の子供を生ませましたが、彼女が14人目の産褥熱で世を去ると、タージ(ムムタズの愛称)の思い出にアグラのヤムナ河岸に白大理石の廟(マハル)を建てたのです。

また、彼はそのヤムナ河の対岸に、自身のために黒大理石で同相形の廟を建てる予定でいましたが、世継ぎである息子のアウランガゼーブ帝(1658~1707)により志半ばで廃位させられたため、この計画は基壇のみで中断してしまいました。

タージ・マハル廟は、前庭から4本のミナレット、ドーム傍らの4つのチャトリにいたるまで完全なるシンメトリーの美を構成しています。
しかし、唯一の例外は、自分の黒大理石の廟が未完に終わったため、廟内中央にある愛妃の棺の隣にそっと置かれたシャー・ジャハン自身の棺です。
この慈悲深く愛らしい彼の棺こそが本当の文化遺産かと思います。

ウズベキスタンの世界遺産「サマルカンド」

サマルカンドはサンスクリット語のSamaryaに由来し、「人々が出会う場所」という意味がありますが、まさにここは人種のるつぼです。

日本人そっくりの蒙古系から先住民族のソグド系民族にいたるまで、様々に着飾った民族が一堂に会する光景は飽きることがありません。

私はこの広場やティムールの生まれ故郷であるシャフリサブスで多くの子供達と一緒に写真を撮りましたが、その表情は素晴らしく、非常に生き生きとした目をしており、まさしく本当の世界遺産はここにありという感じでした。

私はこの地で出会った学生と今でも交流がありますが、人との出会いを大切にしつつ、人生を肯定的に考え「ひたむきに生きている」姿には感動を覚えます。

世界遺産旅行の本当の醍醐味は「人との出会い」ではないでしょうか。

イギリスの世界遺産「ロンドン塔」

ロンドン塔は、ロンドン観光でも人気が高く、18世紀英国文壇の大御所ジョンソン博士が「ロンドンに飽きた人は、人生に飽きた人である」と言わせたロンドンでも興味深い場所です。

パリからロンドンを訪れて何かが違うと感じた方も多いと思いますが、その一番の理由は、パリは共和国の首都ですがロンドンは女王陛下の都であるという点です。

ロンドンの公共の場所では、いたるところにE・R・Ⅱという表示がありますが、これはエリザベスのE、女王を意味するラテン語のレギーナのR、2世を表すⅡの略字です。

ロンドン塔の衛兵ビーフ・イーターもエリザベス1世を示すERの赤い縫い取りを付けています。

フランスの世界遺産「パリのセーヌ河岸」

世界遺産に登録された「パリのセーヌ河岸」は、正確にはセーヌ河のシュリー橋からイエナ橋までの約8kmで、この中にはセーヌ右岸・左岸に加えてパリの発祥地であるシテ島やサン・ルイ島も含まれます。
ナポレオン・ボナパルトは「余は、余がかくも愛したフランスの国民に囲まれ、セーヌ河のほとりに眠りたい」という遺言を残しています。

世界遺産に登録された「パリのセーヌ河岸」は、正確にはセーヌ河のシュリー橋からイエナ橋までの約8kmで、この中にはセーヌ右岸・左岸に加えてパリの発祥地であるシテ島サン・ルイ島も含まれます。

セーヌ右岸にはルーブル美術館シャンゼリゼ通り、セーヌ左岸にはエッフェル塔オルセー美術館、シテ島にはステンドグラスで有名なサント・シャペルやゴシック建築の最高傑作ノートルダム大聖堂があります。

チェコの世界遺産「チェスキークルムロフ」

ヨーロッパの地方都市の中でも最も美しい町の一つとされるのがボヘミア(チェコ)のチェスキー・クルムロフです。

チェコの首都であり、「百塔の町」と称されるプラハから南へ約250キロ、スメタナの交響詩で名高いヴルタヴァ川がS字形に曲流し、まるで2つの島のようになっている高台に城が築かれ、この町の起源となりました。
そのチェスキー・クルムロフ城のシンボルとなっている塔は、かき落とし技法であるスグラフィット(立体感を与えるための一種のだまし絵)で彩色されており、町のどこから見ても目立つ存在です。

そこで、多くの観光客はこの城と市庁舎のあるスヴォルノスティ広場を中心とした旧市街を散策するだけで立ち去るケースが多いのが残念です。

オーストリアの画家エゴン・シーレは母の故郷であるこの町を好んで訪れ、風景画を何枚も描いていますが、彼ならずともスケッチしたくなるような風景や壁絵がこの町には多く存在します。

スイスの世界遺産「スイスアルプス ユングフラウ‐アレッチ」

スイスの世界遺産「スイスアルプス ユングフラウ-アレッチ」はユーラシア大陸で最も大きな氷河地帯で、ヨーロッパ最長の氷河、深さ900mの氷、9つの4000m級の山々など、最高級の自然景観です。

しかし、スイスのこの景観はここに住む人にとっては過酷な試練を課して来ました。

すなわちスイスアルプスの美しい風景は、豊かに広がる緑の牧草地をぬきには語れませんが、この牧草地は氷河によって削り取られた跡地で、表土が極めて浅く、畑作には適さないのです。

そのため、耕地を順番に牧草地とするべく山の斜面をならし、牧草として望ましい植物の種をまき、有害な植物を根気よく取り除く、農民たちの不断の手入れが必要でした。

ザンビア、ジンバブエの世界遺産「ヴィクトリアの滝」

この滝は英国人探検家リヴィングストンが1850年代に発見し、当時のイギリス女王の名をとって「ヴィクトリアの滝」と命名しました。

彼はこの滝を見て大いに感銘を受け、「イギリスのいかなる物からも、この美しさを想像することはできません。ヨーロッパの人々がかつて目にしたことのないものです」と記しています。

観光の拠点となる町は、ザンビアのリヴィングストン市ジンバブエのヴィクトリアフォールズ市ですが、私はより滝に近いヴィクトリアファールズ市のThe Victoria Falls Hotelに宿泊しました。

このホテルは歴史を感じさせるクラシックなコロニアル風の建て物で、廊下にはヴィクトリア女王の写真をはじめ、当時の写真が数多く展示され、19世紀にタイムスリップした気分が味わえます。

マダガスカルの世界遺産「ツィンギ・デ・ベマラハ」

マダガスカルはドリームワークスの映画アニメで有名になりましたが、アフリカではなくモザンビーク海峡をはさんだインド洋上に浮かぶ島国で、サン・テグジュペリの「星の王子さま」に登場するバオバブや横っ飛びが特徴的なシファカやキツネザルが有名です。

そして世界遺産としては、バオバブ並木で知られるムルンダヴァの北約200kmに位置し、無数に切り立った細い石灰岩の尖塔が針山のように空に向かってそそり立つ、神秘的な「ツィンギ・デ・ベマラハ国立公園」があります。

雨が降っても岩の亀裂や溝に流れるため、乾燥に強い珍しい植物が多く、周辺の原生林にはシファカキツネザルも生息しています。

また、公園の南側には、マナンブル川が流れており、そこをカヌーで石灰岩の峡谷を抜けて鍾乳洞を観光するのですが、昔はこの付近には多くのワニが生息していました。

そこでこの地には「ワニは去った、しかしまたワニが来た」という諺があり、「一難去ってまた一難」という意味だそうです。

中国の世界遺産「五台山」

五台山は中国の仏教聖地であるだけでなく、中国で唯一、仏教とラマ教の2つの宗教を兼ね備えた道場であるため、チベット族や内モンゴル族からも崇敬されています。

五台山は避暑地としても知られ、別名「清涼山」とも呼ばれていますが、5つの峰が聳え、その5つの峰の頂が平らで広いことから「五台」と称されています。

5峰の外側は台外と呼ばれ、五台山の中心は台内の台懐鎮です。

通常の観光では五台山最古の寺院である顕通寺大白塔が聳え立つ塔院寺等を参拝します。

私はまだ、中国旅行が今日のような隆盛でなかった頃に訪ねましたので、道も整備されておらず、五台すべてを回ることはできませんでした。

しかし、東台(望海峰)からの日の出は筆舌につくせないほど美しかったことは鮮明に覚えています。

アルゼンチンの世界遺産「ロス・グラシアレス国立公園」

その名も「氷河」を意味するロス・グラシアレス国立公園は、アルゼンチンの世界自然遺産で、アンデス山脈の南端パタゴニアに位置する南極、グリーンランドに次ぐ世界第3の氷河群です。

中でもアルヘンティーノ湖に流れ込むペリト・モレノ氷河は、中央部で1日に約2mも移動するので「生きている氷河」と呼ばれ、気温が上がる夏には、ビルほどの高さの氷河が大きな轟音とともに一気に崩落するシーンが見られます。

しかし、この氷河の崩落と今の暑さを思えば地球温暖化問題を真剣に考えたくなります。「地球に優しい」という標語がありますが、私はむしろ人類はこれまで「地球に優しくされてきた」のではないかと思います。

セーシェルの世界遺産「ヴァレ・ド・メ自然保護区」

セイシェルの2つの自然系世界遺産はいずれもマヘ島にはなく、1つは世界最大の陸ガメで知られるアルダブラゾウガメの生息地であり、絶滅危惧種タイマンの産卵地としても知られる「アルダブラ環礁」、もう1つはアダムとイヴの神話のモデルにもなった伝説の果実「ココ・デ・メール(双子ヤシ)」が生い茂るプララン(プラスリン)島の「ヴァレ・ドゥ・メ自然保護区」です。

また、これは世界遺産ではありませんが、珊瑚礁と白砂のビーチに囲まれた野鳥の天国「バード島」もお薦めです。

この島ではギネスブックに載っている最長老のゾウガメ「エスメラルダ」に会うこともできます。

いろいろな種類の鳥達や愛らしいゾウガメ、美しい紺碧の空と海、白砂のビーチ、緑深い熱帯樹林等に囲まれ、素朴でゆったり流れる時間を満喫した後の「セイシェルの夕陽」は、本当に美しく輝きます。

また、「セイシェルの夕陽」が地平線に沈んだ後の夜空には満天の星も輝き、まるで煌く星座の物語が聞こえてきそうな楽園がセイシェルです。

オーストリアの世界遺産「ザルツブルク市街の歴史地区」

ザルツブルクと言えば、毎年夏に開かれる音楽祭が有名ですが、これはモーツァルトを記念して開かれるようになったもので、ウィーン・フィルを始め、世界に名だたるオーケストラや歌劇団、指揮者等が集い、世界でも注目を浴びる音楽祭の一つです。

1956年に音楽祭芸術監督に就任したカラヤンは、音楽祭の諸改革や新機軸を次々に打ち出し、祝祭大劇場の建築も主導しました。

この祝祭大劇場はかの「サウンド・オブ・ミュージック」の最期のクライマックスで登場して有名となりました。

今や世界中の音楽ファンがここザルツブルクに集い、その音楽祭で彼の曲を聴くと「モーツァルトが戻って来た」ように感じます。
私はザルツブルクの本当の世界遺産は、大司教の残した建造物ではなく、モーツァルトの残した永遠不滅の音楽だと思います。

アメリカの世界遺産「自由の女神像」

自由の女神と言えば、かつての日本テレビの人気番組「ニューヨークへ行きたいか」で始まるアメリカ横断ウルトラクイズで有名になりましたが、実際にはニューヨークではなく、ニュージャージー州との間の海上のリバティ島に建っています。

アメリカ横断ウルトラクイズの旅行は、私が在籍していた近畿日本ツーリスト銀座海外旅行支店で担当しており、それだけに私も「自由の女神像」には思い入れがあります。

本名はThe Statue of Liberty Enlightening the World と言って、「世界を照らす自由の像」が正しい訳ですが、像のモデルは製作者バルトルディの母ですから、女神と言っても間違いではありません。

しかし、顔は母親ですが、手は妻のもので、力強く一歩踏み出した左足が「鎖」を断ち切り、束縛からの自由を表現しています。

この像はアメリカ独立100周年を記念してフランスから贈られたもので、右手には世界を照らす松明、左手には1776年7月4日と記された独立宣言書を持っています。

タンザニアの世界遺産「セレンゲティ国立公園」

タンザニアの世界遺産「セレンゲティ国立公園」は、マサイ語で「果てしなく広がる平原」と言われるだけあって、アフリカ大陸の最高峰キリマンジャロ山の裾野に広がる広大なサバンナでサファリを満喫することができます。

この国立公園では東アフリカに生息するほとんどの動物を観ることができ、数多くの草食動物とそれを追うライオンなどの肉食獣など60種類以上の哺乳動物が暮らす文字通り「野生の王国」です。また、近くにはマサイ族の部落もあってマサイ族の子供たちも暖かく迎えてくれます。

マサイ族は主としてシンバ(ライオン)と戦いますが、サファリツアーではライオンを含めたむビッグファイブと呼ばれるバッファロー、ゾウ、ヒョウ、サイに人気があります。これはかつて白人がハンティングを楽しんでいた時代の名残で、獲物としてのベストファイブから来ています。

カンボジアの世界遺産「アンコール遺跡」

アンコール・ワットスールヤヴァルマン2世の治下、1113年から約30年かけて建立されたヒンドゥー教寺院で、王はこの寺院に王権の神格とクメール(カンボジア)文化独自の宇宙観を表現しました。

すなわち高さ60mの中央塔の周りに4基の塔を配した祠堂は世界の中心の須弥山(しゅみせん)、周壁は雄大なヒマラヤの霊峰、環濠は深く無限の大洋を象徴しています。

回廊には豪華絢爛で精緻なレリーフが施され、特に第2回廊に描かれたヒンドゥー神話の天地創造に関する「乳海攪拌」図は必見です。

また、このアンコール・ワットは西を向いて建っているので、朝日鑑賞の際に太陽に照らされ、シルエットとなって浮かび上がる姿も格別です。

しかし、私のお薦めは王都の中心、須弥山を表現したとされるプノン・バケンからの日没風景です。

夕陽に染められていく素晴らしい景色を眺めていると、自然の偉大さを感じると同時にデジャヴュに遭遇し、タイムスリップしてアンコール朝に戻ったような疑似体験が味わえます。

日本の世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」

花の窟(いわや)は、日本書紀に記される神々の母、イザナミノミコトの御陵であり、熊野三山の根源地として、わが国の信仰上、伊勢の神宮と共に非常に重要な神域でした。

そのため、熊野古道(伊勢路)は「伊勢へ七度、熊野へ三度」と呼ばれる信仰の道だったのです。

イザナミの埋葬地であり、古来「黄泉の国」と呼ばれた熊野は、平安時代に浄土信仰が広まった際に「現世の浄土」とされ、穢れを清め、新たな自分へと再生する「蘇(よみがえ)りの地」(黄泉から返る)と見なされました。

そこで、平安時代には法皇や公家が多数参詣し、江戸時代には伊勢のお陰参りと共に「蟻の熊野詣」で賑わいました。

そもそも熊野信仰は、巨岩や滝などに神が宿るとする自然崇拝を起源としており、女人禁制だった高野山などとは異なり、熊野は男女を問わず、貴賎に関わらず、すべての参詣客を優しく受け入れてくれました。

ハンガリーの世界遺産「ブダペストのドナウ河岸とブダ城地区およびアンドラシー通り」

ヨハン・シュトラウスの「美しき青きドナウ」で知られるドナウ河が、街の中央を北から南へと流れ、ブダ側とペスト側に分けており、合わせてブダペストの街が成り立っています。

西のブダ側は小高い丘に取り囲まれ、ブダ城(かつての王宮)などの歴史的建造物があり、東のペスト側は平らな地域で、商人の市場で賑わう経済的拠点でした。

ツィタデッラと呼ばれる城塞の残るゲッレールトの丘に登るとこの美しい街並を一望することができ、ここからの夜景は本当に美しくうっとりします。

眼下に見えるセーチェーニ鎖橋は、ブダとペストを結んだ最初の橋で、ブダペストの象徴の一つとされる美しい橋です。今ではハンガリー全土に延びる道路の0キロメートル地点としても重要な役割を果たしています。

このヨーロッパの中央に位置するハンガリーは、もともとウラル山脈方面から移住してきた誇り高きマジャール人の国で、東洋的な文化と西洋的な文化が交差する独特な雰囲気を持っています。

民族的にも非常に優秀で、人口に対するノーベル賞受賞者の割合は世界一と言われています。

グアテマラの世界遺産「ティカル国立公園」

ティカルはペテン一帯のマヤの都市を従える大祭祀センターとして栄え、500年頃にはメキシコのテオティワカンの影響を受けるも、そのテオティワカンが衰退した8世紀には最も輝かしい時期を迎え、「失われた世界」のピラミッドや有名な「大ジャガーの神殿」をはじめとする神殿群はすべてこの時期に造られました。

最盛期にはグラン・プラサと呼ばれる広場を中心としたピラミッド群の周囲に約6万人もの人々が、焼畑農業でトウモロコシを生産して生活していました。

川が近くにないため、ティカルの人々にとっては雨期に降った雨水を確保することが重要でした。しかし、ティカルの大地は石灰岩で出来ており、雨水はすぐに浸み込むので、人々は建造物や大地に至るまで町全てを漆喰で塗り固めていました。

水を通さない漆喰で覆われた貯水池に水を蓄え、徹底した水の確保により、大河なき密林にありながら、都市は維持されました。

イタリアの世界遺産「アマルフィ海岸」

南イタリアを代表する観光地にして「世界一美しい海岸」と呼ばれるアマルフィは、ナポリの東南に位置して、周囲を断崖絶壁の海岸に囲まれ、小湾の奥の港から断崖上に向かって形成された街で、日本では織田裕二さん主演の映画「アマルフィ 女神の報酬」で有名になりました。

街の背後の丘にはレモンやオレンジの畑が広がり、海岸の広場から続く広い階段を見上げるとその先には町の象徴であるドゥオーモの金色に輝くファサードが、かつての海洋国家の威厳を示しています。

このドゥオーモ(大聖堂)は11世紀に建造が始まり、中央のコンスタンティノープルで鋳造されたブロンズ製扉や13世紀の美しい「天国の回廊(キオストロ・デル・パラディーソ)」など特徴的な追加工事が継続して行われました。

狭い土地を有効活用するべく、アーチの上に家を建て、上へ上へと建て増しし、断崖にへばりつくように建物が密集しています。

土地に恵まれなかったため、人々は大海原に出て、「アマルフィ海法」という航海の法典を作成して、ピサ、ジェノヴァ、ヴェネツィアと地中海の覇権を争い、最盛期には黒海にも商業活動を広げていました。

カナダの世界遺産「カナディアンロッキー山脈自然公園群」

この公園は山脈の東山麓にあるカナダで一番古いバンフ、三葉虫の化石バージェス頁岩で有名なヨーホー、深い針葉樹林と800を越える湖沼が美しいジャスパー、そして氷河が造り出した様々な造形美を見ることができるクートネイ4つの国立公園ブリティッシュコロンビア州にある3つの州立公園によって構成されています。

主な見どころは、コロンビア大氷河レイクルイーズ、そしてカナダ紙幣にも描かれるモレイン湖等ですが、私はトルコブルーのペイトー湖が気に入っています。

20世紀初頭の案内人ビル・ペイトに因んで名づけられたこの湖は、緑の針葉樹林の中、光線の加減によって湖面の色が様々に変化します。

「人間と、人の手の入っていない自然の共存」を実践し、Take only memories, Leave only footprints!(持ち帰るのは「想い出」だけ、後に残すのは「足跡」だけ)を標語とする公園は、私たちに感動と安らぎを与えてくれます。

ミャンマーの世界遺産「ピュー古代遺跡」と世界三大仏教遺跡「パガン」

2014年に世界遺産として登録されたピュー古代遺跡は、ミャンマー初にして唯一無二の世界遺産です。ピュー族は9世紀頃までエーヤワディー川沿いに栄え、ビルマ族に滅ぼされた古代民族で、この時代に造られた仏塔の形が現代のパゴダの始まりと考えられています。

遺跡はハリン、ベイクタノ、スリ・クセトラの3都市で仏塔以外にレンガ造りの砦や灌漑施設なども残っていますが、やはり、ミャンマーの遺跡と言えば、世界三大仏教遺跡の一つであるのパガン遺跡が有名です。

ミャンマーは「ビルマの竪琴」で知られる敬虔な仏教徒の国で、パガンはそのミャンマー中部、イワラジ川沿いの約40平方kmの平原に広がる仏教聖地です。

大小さまざまなパゴダ(仏塔)や寺院が林立しており、規模から言えばアンコールワットボロブドゥールを凌ぐ世界ナンバーワンの仏教遺跡で、特に夕陽に浮かぶ光景は筆舌に尽くしがたい美しさです。

しかし、遺跡の管理や修復方法に問題があり、また、時の軍事政権が世界遺産の登録は、海外から観光客を呼び込む一方で国際社会の干渉を受けることから敬遠し、隠れた世界遺産となっています。

ヴァティカン市国の世界遺産「サン・ピエトロ大聖堂」

荘厳なるカソリック総本山であるヴァティカンのサン・ピエトロ大聖堂は、聖ペトロ(イタリア語ではピエトロ)の墓の上に建てられた4世紀のバジリカ(集会堂)が起源で、キリスト教徒を味方につけて天下を取ったコンスタンティヌス大帝が寄進したとされています。

ペトロ(本名はシモン)はラテン語で「岩」を意味しますが、彼は岩のように意思も強く、統率力もあったので、イエスが「あなたは岩、私はこの岩の上に教会を建てよう。あなたに天の国の鍵を授けよう」と後事をペトロに託したのです。

以来、「鍵」は使徒ペトロ、そしてペトロの後継者であるローマ教皇(法王)のシンボルとなったのです。重要な人物を「鍵を握る人」と言いますが、ローマ教皇(法王)はキリスト教の信者のみならず宗教界のリーダーであり、世界平和の鍵を握る存在なのです。

ポルトガルの世界遺産「ジェロニモス修道院とベレンの塔」

日本の歴史に影響を与えたヨーロッパの国はどこかと考えた場合、多くの人は英国や鎖国時代に通称関係のあったオランダを挙げるかもしれません。

しかし、私は1543年に種子島へ漂着し、鉄砲を伝えたポルトガルこそ日本に最も影響を与えた国かと思います。もし、鉄砲伝来がなければ、戦国時代の終結も遅れ、日本の歴史も大いに違った流れになっていたことでしょう。

そこで、今回はそのポルトガル大航海時代の栄華を今に伝える世界遺産をご紹介します。ポルトガルの首都リスボン市内よりテージョ川に沿って走る市電に揺られて約30分で有名なベレンの塔のあるベレン地区に到着します。

トルコの世界遺産「イスタンブール歴史地域」

トルコ人は親日的で、間違いにも寛容なので例えば「メルハバ」と挨拶の言葉をかけるだけで、仮にその発音やアクセントが違っていても笑顔で話しかけてきます。そもそも日本人はトルコでは絶大な人気があるのです。私自身、トルコに行くと癒されるだけでなく、元気を取り戻すことができます。

その理由として宿敵ロシアを破ったとか、初代大統領のアタチュルクが日本びいきであったとか言われ、日本とトルコは中央アジアの同じ民族を祖先に持つと信じられています。

そこで今回は「ヨーロッパとアジアの架け橋」と呼ばれるビザンツ、オスマントルコ帝国の都として繁栄したイスタンブールの世界遺産をご紹介します。

オランダの世界遺産「アムステルダムの環状運河地域」

アムステルダムはその昔は小さな漁村でしたが、16~17世紀に運河が整備されると海運を活かした港湾都市として発展し、東インド会社の設立を機に世界の貿易拠点として繁栄しました。

アムステルダム旧市街は東京駅のモデルにもなった中央駅を中心に5本の運河が弧を描いており、ライチェ通りからファイゼル通りにかけてのゴールデンカーブと呼ばれる地区には、黄金時代の華麗なレンガ造りのカナルハウスが多数並んでいます。

アムステル川にかけられた橋の中でも絵になる「マヘレの跳ね橋」は、大型船の航行を可能にした17世紀創建の木造の跳ね橋で、夜のイルミネーションは必見です。

ベルギーの世界遺産「ブリュッセルのグラン・プラス

ベルギーは小国でありながらフランデレン語(オランダ語)を話すフランドル地域とフランス語を話すワロン地域に二分され、ドイツ国境付近には少数ながらドイツ語地域も存在するため、言語戦争と呼ばれる対立を繰り返しながら今日に至っています。

しかし首都ブリュッセルは、首都圏地域としてフランデレン語とフランス語の両方が公用語とされ、EU本部もあるヨーロッパきっての国際都市となっています。そこで今回はベルギーの代表的な世界遺産であるブリュッセルのグラン・プラスをご紹介します。

この大広場はヴィクトル・ユーゴーが「世界で最も美しい広場」、ジャン・コクトーが「豊饒なる劇場」と称えただけあって、2年に一度の「フラワー・カーペット」というイベントでは、広場に色とりどりの花々が敷き詰められ、周囲の壮麗な建物と調和して非常に美しい劇場となります。

特に15世紀に建てられたフランボワイヤン様式の市庁舎やハプスブルク家統治時代の面影を残す「王の家」のファサードは壮麗です。

この「王の家」は現在、市立博物館になっており、3階には町のシンボルでありブリュッセルの最長老市民である小便小僧Manneken Pisの衣装コレクションが展示されています。

世界各国から贈られたこれらの衣装を眺めていると「ヨーロッパを知りたかったらベルギーへ」という言葉に一理ある気がしました。

ルクセンブルクの世界遺産「古い街並みと要塞群」

ベルギーBelgiumネーデルランドNetherlands(オランダ)、ルクセンブルクLuxembourgの3国の頭文字をつないだベネルクスとは、本来この3国間の関税同盟協定を指す言葉でした。

1944年に調印されたこの協定は1983年以降、3国間の貿易手続きや出入国手続きの簡素化を実施し、現在の欧州連合(EU)の基礎となったのです。

この3国の中で鎖国時代に通商のあったオランダ(ネーデルランド)やベルギーは日本に馴染みがありますが、ルクセンブルクは正式にはルクセンブルク大公国と呼ばれ、ドイツ・ベルギー・フランスに隣接した深い渓谷と緑の森に覆われた小さな国です。

首都ルクセンブルク市は、渓谷の断崖城壁に囲まれた要塞都市で、街全体が世界文化遺産に指定されており、その景観は訪れた者を圧倒する荘厳な美しさです。

スペインの世界遺産「グラナダのアルハンブラ宮殿」

今日の世界遺産の中には映画や旅行記で紹介されて有名になったものが数多く存在しますが、その中でも1832年、アメリカ人作家のワシントン・アーヴィングが発表した「アルハンブラ物語」は、それまでさほど知られていなかったグラナダのアルハンブラ宮殿を広く世界に知らしめた著作として有名です。

これは彼がアルハンブラ宮殿に滞在した経験とそこにまつわる伝説や歴史を綴った紀行文ですが、読めば一度は行ってみたいと思わずにはいられない名著です。

なかでも「毎日仕事などせずにぶらぶらしている貧困家庭の人たちが、祝祭日になると精一杯の晴れ着を着て街に繰り出す」というエピソードなどは、今日のアンダルシア人の性格をも伝えており、興味深い内容です。

この宮殿はイスラム建築の大きな特徴である空間を自然と調和させ、偶像崇拝禁止というイスラムの教理に従い、壁や天井のモチーフには人物や動物はいっさい使われておらず、幾何学文様やアラビア文字を装飾した繊細緻密なアラベスク模様が中心です。

特にこの宮殿内では「アッラーだけが勝者」というコーランの一節が繰り返し使われています。

最大の見所はやはり「ライオンの泉」と呼ばれる12頭のライオンに支えられたイスラムには珍しい噴水でしょう。

イスラム教徒にとって水は大変貴重で、その貴重な水を室内に引いて噴水を設けることは最高の贅沢でした。

スウェーデンの世界遺産「ドロットニングホルムの王宮」

ノーベル賞授賞式はスウェーデンの首都ストックホルムのスタッドフーセット(市庁舎)で行われますが、今回はその近郊メーラレン湖に浮かぶローヴェン島に建つ世界遺産ドロットニングホルム王領地をご紹介します。

「ドロットニングホルム」はスウェーデン語で「王妃の小島」を意味しますが、これは16世紀に国王ヨハン3世が王妃のために建てた夏の離宮に始まり、17世紀末、カール10世の王妃ヘドヴィーグ・エレオノーラがスウェーデンの名建築家ニコデムス・テッシン父子に設計を依頼して完成させたフランス・バロック様式の壮麗な宮殿と庭園です。

さらにロヴィーサ・ウルリカ王妃が主となった18世紀後半には、内装がロココ様式に改装され、王妃自慢の「広東のアトリエ」で作られた陶磁器の間や図書室なども増設、シノワズリ様式の中国の城も加わり、現在の姿となりました。

イタリアの世界遺産「ヴェネツィアとその潟(ラグーン)」

ヴェネツィアはビザンティン(東ローマ)帝国分割で莫大な利益を獲得し、「ヴェニスの商人」の活躍もあって最も繁栄した共和国でした。

ヴェネツィアの中心は周囲を壮麗な建物で囲まれたサン・マルコ広場で、ナポレオンはこの広場を「屋根のない宮殿」と評したそうです。広場の東側に立つサン・マルコ大聖堂には、9世紀にアレキサンドリアから運ばれてきた福音書記者の一人聖マルコの遺骸が安置され、ヴェネツィア共和国はこの聖マルコを国の守護聖人としました。

ヴェネツィア人はカトリック教徒でしたが、商取引上ではビザンティン帝国と深い関係にあったので、サン・マルコ大聖堂ではビザンティン皇帝を首長とするギリシャ正教の影響を受けた建築様式が採用され、壁面はモザイク装飾で基本プランがギリシャ十字になっています。

ノルウェーの世界遺産「西ノルウェーのフィヨルド群」

数あるフィヨルドの中でもネーロイフィヨルドと共に世界自然遺産登録されたガイランゲルフィヨルドをご紹介します。

「ガイランゲル」とは槍のとがった先という意味があるそうですが、ガイランゲルの博物館「ノルウェー・フィヨルドセンター」の外観はまさしくフィヨルド方向を指す槍の刃先のようです。実際、ガイランゲル村はヘレシルトからのクルーズでは終着点であり、フィヨルドを槍に例えるならばその先端に位置しています。

クルーズのハイライトは標高1500m級の切り立った断崖が両側に迫り、「求婚者」が「七姉妹」に言い寄ろうとして向かい合う「セブンシスターズSeven Sisters」と呼ばれる7筋の滝と「求婚者Suitor」の滝です。

ガイドブックに紹介される多くの写真はフリーダルスユーベ展望台からの景観ですが、お勧めはガイランゲル村から7㎞離れたダルスニッバ展望台です。残念ながら今回は雪景色でしたが、この地に立つと氷河の浸食という大自然の営みを実感することができます。

タイの世界遺産「スコータイの歴史上の町と関連の歴史上の町」

タイでは生活の基本となる4つの体勢をアリヤーボット・シーと言いますが、これは人が生まれて最初の横になる体勢、第2に座る体勢、第3に立つ体勢、そして第4の歩く体勢を指し、この4つの体勢(アリヤーボット)がタイの仏陀像に反映されているのです。プラ・ノーン(横になった仏陀像)、プラ・ナン(座った仏陀像)、プラ・ユーン(立った仏陀像)、プラ・リラー(優雅に歩く仏陀像)という4大ポーズはスコータイ王朝時代に成立し、仏像はこの4大ポーズをベースに発展してきたのです。

しかし、数ある仏像の中でもやはり歩く姿の仏像が一番美しいとされ、スコータイ遺跡のワット・サスィー境内にある青銅製の釈迦遊行仏(プラ・リラー)こそがスコータイ文化のシンボルなのです。

フランスの世界遺産「モン・サン・ミシェルとその湾」

花崗岩質の岩山であるモン・サン・ミシェルは海岸から1kmほど沖に突き出ており、周囲900m、高さ76.8mの小島です。

そしてこの小島のあるサン・マロ湾はヨーロッパでも潮の干満の激しい場所として知られており、干潮時には陸続きになるものの満潮時には激しい潮の流れに囲まれ、最も大きい潮が押し寄せる満月と新月の前後には引き潮が猛烈な速度で押し寄せ、このためかつては多くの巡礼者が潮に飲まれて命を落とし、「モン・サン・ミシェルに行くなら、遺書を置いて行け」という言い伝えもありました。

私が観たモン・サン・ミシェルの景観は、とても神秘的で崇高な威厳を感じると同時に人間の自然への大いなる挑戦の結果生まれた塔や城壁、ラ・メルヴェーユ(驚異)と呼ばれる修道院建築から「人間の挑戦は偉大である」と感動しました。

ブラジルの世界遺産「リオ・デ・ジャネイロ」

リオ・デ・ジャネイロRio de Janeiroとはポルトガル語で「1月の川」という意味ですが、これは1502年、ポルトガル人探検家がこの地グアナバラ湾に到達したのが1月で、この湾を大きな川と勘違いしたことから命名されました。

また、この街やこの街で生まれ育った人とのことを「カリオカ」と呼びますが、これは当時のポルトガル人が皆、白壁の家を建て、それらの「白い家」を先住民トゥピ族の言葉で「カリオカ」と呼んだことが由来です。

リオと言えばやはりサンバのカーニバルが有名ですが、「カリオカ」たちには「リオを見て生き永らえよ」という言葉もあって、このカーニバルを見ていると生きることの素晴らしさを感じさせてくれます。

観光では市街を見下ろす標高710mのコルコバードの丘に立つキリスト像や「砂糖のパン」という意味の「ポン・デ・アスーカル」頂上からの眺めは見逃せません。

ギリシャの世界遺産「アテネのアクロポリス」

アクロポリスの丘には古代ギリシア建築を代表する4つの傑作が残っています。

ドーリア式建造物の最高峰であり、民主政アテナイの象徴としてのパルテノン神殿、壮大な大理石の柱を持つ神域への門とされるプロピュライア、イオニア式建築の代表作で6体の少女姿の柱像(カリアティード)で知られるエレクテイオン、スパルタとの戦争(ペロポネソス戦争)の勝利を祈ってアテナイの守護神であるアテナ女神を祀ったアテナ・ニケ神殿です。

これらの遺跡はアテナイのみならずギリシアの栄光の象徴ですが、そのギリシアはポリス間の争いで衰退、マケドニアの英雄、アレクサンドロス大王の軍門に降りますが、逆にマケドニアに敗北したが故にギリシアが一つになったと言われています。

ナポレオンが現われてドイツ民族が一つになったのと似ていますが、歴史はやはり繰り返すのでしょう。

オーストラリアの世界遺産「ウルル=カタ・ジュタ国立公園」

「日本のヘソ」に対して「地球のヘソ」と呼ばれるウルル(エアーズ・ロック)で有名なオーストラリアの複合遺産ウルル=カタ・ジュタ国立公園をご紹介します。

共に先住民族アボリジニの聖地であり、ウルルは西オーストラリア州にあるマウント・オーガスタに次いで世界で2番目に大きな単一の岩で、「世界の中心」という意味あいで「地球のヘソ」と呼ばれています。

形成する砂岩は鉄分を多く含んでおり、外観は赤色を呈していますが、日の出から日没までの太陽の当たり方でその色が変化する様は、まるで生き物をみているようで、私は宮崎駿監督の映画「風の谷のナウシカ」に登場した「王蟲」を思い出すのです。

一方のカタ・ジュタは「多くの頭」という意味があり、通称オルガズThe Olgasと呼ばれる36の巨石群(礫岩)からなります。こちらは一枚岩のウルルと異なり、重なり合う岩のコントラストが美しく、空気が乾燥しているだけに朝焼けや夕焼けは見事です。

ペルーの世界遺産「マチュピチュの歴史保護区」

マチュピチュはクスコからウルバンバ川に沿って約114kmの奥深いアンデス山中にあり、南側に連なる山々には尾根に沿うように険しいインカ道が続いています。周囲はジャングルに覆われ、麓からはその姿は見えず、空からしか存在を確認できないことから「空中都市」と呼ばれています。

自然石の上に建てられた石積みの見事な「太陽の神殿」やマチュピチュ最高点に立つ「太陽をつなぎとめる場所」を意味するインティワナ(日時計)、コンドルの石のある神殿など、多くの遺構が残るもマチュピチュは謎が多く、まさしくインカの歴史は推理です。

今でこそ世界的に有名になったマチュピチュ遺跡ですが、この遺跡のふもとにあるマチュピチュ村に画期的な「ホテル・ノウチ」を建て、村の発展に尽くした日本人の存在はあまり知られていません。

福島県出身の野内与吉氏は1981年から1983年までマチュピチュ村の村長を務め、何もない村に水力発電を作って電気をもたらしたり、3階建ての「ホテル・ノウチ」を建てて観光事業を提唱し、村の発展に生涯をささげた日本人にとって誇りとすべき偉人です。

フランスの世界遺産「アルルのローマ遺跡とアルルの女」

「南仏に行くならアルルにしろよ。あの町には美人が多いから」とロートレックがゴッホに語ったように民族衣装に身を包んだ「アルルの女」も魅力です。

特に毎年7月の第一日曜日に開かれる「アルル衣装祭」を主宰するアルルの女王は現代の世界遺産かと思います。

なぜなら、アルルの女王はただ美しいだけではなく、華麗なプロヴァンス語を話し、乗馬もできる真にプロヴァンスを愛する女性でないとなれないからです。

ドーデの短編小説『アルルの女』を読み、ビゼーの戯曲を聞いてアルルの女王に会えば、主人公のフレデリが駆け落ちしたくなった気持ちも理解できます。

その昔、プロヴァンスでは赤ん坊が生まれると「パンのように善良で、卵のように満たされ、塩のように控えめで、そしてマッチのようにまっすぐで元気な子に育ちますように」とパン、塩、卵、マッチを贈られたそうですが、「アルルの女」を含め、アルルっ子達はその4つの贈り物のお陰か、皆元気に育っているように思えます。

ドイツの世界遺産「アーヘンの大聖堂」

アーヘン大聖堂はしばしば「皇帝の大聖堂」と呼ばれ、建設当時、アルプス以北では最大のドーム建築でした。そして、その建築様式は古典主義様式、ビザンティン様式にゲルマン様式の要素を備えたきわめて重要な記念碑的建造物です。

話題となった映画「テルマエ・ロマエ」で知られるローマ帝国の社会に、決定的な打撃を与えたのは、今日のドイツ国家を形成するゲルマン民族の大移動でした。

「パックス・ロマーナ(ローマの平和)」を謳歌したローマ帝国も395年に東西に分裂し、ゲルマン民族の一派である東ゴート族により、476年に西ローマ帝国は滅亡します。

しかし、その混乱を収拾したのも同じゲルマン民族の国であるフランク王国で、そのフランク王国のカール大帝が800年にローマで戴冠して西ヨーロッパ世界が再統一されたのです。

そしてそのカール大帝ゆかりの教会がアーヘンの大聖堂です。この大聖堂は北部ヨーロッパでは最古のもので、カール大帝の命により宮廷礼拝堂として建てられ、814年にカール大帝が死ぬと彼自身もここに埋葬されました。

スペインの世界遺産「バルセロナのアントニ・ガウディ作品群」

サグラダ・ファミリアは1883年にガウディが設計着手してから現在も建築中という前代未聞の壮大な教会で、日本人もこの建設に携わっています。

ガウディは交通事故で亡くなるまで、敬虔なキリスト教徒として生涯をかけてこの教会建築に打ち込み、生誕のファサード地下聖堂等を完成させました。

彼は自然を「偉大な書物」と考え、「美しい形は構造的に安定しており、構造は自然から学ばなければならない」という信念から、曲線と細部の装飾を多用した生物的な建築を得意としました。

教会内部には彼が設計の実験に用いた「逆さ吊り模型(フニクラ)」等の資料が展示されており、ガウディのことを知るには必見です。

ガウディの才能を見初めたのは富豪のエウゼビ・グエルで、死ぬまでパトロンとして彼を支援し、自らのグエル邸グエル公園コロニア・グエル教会地下聖堂などの設計も依頼しました。

グエル公園は当初、大規模な集合住宅にする予定でしたが、購入者がおらず、市に寄贈されて公園となったいわばガウディの失敗作です。

しかし、園内にはガウディの住んだ家やガウディらしい自然をモチーフとしたオブジェが随所にあり、今日では世界一夢のある公園として人気を集めています。

イタリアの世界遺産「ローマの歴史地区」

ローマの世界遺産登録された建造物の大半は、古代ローマ帝国最盛期のBC1世紀からAD3世紀に建てられた公共施設の遺構ですが、重要なものはBC1世紀にユリウス・カエサルが着手したローマ市民の広場「フォロ・ロマーノ」、カエサルを讃える「ユリウス神殿」「元老院」、裁判などを行った「バシリカ」です。

今でもローマの街を歩くと、建物の壁やマンホールの蓋など至る所に「S・P・Q・R」という文字を目にしますが、これはSenatus PopulusQue Romanus(セナトゥス・ポピュルスクェ・ロマーヌス)の略称で「ローマの元老院と国民」の意味です。

これは古代ローマにおける国の主権者を意味しており、「Senatus(元老院)が主導しつつもPopulusQue(国民)とは基本的に平等である」とするローマ帝国の理念です。

市内に残る主な遺跡としては「コロッセオ」「コンスタンティヌス凱旋門」、「パンテオン」「サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂」などがありますが、中でもローマの象徴「コロッセオ」の隣に立つ「コンスタンティヌスの凱旋門」は、キリスト教を公認したコンスタンティヌス帝が戦勝記念に建立したローマ最大の門で、ベルリンのブランデンブルク門パリのエトワール凱旋門から見ると、ヨーロッパの「すべての道はローマ(コロッセオ)に通ず」の言葉通り、終着点になっています。

これは「S・P・Q・R」(ローマ市民)という概念が、ローマ帝国の滅亡後もドイツ、フランスを含むヨーロッパの人々の中で生き続けている証左なのです。そのため、ローマ人は「祖国」を発明した人々とも呼ばれているのです。

日本の世界遺産「古都奈良の文化財と法隆寺」

世界遺産「古都奈良の文化財」は、国宝建造物を有する東大寺・興福寺・薬師寺・唐招提寺・元興寺・春日大社の6つと特別史跡である平城宮跡、そして特別天然記念物に指定されている春日山原始林の8つの資産が個別に評価されたのではなく、全体がひとつの文化遺産として評価されたのです。

平城京はシルクロードの終着点でもあったことから、国際的な都市でした。

しかし、当時、権力を握っていた藤原不比等ゆかりの興福寺が、その天皇家の平城宮を見下ろす位置にあったことを知れば、これら構成遺産のつながりを理解することができます。

すなわち、春日大社は藤原氏の祖である中臣氏の氏神を祀っていたことから神仏習合で藤原氏の氏寺である興福寺と結びつき、この藤原勢力に対抗するために聖武天皇行基率いる優婆塞(朝廷の許可を得ていない僧)と協力して春日山の麓に東大寺を建立したと推定できるのです。

当時の仏教は「大仏建立の詔」にもある通り、国家の鎮護・安寧を願った国策仏教でしたが、疫病が流行ったこともあり、鑑真(唐招提寺を建立)を招聘した長屋王など滅ぼされた人たちの祟りという考えも大いに影響していました。

そこで、これらの祟りを鎮める目的からも称徳天皇(聖武天皇の子)は大寺に行幸し、仏教重視の政策を進める一方で、伊勢神宮や宇佐八幡宮内に神宮寺を建立するなど神仏習合を進めたのだと思います。

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